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検索対象: 西郷隆盛 第11巻
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1. 西郷隆盛 第11巻

「先生、あなたはいずれ内地にお帰りになりますか ? 」 「さて、それはわからぬ」 「内地には、仕残した仕事がおありになるのでしような ? 」 「あります。たくさんあります。 : しかし、再び内地に帰れるかどうか、それはわかりませぬ」 「帰れぬと決ったら、この島にお住みになって頂けませんか ? 」 「島民は弱いものです。代官や役人の前では、情ないほど無気力なものです。先ほど先生も申されま したが、せつかく善政の布告が出ても、それを最後まで実行させる力は島民にはありません。代官が もくあ かわるか、それとも代官の気が変るかして、布告が取消されれば、それまでです。たちまち元の木阿 弥で、虫けら同様の境涯に追い落されてしまいます。 : : : その後は、五年に一度、十年に一度ぐらい は、たまりかねて去年のような騒動を起すことはありますが、武器も刀も持たぬ悲しさは、代官所の 軍勢に追いまくられて、主謀者は絞り首か島流し、あとはそのまま泣き寝入りです。 : : : 杖がいりま す、柱がいります。どうそ先生、内地にお帰りになれないと決ったら、この島にお住みになって、わ れわれどもの杖と柱になって下さいませんか」 「先生、大島には奥様と坊っちゃまがおられると聞きました。お呼びになったら、いかがです ? な んなら、お迎えの舟も私どもが仕立てます。明日にでも、舟は出せます。風の具合さえよければ、三 日たたぬ間に、奥様と坊っちゃまをこの村におつれできます。お心をきめて下さいませぬか、先生 ! 」

2. 西郷隆盛 第11巻

もっとも新八への返事には吉之助も気の強いことを書いた。 『何はさておき、前之浜における砲戦の噂を聞き、怒髪冠を突く気持であった。その後、如何なる状 態になったのか、ただ一戦に及んだという話ばかりで、まるでわからす、ただただ心配致しておる。 天下の所論はどんなふうになったか。一度戦声がひびいたならば、おそらく内乱が始るであろう。強 藩割拠の有様になることは間違いない。幕威は日々衰えつつあるというから、おそらく覇業を狙う邪 心の諸侯も出て来ることであろう。そのような諸侯はいずれ外国と結び、内敵を挫く策略に出るであ ろうが、かえって外国のために計られることになり、どれほど国の衰えの基になるかもしれぬ。まこ とに畏るべき世の有様となって来た。 京都の状勢もますます混乱を加えて来たというが、まことに慨嘆に堪えぬ。お互いに今こそ正気を 養うべき時節である』 今こそ正気を養うべき時と思っているのは嘘ではない。だが、これでまた当分は内地の土は踏めな いそ、踏んだところでどうにもならないと思う虚無感が胸の底に黒々と淀んでいることも、また事実 である。 土持政照がやって来て、 「英艦の来襲以来、国許にも京都にも大変化が起って、いよいよ兄上の御赦免が決ったという噂があ りますが・ : : ・」 と言った時には、明らかな不機嫌を顔色にあらわして、吉之助は答えた。 「そんな噂は聞きあきた。いかなわからず屋でも、アームストロング砲でたたかれては、目もさめる 143 第十章謫居歳且

