と、宣言して会議を打切った。 そして、先鋒隊出発の前日、特に西郷だけを大阪市内の旅館に呼びよせた。 慶勝の旅館に行ってみると、大監察成瀬隼人正がっきそっていた。成瀬はお付家老で、幕府から尾 張藩に派遣された監視役だ。何かあるな、と西郷は察した。 慶勝はいつもとちがったあらたまった調子で切出した。 「御足労願ったのはほかでもない。長州征討における薩摩藩の重望と実力はおのすから全軍の中枢で ある。そなたは会議の席はほとんど発言しなかったから、あらためて意見を聞きたいのだ」 成瀬隼人正に聞かせるための質問だ。それなら、成瀬にわかるように答えなければならない。 西郷はゆっくりと答えはじめた。 「私ははじめ兵力をもって長州を徹底的にたたき、降伏の上は領地をけすり、国替の厳罰に処すべき だと考えていました。しかし、今はその考えを捨てました。四辺にせまる外国の圧力と野心を考えれ ば、内戦のために国力を消耗し、騒乱を長びかせることは絶対に許されませぬ。一日も早く長州問題 をかたづけ、国内の統一をはからねばなりません。幕政についても、改革すべき多くのことがござい ましよう」 成瀬はかすかにうなすく。西郷はつづけた。 「長州征伐は大義名分を正すための止むをえない処置でありますが、長州を討ちさえすれば、万事解 はやとのしよう すう 127 第八章錦帯橋
西郷吉之助は月形洗蔵に案内され、吉井幸輔をつれて会見の場所にやって来た。厳冬の夜であった。 無住同様の貧乏寺の庫裡は火の気もとぼしく、寒気は肌を裂いた。 山県は相手の巨軅と巨眼にまず圧倒された。何という大きな男だ。武士よりも相撲取に似合いそう だ。山のようにどっしりしている。人間ばなれして、化物めいている。まったくいまいましい化物野 白 4 ュ / ー 山県は痩せている。年齢もひとまわりほど若い。しかし、いやしくも奇兵隊長だ。威圧されたくな カ / 初対面の挨拶が終ると、山県は言葉をはけまして言った。 「わが奇兵隊は長州正義党の中枢です。たとえ夷人の靴をいただくとも、薩人の膝下には屈しないと いうのが全隊員の決意だ。それを御承知の上でのお話ならうけたまわろう」 西郷は答えた。 「私は一日も早く征討軍を解散させて、この無用の戦争をやめたいと願っているだけです。三家老と 四参謀の処刑は長州にとって忍びがたいことであったろうが、もし戦争になれば、その十倍、百倍の 犠牲者が出る。現在の長州に必要なことは戦わずして征討軍を国境からしりそけることでしよう」 「われわれは征討軍をおそれてはいない。三十六藩の大兵と称してはいるが、実は寄せ集めの烏合の 衆にすぎないことを知っている。防長二州の士民が一致団結して当れば、必ずしも勝算がないとは言 154
った。筑前に亡命していた高杉晋作もすでに下関あたりに潜入している。五人の公卿を旗印にすれば、 暴発しても大義名分は立つ。長府藩主毛利元周を動かし、岩国の吉川経幹を倒し、毛利父子を奪還し て幕府の征討軍と決戦すると呼号しているが、それも単なる大言壮語だとは言いきれない。 もしそうなったら、征討軍はいやでも国境を越えて、兵を進めることになる。一年や二年ではかた ずかぬ大戦争となって、西郷の苦心は水の泡となり、その大策も根本から崩れ去る。 だが、西郷は最初の信念と方針を変えなかった。ー激派は国の宝であるが、彼らの活力をあやま った方向に爆発させてはならぬ。征討軍が解散したあとなら、どのような藩政改革を行うのも自由だ が、今彼らが暴発したら戦争になり、長州は自減する。 西郷は寄兵隊長山県狂介にあおうと決心した。桂小五郎がいるなら桂に、高杉晋作がいるなら高杉 にもあおう。 あや まわりの者はみな危うんだ。下関海峡は薩摩人にとっては三途の川だ。その薩摩人の中でも最も憎 まれているのは西郷吉之助だ。もし渡ったら生きては帰れない。 吉井幸輔が言った。 「短気をおこすなよ。焚木を背負って火の中にとびこむようなものだ」 西郷は笑って答えない。吉井はなおも引きとめた。 「おまえは征長軍大参謀なのだ。もっと自分を大切にしろ。行くなら薩摩の全軍をひきつれて行け。 広島の本隊も小倉に到着した。蒸汽船も三隻集めてある」 「その武力を用いたくないから苦労しているのだ」 146
