上達したが、この国の政治の内情には不案内だ。徳川慶喜の努力で兵庫開港は勅許されたが、それで 平和が来るわけではない。朝廷と幕府の対立はかえって激化したと見るべきである。京都に内乱がお これば、必す大阪に波及サる。いや、発火点は大阪かもしれぬ。 ークス公使の軍事的配慮は、この 動乱に対処するためのものだが、それをミッドフォードに説明してもわかるまい 「徳川慶喜は大阪にいるのかい ? 」 「いや、京都らしい」 サトーは答えた。「二条城というもう一つの城にね」 「公使は京都まで行くつもりか ? 」 「もしできればね。しかし、京都に行くのには、横浜の二個連隊を全部持って来ても不足だ。おそら く慶喜を大阪に呼び出すことになるだろう」 「また公使は幕府の老中どもをどなりつけるのだね。通訳官は苦労する。せ。すこしお手やわらかに願 えないものか」 「それを公使の前で言えるかい ? 」 の 「一一一一口う乂はないよ」 大 ミッドフォードは肩をすくめて、「老中のかわりに、 「それよりも、大阪の町は諸藩の武装した兵士で蜂の巣のようになっているそうだ。気をつけること章 第 「その蜂の巣の中で仮公使館をさがすのか。つらいね」 こっちがどなりつけられるだけのことさ」
「たいした御病気ではありません。会津や紀州の連中は、久光公はしめ、西郷も大久保も死んでくれ 、と思っているのです。死ななければ、殺してやりたいのでしよう」 ればいし サトーは微笑して、 「西郷さんと大久保さんが国に帰ったので、京都は大へん静かになったと喜んでいる人、あるそうで すね」 「ばかなことをー いまにまた騒がしくなりますよ」 「西郷さんは、いっ来ますか ? 」 「さあ、それは・ ・私にはわかりません」 木場伝内は仏像めいた無表情にかえった。サトーは彼が西郷の弟子の一人であることを知っていた しかも、留守居役という情報係をつとめている者が、上京の期日を知らぬはすはよ、 は追求しなかった。これで、西郷の上京が遠くないことだけはわかったわけだ。 : と書いてありました。会えますね」 「横浜で吉井幸輔さんの手紙、もらいました。大阪で会いたし 「吉井なら、京都に連絡すればすぐにもやって来ます。急用なら、飛脚を立てましよう」 「いや、私、連絡いたします。その方が確実のようです」 すずりばこ サトーは硯箱を借りて手紙を書き、秘書の野口に持たせて京都に出発させ、自分はミッドフォード とともにラットラー号に引きあげた。宿舎の設営ができるまで、ここしばらくは軍艦暮しである。 野口は翌日の午後の川舟で帰って来た。吉井幸輔の返書は、 「すぐにもお会いしたいのであるが、京都の所用が重なって、しばらく下阪できぬ。西郷は近日中、 ↓ 71 第十章大阪の町
の商人にはできぬことだ」 「松方、長崎に行け」 小松帯刀が言った。「家老として命令する。幸い、乾行丸が修理中だ。おまえを乾行丸艦長に任命す る。修理がでぎ次第、出発しろ」 「御家老、病人にはさからいたくありませんが、僕は京都に上って戦いたいのです」 「腹がへっては、 いや、鉄砲なしには戦争はできぬそ」 小松帯刀は笑い、苦しそうに足の傷をなぜた。 吉之助が言った。 「若侍たちは京都にのぼったら、再び薩摩の土はふまぬと、親兄弟と水盃をくみかわしている。松方、 おまえは縁の下のカ持ちになってくれ。幕府はフランス式装備をととのえている。銃器、弾薬の不足 の故に、薩南健児を犬死させてはならぬ」 松方正義は長崎行を承認した。小松帯刀は安心したのか、だいぶ気分もよくなったと言い、昼食を の 海 共にしようと言い出した。 章 吉之助と村田新八がひきとめたが、 第 「京都にのぼれぬのが残念だ。せめて送別の盃ぐらいはあげさせてもらいたい」 家来と女中たちを呼んで酒の支度を命じ、妻の肩を借りて湯殿の方に出かけて行った。やがて帰っ
