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検索対象: 西郷隆盛 第15巻
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1. 西郷隆盛 第15巻

「中御門卿はこわいお人だよ」 岩倉は微笑して、「私がぐらっきそうになると、いつもこの人にしかられる。私はしばしば迷うが この人は迷わぬ。この夏であったか、もはや尋常の手段を用いる時はすぎた、慶喜はすでに朝敵であ る、今こそ皇権挽回の機会、断乎討幕の軍をおこすべき時だという手紙をくれて : : : 」 中御門は苦笑した。 月 「買いかぶられては困る。あの手紙は私自身をしかったものだ」 日」 「いや、ありがたいお言葉だった。 : : : 大久保、品川両君も御存知のとおり、私にはわれながら好まと 力しいげきじよ ) しくない前歴がある。皇権回復と外夷撃攘のことは一日も忘れなかったつもりだが、その方法におい菊 かん ていろいろと迷った。そのために三好の一人に加えられ、蟄居謹慎も命じられた。白状すれば、今年章 の夏ころまでは、武力討幕の決心はつかなかった。皇国の敵は四辺にせまる外夷のみと信し、国内統第 女よ内こもあること ・どが、今はちがう商し「冫 一のためには、慶喜をも助けねばならぬと思っていた。 がよいと申したそうであります。中御門卿はそのことを大いに御心配になって : : : 」 「いやいや、私は動揺したわけではない」 中御門は苦笑しながら訂正した。「たしかに心配はしたが、大久保に論破説得されて、今は安心して いる。芸州藩は脱落しても、薩長両藩は絶対に討幕の方針を変えぬ。それを貴卿に報告するため、こ の両人に来てもらったのです」

2. 西郷隆盛 第15巻

薩摩との連絡方法は大阪で西郷吉之助と打合せてあった。江戸留守居役の篠崎彦十郎か柴山良介に 会えば、正確な情報が手に入ることになっている。 サトーはその夜のうちに篠崎あての日本語の手紙を書いた。署名は「薩道懇之助」。この日本名には 「薩摩と親しくする」という意味がふくまれている。 翌朝早く、秘書の野口に持たせて、三田の藩邸にとどけさせると、篠崎彦十郎はすぐに「高屋敷」 にやって来た。従者のほかに、サトーとは初対面の益満休之助という若い武士をつれていた。 サトーは二人を品川の海を見晴らす二階の客間に迎え入れた。 篠崎は益満をサ トーに引合せて、 「秘書のような仕事をしてもらっております。薩摩生れだが、江戸で育って、特に下町の事情は江戸 人よりも詳しい。遊びのほうも達人ですから、その方の御用の節は遠慮なくお使い下さい」 と笑った。 篠崎はサトーの遊び好きをよく知っていた。武芸にも学問にも達して、態度も言葉も重々しい中年 の武士であるが、留守居役という外交係をつとめているだけあって、人をそらさぬ適度な笑談ロもき 益満休之助のほうは、篠崎よりひとまわりほど若い。江戸育ちと言われて見れば、なるほど武骨で 通っている薩摩人の固さはないようだ。目つきは鋭いが、都会風というか、どこか投げやりな態度は、障 幕府の柳河春三とその仲間たちに似ていた。紋付と袴をつけてかしこまっているが、それをぬがせた第 ら、おもしろい遊び相手かもしれぬ。

3. 西郷隆盛 第15巻

、ツドフォード が顔をしかめて、「まるで気ちがい沙汰だ」 「開港祝いだろう。お祝い好きの無邪気な異教徒だよ、日本人は」 「ただの野蛮人だ」 あまりの狂乱ぶりにおそれをなした二人は、夜の冒険をあきらめて、仮公使館に逃げて帰った。 騒ぎは翌日もつづいた。サトーはそれを開港祝いだと思いこんだが、実は京都から始まって大阪に 波及して来たエイジャナイカ騒動であった。 吉井幸輔がサトーを訪ねて来たのは、その騒動の最中、十一月十九日の夜であった。 サトーは以前から吉井幸輔に好意を持っていた。同じ薩摩人でも西郷という男はすこし重々しすぎ る。その圧迫感は彼の人格の深処から発しているもので、敬重すべき人物だとは思っているが、会う たびに威圧されるのでは、若いサトーとしては反撥せざるを得ない。小松帯刀は善良で礼儀正しい紳 にいろぎようぶ 町 士だが、すこし軽々しいところがある。大久保という疑問の人物にはまた会っていない。新納刑部と の 岩下方平は、家老という家柄のせいか、ときどき気取りすぎるので、親しめない。彼らにくらべると、阪 みなり 吉井幸輔はお国言葉もまる出しで、重役になっても身装をかまわず、いつまでも薩摩の土のにおいを大 失わない。ちょ「と酒がはいると底ぬけに陽気になり、あばたのある顔で大口をあけ、人のいい明け章 第 つばなしの笑い声を立てる。 サトーはこの旧友を来客用の応接間ではなく、自分の私室に案内して、歓迎の意を表するためにウ