「獅子身中の虫と言ったのは言いすぎかもしれない。しかし、彼らをあばれさせておいては、とても 征討総督の条件を実行することはできない。彼らは藩庁の再三の解散命令に応じないばかりか、三条 卿らの引渡しと三家老の処刑に反対している。藩公父子に一日も早く萩から山口にかえり、激派を中 心にした新政府をつくれとすすめているのです」 「それが正論です」 西郷は当然のことのように言った。「長州は一日も早く国論統一の上に立った新政府をつくり、人材 を挙げ、武備を充実し、内憂と外患に対処すべきです。ただ、責任者の処罪と五卿の引渡しだけは実 行しなければならない。 : でなければ、私は総督に説いて十一月十八日の総攻撃を延期させること ができません。あなたも苦しいことと拝察します。奸物あっかいにされ、命も狙われるかもしれぬ。 だが、それは一時のことです。一時は売国奴あっかいにされても、あなたに一片の私心なく、天下の 公道と大義にしたがって救国の大方策を実行したという事実は、やがて激派の諸君にも理解されるで しよ、つ」 橋 「そなたは余に死ねと申すのだな」 帯 「大死一番、道はおのずから開けると申しているのです」 「わかった。三人の家老と四人の参謀の首をさしあげよう。十一月十八日にまにあわせる。ただし、 章 それ以上の厳罰を征討軍が要求したら、長州は蜂の巣をつついたも同然、余のカではどうにもならぬ八 大混乱におちいる。激派は必ず暴発する。いや、余自身、激派となって征討軍と戦うだろう」 「その精神こそ国の宝です。その点では、私もあなたと同じ激派だと敢えて申上げます。責任者の処
戸にかえって将軍上洛のことを取りはからうがよい」 とどめを刺された形である。二人の老中はすごすごと退出し、その翌々日、阿部豊後守は江戸に帰 、本庄伯耆守は大阪にひきあげて行った。 ここまで来ては、幕府も坐りなおさざるを得ない。まったく前例のない屈辱的な事件であった。 「天子も公卿も棚の上の神様みたいに無ロなのがよろしい」 これは老中本庄宗秀の放言であるが、その神様たちがしゃべりはじめた。しゃべっただけではなく、 二人の老中を軽くあしらって追いかえした。これまでは、軽くあしらっていたのは幕府のほうで、絶 対に朝廷のほうではなかったはずだ。 屈辱と憤怒に胸をたぎらせて、阿部正外は江戸に引上げた。彼は無能な老中ではなかった。幕府派 と見なされていた二条関白にあのような態度をとらせたのが何であるかを充分に察していた。それは 関 薩摩だ。幕府にかわる新政権を狙う薩摩の陰 決して「時勢」などという漠然たるものではない。 老 謀である ! 薩摩の西郷吉之助は尾張慶勝総督を抱きこんで骨抜きにし、長州征討を有耶無耶に終らせてしま 0 章 た。三十六藩の大兵を国境まで進めながら、一戦も交えず、裏側から長州と取引きして、征討軍を解計 散させてしまった。いずれは長州と手を握って、幕府転覆の大陰謀を実行に移す下心にちがいない。 明らかすぎる薩摩の陰謀と野心の芽をつみとるためには、まず長州を徹底的にたたき、生殺しの蛇
決すると思うのは甘い考えです。問題はその後にあります。内戦に力をつかい果してはなりません。 戦わすして勝っことができれば何よりです。すでに出兵は決定しましたが、私の見るところでは、国 境まで兵を進めるだけで、戦わずともすむ方策があるように思われます」 慶勝はうなすいたが、成瀬はおどろいてたずねた。 「その方策は ? 」 「まず、岩国の吉川経幹を説得し、徳山、清末、府中の三支藩を本家から引きはなすことです。吉川 侯は恭順論をとなえています。敵が恭順と抗戦の二派にわかれていることは、味方にとっての幸運。 敵を二つに分けて撃つのは戦法の初歩であります。厳罰論はせつかく分裂している敵を死地に追いこ んで一つにまとめてしまうことで、拙の拙なるもの。自ら非をさとって帰順しようとしているものを、 しいて賊徒にしてしまうのは征討の本旨とは思えませぬ」 慶勝が言った。 「そなたの寛典論は余の考えと一致する。ただ心配なのは征討諸藩の意見が一致していないことだ。 総攻撃の日取りは決定したのに、諸藩はまだ攻撃ロの割当てで不平をならべている」 「その心配は御無用でしよう。国境まで押出して、敵軍を目の前に見れば戦意はおのずからふるい立 つでしよう。 薩摩の西軍は海上から萩城を攻め、東軍は岩国に進撃し、東から突入をする勢いをしめ す。薩摩が最も困難な攻撃口を引受けたことがわかれば、諸藩の不平は消えましよう」 西郷はかねて大久保利通と打合せておいた軍略をくわしく説明して、「高言に聞えるかもしれませ んが、たとえ他藩は動かずとも薩摩一藩の兵力で長州の処置はっきます。しかも、私の見るところで 128