上京の見込み。それまで大阪でお待ち願いたい」 さりげない調子で書いてあったが、野口の話によると、京都の薩摩藩邸の警戒はきびしく、今にも 焼討ちでもおこりそうな物々しさであった、吉井の目の色も変っていた、もちろん、相手は会津と桑 名の軍勢であるから、野口は自分が会津藩士であることをかくすのに苦労したという。 「何か起りそうです。とても、このままではおさまりそうにありません」 「それも西郷が上京して来てからのことだろう」 サトーは言った。「待つよりほかはないようだ」 しかし、吉井幸輔が下阪できなかったのには、サトーの知らない理由があった。 西郷と大久保のいなくなった後の京都の政状は、台風季節の豊後水道よりもひどい荒れ模様になっ た。冪府の反撃と後藤象二郎の暗躍が効果をあらわしたのだ。この二つの潮流は、必すしも方向が一 致しているわけではない。後藤、坂本の大政奉還論は幕閣の保守派と会津、桑名にとっては不満この 上もない提案であったが、しかし、武力討幕論にくらべれば、まだ我慢できる。幕府の温存という点 で両派は一致する。二つの潮流は一つの激流となって薩摩屋敷に向って押しよせてきた。 京都の薩摩屋敷にのこっているのは、吉井幸輔と伊地知正治だけと言ってもよかった。あとは、た だ血気にはやる八百人の若侍であった。公子島津備後がいるが、これは若すぎ、おとなしすぎる。在 せきやまただす がんきよう 京家老の関山糺は自重論、というよりも出兵反対の元兇と目されている人物だ。 ↓ 72
・明治維新編《丹楓の巻》の時代的背景 間・ 3 土佐藩主後見、山内容堂 ( 豊信 ) 、幕府に大政の奉還を建 第一八六七年 ( 慶応三年・西議する。これは坂本竜馬が起案し、後藤象二郎を通じて土佐藩 郷隆盛・歳 ) の藩論とされたものである。武力討幕を主張する薩長両藩に対 する土佐藩の牽制という意味合いもあった。 【世相】 8 月間 ・ 6 岩倉具視、中御門経之と大久保利通 ( 薩摩 ) 、品川弥一一 名古屋地方に 郎 ( 長州 ) ら、王制復古の方略を謀議する。太政官職制や錦旗な ええじゃない どの案を互いに提示している。 か起る。翌月、 加・昭蛤御門の変で謹慎を命じられていた長州藩主、毛利敬親 東海道・江戸・ 父子に官位復旧の宣旨を降下する。 京畿その他一 間・薩摩藩主、島津忠義父子ならびに長州藩主、毛利敬親父 円に拡大。岩 代・信濃に農子に討幕の密勅下る。同日、将軍徳川慶喜、大政奉還の上表を 民一揆。柳河 提出する。 春三「西洋雑 0 . -0 大政奉還の奏請を勅許し、十万石以上の大名諸侯に召集 1 1 Ⅱ一 0 「ー亠 」〒卞「 1 月 を命令する ( 翌日、勅許示達 ) 京都町奉行、 加・幕府、各国公使に大政奉還が勅許された旨を通達する。 ええじゃない か踊りを禁止。
薩摩の大久保利通は岩倉具視と固く結んで、武力討幕の方針を強引に押しすすめていた。土佐藩士 たにかんじようささきたかゆき の中でも、中岡慎太郎、田中顕助などの脱藩組はもちろん、在京の小笠原唯八、谷干城、佐々木高行、 江戸からかけつけた板垣退助などが討幕論を支持していた。宮中にも、岩倉と大久保の手がのびて、 正親町三条実愛、中御門経之、さらには新帝の外祖父中山忠能を動かし、二条摂政、中川宮などの佐 冪派を圧迫しているので、大政奉還は空論あっかいにされて、相手にされなかった。 結局、後藤象二郎は大久保と西郷に強制された形で、出兵を約東し、京都から退却した。坂本竜馬 は後藤の命をうけ、ライフル銃と軍艦を買うために長崎に急行した。いずれにせよ、武器は必要であ 後藤が高知に帰ってみると、老公容堂は隠宅の散田屋敷に、傷ついた虎のようにうずくまり、酒盃 を片手に京都の空をにらんでいた。 虎 後藤が拝謁して、京都の状勢を報告し、再度の上京をすすめると、 「何をばかなことを ! 余に再び芋面の久光の下風に立てと申すか。このうつけ者め ! 」 まずどなりつけておいて、「武力討幕論は徳川幕府に代えて島津幕府をつくろうとする見えすいた竜 陰謀だ。わが山内家は徳川家にこそ恩顧はあるが、島津家には恩も義理もない。勤皇は薩摩と長州の章 第 専売ではないそ」 「御意にござります」