4. 西郷隆盛 第15巻

益満休之助が薩邸浪士団の指導者の一人であることは、サ トーにも察しがついている。篠崎彦十郎 が彼を勝海舟の屋敷に先まわりさせたのも自分を監視させるためであることもわかっているつもりだ が、料理人の姿で出て来ようとは全く思いがけなかった。もっとわからないのは、幕府の海軍大臣と もいうべき勝安房守が、この薩摩の密偵を身内の者のようにあっかって、まるで警戒していないことだ。 サトーはさりげなくたずねた。 「益満さん、あなたはサガラ・ソーゾーという人をご存知ですね」 「サガラ : : 何ですがね」 「三田屋敷の浪士で、隊長だと聞きました」 「いるかもしれませんね」 益満は顔色も動かさなかった。 「なにしろ大勢だし、 : それに私は、ここんところ外まわりみたいなもので、三田屋敷にはさつば ぶさた りご無沙汰 : : : 」 「しかし、昨日は、あなた、篠崎さんといっしょに来ました」 「そりゃあ、呼び出されれば、たまには顔を出します。これでも薩摩の禄だけはいただいているので ね」 それでも、サトーは二時間近くねばった。相手が酔ったふりをして話をはぐらかしても、こっちも 111 第六章枯れ葵

5. 西郷隆盛 第15巻

ミッドフォードも同感だと言い、香港や上海だけでなく、江戸の女にくらべても、大阪の女の方が 魅力的たとつけ加えた。 「日本には、アズマオトコとキョウオンナーーー東の男と西の女ということわざがある」 サトーが説明した。「京都の女はもっとすばらしいそうだ」 「その京都の姫君たちにお目にかかれるのは、いつのことかね」 中井は笑って、 「さあ、おかみ、部屋があいたようだ。通るぞ」 「はいはい、結構でございます」 いちばん奥の上等の座敷が空になっていた。三人の西洋人はそこへ案内され、やがて酒と料理がは こばれてきた。 芸者のかわりに、仲居とよばれる女中たちが給仕してくれたが、サトーが江戸で経験した冷たい敵 意をふくんだ目つきは、彼女たちには全くなかった。長い商業都市の伝統であろうか、この町の女た ちは外国人をこわがらず、きらってもいないようだ。 「思ったより美人が多いね」 ノエル大尉がうれしそうにサトーの耳にささやいた。「町で踊っていた娘たちの中にも、美しいのが いた。少なくとム、香港や上海の女よりも清潔だ」 202

6. 西郷隆盛 第15巻

「大いに関係があります」 村田新八は声をはげまして 「岩倉卿は、益満や伊牟田を江戸にやり、浪士を集めさせた発頭人の一人です。ちがいますか」 「ふうん、それで」 「浪士は純粋です。一途で、はげしい連中です。しかるに、岩倉卿は彼らをただの暴漢あっかいにし、 自分の失脚と幽閉の原因を浪士の暴説のせいだと言っているという : 「昔の話じゃないか。たしかに、岩倉卿は浪士の目の仇にされ、死人の片腕を玄関に投げこまれたこ ともあると聞いた。しかし、それも四年も前の話だ」 「いや、岩倉入道は、今でも浪士を信頼せす、ただ利用しようと考えています」 「何を証拠に、そんな : 村田は膝の上の拳をにぎりしめて、 大久保は横を向いた。 若い村田はつめよるように膝をすすめて、 「実は、江戸藩邸の柴山良介から手紙が来たのです。伊牟田、益満をはじめ江戸の同志たちは、盛ん にやっているようです。浪士も三百人ほど集まったとか」 「三百人か。結構だな。 : それと岩倉卿と何の関係があるのた」 いちす 43 第三章災 , 」、路

7. 西郷隆盛 第15巻

竜馬も中岡慎太郎もとび出した」 「酔ったな、伊牟田」 「酔わずとも同じことを言ってやる。武市半平太が生きていたころは、土佐つぼもよく動いた。人も ・ことうしょ ) じろう 嶄れた。今は何だ。 , 後藤象二郎とかいう西洋ラッパみたいな男が法螺を吹きまわっているだけだ。 : おい、西郷さん、後藤象二郎はどこにいる、まだ土佐か ? 」 「いや、大阪あたりまで来ているかもしれぬ」 「ほう、それは感心。兵隊は何人っれてきた」 吉之助は苦しそうに答えた。 「どうやら、丸腰らしい。一兵もつれて来ぬだろう」 「そうれみろ」 伊牟田尚平はのけそって、狼のように歯をむき出し、「やつばり西洋ラツ。 ( だ。声だけ、音ばかり。 : 桐野利秋は後藤を斬ると言っている。大阪まで来たのなら、手がとどく。どうだ、小島君、江戸 行きの置きみやげに、桐野を手伝ってやるか」 小島四郎は酔って放言する伊牟田を無視した。だまって西郷の顔を見つめている。 士 「斬るのはやすい」 吉之助は言った。「斬れと叫ぶことは、もっとやすい。後藤象二郎のみか、山内容堂も斬ってしまえ章 という声がある」 第 三人の壮士は顔を見合せた。 たけちはんべいた

