「お作りになったのですか」 と、政照は尋ねた。 「いやいや」 遠島人は首をふ 0 て答えた。「どちらも先人の獄中詩だ。この心にあやかりたいと思 0 て、書きつけ たが、さて、あやかれるかどうか」 55 第三章沖永良部島
・ : 」と立上って袴の紐をしめなおし、末座に下って端座した。 いただきましよう。愛加那も : かたち 中原の態度もはじめて毅然となった。上座に坐って、懐中の奉書を取出し、容をあらためて、 「君命を伝える」 吉之助は両手を畳におろす。 おきのえらぶしま : 沖永良部島に・ 中原は吃り、口上を終りまで言うことができす、ふるえる手つきで命令書を吉之助に手渡した。 吉之助は受取り、しばらく瞑目端座、おしいただいていたが、しずかに折目を開いて、読みはじめ た。手はふるえていなかったが、顔は蒼ざめていた。 「大島三右衛門事、先に徳之島在島を命じおきしところ、さらになおまた、聞こし召し論ぜられ、此 の節沖永良部島に遠島申し付候条、遠島の上は囲いに召込み、昼夜開かざるよう、番人両名附添うべ し。なお護送の際は必ず舟牢に入るべきこと』 七月に発せられた久光の命令書であった。 吉之助は読み終って、しずかにたたみなおし、中原にかえした。何と答えるか、中原は息を呑んだ。 答は意外であった。 「まことに有難き仕合せ。命だけは助けて下さるということですな」 中原は思わず目をこすって、 「先生、私は : : : まったく : 「いや、中原さん、まったく御苦労でした」 かこ 35 第二章父と子
第一章月光 : : 9 第ニ章父と子 : : 第三章沖永良部島 : : 第四章新牢 第五章春 第六章睡眠先生 第七章風聞 : : 四 孤島の卷目次
おきのえらぶしま 第三章沖永良部島 わずか一日だけの親子の団胖であった。翌る日は、船着場の井の川村に向って出発せねばならなか わにや った。愛加那と二人の子供には岡前村で別れた。湾仁屋の港から大島に帰る舟があるというので、無 理にすすめて、それに乗せることにしたのである。 仲為、仲祐父子をはじめ、村人たちは、五里の山道を荷物をかついで井の川村まで見送って来た。 途中で月が出た。南の海上にまた颱風が発生したのであろう。井の川村についてみると沖は白馬の ような大波であった。港の中に護送用の舟が用意されてあったが、木の葉のようにゆれていて、とて も出帆どころではなかった。 あんばい 島 「ほう、これはいい塩梅じゃ」 部 仲為は皮肉に笑って、「これじや当分は舟は出ませんぜ」と、中原万次郎をふりかえり、「どうです、永 もう一度、岡前村に引きかえそうじゃありませんか」 章 「ひどい嵐だ」 第 と、中原も答えた。「まず十日 : : : もっと吹きつづくかな」 「沖永良部は死罪につぐ重罪人の行く島です。死ねよかしの御沙汰に天道様もお怒りになったのじゃ。 3 まど、
「御用の時には、これをたたいて下さい」 頬をぼっと赤らめて、格子の間から拍子木を差入れながら、政照は言った。「役所は近所ですから、 よく聞えます。お茶でも何でも持ってまいります」 遠島人はびつくりしたように政照の顔を見つめていたが、やがてニッコリと笑い、うれしそうに答 えた。 「これはよい思いっきで。 : まことに有難いことです」 政照は役所に帰り、囲い牢に一番近い部屋に坐って拍子木の鳴る音を待った。だが、三日経っても 四日経っても木の音は聞えなかった。我慢ができなくなって、囲いに出かけて行って尋ねた。 「どうして、拍子木をお使いになりませんか」 へつに用もありませんので」 おだやかに笑ってそう答えた。 政照は家の下男に言いつけて、魚の煮付を牢にはこばせた。非常に喜んで受取ったというので安心 していると、牢番が箸をつけぬ魚をそのまま持って返しに来た。政照は牢に出かけて尋ねた。 「先生はどういう仔細あって、これほどの粗食に甘んぜられるのですか」 遠島人はかすかに笑いながら答えた。 「粗食した人間は死顔が見苦しくないそうだ」 「あなたは、ここで死ぬ御決心ですか」 「死ぬつもりはない。だが、人間はいっ死なぬともかぎらないのでな」 53 第三章沖永良部島
