代官所をとび出した政照は、そのまま吉之助の囲いに駆けつけた。 : どうぞ、今日かぎり、この牢を出て下さい」 「先生、先生、ど・ 「政照さん、どうなされた、えらいあわてようだが」 「先生、やっと望みがかないました。新しい囲いをつくりますから、今日かぎり、この汚らしい牢か ら出て下さい」 「ほう、それはまた、どうしたわけで」 政照は代官との談判の事情を述べ、附役の福山清蔵も高田平次郎もこの計画には賛成してくれたと 附け加えて、語り終えると、ぼろぼろと涙を流した。 吉之助は牢格子の間から痩せた手をさしのべて政照の手をしつかりと握り、自分もぼろぼろと涙を 流して、いつまでもその手を離さなかった。 : ・私もこの牢だけは出たかった : : : あんたにこの上迷惑をかけてはと思い 「政照さん、出たかった・ : はじめはこのまま牢死してもかま 口には出さなかったが、近ごろは出たい気持でいつばいどっこ : わぬと捨てばちな気持になったこともあった。それが何か勇しいことのように思ったこともあった ・ : 政照さん、なんとお礼を申して : だが、私も人間です。やつばりこんな場所では死にたくない : しいかわからぬ」 政照はふるえる手で錠前をはずした。吉之助は這うようにして外に出たが、立上ろうとして、よろ よろと政照の肩に倒れかかった。痩せ衰えた身体には、もう立っ力が残っていなかった。 運ばれて行った土持家は島の旧家の代表的な建て方で、茅葺の平家ではあるが、建坪も広く、庭も
土持政照はかってこの島の代官であった土持政綱の島生れの庶子である。母はこの島が、琉球に属 していたころの島主「世の主」の裔と言い伝えられる名家の出であった。父の政綱はまだ鹿児島の城 下に生きている。母は島妻の習慣に従って、一歩も島の外に出ず、一人息子の政照を養育して二十七 年間、しずかに暮して来た。 かならずしも捨てられた母子というわけではない。それが島妻とその子たちの運命である。内地の 父からはときどき便りもあり、仕送りもある。政照が人々の侮蔑を受けることなく無事に成人して、 教育も受け、役につくことのできたのも、たしかに父のお蔭であった。島に捨てられた庶子として父 を恨む気持よりも、父をなっかしむ気持の方が強かった。鹿児島に異腹の兄弟たちもたくさんいると いう。その兄弟たちにも逢いたいと思う。 彼が内地人に対して感する強い興味と好奇心は、徳之島の琉仲為の場合とちがって、深い肉親的な ものであった。もちろん、仲為と同様、単調な島の生活に鬱屈した若い血潮のせいもある。しかし、 仲為の場合には生えぬきの南島人の反抗心が胸の底にひそんでいるが、政照の胸の底には、親をなっ 島 かしむ息子の血があたたかく流れていた。 部 代官の黒葛原から、大島三右衛門と名乗る遠島人の監視役を命ぜられた時、政照は不思議な胸のと永 きめきを感じた。彼としてもすでに二十七歳である。一人前の判断力は持っているつもりである。内 地人に対する強いあこがれを持ちつづけているというものの、内地人なら誰でも理想化して眺めた少三 第 年時代はとっくの昔に過ぎている。心から尊敬する気になる内地人は実にすくなかった。代々の代官 や役人にも失望した。ときどきやって来る商人や船頭たちにも失望した。遠島人に至ってはほとんど ぶべっ
