畦布の部落をすぎると、越山の尾根道であった。茅と雑木が両側から差しかかる小径は、唄の文句 にある通りの小石原で、小石の間から乾いた埃が舞い立って、薄い藁草履をつつかけた罪人の素足に 白くつもった。 土持はすぐ後を歩いている福山清蔵の方を何度もふりかえったが、福山は罪人に話しかけることを すっかり諦めた様子で、首筋の汗をふきながらあらぬ方向に目をそらしていた。 「福山はたしかにこの人を知っているが、この人は福山を見忘れているにちがいない」 と、土持は推察した。「まあ、 いい。役所に帰って、ゆっくりと聞けばわかることだ」 奇妙な罪人に対する土持政照の若い好奇心は、もうおさえがたい点にまで達していた。 一里の道は間もなく尽きた。和泊の部落に入ると、代官は威厳を失わないために馬に乗った。福山 もそれにならった。 土持だけは馬に乗らず、歩きながら罪人をふりかえって言った。 「ここが仮屋元であります」 「はあ、いよいよ着きましたか」 罪人は一種の感慨をこめて村の様子を眺めまわした。百五、六十戸のちょっとした部落であった。 いわば島の城下町であるから、いくらか家の格好も大きく、石垣をめぐらして、さらにそれを風除け ガジュマル の榕樹でかこむ丁寧な建て方の家もあった。 代官所の前に来た時、土持は言った。 「何もございませんが、役所にすこしばかり、お迎えのものが用意してありますから : : : 」 49 第三章沖永良部島
なったそ。囲いを作るには、し 、くらいそいでも三、四日はかかろう。ああ、お前は早く港に帰るがよ 囲いが出来次第こっちから迎えに行く。とび出さないよう、よく気をつけるのだそ」 禎用喜を追いかえすと、黒葛原は腰をかかえて庭をひとまわりし、しきりと首をひねっていたが、 下役に命じて、島横目の土持政照を呼びにやらせた。 翌る日の早朝から、土持政照の指揮で、牢屋の建築が始った。場所は代官所から三丁ほど北に寄っ Ⅱのほとり、目の下に磯を見下す丘の斜面であった。四本の杉丸太を九尺の距離に立て、杭の間 に三寸角の松材を植え、それに横木数本を通した荒格子造りで、高さ三尺の出入口のほかには戸もな く、壁もない四角な籠であった。竹を組んで床にし、片隅に板かこいの便所、その反対側に小さな囲 炉裏を切り、屋根はわすかに雨露をふせぐ程度の茅ぶき、豚小屋にまさるところは、竹の床の上に四 あらむしろ 枚の荒蓆が敷いてある点だけであった。 手軽すぎる工事であったから、一日おいた十六日の昼過ぎには、もう立派に出来上ってしまった。 その日の午後、代官黒葛原は、附役福山清蔵、横目土持政照を従え、伊延の港をさして馬を走らせ 出迎えた禎用喜に案内されて、舟牢の前に行ってみると、罪人は焼けつく西陽を片頬に受けて端然 ひげ と坐っていた。小山のような感じのする大男であった。髪は乱れ、髯はのびていたが、皿より大きな 目の光に犯すべからざる威厳があった。 附役の福山清蔵はその姿を見るなり、「おっ」とかすかな叫び声をあげた。若い土持政照は何事か と福山の方を見たが、代官も舟牢の中の罪人もべつに気のつかない様子であった。 ろり
に入り、松平慶永、伊達宗城、山内容堂、一橋慶喜など公武合体派の大諸侯と会して、いよいよその「大 策」の実行に着手したが、事態は険悪、政局は複雑、この難局を乗り切るためには彼の好むと好まざ るとにかかわらず西郷吉之助を南海から呼びかえさざるを得ない立場に追いこまれた。 だが、吉之助自身はそんな事情は夢にも知らず、土持政照を相手に田皆村で、芋作りでもしようか などと、弱気な感懐をもらしていたのだ。 年が暮れた。除夜には、雪篷老人と土持政照が酒肴を携えて座牢を訪ねて来てくれた。雪になりそ くら傾けても酔わぬ酒に胴ぶるいしながら、吉之助は次のような詩を作った。 うな寒夜であった。い 我年垂四十南嶼釘門中 夜座厳寒苦星回歳律窮 青松埋暴雪清竹偃狂風 明日迎東帝唯応献至公 なんなん ( 我年四十に垂々とす、南嶼釘門の中。夜座厳寒に苦しみ、星めぐって歳律窮まる。青松暴雪に埋ま り、清竹狂風に偃す。明日東帝を迎う、ただまさに至公を献ずべし ) 「未練がましいぞ。前の四句だけで結構じゃ」 きわ 146
