有栖川宮邸には、桂小五郎が数日前から身をひそめていた。この大胆不敵な長州の知恵袋は、見廻 組と新選組の白刃と追跡を嘲笑しながら、一歩も京都をはなれず、同志を督励し、公卿を操縦して、 今日の武力暴発を準備していた。昨十八日の夕刻、有栖川宮以下長州派の公卿を大挙参内させて和議 説と長州赦免説を唱えさせたのも、その晩のうちに伏見、山崎、天龍寺の諸隊を皇居に向って進発さ せたのも彼た。鷹司邸占領も彼の軍略の一つであったが、このことは一橋慶喜も知らす、西郷吉之助 も知らなかった。 だが、周到な桂小五郎にも誤算はあった。ます、孝明天皇があくまで長州をきらいぬいておられた こと、次に中川宮と一橋慶喜が予想以上の決断力を見せて長州派の公卿をおさえたこと、したがって 在京諸藩の尊攘派有志も自藩の藩論を動かすことができなかったこと、最後に、御所突入が薩摩藩に 中立政策を捨てさせ、長州征討の先頭に立たせてしまったことだ。 一説によれば、桂小五郎は暴発の直前に形勢の非をさとって、天龍寺の久坂玄瑞に進発中止を命令戦 したという。だが、間にあわなかった。雪崩は始っていた。久坂玄瑞の英才と熱意をもってしても、 山頂からなだれ落ちる大雪崩をくいとめることはできなかった。いや、誤算はそれ以前にもあった。 暴発の前々日、七月十七日に、長州の首脳は男山八幡宮で最後の軍議を開いた。集るもの約二十名、四 家老益田右衛門、来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一、真木和泉守などであった。 久坂の自重論に対して、老将来島又兵衛は、終始、即戦即決論を固持した。
第五章乱戦 品川弥二郎が八幡隊をひきいて堺町御門に到着したのは、夜も明けはなたれた後であった。天王山 の陣屋を出発したのは真夜中であったが、途中真木和泉守の「忠勇隊」と合流するためにいろいろと 手間どったのだ。中岡慎太郎は土佐脱藩の同志たちとともに、「忠勇隊」に加わっていた。 蛤御門方面は激戦の最中であった。一時退却した堺町御門の越前軍は再び守備についていた。品川 弥二郎はこの門を攻めず、鷹司関白邸の裏門から邸内に人った。先に潜入していた久坂玄瑞の指示に したがったのだ。越前軍は敵の意外な行動におどろき、御門の守りをすてて、一時後退した。 邸内の先発隊士は総勢四百にあまる救援隊をむかえて勇み立ったが、隊長久坂玄瑞の顔色は暗かっ た。品川弥二郎が弓をさしあげて挨拶しても笑顔を見せす、 「どうやら間にあったようだが、ただちに出撃しなければ、手おくれになる。兵は疲労していない 「大丈夫だと思います」 久坂は中岡慎太郎を見て、 「やあ、あんたも来てくれたのか」 カ ? 」
二郎だけは奇蹟的にかすり傷ひとっ受けなかった。 土塀のわきまで追撃した包囲軍は塀越しに点火した火薬玉を投げこんだ。中でも勇猛な薩摩兵は塀 のくずれ穴から邸内に入りこみ、ところかまわず放火してまわった。 火炎は地にうず巻き、黒煙は雲にとどいた。長州軍の重傷者たちは、切腹して炎の中に身を投げて 死に、二十五歳の久坂玄瑞と二十一歳の寺島忠三郎は刺しちがえて死んだ。 死の直前に、久坂は品川弥二郎を呼びつけて言った。 「おまえは死ぬな。地にもぐってもここを脱出して長州にかえり、この敗戦の実状を報告せよ。われ らの志は正しかったが、方法をあやまった。暴挙であった。来島又兵衛の突出論を死をもっていさめ なかったのは、おれのあやまちだった。おれは死してなお余罪がある。おれのあやまちをくりかえす な。さあ、行け。長州勤皇党にはまだまだ仕事が山ほどのこっているのだ ! 」 久坂玄瑞は辞世だと言って、俳句のようなものを記した紙片を品川に渡した。こう書いてあった。 先に寝る後の戸じまり頼なそよ 京都は燃えつづけた。 勝ちに乗じた諸藩の兵士は、長州軍の残兵がひそんでいると認めた建物は、公卿屋敷も民家も寺院 妓楼も区別せず、焼玉をたたきこんで焼きはらった。猛火は烈風をよび、八方に燃えひろがった。 71 第五章乱戦
