春嶽 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第14巻
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1. 西郷隆盛 第14巻

容堂を斬ると放言したものもいるという。どうだ、ひとっ斬られてやろうか。ふつふつふ」 苦しそうに口をゆがめて笑い、急に思い出したように、 むねなり 「越前の春嶽御隠居も怪しい。薩摩におどかされておよび腰だ。大久保市蔵が伊達宗城を説き、小松 帯刀が春嶽の尻をたたいたことは、すでに周知の事実だ。 ・ : よし、この容堂があらためて春嶽を説 教してやる。尻でも頭でもたたいてやる。呼べ、春嶽を迎えに行け ! 」 越前の藩邸は加茂川の向う岸にあって、さほど遠くない。福岡孝悌が迎えに行くと、松平春嶽は、 いくらか迷惑そうに顔をしかめたが、ことわる筋はないと思ったらしく、駕籠をとばして土佐藩邸に やって来た。春嶽もまた容堂と久光の衝突、また二条城での久光、慶喜の明らかな対立を気にかけて 容堂は春嶽の顔を見ると、いきなりどなった。 「朝幕のあいだに、憎むべき奸物どもが策動して、離間をはかっている。聡明な春嶽公はもちろんお 気づきのことであろうが : 公 どなりながらも、酒盃をはなさず、「おたがいに戒心しなければならぬな、大蔵大輔殿」 老 と 「奸物とは大隅守のことか ? 」 公 老 「ちがう。大奸はまず岩倉具視。小奸は彼の手先の二十二人の貧乏公卿ども。さらには太宰府の三条 実美の一裳これを取巻く薩摩の芋侍、長州の陰謀家ども、加うるにわが土佐藩の脱藩組 : : : ここに章 いる参政の福岡、大目附小笠原唯八もちと怪しい。春嶽どの、貴藩士の中にも怪しいのがおりそうだ第 おおくらだゅう

2. 西郷隆盛 第14巻

松平春嶽は間にはさまれて、腕をこまぬいていたが、やっと口をひらいて、 「どちらが先ときめては角が立つ。兵庫開港と長州赦免を同時に上奏ということにしたら、慶喜公も 同意されるであろう」 「同時上奏ならば、余は必ずしも反対せぬ」 容堂は折れたが、久光が承知しなかった。頑固に長州赦免を先にせよとくりかえしたので、容堂は 爆発してしまった。 ・ : 何が四藩会議だ。田舎まわりの人形芝居 「えい、勝手にするがよい。余は病気だ。大病人だ ! にすぎぬ。 ・ : 京都の空気は病人に合わぬ。余は帰国する。土佐に帰る」 「それもよかろう」 久光は冷たく笑って、「しかし、そなたはわが藩士西郷吉之助に対し、このたびの上京は東山の土に いつもの大法螺でござったか ? 」 なる覚悟と申された。あれも酔中の高言、 「なにを、芋 : : : 」 公 「何か申されたようだな」 老 と 「ああ、申したとも ! 」 ほおっておけば、先日と同じっかみあいになりかねない。春嶽があわてて仲に入ったが、久光も容老 堂もおさまらなかった。 第 「どこまでも長州赦免が先決・ : ・ : 」 「余は勝手にしろと言ったのだ」

3. 西郷隆盛 第14巻

はなかった。これも長州が無罪である証拠。赦免という言葉はお取消し願いたい」 松平春嶽が久光の袖をひいて、 「まあまあ、そのような理屈は若い家臣どもにまかせて : : : 」 「屁理屈と申されるのか ! 」 慶喜は笑いながら、 「決して大隅守の理屈を屁理屈とは思っていない。たしかに一理と考えるが、なにぶん国歩艱難の今 げんばのかみ 日、小事についての意見の差異はしばらく措き、重大問題から解決して行きたいものだ。 : : : 玄蕃頭、 食事の支度はよいであろうな」 うまくかわされてしまった。 しさんばいせき 賜餐の陪席は、所司代松平越中守、老中板倉伊賀守、稲葉美濃守、若年寄松平豊前守、若年寄格永 井玄蕃頭であった。 慶喜は終始上機嫌を装っていた。自ら立って四侯に酒をすすめ、宴の半ばには庭に出て、五人そろ って写真を撮影した。日暮れ前に宴は終ったが、伊達宗城が大酔して、松平春嶽の肩にもたれて退出 するという表向きはなごやかな一幕もあった。 河原町の藩邸にひきあげた山内容堂はずっと不機嫌であった。 からだの調子も悪かった。歯ぐきがはれ、おたふくかぜでもひいたような顔になり、ときどきはげ かん 133 第十章老公と老公

