寺田屋 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第13巻
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1. 西郷隆盛 第13巻

第十四章春の嵐 正月二十三日。坂本竜馬は日のくれるのを待って、薩摩藩邸の裏門からしのび出た。伏見の寺田屋 に帰るためであった。寺田屋には同志の三吉慎蔵が待っている。それに、お竜も。 へつに何事も 途中から、何者かにつけられている気がして、何度も懐中の拳銃をにぎりしめたが、。 なく伏見の町に入ることができた。 竜馬は満足していた。気温も急に春めいて、梅もほころびそめたのか、夜風に香りがある。 ぎせき ( これで終った。すくなくとも大ビラミッドの基石だけはおくことができた。エジプトを占領した大 奈翁はビラミッドをながめただけだ。おれは人間の。ヒラミッドを日本にきずくのだ ) の 気のぬけたような気もした。犬と猿の長州と薩摩を握手させることが、こう簡単にできようとは思 わなかった。いや、簡単ではない。中岡慎太郎も自分も、その他の同志も、ここ数年来、苦労に苦労 をつみ重ねた。だが、できあがってしまうと、ひどく簡単だったような気がする。空虚だ。成功とは、四 十・ この空虚感のことか ? 第 寺田屋についたが、表戸はしまり、ひっそりとしていた。ほかに泊り客もないらしい。夜船の客を 送り出し、店じまいをしてしまったのか。そんな時刻だ。

2. 西郷隆盛 第13巻

「それも、もっとも ! 」 西郷は答えた。「鹿児島からは長崎行きの蒸気船がいつも出ている。あんたは行きたい時に、長崎ま わりで長州に行ける」 「そうですか。お言葉にしたがいましよう」 長崎にも太宰府にも用件がある。 : : : 西郷先 竜馬はさからわなかった。「そのほうが順序でしよう。 生、たぶん僕は鹿児島に着き次第、長崎にまわるかもしれません。その時には、お竜をたのみます」 「お竜さんを ? 」 「ついでがあったら、伏見の寺田屋に送りかえしていただけばいいのです」 「いそがしいお人た。 : : : 寺田屋に送りとどけることは引受けた。お竜さん、それでよろしいのだな」 。し結構です」 気軽で、気丈な返事であった。 37 第二章月琴

3. 西郷隆盛 第13巻

- 長男と末娘を勝海舟先生にひきうけていただき、お竜は寺田屋にあずけましたが、女将はお竜をこ とのほか気に入って、いろいろと一家を助けてくれたので、今はます心配はありません。ただ、お竜 とせごけ が僕の身を気づかって、どこへでもついてくるので、寺田屋のお登勢後家がさびしがっています。そ のうちにかえしてやるつもりですが : : : 」 「かえすことはなかろう」 「いや、僕とても、いつまでも女連れでとびまわっているわけにはいきません。僕と中岡に対する幕 吏の目がきびしくなってくるのがよくわかります」 へつに化粧はしていないのに、目もさめるほどの 月琴の音がやんで、お竜が甲板に上がってきた。。 美人で、背丈も五尺八寸の竜馬につりあってすらりとしている。 「お食事の用意ができましたが : お竜は晴れた空をふりあおいで、「ここに運びましようか。とても、 西郷は徴笑して、 「いま、坂本君とあんたの話をしていたところだ」 「まあ」 「いい話だった。食事は船室で坂本君といっしょにしよう。まだ話のつづきがありそうだ」 だが、船室におりて、お竜の給仕で昼飯をとりはじめると、坂本竜馬は話題を変えた。 「海舟先生はどうしておられますかね。気にかかります。 : : : 江戸に呼びかえされたら、切腹とまで は行くまいが、島流しくらいにはなりかねないと言っていましたが : : に しいお天気 : : : 」 29 第二章月 琴