「そうか、ごくろうであった」 えぼし 斥候隊長がひきあげると、入れかわりに伊地知正治がはいってきた。烏帽子陣羽織の下から鎧の胸 当をのそかせて、不自由な足を手槍でささえながら、 「伏見街道の敵は福原越後の手勢らしい。大垣の藩兵はよく戦った。福原越後は手傷をうけ、敗兵を まとめて退却した。福原隊にかわった兵数不明の小部隊が竹田街道をのぼってきて、丹波橋で彦根の 兵に食いとめられている。いま聞えている砲声がそれらしい」 西郷は言った。 「まだ、あわてることはなさそうだな」 こくししなの 「のんきなことを言ってはいかん。天龍寺には家老国司信濃と来島又兵衛の本隊がいる。国司は三十 三歳の働きざかり、来島は鬼の又兵衛とうたわれる猛将だ。その上に、久坂玄瑞と真木和泉守のひき いる浪士隊がいる。こいつらは暴れるそ。油断は禁物だ」 西郷は眉のあいだに深い皺をよせて、 「久坂、真木とも戦わねばならぬのか。和泉守は勤皇一途の老人、久坂は吉田松陰門下、長州随一の 俊秀だ。つらいな」 「それが戦争だ。すでに勅命が下った以上は、昨日の友も撃たねばならぬ」 昨夜の宮中の深夜会議で決定した次のような勅書は薩摩屋敷にも伝達されていた。 たん 『長州脱藩士らの挙動さしせまり、すでに戦端を開くの由相聞ゅ。総督以下在京諸藩らカをつくして 征伐、いよいよ朝権を輝やかすべきこと』 49 第四章禁門戦争
「たたくべき理由があったからでサ」 「理由 ? 」 「わたしは長州をほろぼそうとは夢にも思っていない。しかし、回天の大業は長州一藩のカで行い得 ると自信しているそのうぬぼれはたたかねばならぬ。あんたの言われるとおり、国論の統一なくして は真の攘夷はできない。斉形公は攘夷は五十年後、百年後の大計として深く胸中におさめよと仰せら れた。長州は時期をあやまって兵を動かし、国論を分裂させたばかりか、無謀の攘夷を実行して、自 ら外国連合艦隊をまねきよせた。これは外国と手を結ぶ幕府の売国行為を利し、日本の亡国をまねく 軽挙以外の何物でもない」 「あなたはそこまで考えておられたのか ? 」 「長州人はさそかし薩摩人をーーー特にこの西郷を憎んでいることであろう。だが、ほかに致しかたも なかった。惜しい人物を数多く殺してしまったが : 「そうです。久坂玄瑞も入江九一も死に、平野国臣は六角の獄中で惨殺された。幕吏の槍で突き殺さ れたそうです」 「えつ、平野が : 西郷は絶句した。大きな目からはらはらと涙がこぼれおちた。その涙を見て、中岡の表情がやわら いだ。なぐさめる口調になって、 「ただ幸いに桂小五郎はどこかに生きているようです。久坂は死んだが、高杉晋作は健在らしい。彼 : しかし、冪府はこの らのカで長州の禍を転じて日本の福となすことを、わたしは祈っている。 81 第五章乱戦
は銃声が聞えているのに、門を守っているはずの越前兵の姿も、攻めているはずの長州兵の姿も見え この通りだけ、ひっそりと静まりかえって、犬の子一匹歩いていないのだ。 どうしたことかと俊斎が首をかしげた途端に、火薬のはじける音がし、耳もとの空気が裂けた。鷹 司邸の土塀の上から斜めにうちおろしてきた小銃弾であった。俊斎はあわてて道の砂の七に身を伏せ て叫んだ。 「敵は邸内にいるそ。塀の根元にかくれろ ! 」 つるべうちの銃弾が俊斎の背中をかすめて、道の上に土煙を立てた。「怪我するな、伏せたまま退 却だ ! 」 鷹司邸を占領した長州軍の主力は、真木和泉守、久坂玄瑞、入江九一にひきいられた浪士隊であっ た。今日の一挙にすべてをかけた決死の部隊である。 久坂と入江は前日のうちに天龍寺を出発して邸内に潜入していた。鷹司公父子と召使たちを避難さ せてから、御所の近くの町裏にひそんでいた浪士たちを動員して、裏門から武器と弾薬をはこびこん だ。夜明けとともに到着した真木和泉守の指揮する本隊は、堺町御門を攻撃すると見せかけて、同じ く裏門から邸内になだれこんだ。越前兵は背後に塀のあつい要塞が出現したことに胆をつぶし、御門 の扉をあけはなしたままお花畑の方向に逃げ出してしまったのだ。 俊斎の見たのは、越前兵の反撃のはじまる前の不気味な沈黙の一瞬であった。
「長州人はさそかし薩摩人を憎んでいることであろう」 「だが、これは時の勢いというもの、現在としては致しかたも 大きな目を見張って、西郷は言った。 ない。幸いに長州の智恵袋桂小五郎はどこかに生き残 0 ているようです。久坂玄瑞は死んだが、高杉 晋作という秀才は健在なはすだ。国の危機にのそんで、達見の士が雲のごとく現れ、長州の禍を転じ て日本の福となすことを、わたしは心から祈 0 ているのです」