4. 西郷隆盛 第14巻

春嶽は首をふった。 「いや、わが藩には、そのような不逞な家臣は・ はつはつは」 「すべて閉門、入牢を申しつけたか。 容堂は痛む唇で盃を乾し、「わが土佐では、もっと手荒くやった。武市半平太を首領とする一覚はこ っゅどき とごとく斬り捨てたが、自称勤皇気ちがいは梅雨時のカビだ。ちょいと油断をすると、すぐにはびこ る」 「容堂どの、御用の向きをうけたまわろうか」 春嶽は容堂のさす盃をうけたが、そのまま下において、「昼酒はおたがいに身の毒、すこしつつしみ ましよう」 「この容堂には、酒は身の薬、昼夜を間わぬ。 : 先の長州征伐の時、西郷吉之助という曲者が総督 の尾張御老公をまるめこんで、長州の息の根をとめるのを忘れた。当時、慶喜公は日く、尾張総督は 薩摩の芋で酔っぱらっておられる、芋の名は西郷。はつはつは、名批評だな。はばかりながら、山内 容堂、酒には酔っても、芋には酔わぬ。 : 久光ごときは、手製の芋焼酎に酔っぱらって、前後を忘 れた田舎大名 : : : 」 「御用の向きをうけたまわりたい」 「知恵者顔の久光日く、兵庫開港のことより長州処分が先でござる、処分と申しても、長州は罪人で はござらぬでござる、将軍がます朝命を忠実に遵奉すれば、長州は必す悦服するでござる。はつはっ は、ござるござるの十ざる二十ざるか。 : 何を申す、芋大名め。久光は先日もこの屋敷で、親族の 136

5. 西郷隆盛 第14巻

「余の覚悟はきまっている。この状勢は姑息な手段では打破できない。今は武力のみがものを言う。 その方らの計画に賛成である」 先まわりした返事であった。 「この一挙は、薩摩一藩だけでも実行しなければならぬことだが、それでは思わぬそねみと妨害をラ 一け、失敗をまねくかもしれぬ。越前はたしかに上京するだろうな」 「まちがいございません。大久保と小松が春嶽公を動かしました」 「土佐と宇和島は ? 」 「まだ確答はありませんが、あなたさまが御出馬ときまれば、必す上京の見込みであります。もしお 許しを得れば、私自身、宇和島と土佐に乗りこみたいと存じております」 「行くがよい。その方が帰国するころには、余の出発の準備も整っているであろう」 103 笋窄諒

6. 西郷隆盛 第14巻

原市之進の話を聞きながら、慶喜は大笑いしたが、笑いはすぐに苦笑に変った。 「市之進、久光はどうしても登城しないというのだな。よかろう。容堂、春嶽、宗城の三人だけに登 城を命ぜよ。薩摩は自ら好んで孤立した。それも結構 ! 」 原は冷たく微笑して、 「いえ、久光は来ます。明日の午後、四侯そろって登城の内報が土佐よりございました。 , 御安心くだ きい」 「なんだ、そんなことか」 「私は容堂侯と久光のあいだに楔をうちこむつもりでしたが、楔を用いる必要もございませんでした。 ・ : 容堂公のおふんばりで、四藩会議はこれで有名無実、雲散霧消と申しましようか」 「なるほどな」 「ただし、上様、警戒すべきは、久光すなわち大久保、西郷の固陋激越なる意見が、岩倉具視を通し て、一部の不平公卿を動かし、朝命を曲げかねないことであります」 「薩摩を孤立させることは、長州と結ばせることになります。太宰府の三条実美の一党もやがて上京 のはこびになりましよう。田舎大名で、あやつり人形の久光は恐るるにたりません。ただ、その背後 のいわゆる勤皇勢力が動き出したら : : : 」 くさび 128

7. 西郷隆盛 第14巻

容堂も同調した。 「余は親しい友人から忠告の手紙もうけとっている」 海 これは坂本竜馬の持参した春嶽の密書のことだ。 鯨 「その手紙には、イギリス人は同胞の殺害に激昻し、非常手段もあえて辞さないと公言しているから、 章 この事件については適当に妥協したらよかろうと書いてあるが、余は絶対にそんな卑屈なまねはしな四 第 もし藩士に罪があるなら、いつでも処刑する。処刑せざるを得ない。だが、確証がないかぎり、 万難を排して無罪を申したてるつもりだ」 無事であろうと書いてあるが、その証拠なるものが何であるか、自分にはさつ。はりわからぬ」と言っ サトーは正直に答えた。 ークス公使は証拠があると主張している。暮府は公使の主張をそのまま認めているわけではない から、べつの証拠をにぎっているのであろう。しかし、私の見るところでは、幕府は厄介な論争をさ けるために、土佐藩に嫌疑をおしつけていると考えられるふしもあります」 この言葉は畳の上に正座している後藤象二郎の耳にも入った。彼ははげしい憤激を声にあらわして、 じようとう 「その責任回避こそ、幕府の常套手段だ。土佐藩は絶対にこの嫌疑を無根のものと信じている」 と言い放った。