土持政照はかってこの島の代官であった土持政綱の島生れの庶子である。母はこの島が、琉球に属 していたころの島主「世の主」の裔と言い伝えられる名家の出であった。父の政綱はまだ鹿児島の城 下に生きている。母は島妻の習慣に従って、一歩も島の外に出ず、一人息子の政照を養育して二十七 年間、しずかに暮して来た。 かならずしも捨てられた母子というわけではない。それが島妻とその子たちの運命である。内地の 父からはときどき便りもあり、仕送りもある。政照が人々の侮蔑を受けることなく無事に成人して、 教育も受け、役につくことのできたのも、たしかに父のお蔭であった。島に捨てられた庶子として父 を恨む気持よりも、父をなっかしむ気持の方が強かった。鹿児島に異腹の兄弟たちもたくさんいると いう。その兄弟たちにも逢いたいと思う。 彼が内地人に対して感する強い興味と好奇心は、徳之島の琉仲為の場合とちがって、深い肉親的な ものであった。もちろん、仲為と同様、単調な島の生活に鬱屈した若い血潮のせいもある。しかし、 仲為の場合には生えぬきの南島人の反抗心が胸の底にひそんでいるが、政照の胸の底には、親をなっ 島 かしむ息子の血があたたかく流れていた。 部 代官の黒葛原から、大島三右衛門と名乗る遠島人の監視役を命ぜられた時、政照は不思議な胸のと永 きめきを感じた。彼としてもすでに二十七歳である。一人前の判断力は持っているつもりである。内 地人に対する強いあこがれを持ちつづけているというものの、内地人なら誰でも理想化して眺めた少三 第 年時代はとっくの昔に過ぎている。心から尊敬する気になる内地人は実にすくなかった。代々の代官 や役人にも失望した。ときどきやって来る商人や船頭たちにも失望した。遠島人に至ってはほとんど ぶべっ
「お志はありがたいが、早くわが家へ帰ってゆっくりさせていただきましよう」 わが家とは牢屋のことか。おどけた明るい返事であった。代官は、では本人の希望通りにするがよ かろうと言った。土持が附添って、まっすぐに囲いにつれて行くことになった。 丘の斜面に立っている、雨風吹抜けの鶏小屋のような囲いを見た時には、罪人もさすがにはっとし た様子を見せた。土持も気がさして、 「どうも粗末なところでお気の毒ですが、これもお上の御命令で : : : 」 と、弁解した。 罪人は微笑して、 「いや、結構。木の香の新しいところが気に入り申した」 土持が入口の錠を開けるのを待って、片足を囲いの中に入れ、 「錠前は大丈夫かな」 と、おかしなことを尋ねた。 「はあ、大丈夫であります」 「そうか。それでお互いに安心だ」 と笑って中に入り、荒蓆の上に正坐して、「いろいろ御苦労をかけました」 そう言って、外の一同に向って頭を下けた。
「詩にはなっていませんが、私の気持をあらわしたつもりです」 「ありがとうございます。・ : ・ : ああ、しかし、これは : : なんと読むのでございましよう」 政照は正直に質問した。 「読むかな。こんなつもりです。 平素眼前みな不平 情の相適する時情に異なり ぬす きゅうこう 安を偸み、義に悖るは仇寇の如く 欲を禁じ忠を效し、死生を共にす われ君に許し、君もまたわれに許す 兄、弟と称し、弟却って兄と称す 従来の交誼知る何事そ 国に報ゆるに身を輸し、至誠を尽す」 読み終って微笑し、吉之助は詩稿をしずかに政照の膝の上においた。 文久三年三月の末、西郷吉之助三十七歳、土持政照二十八歳の春であった。 81 第五章春