麗色秋茄一段奇 依然芳味倚君知 正要見厚情深処 添賜佳声最悦喜 ( 麗色秋茄一段の奇なり、依然たる芳味君に依って知る。まさに厚情深処を見るを要す、佳声を添 賜せられて最も悦喜す ) 利経の父沖利有は沖永良部島三与人の一人で、漢法の医者であり、国学にくわしく、歌は八田知紀 門下で、茄子に添えて和歌を贈って来たのである。 「坦頸、お前のお父さんもお元気だろうな」 「はい、元気であります。御城下の戦争のことを非常に心配して、先生の御意見を伺いたいと申して おります」 国 「そうか、そのお志はまことに有難い。坦裁殿にはたびたび貴重な書籍を拝借している。いずれあら 報 ためてお礼を申上げるとお伝えしてくれ」 章 坦頸の父操坦裁も与人の一人で、島の蔵書家として聞えている。島生れではあるが、鹿児島砲撃の九 成行きをわが事のように心配してくれている。 「このような時勢になると、人心の和合国内の一和ということが何よりも肝要となって来る」
畦布の部落をすぎると、越山の尾根道であった。茅と雑木が両側から差しかかる小径は、唄の文句 にある通りの小石原で、小石の間から乾いた埃が舞い立って、薄い藁草履をつつかけた罪人の素足に 白くつもった。 土持はすぐ後を歩いている福山清蔵の方を何度もふりかえったが、福山は罪人に話しかけることを すっかり諦めた様子で、首筋の汗をふきながらあらぬ方向に目をそらしていた。 「福山はたしかにこの人を知っているが、この人は福山を見忘れているにちがいない」 と、土持は推察した。「まあ、 いい。役所に帰って、ゆっくりと聞けばわかることだ」 奇妙な罪人に対する土持政照の若い好奇心は、もうおさえがたい点にまで達していた。 一里の道は間もなく尽きた。和泊の部落に入ると、代官は威厳を失わないために馬に乗った。福山 もそれにならった。 土持だけは馬に乗らず、歩きながら罪人をふりかえって言った。 「ここが仮屋元であります」 「はあ、いよいよ着きましたか」 罪人は一種の感慨をこめて村の様子を眺めまわした。百五、六十戸のちょっとした部落であった。 いわば島の城下町であるから、いくらか家の格好も大きく、石垣をめぐらして、さらにそれを風除け ガジュマル の榕樹でかこむ丁寧な建て方の家もあった。 代官所の前に来た時、土持は言った。 「何もございませんが、役所にすこしばかり、お迎えのものが用意してありますから : : : 」 49 第三章沖永良部島
一年でも二年でも吹き通すがよい」 と、仲為は言った。 だが、吉之助は素直に腰の刀を役人に差出し、すぐに舟牢に入ると言いだした。 「そうまでなされなくとも、よろしかろうと存じます」 中原は言った。「ごらんの通り、当分出帆の見込みはございませんから、乗船は風が凪いでからにい たしましよう」 「いやいや、罪名が決しない前ならともかく、いまは罪人です。護送中も入牢というお言葉を拝した 以上は、それに従いましよう」 「しかし、それは : : では、仲為さん、皆の衆、いろいろありがとう」 「なに、中原さん、その方が私も気が楽だ。 と言って、丸腰のまま嵐にもまれている船の中に姿を消してしまった。 仲為は仕方なく、息子の仲祐を港に残して、吉之助の身のまわりの世話をさせることにし、自分は 村人を引きつれて岡前に帰って行った。 