3. 西郷隆盛 第11巻

土持政照はかってこの島の代官であった土持政綱の島生れの庶子である。母はこの島が、琉球に属 していたころの島主「世の主」の裔と言い伝えられる名家の出であった。父の政綱はまだ鹿児島の城 下に生きている。母は島妻の習慣に従って、一歩も島の外に出ず、一人息子の政照を養育して二十七 年間、しずかに暮して来た。 かならずしも捨てられた母子というわけではない。それが島妻とその子たちの運命である。内地の 父からはときどき便りもあり、仕送りもある。政照が人々の侮蔑を受けることなく無事に成人して、 教育も受け、役につくことのできたのも、たしかに父のお蔭であった。島に捨てられた庶子として父 を恨む気持よりも、父をなっかしむ気持の方が強かった。鹿児島に異腹の兄弟たちもたくさんいると いう。その兄弟たちにも逢いたいと思う。 彼が内地人に対して感する強い興味と好奇心は、徳之島の琉仲為の場合とちがって、深い肉親的な ものであった。もちろん、仲為と同様、単調な島の生活に鬱屈した若い血潮のせいもある。しかし、 仲為の場合には生えぬきの南島人の反抗心が胸の底にひそんでいるが、政照の胸の底には、親をなっ 島 かしむ息子の血があたたかく流れていた。 部 代官の黒葛原から、大島三右衛門と名乗る遠島人の監視役を命ぜられた時、政照は不思議な胸のと永 きめきを感じた。彼としてもすでに二十七歳である。一人前の判断力は持っているつもりである。内 地人に対する強いあこがれを持ちつづけているというものの、内地人なら誰でも理想化して眺めた少三 第 年時代はとっくの昔に過ぎている。心から尊敬する気になる内地人は実にすくなかった。代々の代官 や役人にも失望した。ときどきやって来る商人や船頭たちにも失望した。遠島人に至ってはほとんど ぶべっ

4. 西郷隆盛 第11巻

様の名を恥ずかしめぬ武士の子です」 母の言葉にはげまされ、夕飯を食べるのも忘れて、政照は吉之助の牢屋に駆けつけた。 吉之助は灯を入れたばかりの行燈のそばで、徳之島の役人に送る手紙を書いていた。 「まだゆるゆる御拝眉の機を得ず候えども、いよいよ以って御揃い御勤務の筈、珍重に存じ候』 土持政照の名で英艦来襲のことを問い合せる手紙であった。 「さて、前之浜にて英艦が乱暴を働いたという風聞がありますが、直接に藩庁に問合せれば虚実は判 明するものの、公式に問合せては、あらぬ嫌疑もかけられることと考えますので、私より内輪にお尋 ね申上げる次第であります。この点を充分お汲み取り下さって、余計の差出口と思召さず、御腹蔵な くお洩し下さるよう願い上げます。軽き身分の申すことで、真疑の点はわかりませぬが、痛心のあま りにお尋ねに及ぶ次第であります』 どこまでも政照の一存から出た質問の手紙に見えるように苦心して書いてあった。 「ついては、徳之島よりお米を鹿児島に輸送するという噂もありますが、もし事実ならば、内地から 藩の船が積込みのため至急に派遣されるのでありましようか。それとも当地の船を用いて、島伝いに 輸送なさるのでしようか。もしも島伝いの輸送となれば、各島民一同の難儀と考えます。何かほかに 適当な方法はないものでしようか。米の輸送に船を取られては、この冬の砂糖輸送もできぬことにな るし、その点、どのような対策をお立てになりましたか、御腹案をくわしく知らせていただきたいと 存じます』 これは、米と砂糖の輸送事務にかこつけて、内地船または島船に便乗して脱出する可能性があるか 122

5. 西郷隆盛 第11巻

だろうが、それと俺の赦免とはべつの話だ。なるほど西郷の言ったとおりになったから、入牢だけは 許してやろうくらいが関の山だ。 : : : 牢の外に出てもいいということになったら、久しぶりで百姓で もしてみたい。田皆村というところは土地がいいそうではないか。そこらへでも土地替えをしてもら いたい。内地へ帰るのはあきらめて、唐芋でも作って進ぜよう」 それも本音であった。 だが、実は、吉之助の知らぬ間に、内地の状勢は意外な方向に急転回を遂げていた。鹿児島の城下 にたたきこまれたアームストロング砲の蛋子弾は、イギリス自身も予想しなかった変化を、日本のあ らゆる分野に惹起した。 最も手近な例をあげれば、この戦争によって、鹿児島では寺田屋生残りの若侍たちが蟄居謹慎を解 かれた。挙藩一致の抗戦に、彼らもまた許されて弾雨の中に立ったのである。彼らが自由の身になれ ば、その正面の敵になるものは中山尚之介だ。かねてくすぶっていた反中山の輿論はたちまち勢いを たてわき 得て、中山は引退を余議なくされ、藩政の実権は大久保と小松帯刀の手に移り、吉之助の宿敵ともい うべき中山は桜島の地頭という島流しも同様な地位に追い落されてしまった。 一方、藩内の無謀な攘夷論も止めを刺された形である。たとえば吉井幸輔などは英艦来襲の当時は 江戸の藩邸にいて、戦争の実況を知らなかったので、最後まで強硬論を主張し、もし講和談判などを 開いたら天下の笑いを招き、薩摩の名望は地におちてしまうと嘆き、生麦事件の償金七万両の支払い に対し、朱鞘の大刀を差したまま横浜に乗込み、大いに幕吏を驚かすというような有様であったが、 重野安繹をはじめ実戦を目撃した同志たちから懇々とその無謀をさとされ、もしも再び戦端を開いた 144