第十一章胡蝶 元治元年二月二十二日の朝。土持政照は伊延の港に飛脚船がついたから、港まで出張せよという上 けんえき 司の命令を受けた。鹿児島に天然痘が流行しているので、乗組員を検疫しなければならなかったのだ。 馬をいそがせて、越山の尾根道にさしかかったとき、行く手の道を、書状箱を携えて急ぎ足に近づ いて来る舟子らしい若者に行きあった。政照は馬上から声をかけた。 「在番所への書面らしいが、何か急用でも起ったのか」 「はあ、なんでも大島ちゅう人の御赦免状が入っているとかのことで」 と、舟子は答えた。政照は半ば夢中で馬からとび降りた。 「待て ! お前の船は御赦免船か。ただの飛脚船ではなかったのか」 「はあ、ただの飛脚船であります。御赦免船は蒸気船の胡蝶丸で、あとからまいります。山川港まで は一緒でしたが、途中で大島に寄ったので、私どもの方が先になりました。それでも、蒸気船のこと だから、今日中にも追いついて来るでしよう」 「そうか、有難い ! 」 政照は自分のことのように礼を言い、舟子を木蔭に待たせて、腰の矢立を抜き、話の模様と喜びの 150
人じゃないか。わしの皺腹を切って御両人が国の大難に赴くことができるなら、お安い御用じゃ。こ の老い腹、いつでも、かっさばいて御覧に入れようそ」 伊延の港の造船は土持政照の督励によって非常な速さで進捗した。八反帆の中型船で、船脚を軽く するために出来るだけ軽快で簡略に仕立てることにしたが、それでも普通に造ったら、半年間はかか るところを、三カ月で仕上げようと政照は必死の努力を傾け、まずこの調子なら、十一月の初めには 竣成の見込みというところまで漕ぎつけることができた。 吉之助にとっては、一日千秋の思いであった。待っている間に英艦が再襲したら、 いっさいの計画 は水泡に帰する。 一片浮雲蔽此身 獄中存在性情真 請看追小宮山迹 血刀鋒光自驚倫 ( 一片の浮雲この身を蔽う、獄中存在す性情の真、請う看よ小宮山の迹を追うを、血刀鋒光自ら倫 を驚かさん ) ュヌディ 130
はんにやと ) 「これは一本参り申した。では、一年ぶりに破戒坊主になって、般若湯をいただくとするか」 その晩は、烏賊を肴に、吉之助は陶然と酔った。 「久しぶりの酒というものは、よくまわる。実によくまわりました。天地すでに酒を愛す。酒を愛し て天にじずか。さて、こうッと政照さん、扇をお持ちかな」 「はあ、これでよろしかったら」 政照は腰の白扇を差出す。 「これで結構」 右手に白扇、左手に煙草盆を裏がえしに持ち、ビシャリとたたきながら、頓狂な声をはりあげて唸 り出した。 「先生、何でございますか、それは」 「江戸で名高い軍談じゃ。かたや上杉謙信、かたや武田信玄公は川中島合戦 ! ああ、お代はいらぬ。 ゆっくりとお聞きなさい」 「先生、そんなにたたいては、扇が : : : それ、破れました」 「ああ、なに、江戸は本場仕込みの軍談をただで聞かせるのじゃ。扇の一本や二本は安い安い」 内地では桃の節句の三月三日、この島では青葉の匂いわたる初夏である。土持政照は福山、高田の 両附役を誘い、特別にこの日のために用意した酒肴を携えて、吉之助を訪ねて来た。次第に深くなる
タ闇の中で土持政照の声がした。「どうなさいました。真っ暗じゃありませんか」 「ああ、政照さんか。いま風で灯りが消えたのでな」 「蚊帳もつっていませんね。これはひどい」 「蚊にも馴れ中した。どれ灯りをつけよう」 くっげん 古びた行燈に、ぼっと灯がついて、屈原のように痩せた吉之助の姿が格子越しに浮び上った。 「毎日 : : : お淋しいことでございましよう」 「はあ、やつばり一人でいると淋しいものですな」 「実は今日、附役の福山さんから先生のことをうけたまわりました」 福山清蔵は、脱藩同盟にも名をつらねたことのある吉之助の後輩であった。吉之助は見忘れていた ・、、福山の方はよくおぼえていて、ある日ひそかに囲いを訪ねて来て、自分に出来ることなら何なり と仰せつけ下さいと言った。吉之助はその好意を謝しただけで何も頼まなかった。福山は気を悪くし たのか、その後はまったく囲いに姿をあらわさなかった。 「福山が何か言いましたかな」 「はあ、いろいろと : 「そうですか」 「先生のお心持は、失礼ながら私にもわかったような気が致します」 「あんたにはまったく厄介をかけますな」 「そんなことはありません」 57 第四章新牢