「先生を遠島人だと申上げて : : : 」 「私は遠島人にちがいない」 いうことを代官が聞くはすはないと、たいへん失礼なことを申上げましたが、まったくの 「遠島人の ことで : ・ : ・」 いや実にロはばっこ、 思いちがい 「仲為さん、なにもそんな : 「いえいえ、代官所の新しい布告を実は今日はじめて承知しました。まことに結構な御改革で、これ ならば私ども島民は安心して砂糖を作れます。みんな踊りまわって喜んでおります。嘘ではありませ ん。ほんとに作人どもは踊りまわっております。これもみんな先生のお蔭だと申して : : : 」 「それはちがいます。こんどの改革は代官の上村さんと附役の中原万次郎の発案です。さらには、去 年の春、命がけの騒動を起して島流しにされた犬田布村の有志たちの誠が天に通したと申してもよ し」 「先生 ! 」 仲為は坐りなおして、「そのようにおっしやって下さるのは、まことにありがとうございます。しか し、あの騒動を起した者どもの誠心誠意をまっすぐに汲み取って下さったのは先生です。 : : : もしも 代官が自分の言葉を聞かなかったら、お前たちと一緒にもう一度騒動を起してもよろしいと先日も申 されましたが : 「ほう、そんなことを言ったかな」 「その時には半分冗談と聞き流しましたが、先生は本気だったのですね。本気で代官とかけ合って下
第二章父と子 亀津の代官所から、中原万次郎がやって来て、 「先生、おかげさまで砂糖の問題が解決しました。島中が大喜びです。私もこれで気が楽になりまし 「ほう、それはよかった」 吉之助もうれしそうに笑って、「案外早かったな。代官の上村さんも物わかりのいい人らしい」 「はあ、物のわかった人です。しかし、先生の熱心なおすすめがなかったら、いつまでも自分の悪政 に気がっかなかったかもしれぬ、厚くお礼を申してくれと言われました」 「ますます名代官だな : : : で、どことどこを改革された ? 」 「次の三点です。覚書に書きとめてまいりました」 「ちょっと拝見」 一、役人どもが奸計を用い、農民が砂糖と引替えに註文する物品のうち、上等の品は数がたらぬと 称して渡さず、勝手に自分の懐にねじこんでいたのをあらため、あらかじめ島民の註文品の通帳
「先生、あなたはいずれ内地にお帰りになりますか ? 」 「さて、それはわからぬ」 「内地には、仕残した仕事がおありになるのでしような ? 」 「あります。たくさんあります。 : しかし、再び内地に帰れるかどうか、それはわかりませぬ」 「帰れぬと決ったら、この島にお住みになって頂けませんか ? 」 「島民は弱いものです。代官や役人の前では、情ないほど無気力なものです。先ほど先生も申されま したが、せつかく善政の布告が出ても、それを最後まで実行させる力は島民にはありません。代官が もくあ かわるか、それとも代官の気が変るかして、布告が取消されれば、それまでです。たちまち元の木阿 弥で、虫けら同様の境涯に追い落されてしまいます。 : : : その後は、五年に一度、十年に一度ぐらい は、たまりかねて去年のような騒動を起すことはありますが、武器も刀も持たぬ悲しさは、代官所の 軍勢に追いまくられて、主謀者は絞り首か島流し、あとはそのまま泣き寝入りです。 : : : 杖がいりま す、柱がいります。どうそ先生、内地にお帰りになれないと決ったら、この島にお住みになって、わ れわれどもの杖と柱になって下さいませんか」 「先生、大島には奥様と坊っちゃまがおられると聞きました。お呼びになったら、いかがです ? な んなら、お迎えの舟も私どもが仕立てます。明日にでも、舟は出せます。風の具合さえよければ、三 日たたぬ間に、奥様と坊っちゃまをこの村におつれできます。お心をきめて下さいませぬか、先生 ! 」