見物しろ。えい、胸くそわるい腰抜けがよくもそろったものだ」 爆発した火山のように暴言の火をまきちらし、席をけって退場してしまった。社務所を取りまいて 軍議の成行きを見守っていた兵士たちは、拍手と歓声でこの正義派の老将をむかえた。 来島又兵衛の頑固と一徹は全長州に鳴りひびいている。胆力でも武術でも若い者に負けぬと高言し、 忠義と至誠にこりかたまった第一流の武将だと自ら信じ、鬼来島とよばれることをよろこんでいる。 その粗豪と稚気が兵士と浪士のあいだに人気があるが、政治と軍略に関しては何も知らぬ憂傑である。 すふまさのすけ 三田尻港を出る時、長州第一の政治家と言われた家老周布政之輔の内命をうけた高杉晋作が彼の出 陣をひきとめにやってきたが、 「おまえら、青書生どもに戦争の事がわかるか。おまえらは聖賢の書とかいう無用のものを読みすぎ しのたま し - 」う . て、而して後という言葉しか知らぬ。なんでもかんでも、子日わく、而して後だ。おれたち軍人はま ず戦うのだ。くされ儒者の青書生はひっこんでおれ ! 」 と、笑いとばして出陣した。 争 軍事が政治に勝ったのだ。軍事が政治を支配すれば、国はほろびる。男山八幡宮の会議でも、同じ 戦 ことがおこった。久坂玄瑞が真木和泉守に向って、 「あなたの御意見は ? 」 とたずねると、一座の最年長者で、勤皇無二の聞えの高い老神官は膝を正して、「来島翁に賛成です」四 第 と答えた。この一言ですべてが決してしまった。 顔面蒼白となった久坂玄瑞は何事も言わず、同志入江九一とともに宝寺の本営にひきあげたが、途
「もう議論はたくさんだ。今になって臆病風か。武器をつかうのがこわくなったか。君側の奸をはら まさしげ うためには、皇居に砲門を向けることも覚悟の上ではなかったのか。真木和泉守は正成の心をもって たかうじ 尊氏の事を行うと言った。その決意が諸君にはないのか ? な。せ答えぬ ? 何をためらうのだ ? 」 久坂玄瑞は言った。 「武器をとるのをおそれているのではありません。ただ、もうすこし時期の熟するのを待つべきです。 薩摩が敵側についたら、味方の兵力は今のままでは不足です。もうしばらく歎願をかさねるふりをつ づけて、本隊の到着を待たねばならぬ。世子定広公はすでに三田尻港を出航したから、ここ数日中に 到着するでしよう。それを待ってから突出しても決しておそくない」 家老益田右衛門と入江九一がこの意見に賛成し、「敵の目をあざむくためには、朝廷の説得をうけい れたふりをして、一部の軍を大阪まで引きあげさせてもいい」と言った。 来島又兵衛は爆発した。鉄扇をにぎりしめ、血走った目に涙をうかべて、 「貴様ら、それでも長州武士か。武士は武士でも腰抜け武士だ。戦いも知らず、忠義も知らぬ。若殿 様の到着されぬ先に敵を撃滅することこそ、まことの忠義だ。わが軍は敵の足もとまで迫り、彼らを ふるえあがらせて、すでに一カ月、戦機は充分に熟している」 久坂が再び自重論を説くと、来島は鉄扇をつきつけてどなった。 「この卑怯者、役にも立たぬ学問を鼻先にぶらさげた医者坊主め ! 命がおしいのなら、おしいと言 え。医者坊主に戦争を語る資格はない。進撃に反対な奴はここに残れ。おれに従う勇士だけで敵を粉 砕してみせるから、そこらの寺の塔にでものぼって、おれがこの大鉄扇で賊軍の頭をたたきわるのを
中岡はむつつり顔で答えた。 「おれは薩摩の裏切りを知って、じっとしておれなくなったのだ。西郷という奴は、実にけしからん」 「ああ、西郷に望みをかけたのは、まちがいだった」 鷹司邸の庭は広い。行軍の途中では長蛇の大軍に見えた四百人の兵士も、庭の木立の中に散らばっ てしまうと、たいした数とも思えない。汗をふきながら梅干弁当にかじりついている姿は、早くも敗 残の兵に似て、頼りなげであった。 「敵は逆襲にうつっている」 久坂は品川に言った。「おまえは正門の土塀の内側に八幡隊を散開させろ。おれは真木和泉守と打 合せてくる」 あすまや 久坂は築山のかげの東亭で休息している真木和泉守のほうに駈け出して行った。 せいしんいっとうなにごとかならざらん 品川弥二郎は鳥帽子の紐をしめなおした。烏帽子には、「誠心一到、何事不成」と書いてあり、自 作の和歌二首が封じこめてあった。 あられふる 鹿島の神にいのりつつ すめらいくさ 皇戦にわれは来にしを わが君の 戦 67 第五章乱