広島の総督本営で征長の兵を解くか否かについて大会議がひらかれたのは、暮の二十七日であった。 高杉晋作が下関で挙兵し、俗論党政府打倒の旗をかかげたという情報はすでに本営に達していた。 いくさめつけ 幕府の軍目付はいうまでもなく、越前、肥後などの諸藩まで、高杉のひきいる「暴徒」はその後ます ます勢いを加え、諸隊も合流しはじめたようだから、長州の恭順論はいっ抗戦論冫 こ一変するかもしれ ぬ、このさい兵を解かず、しばらく監視の必要があると主張した。 西郷は断乎として反対した。 「長州はすでに七重の膝を八重に折って恭順の実を示した。忍びかたきを忍んで三家老、四参謀を処 刑し、五卿を九州に移すことも実行した。征討軍もこの誠意には誠意をもって答えねばならぬ。たと え高杉一派が乱をおこしても、それは長州内部のことだ。長州のことは長州にまかせておけばよい 今になって解兵を拒むなら、断じて王者の師、正義の軍ということはできない」 これは道義論である。道義論だけでは動かぬ相手に対しては、ほかの説きかたをした。 「時はすでに厳冬である。三十六藩の大兵をこれ以上寒風の中にさらしておくことは、用兵の道にそ むく。士気に関するだけでなく、経済がゆるさぬ。ことに、わが薩摩藩は一万にあまる大軍を宿営さ せている。日々の出資は多く、藩の財政に支障を来たしている実状だ。他藩においても同様のことと 思う。これ以上停戦が長びくようなら、やむをえない。総督の命令を待たす、わが藩だけ帰国させて いただく」 内心帰国を望んでいた諸藩は西郷のこの発言に渡りに舟と同調した。解兵を望まぬ佐幕の諸藩も数 に押されて沈黙し、征討軍は解散したのであるが、当然、幕府側の反撃が始ることを覚悟しなければ 16 ] 第十章南の春
そのことだけで一杯だ」 「高杉さん ! 」 「そんな男はいない。私は谷梅太郎」 「五卿を私にお渡しください。決して幕府には渡 しません。筑前藩にあすけて、薩摩藩が責任をも って警護します。五卿を移し、一刻も早く征討軍 を解散させることが急務です。それだけが長州を 救う道です」 「結構なお話だ。だが山県は承知すまい。薩摩に おどかされて五卿を引渡したのでは、長州の面目 は丸つぶれだ」 「あなたはまだ、そんなことにこだわっているの の カ ? 」 「山県はこだわっている。西郷さん、あなたの考 えは月形君から聞いた。薩摩と長州は手をにぎら なければならぬとおっしやっているそうだが、ま九 だまだ早すぎる。私がここであんたとあったこと がわかっただけでも、売国奴あっかいにされる。
も付け焼刃ではなかろう。なかなか一筋縄ではいかぬ曲者だという噂もあるが、一度はあっておかね ばならぬ人物だと思っていた。 川風が涼しすぎた。障子をしめきっていても、火桶がほしいくらいだ。 西郷がぼつりと言った。 「二カ月は長すぎる ! 」 煙管で眉と眉のあいだをおさえている。思いが鬱した時の西郷の癖であった。 吉井幸輔は答えた。 「そうよ。二カ月たっても大将がきまらぬとは、あきれた戦争もあったものだ」 長州征伐のことを言っているのだ。七月の終りに長州追討の勅命がくだって、今日は九月の十一日 だが、まだ征長総督は決定していない。 よしのぶ 朝廷と在京諸藩の有志は、一橋慶喜の総督と越前の松平春嶽の副総督を希望し、西郷も賛成して松 平春嶽を越前からひき出すことに奔走したが、幕府は将軍家茂自ら親征すると発表して、尾張の前大 納言徳川慶勝を総督に任命した。慶喜に権力が集中することを警戒しているのだ。だが、尾張慶勝は 辞して受けず、将軍家茂もいつまで待っても京都にやって来ない。来ないつもりなら、 いっそ総督な しで長州征伐をやってしまえという気の早い議論が朝廷の一部におこり、天皇もこの意見に同意され たという噂さえ伝わっている。 いったい、幕閣は何を考えているのか、その真意はどこにあるのかー・ーそれを勝海舟の口から聞き 出すことが、今日の大阪行の目的の一つであった。 しゅんがく いえもち 105 第七章秋風
0 ような厳罰主義には絶対に反対であります」 ていしゅうきがい 吉川経幹はすでに総督慶勝の密使、鼎州と機外 という僧侶にあったいるので、降伏条件が寛大で あることは知っていた。あまりに寛大すぎるので、 半信半疑であ 0 てのだが、同じ言葉を西郷という 男の口から聞くと、 いっさいの疑念は消えて、無 条件に信じたくなる。不思議な人物だと思った。 いや、それよりも征討軍の大参謀たる西郷が蟄 居謹慎中の自分にいきなりあいに来たのが不思議 ど。総攻撃はあと十日にせまっている。降伏をす すめる軍使なら、部将で間にあうし、情勢を探る ためなら、密偵がいるはすだ。警護の兵は一兵も ひきつれず、単身乗りこんできたのだから、もし 岩国藩の恭順論が見せかけのものだったら、戦わ ずして敵の大参謀を生けどりにできるわけだ。不 用意と言おうか軽率と言おうか、それともこっち を見くびって馬鹿にしているのか ? 経幹は念のためにたずねてみた。 135 第八章錦帯橋