代官は藩命を楯にして、見て見ぬふりをしている。福山も心配であるが、どうすることもできない らしい。他の同僚に至っては重罪人が牢死するのは当り前だと言いたげな冷淡な顔つきであった。 政照はたとえどんな罰を受けてもいいから、この人を助けようと決心した。母のつるに相談して、 栄養になる料理を作ってもらい、自分で囲いに運んで行き、吉之助が食べ終るまでは動かなかった。 下女に命じて、汚れた衣服を洗濯させた。腐れかかった蓆は新しいのと取り換えた。琉球焼の火鉢と 土瓶をはこんで行って、いつでも茶を飲めるようにした。独断で入浴日を月二回にし、浴後には無理 につれ出して川辺の小径を散歩させた。だが、それくらいのことでは、衰えきった囚人の健康を取り もどすことはできなかった。 ある日、土持政照は何事か決心した顔色で、代官の黒葛原にあいに行った。 「お願いの筋があって参上いたしました」 代官は政照のただならぬ顔色を見て、いぶかしげに尋ねた。 「何事だな ? 」 「大島三右衛門のことにつきまして : : : 」 「大島がどうした ? 何か間違いでも起ったか」 「御命令書には囲いの中に入れるようにと書いてあったと存じます」 「その通り、ちゃんと入れてあるではないか」 「御承知の通り、囲いとは家の中に仕切りをして設ける座敷牢のことでございます。しかるに、 天島を入れてあるのは、露天の牢であって囲いではありませぬ。これは明らかに藩命違反で当代官所 むしろ
現在、横浜で生糸を外国人に売ることのできるのは薩摩藩だけであった。幕府は攘夷の世論に押さ れて、横浜鎖港を声明することを余儀なくされ、生糸の民間取引きを禁止したので、ここ数カ月間、 横浜の生糸の入荷は途絶してしまった。薩摩はこの情勢を逆利用した。大久保利通がうまく立廻って 幕閣を動かし、薩摩藩だけは例外であることを認めさせた。「丸に十字」の紋章のついた生糸だけは公 然と神奈川の関所を通過する。他藩の商人たちも、多額の歩合をおさめて、薩摩の保護をうけた。い わば「公然の密貿易」である。 薩英戦争以前は、通商条約の保護者は幕府であり、薩摩はその破壊者であるという「 卩象をあたえて いたが、今はその逆である。横浜の外国商社のあいだでは、薩摩の「進歩主義」は評判がいい牛に イギリス人とのあいだには、薩英戦争のおかげで、「撲りあいの後の友情」とでも言うべき親愛感が発 生していた。極東では、最大の商社ジャーディン・マジソンの支配人グラーも薩摩を代表する商人 浜崎屋太平治には愛想がよかった。 薩摩の密貿易の伝統は長い。島津家代々の藩主は、琉球を通して、明、清、呂宋、カンポジャと貿 易して藩の財政をささえた。密貿易の基地は薩南の坊の津、山川、指宿の諸港であるが、太平治は指 宿の豪商の家に生れて八代目だ。 五代目の太左衛門は寛政年間の全国長者番付に三井、鴻池とならんで名をつらねた九州第一の富商 であった。藩主島津家に金穀別荘等を献上した功により、三十三反帆の大船建造の許可を得ている。 七代目で家業は一時おとろえたが、八代目太平治は十四歳の時、琉球に密航して唐物を買い これ らを大阪方面で売りさばき、その後は船を家として南北に活躍し、見事に家運を盛りかえした。当時 ルソン 194
死 と 血 「おい、君代に照香、おまえら、そんな不景気面をならべているひまがあったら、なんぞ気の晴れる章 遊びでも考えろ。よくも芸なし猿ばかりそろったものだ」 第 山城屋が青ざめた頬をゆがめて、芸者たちにからみはじめた。山城屋は西陣で三代っづいた織物問 かたそう 屋の若旦那で、三代目に似合わぬ堅造だと言われていたのが、黒船駈ぎが尊王攘夷熱となり、京都の 「ということにもなるがね」 浜崎屋は齢のころ五十前後、小柄ながら筋骨たくましい、にがみ走ったいい男ぶりである。「まあ、 気長に行くことだよ、山城屋さん。こんな御時勢では、商売もあぶない橋をわたらねばならぬ。あん たが集めてくれた生糸と茶はもう横浜に着いているころだ。神奈川の橋をわたってしまえば、こっち のものだ。