8. 西郷隆盛 第15巻

意味ですか ? 」 「それ、どういう 「英語に訳さなくとも、おわかりでしよう。旗本も御家人も、禄を半分お借り上けということで、収 入が半減しております。旗本の二男、三男坊の無の生活になれた奴らで、別手組に人るのはいやだ し、新徴組はなおさら御免という連中がちょいと勤皇浪士の真似をしてみたくなる気持はわかります ね。私ども幕臣の立場から見れば、世も末と言うべきところですが・ 加宮藤三が思い出したようにたすねた。 「サトーさん、アメリカ絵描きのワーグマンさんは、あなたのお友達でしたね」 「はい、たいへんトモダチです」 チャールス・ワーグマンはイギリス系のアメリカ人で、横浜の英字新聞に挿絵をかいている。 クス公使に従って大阪に行き、サトーといっしょに東海道の冒険旅行を楽しんだこともある。近ごろ は、西洋画を学ぶ日本人の弟子も何人かできたという。 「ワーグマン、何かしましたか ? 」 こばやしきょちか 「ワーグマンさんの弟子に小林清親、川村清雄などという連中がいますね」 「はい、わたくし、よく知りませんが」 「そう、あなたは知らないでしよう。知らなくてもいいのですよ」 章 「ワーグマンの弟子、強盗の仲間ですか ? 」 第 加宮は笑って、 「とんでもない。小林も川村も僕の友人でしてね。いっしょに、ときどき横浜の南京町などに遊びに

9. 西郷隆盛 第15巻

・徳川慶喜、征夷大将軍職の辞職を請う。 ・ 9 この年の 1 月Ⅱ日、特他として渡欧していた徳川昭武、 ロンドン・ウインザー宮殿で英国女王ビクトリアに謁見する。 1 . -0 1 ・ 1 坂本竜馬と中岡慎太郎、暗殺さる。この日、二人は京都 河原町通りの近江屋新助方の二階にいたが、夜九時ごろ「十津 川の者」と称する者に殺された。竜馬はその場で死亡、慎太郎 も数日して死んだ。坂本竜馬、歳、中岡慎太郎、歳。下手 人についてはいろいろの説があるが、京都見廻組与頭佐々木唯 三郎以下七名だといわれる。 Ⅱ・横浜の外国人居留地取締規則を制定する。 Ⅱ・伊藤博文、兵庫でアーネスト・サトーと会見、討幕の避 くべからざることを告げ、大阪開市・兵庫開港の延期を要求す る。 Ⅱ・幕府、ロシアと改税約書に調印する。 1 . 9 長州藩兵、摂津打出浜に上陸する。 1 ワ】 西周、列藩会議の趣旨、および組織、権限に関する意見 を起草する。 Ⅱ・ ? 浪士および幕府歩兵隊など、江戸市中を横行し、略奪を 254

10. 西郷隆盛 第15巻

使の牙をむき出し、よだれをたらした不気味な笑顔が目に見える」 「おれはお先まっくらな浪士意見には食傷した。百人や二百人の浪士と共に事を起して自減するより も、土佐二十四万石を背負って動こうと考えなおした。これが本音だ。おれ自身が自減するのはかま わぬが、日本を破減させてはならぬ。大業成就のためには、同志、親友と訣別しても致しかたないと きゅうてき 思った。多年の仇敵たる君の軍門に降ったのもそのためだ」 「大げさなことを言う男だ」 「君ほどの大風呂敷はひろげぬそ」 竜馬は生来の陽気さをとりもどしたようであった。屈託のない笑い声を立てて、「ライフル銃一千 梃は長崎から高知に直送しておいた。あとの二百梃は海援隊と陸援隊にわける。おれは目下のところ 平和論者だが、しかし武器なしの丸腰で、薩摩に押しまくられるのは御免だ」 この六月に上京した時には、後藤と坂本は薩摩の武力を背景とする大久保と西郷に押しまくられ、 押し切られた形であった。 二人が山内容堂に呼ばれて長崎から京都に着いた時には、四藩会議は崩壊し、容堂はすでにいなか った。島津久光と正面衝突して、病気を口実に帰国してしまったのだ。 坂本竜馬は後藤をはげまし、船中で熟議した大政奉還論をひっさげて、在京の諸侯、諸藩の有志、 これと思う公卿のあいだを遊説してまわったが、どこにも薩摩の手がまわっていて、反響らしいもの はほとんどなかった。 けっぺっ