8. 西郷隆盛 第14巻

到な演出をうけているにちがいない。つまり口移しだ。自分の意見も判断も持たぬ。その証拠には、 直接議論すれば、久光は春嶽や容堂に言いまかされて賛成する。だが、翌日はまたそれと正反対の意 見を持ってくる。歌舞伎芝居で言えば、家柄だけ高い大根役者が、楽屋で教えられたセリフを棒読み するだけで、自分の芸も工夫もない。 容堂には、大根役者の見えすいた芸当が我慢できなかった。「二条城への登城の義務はない」と同し 七リフをくりかえす久光にいきなりとびかかって襟首をつかんだ。畳の上をずるするとひきずりなが ら、 「これでも不承知か ! 不承知なら、このまま引きずって二条城におもむくそ ! 」 きせる 久光は手にした煙管で容堂の手をはげしくたたいて、 「うぬ、かりそめにも親戚上座たるこの久光を : : : 」 「親威なればこそ、こうしてやるのだ」 「離せ、離さぬか ! 」 容堂は久光をつきとばして、 「さあ、離した。 : 登城せぬというなら、もっと痛い目に合わせてやろうか」 ろうき 「待て ! 事情によっては、登城もしようが、いかに酒の上とはいえ、この浪藉は : : : もし私の家臣 たちが聞いたら、ただではすまぬそ」 「おお、家来たちに聞かせてやれ。なんなら、余がかわって広告してやろうか ? 」 127 第十章老公と老公

9. 西郷隆盛 第14巻

山内容堂、四十二歳。島津久光、五十二歳。松平春嶽、四十一歳。伊達宗城、五十一歳。 三条実美、三十二歳。岩倉具視、四十四歳。 西郷隆盛、四十一歳。大久保利通、三十九歳。木戸孝允 ( 桂小五郎 ) 、三十五歳。桐野利秋、三十歳。 そえじまたねおみ 井上馨 ( 聞多 ) 三十四歳。伊藤博文 ( 俊輔 ) 、二十九歳。品川弥二郎、二十五歳。副島種臣、四十一歳。 江藤新平、三十四歳。大隈重信、三十一歳。 徳川慶喜、三十二歳。勝海舟、四十六歳。榎本武揚、三十三歳。後藤象二郎、三十歳。坂本竜馬、 三十三歳。中岡慎太郎、三十一歳。板垣退助、三十一歳。谷干城、三十一歳。 そして、いま、京都の初夏の雨にぬれ、『葉桜日記』の筆をとっている山県有朋もまた三十一歳であ いとはげしく、ひるすぐるころ、相国寺なる薩摩の藩邸にいたる。今日、伏見よりの 「雨ふること、 あたりにてよめる。 かくばかりあれし都に山川の 姿ばかりはかわらざりけり』 やや復興したとはいえ、戦火のあとはまだ京都のいたるところに残っていた。特に、焼きはらわれ たまま、まだ再建のめどもっかぬ長州藩邸の焼けあとの眺めは、山県の目をつきさした。 156

10. 西郷隆盛 第14巻

五月十四日の午後、四人の「老公」はうちそろって二条城に登城した。 そば 慶喜は白書院に席をもうけ、四人を側近く召しよせて、 「このたび、わざわざ上京のこと大儀に存ずる。なお天下のため十分に尽力されたい。さだめて意見 ふくそう もあることと思うが、腹蔵なくうけたまわりたいものだ」 松平春嶽が一同を代表して、 「特別の意見というほどのものもございませぬが、目下の急務は兵庫開港と長州処分の二つでござい ます。まずこの問題について昨年以来の経過をお示し願いたい。つぎに、過日、大阪城にて各国公使 を接見なされし時、開港の予約をなされた由、これなる大隅 ( 久光 ) 、伊予 ( 宗城 ) の両人が英人通弁官 アーネスト・ サトーなる者より聞いたとのこと、その実否如何についてもおうかがい奉りたい」 慶喜は答えた。 「しからば、昨年以来の実況のあらましを申上げよう」 まず将軍宣下のことから始めて、先帝孝明天皇から兵庫開港の勅許をいただくつもりであったとこ ろ、思いがけぬ崩御によって手はずが狂ったこと、また外国公使に開港の予約を与えた前後の事情を くわしく話して、 「開港は何人の目で見ても避けがたい。開港と決したからには、いろいろと準備がいる。安政条約に よる兵庫開港の期日は本年十二月七日だ。それより少くとも六カ月前、即ち来月中には天下に布告せ 130