4. 西郷隆盛 第13巻

と話がきまった。木場伝内もひきとめなかった。三人は薩摩船にのって淀川をさかの・ほった。 八軒屋の船着場についたとき、幕吏の一隊が乗りこんで来た。木場伝内のくれた薩摩藩の鑑札が物 をいって、竜馬の拳銃も池内蔵太のミンへール銃も発見をまぬがれ、三吉慎蔵の手槍も見のがされ 三人は無事に伏見につき、船宿寺田屋に入ることができた。竜馬の顔を見ると、お竜がとび出して 来て、叫び声をあげた。久しぶりの再会である。 女将のお登勢が笑いながら、からかった。 「まあまあ、まるで小娘みたい。お竜さん、それでも武士の妻ですか」 お竜はまっ赤になったが、やがて恨みつぼく目を上げて、 「おかみさん、あたしたち、まだ式をあげていません。竜馬さんは、いつでもあたしをおきざりに、 どこかに行ってしまうのです」 翌日、坂本竜馬は三吉慎蔵を寺田屋にのこし、池内蔵太とともに間道を通って京都に潜入し、どう やら無事に二本松の薩摩藩邸にたどりつくことができた。 不安で不隠な空 藩邸には、西郷も小松もいなかった。だれにたすねても、行く先は知らぬという。 気である。やっとさがし出した黒田清隆は長屋の隅で酔いつぶれていた。 たたきおこすと、血走った目でにらみつけて、 210

5. 西郷隆盛 第13巻

第九章大阪湾 そのころ、坂本竜馬は大阪土佐堀の薩摩蔵屋敷に身をひそめていた。危馬と中岡慎太郎の暗躍は、 京都所司代と守護職に偵知され、人相書もまわされて、伏見の寺田屋も安全なかくれ家ではなくなっ 寺田屋のお登勢と娘分のお竜が親身にかばってくれるが、伏見町奉行の追求がきびしく、とてもか くれきれない。新選組と会津見廻組らしい覆面の剣客の襲撃も何度かうけたので、西郷吉之助のすす めで、ひとまず大阪まで落ちのびたのである。 やがて大久保市蔵が上京して来た。西郷は大久保と入れかわりに大阪に下ってきた。京都にいると、湾 薩摩と長州の接近の気配を早くも察した会津、桑名、一橋などの重役が、人れかわり立ちかわり、御阪 機嫌をとりむすびに来る。中には何千両という大金を手土産がわりに持ってくる者ももり、そんな応大 待は西郷には全く苦手なので、すべてを大久保にまかせ、吉井幸軸とともに大阪で帰国の便船を待っ章 ことにしたのだ。 第 もちろんただの帰国ではない。危機は切迫している。将軍家茂は大阪城の兵力を増強し、京都では 一橋慶喜を中心に、長州討伐の謀議が着々と進められている。

6. 西郷隆盛 第13巻

「三千、五千の大兵ともなれば、兵樶が莫大でしよう」 「坂本ん、また何か考え出したな」 「西郷さん、長州の米を買うのです。幕軍と戦うための兵糧を長州にたのんだら、薩摩人に対する不 信も猜疑も吹っとんでしまう」 西郷はうなずいて、 「相変らず知恵者だな、坂本さん」 中岡慎太郎が膝を乗出した。 「その使者には僕が立ちます。坂本はもうすこし西郷さんのそばにいろ。海舟先生にも会いたかろう し、伏見の寺田屋にはお竜さんも待っているそ」 119 第七章西風

7. 西郷隆盛 第13巻

「おぬしをのこしては行けぬ」 「血を流しながら歩けるものか」 「痛むか ? 」 : とにかく行け。腹を切るのは、捕つ手に見 「かすり傷だが、人目につく。おれは、ここで待つ。 つかった時で間にあう」 夜があけはじめていた。三吉は材木小屋をはい出し、川原におりて、手足と着物の血痕を洗い、袴 はぬぎ捨てた。枯草のあいだにおちていた草鞋をはいて、小刀たけを帯にさし、旅の町人めいた姿に なって、土手道を歩いて行った。 薩摩屋敷は遠くなかった。小門をたたいて名前をつげると、大山彦八が待ちかまえていて、慎蔵を ひきすりこんだ。 : ・坂本 「寺田屋のお竜がかけつけて来て教えてくれた。いま、探しに行こうとしていたところだ。 はどうした ? 」 「材木置場にいる、水車小屋のとなりの : : : 」 「傷は ? 」 「右手をちょいと : : あの置場なら、船のほうが早い」 「よし、すぐに行く。君は動くな。 大山は兵をひきつれ、小船に薩摩の藩旗をおし立てて川を下った。 竜馬は救出された。 234