2 上機嫌のミッドフォードは軽口をたたいた。「この調 子なら、京都まで行けそうだ。将軍に会いに行くか」 「それは、淀川を軍艦がのぼれるようになってからにし よう」 サトーは答えた。「その前に、将軍の敵に会いに行く のだな」 「将軍の敵 ? ・ : ああ薩摩か。しかし、この蜂の巣の 中を歩くのかね ? 」 「薩摩の蔵屋敷は土佐堀にある。港に近い。どうせ帰り 道だ。京都に行くよりも楽だ。せ」 海兵隊員の前で弱みを見せたくなかった。治安の悪化 は江戸で十分に経験している。日が暮れれば、大阪も危 険だろう。しかし、薩摩屋敷には吉井幸輔が待っている の かもしれぬ。もし西郷吉之助が帰って来ているのなら、阪 一刻も早く会って、イギリスの方針を説明してやりたか大 章・ ークス公使はいよいよ薩摩援助にふみきった。 その公使を動かしたのは自分だと、西郷や小松の前で自第 慢するのはわるい気持ではない。
屋敷」にやって来た。 「昨夜は、とんでもないことを申上げたようで、まことにどうも : : : 」 ひどく恐縮していた。「なにしろ、酔っぱらっていましたので、ついその : : : 」 「あなたは、帰りには酔っぱらっていましたが、来た時には、酔ってはいなかったですよ、ね」 「相すみません。前将軍と先帝の毒殺説は事実無根でした。友人が幕閣の高官から聞いたというので、 つい信じてしまったのです。今朝がた、その高官に会いに行きましたところ、そんなことを言ったお 。ほえはないと、ひどくしかられました」 サトーは苦笑して、 「政治的な風説でしようね。どこの国にもあります。私、気にしません。それよりも、旗本のあいだ : これもデマゴギーでした にまわったという檄文の方が重要です、武装して向島に集まれという。 「いえ、それは事実です。ただ、旗本たちは向島には集まらなかったようです。そのかわりに、大阪 と京都に向ってとび出した者がおります」 「とび出した ? 」 「二条城の慶喜公は江戸の幕閣に対して一万の兵を急派するように要求して来たそうです。しかし、 老中たちがためらっているので、血気の旗本たちが五人、十人と隊を組んで京都にのぼって行ったそ うです」 力」 116
しかし、今日は遊びの席ではない。サトーは二人に紅茶をすすめると、すぐに用件を切り出した。 篠崎は慶喜の辞職と政権返上勅許のことを知っていた。京都の吉井幸輔が飛脚便で知らせてくれた のだと言った。 「昨夜、石川河内守は薩摩の陰謀という言葉をくりかえしました。あなたは、どう思いますか」 サトーが突きこむと、篠崎は顔色をうごかさずに答えた。 「幕臣の目には陰謀と見えるでしよう。しかし、これは大勢のおもむくところ、もはや彼らのカでは どうにもなりまオ - まい」 「しかし、河内守は慶喜の聡明と善意を強調しました」 サトーは言った。「慶喜には何の野心もない、ただ日本統一のため、大権を返上したと申しました」 篠崎彦十郎は嘲笑した。「慶喜はやけくそになった養子です」 「それ、どういう意味ですか ? 」 「将軍になって幕府という古い店を引受けてはみたものの、あっちにもこっちにも借金だらけで、と てもやって行けないとわかって、投げ出したまでのことです。それが聡明というのなら聡明でしよう」 「西郷吉之助さんもそう言いましたか ? 」 「私個人の意見です。西郷の手紙はまだうけとっていません」 「西郷さんは京都ですね」 ! 02
「長崎で志願したよ」 陽気な返事であった。「実は桂小五郎の命令で、大阪と京都方面の形勢を見るために来たのだが、こ こまで来てみると、長州軍と芸州軍が先まわりしているしゃないか。おどろいたよ」 「君は自分の藩の出兵を知らなかったのか ? 」 「こんなに早いとは思わなかった。長崎で遊んでいたのでね。桂も僕に命令を出した時には、知らな かったのだろう」 「それで、君はどうする ? 」 「実は西の宮まで行って、従軍を希望したのだが、隊長にことわられた」 「なぜだ ? 」 「僕には、ほかの任務があるそうだ。たとえば、外国係。君と同し外交官だ。 が残念だよ」 「君は長州と薩摩が勝っと思うか ? 」 「勝つよ」 こうぜん 伊藤は昻然と答えた。「ただし、長びくね。徳川の領地は八百万石、全国にひろがっている。これを ミカドの手に奪いかえすためには、長期戦を覚悟しなければならぬ。まず、兵庫が激戦の地になり、 つづいて大阪城の争奪戦がはじまるだろう。イギリス公使館は大阪城の裏手にあるそうじゃないか。 早く避難しないと危険だそ」 「おどかしてもためだ」 ・ : 京都で戦えないの 217 第十一章虚と実と