6. 西郷隆盛 第11巻

第八章氷 夏の色が次第に濃くなって行く。大島で三度、徳之島で一度 : : : 数えてみれば、この夏は罪人とし て流罪の島で迎える五度目の夏であった。沖は油凪ぎに凪ぎわたっているが、土民の丸木舟のほかに は船の姿は見えなかった。大島にいたころには、絶えす寄港する船が内地の噂や同志の消息を持って 来た。強い嵐が吹きすさんだ後には、 かならず予定以外の船が二、三隻も笠利湾や名瀬の港に逃げこ んで来るので、嵐の吹くのもまた楽しみであった。だが、この島の定期船は年に二度の砂糖船のほか になく、琉球航路からは遠く離れているので臨時の寄港船は全然なく、嵐が吹けば、ついお隣の徳之 島や大島との交通さえ途絶えてしまう。南は呂守島、東はアメリカ大陸につらなるという果てしもな い大海原は、終日対座していると「絶海の孤島」という言葉が今さらながらひしひしと身にせまった。 たつご ) 同志からのたよりは全然ない。大島の桂右衛門、木場伝内、竜郷村の藤長の手紙は二、三度受取っ た。桂は親切に慰めてくれ、木場は近く大阪に転任になると知らせて来、藤長は愛加那と菊次郎、菊 子の無事を伝えてくれたが、内地の消息については何事も書いてなかった。弟の吉次郎と叔父の椎原八 とちらも発信してから三カ月もたった古手紙 権兵衛の手紙が二度ほど徳之島から回送されて来たが、・ で、最近の事情はうかがい知る由もなかった。大久保や吉井が手紙を書かぬはすはないのだが、一度 、い 、い

7. 西郷隆盛 第11巻

いくらあいたくとも、妻子を呼びよせてはならない場合である。一時の情にひかされて、母と子の運 命をあやまってはならぬ、と決心している。仲為の質問はその決心にほころびをつくり、心の傷をか きたてるように感ぜられて、思わず不機嫌な顔を見せたのであった。 夏も終った。島の秋は南の海から吹き上げて来る狂気じみた颱風からはじまる。渦巻く風と雨の底 あわび で、島の動植物と人間が岩に吸いついた鮑のように忍耐して、暴風の通過を待つ。秋の嵐は過ぎ去っ ほうじよう てしまうと、忘れたような静寂と飴色の豊饒な快晴を残した。 秋も半ばのある日、また大島から宮登喜が岡前村を訪ねて来た。 彼は木場伝内の手紙を持っていたが、日附を見ると七月十七日であった。今日は八月十九日である から、ちょうど一カ月かかったわけである。 「竜郷を出ると、すぐに嵐にやられ、名瀬に吹きつけられたまま動けませんでした。やれやれまった く、とんだ命拾いですわい」 と、宮登喜は首筋をなでて見せた。 しようれんいんのみや 木場伝内の手紙には、内地の情勢がいろいろと記されてあった。青蓮院宮が謹慎を解かれて参内 ひとつばしよしのぶ し、一橋慶喜、尾張公が大老に任ぜられ、島津久光も幕閣に対して発言権をもつようになったという。 吉之助はそれに対して、一橋、尾張両公の御出世は実に慶賀すべきだが、青蓮院宮と久光のことは何 かの間違いであろうと返事を書いた。 ( 後になって、木場の報告も吉之助の推測もそれそれ間違っていたことがわかったが ) 木場はつづけて、自分もいよいよ来春早々内地に転任することになったが、帰国の上は、及ばずな