8. 西郷隆盛 第13巻

「坂本君、この話はやめよう。とにかく私は薩摩にかえる。久光公にもお目にかからねばならぬ。匿 嘩はしたくない。 : 君も薩摩に行こう」 「え、僕が ? 」 : 君を京都にのこしておくわけにはいかぬ。伏見町奉行の人相書 「そう、お竜さんもいっしょだ。 がまわっているそ」 竜馬は苦笑して、 「ああ、それは僕も見ました。相当な悪党面にかかれていましたね」 くにおみ 「私も月照上人、平野国臣といっしょに、極悪の謀叛人として人相書をまわされたことがある。本人 ・君に対しては伏見奉行たけ には似ても似つかない悪党面に見えたが、人の目には本人に見える。 でなく、守護職も所司代も意地になっている。しばらく身をかくしたほうがいし : 坂本君、君は 寺田屋の事件以来、急に健康がおとろえたような気はせぬか ? 」 る 「傷のせいです。実は動脈がやられ、すこし化膿しはじめたようで : : : 」 ゅ 「薩摩には温泉が多い。日当山、潮漬などの温泉は人外境のおもむきがある。新婚夫婦には適当だな」萌 「健康も大切だが、早くあとつぎをつくっておくことも大切た。幸いに、暮軍はまた当分、動きそう五 にない。君は大阪ではやっている落首を御存知か ? 」 第 ひなたやましおびたし

9. 西郷隆盛 第13巻

小松は手許金を取りよせて坂本にわたし、「だが、これは三途の川の渡し銭ではない。西郷は君には ぜひ薩摩の海軍を頼みたいと言っていた。命だけは大切にしてもらいたいものだ」 竜馬は薩摩の御用船に乗って、夜の淀川をさかのぼり、翌朝、伏見の船宿寺田屋に入ることができ 「まあまあ、ようこそ御無事で」 女将のお登勢も愛人のお竜も心から再会を喜んで、竜馬のために、裏階段に近い二階座敷を特に用 意してくれた。 「近ごろは町奉行さまの目がうるそうて、薩摩御用の宿といっても安心できません。なあ、お竜さん」 「はい、夜中でも、捕つ手が家のまわりをうろっきます。もしもの時には裏階段から物置に出れば、 裏小路に出れます。どうそ、お気をつけになって」 竜馬は笑って、 「小松帯刀殿にもそう言われたが、これ以上、気のつけようもないな。命というものよ、 ーいくら大切 にしようと思っても、なくなる時にはなくなるし、もうだめたと思っても、案外な逃げ道が見つかる。 生の中に死があり、死の中に生があると思うよりほかはない、と桂小五郎氏も述懐していた。 竜、久しぶりだったな。ますます美しくなったそ」 「そんなのんきなことばかり : 「今夜は飲んで、ゆっくりと寝よう」 うれしゅうございます」 6

10. 西郷隆盛 第13巻

「思えば、長いっきあいです。あれがまだ子供のころから : : : 」 ゃながわせいがんうめだうんびんらいみきさふろ ) 「たしか、お竜さんの父上は、梁川星巌、梅田雲浜、頼三樹三郎諸氏の同志だったと聞いたが : ・ 「そうです。京都の町医者で楢崎将作。 : : : 勤皇道楽が昻して、安政の大獄で、雲浜、三樹三郎諸先 生とともに捕えられ、六角の獄中で病死しました」 「僕は江戸への往来の途中、京都を通るたびに、楢崎家の世話になったものです。楢崎には二男三女 があり、お竜はその長女ですが、つまり、まだ十五、六の前髪のころから知っていたわけです」 「医者は一代と申しますが、楢崎獄死の後は、一家はたちまち生活に窮しました。残ったのは借金だ け。幕吏の干渉もうるさい。家屋敷、家財道具もたちまち売りつくして、一家は離散、母と子供たち は丹波の親戚に身をかくし、また京都にまいもどり、縁故をたよって、ある寺に身をよせたりしてい ましたが、お竜はそのころから、さる御大家の仲働きになり、一家を養っていました。また十七、八 のころでした」 とせ 「伏見の寺田屋にお竜さんを世話したのは、あんただと女将のお登勢から聞いたが : 「それは、もっと後の話です。その前に、お竜も母親もひどい苦労をしています。あれの気の強さも、 その苦、」 労の中から生れたものたと思っています。しかし、そんな話は : 「いや、ぜひ聞かせてもらいたいな」 月琴の音に耳をかたむけながら、西郷は言った。「坂本さん、政事談たけが男の話じゃない」 27 第二章月