嵐は果して次の日もその次の日もおさまらなかった。三日目には雨が加わって本格的な暴風雨にな り、波は低い防波堤を越え、舟はほとんど砂浜に吹上けられそうになったが、吉之助は陸に上ろうと せいき はしなかった。舟の中で終日正座している姿は、運命と対決する人のような凄気があった。 雨は二日でやんだが、風は吹きつづけた。南西の烈風が波しぶきをあげて吹きしきる。沖永良部島 は、海上わずかに八里。潮風に霞みながらも、手に取るように眺められるのであるが、帆船の悲しさ、
ってと言えば、その場で手打にしかねまじき勢いであった。そうなると、二人とも引くに引かれない。 翌日もまた出かけて行って、もしもお許しがなければ、有志の面々は御前で割腹すると申している。 われわれとても死諫の覚悟でございますと言い切った。その日も追いかえされたが、また次の日も行 。久光は愛用の銀煙管をきりきりと噛みしめ、 「その方らはみな西郷を賢なりというか。しからば余は愚味ということになる。余は西郷を好まぬ。 さえぎ 西郷召還の必要を認めぬ。だが、余一人の考えをもって天下の公論を遮ることはできぬ。余は藩主で はない。決裁は藩主忠義に聞くがよい」 京都から鹿児島に向って使者が立てられ、忠義の決裁によって、ようやく召還の事が決した。その 報を受けた久光は、折れよとばかり銀煙管を噛み、煙管には深い歯型が残ったという。 大久保は伊地知と相談の上、江戸にいる吉井幸輔に手紙を書いた。吉井はわが事のように喜び、さ っそく横浜に赴き、大久保の命令通り汽船胡蝶丸を買い入れ、自ら迎えの使者となって沖永良部島ま でやって来たのである。 話を聞きながら、吉之助はいくども涙を流した。厚く同志の骨折りを謝して、吉井の差出す赦免状 を繰返し読んでいたが、ふと気がついて尋ねた。 「村田新八はどうなる ? 」 「こんどはお前だけだ、村田にかまう暇はなかった」 「それはいかん ! 」 吉之助はきっとなって坐りなおした。「村田を残して、おれひとり帰るわけにはゆかん ! 」 しかん 159 第十一章胡蝶
は勤王の先鋒として天下の信望を集めたわが藩は、今や先君斉彬公の御遺訓を裏切り、天朝にそむき : おれは、いやだ。我慢できない。 : 薩摩が賊でないことを示 奉って、幕府の犬となりはてた。 すために、奸物会津の犬ころを一匹だけ斬りすてた。それが悪いと、あんたは言うのか ? 」 さっきからだまって二人の話を聞いていた若い三島弥兵衛が、いかにも桐野に同感と言いたげに膝 の上の拳をぶるぶるとふるわしはじめた。さすがの吉井幸輔も顔色をうごかして、 「こりや、かなわん。弱ったことになったそ。親の心、子知らずとはこのことだ」 : ・吉井御重役、あんたはとぼけ上手だ。何 「親というのは誰のことです ? 斉彬公か西郷先生か ? らち を話しても埓があかん。おれには西郷先生の気持もわからなくなってしまった。西郷先生が親なら、そ の親の心がおれにわからん。わからなくなったのだ ! 」 「そうだ、おれにもわからん ! 」 若い三島弥兵衛も膝を乗出した。「西郷先生はロを開けば斉彬公の御遺策と言うが、京都に乗りこん で来て、もう三月にもなるのに、わが薩摩藩の名誉を回復する策は何ひとっ実行されておらん ! 」 死 と 血 西郷吉之助隆盛が沖永良部島の流刑を赦免されて、村田新八をともない、薩摩の山川港に着いたの章 は、今年 ( 元治元年 ) の二月十八日であ 0 た。汽船胡蝶丸で島まで迎えに行ったのは、弟の西郷信吾十 と親友の吉井幸輔であった。 島の獄舎の中に二年間坐りとおした吉之助は、緊張がとけて疲労が一時に発したせいか、上陸して さく