8. 西郷隆盛 第11巻

」りたのは、大兵肥満の若侍であった。 「お、つ ! 」 \ \ と、吉之助が唸 0 た。 若侍は群集を分け、まっすぐに吉之助の前にす すんで来て、叫ぶように言った。 「兄さん ! 」 : よく来た ! 」 、」」 ) 、 / をつづく言葉はお互いになか 0 た。 「あっ、福山さん、あなたも ! 」 政照が叫んだ。去年の春、内地に転任した福山 , 亡清蔵であった。福山と並んで、小柄ではあるが、 これもよく肥った中年の武士が近づいて来た。そ蝶 の顔を見るなり、吉之助は大声を出した。 三「おお、汚れ、お前も来たか ! 」 こ「汚れ」という若いころの仇名で呼ばれた吉井幸章 第 / た、輔は目をばちばちさせて、 「こら、人の顔を見るなり、悪口をいう奴がある

9. 西郷隆盛 第11巻

「仲 : : : 仲為さん、そ、それだけは許していただきたい」 芯から苦しそうな返事であった。 「どうした訳でございましよう ? 」 と、仲為は詰めよる。吉之助は苦しげに首をふって、 「私がこの島にいるかぎり、及ばずながら、あなた方の杖にでも柱にでもなりましよう。だが、女子 供を呼びよせることだけは許していただきたい」 「先生はすっとこの島でお暮しになるつもりなのでしよう。たとえ御赦免になっても、内地へは帰ら ぬつもりだと、いっかも申されたようでしたが : 「そんなことを言ったかな ? 」 「はあ、たしかにそう聞きましたが : : : 先生は奥様にも坊っちゃまにもあいたくないのですか ? 」 「あいたい ! 」 「では、お呼びになったらいいではありませんか」 「そうはゆかぬ」 「ますますわかりませんな、先生のお気持が : 「仲為さん、私を苦しめないで下さい、お頼み申す」 と言って、石のように黙りこんでしまった。いちど黙りこむと、おしても突いても、ロをきかせる二 方法のないことを知っていたので、仲為も黙って引きさがるよりほかはなかった。 吉之助としては、この事についての心はすでに決っていた。大島から来た宮登喜にも話した通り、 25 第章父と子

10. 西郷隆盛 第11巻

顔色で、吉之助の牢屋に駆けつけて来た。 「兄上、ただ今、伊延港に内地の船が入って来ました」 「なに、飛脚船か」 「いえ、普通の商船であります。山川港の船で、船頭は薩英砲戦の現場をくわしく見たと申しており ますが、戦いはかならずしもわが藩の敗けではなかったそうであります」 「なに敗けではなかったというか : : : その船頭、たしかに自分の目で見たのか」 「はい、ちょうど七月の二日に桜島の親戚のところに行き合せていたので、袴腰の台場の附近から砲 戦を目の下に見たのだそうです」 : くわしく話してくれ」 「もっと ~ 、わしく : 「はい、七月の二日は暴風雨で、湾内は相当荒れていたそうですが : : : 」 「敵艦は何隻か」 「は事の」 と、政照は懐中から手控えの半紙を取出して、「大艦小艦合せて十隻、中にも旗艦とお・ほしき鋼鉄艦 国 は艦体を白壁の如くまっ白に塗り、威風さかんなるものがあったそうであります」 報 「すべてイギリス艦だったのだな。幕府の軍艦はいなかったか」 章 「いなか 0 たそうです。後で藩庁が検べたところによ 0 ても、全部イギリス東洋艦隊であ 0 たと申し九 ます」 「て、つか」