くよくよすることはない。お飲みなさい」 「飲んでいますよ。 : だが、浜崎屋さん、この酒のにがさは、薩摩人のあんたにはわからん。あん たが焼かれたのは他人の船だが、わたしが焼かれるのは親代々の西陣の織場と老舗の暖簾 自分の財産だけなら、あきらめもしようが、この京都という美しい町が長州と薩摩の天下争いで焼き はらわれてしまのかと思うと : 昼間から飲みはじめて、もう商売の取引きはすんでいるのだが、山城屋の話が愚痴に流れて、座は くったく さつばり浮き立たない。外はどうやら涼しげなタ景色だが、お酌をしている二人の芸者も屈托顔の重 苦しい座敷である。
代官の黒葛原源助は庭に打水をさせ、浴衣のくつろいだ姿で縁側に腰かけていたが、禎用喜が差出 す「遠島命令書」を見ると、眉をしかめて、 「こりや厄介な預り物だぞ。囲いに入れろと書いてある。ふうん、よほどの暴れ者とみえる」 なり 「いえ、決して暴れるような人柄ではございませぬ。装は相撲取のように大きいが、至って静かで 「ふうん、暴れもせぬのに囲いに入れよとは : : : つまり、大変な罪人だということになる。大島 : 三右衛門か。名前からして悪人らしい」 「私はくわしくは存じませぬが、大島というのは変名で、城下ではよほどの人物だったと中します。 徳之島の代官様も、なるべくていねいに扱ってくれと中されまして : : : 」 禎用喜は自分のことのように弁護した。「航海中は自由にするようにと私はすすめたのであります が、舟牢に坐ったまま動きませぬ。港に入っても、牢から出ようとはいたしませぬ」 「ふうん」 「どうか、代官様の特別なお取計いで、囲いの出来まするまでは、陸に上げて、楽にさせてやっては部 良 永 「おいおい、その言葉は差出がましいそ。こりや、とても俺の一存で取り計えることじゃない。囲い 章 のできるまでは、舟牢の中に入れておくがよい」 第 「囲いはまだ 「出来ておらんよ。囲いに入れるような重罪人を扱うのは俺もはじめてじゃ。さてさて厄介なことに
なったそ。囲いを作るには、し 、くらいそいでも三、四日はかかろう。ああ、お前は早く港に帰るがよ 囲いが出来次第こっちから迎えに行く。とび出さないよう、よく気をつけるのだそ」 禎用喜を追いかえすと、黒葛原は腰をかかえて庭をひとまわりし、しきりと首をひねっていたが、 下役に命じて、島横目の土持政照を呼びにやらせた。 翌る日の早朝から、土持政照の指揮で、牢屋の建築が始った。場所は代官所から三丁ほど北に寄っ Ⅱのほとり、目の下に磯を見下す丘の斜面であった。四本の杉丸太を九尺の距離に立て、杭の間 に三寸角の松材を植え、それに横木数本を通した荒格子造りで、高さ三尺の出入口のほかには戸もな く、壁もない四角な籠であった。竹を組んで床にし、片隅に板かこいの便所、その反対側に小さな囲 炉裏を切り、屋根はわすかに雨露をふせぐ程度の茅ぶき、豚小屋にまさるところは、竹の床の上に四 あらむしろ 枚の荒蓆が敷いてある点だけであった。 手軽すぎる工事であったから、一日おいた十六日の昼過ぎには、もう立派に出来上ってしまった。 その日の午後、代官黒葛原は、附役福山清蔵、横目土持政照を従え、伊延の港をさして馬を走らせ 出迎えた禎用喜に案内されて、舟牢の前に行ってみると、罪人は焼けつく西陽を片頬に受けて端然 ひげ と坐っていた。小山のような感じのする大男であった。髪は乱れ、髯はのびていたが、皿より大きな 目の光に犯すべからざる威厳があった。 附役の福山清蔵はその姿を見るなり、「おっ」とかすかな叫び声をあげた。若い土持政照は何事か と福山の方を見たが、代官も舟牢の中の罪人もべつに気のつかない様子であった。 ろり