矛盾しない。両藩は二つの異る道を歩いているように見えるが、目的は同じ王政復古だ。時間をおけ ば、同じ一つの道であったことがわかるだろう」 「果して一つの道であるかどうか。僕は大政奉還論は公武合体の変形であり、結果として幕府の延命 策に利用されるばかりだと見ている」 大久保は断言した。 坂本竜馬が乗り出して、 「そうはっきりと割り切れるかな。日本に内乱をおこすことなく王政復古を実現し得たら、これに越 したことはない。長崎で長州の桂小五郎、伊藤俊輔の両君に会ったが、僕の意見に同感してくれた」 大久保は冷たく笑って、 「ただ同感するだけなら、お安い御用た。われわれも同感する」 「これは、きびしい。僕としても、二条城の将軍が土佐の提案を受入れるかどうかという点について は自信がない。もしことわったら、その時こそ、土佐も堂々と慶喜の罪を鳴らして挙兵にふみ切るこ とができるのだ」 「ずいぶん、まわり道をなさるお人だ。坂本君、薩摩と長州を結びつけてくれたのは君ではなかった 「しかし、その後の状勢を見ると、薩摩と長州が独走すれば、フランスの思う壺にはまるだけた。ナ ポレオン三世は資金と武器だけでなく、陸、海軍を幕府に貸そうと言っている」 大久保利通はきらりと目を光らせて、 力」
木場伝内と入れちがいに、岩下方平がはいって来た。手にした書類を西郷の前にさし出して、 すいこう 「モイフランの草案の反訳です。寺島宗則はもっと推敲したいと申しているが : 「拝見しよう」 勅令として各国公使に示す宣言書の文案をモイフランに書かせたのである。 吉之助は読んだ。 ちん 「朕は日本天皇なり。諸侯はその領地の藩主なりといえども、朕が命令下にあり。然るに徳川氏自ら 日本国王と称して、外国に交わるは、大いにわが国体を誤れり。よりて今、改革の要綱を左に挙ぐ。 第一、将軍職を廃すること。 第二、これより日本の政府は朕自ら統治するが故に、わが国に対する事務は朕の名を以てすべし。 第三、朕は日本天皇なり。諸侯は各その領内の大守なり。故に国政を議するには、各藩主を京都に 召集し、議事院に会し、国政を議し、朕これを決定して後、布告す。 第四、長崎、横浜、その他開港の地は、従来徳川氏の名を以て開市せりといえども、これより朕の 名に改め、これを開くべし。 右のごとく、わが日本政府変革いたし候上は、さらに一層、外国との親睦を重んすべし。 西郷は再読して、書類を岩下にかえした。 日本政府』 214
使の牙をむき出し、よだれをたらした不気味な笑顔が目に見える」 「おれはお先まっくらな浪士意見には食傷した。百人や二百人の浪士と共に事を起して自減するより も、土佐二十四万石を背負って動こうと考えなおした。これが本音だ。おれ自身が自減するのはかま わぬが、日本を破減させてはならぬ。大業成就のためには、同志、親友と訣別しても致しかたないと きゅうてき 思った。多年の仇敵たる君の軍門に降ったのもそのためだ」 「大げさなことを言う男だ」 「君ほどの大風呂敷はひろげぬそ」 竜馬は生来の陽気さをとりもどしたようであった。屈託のない笑い声を立てて、「ライフル銃一千 梃は長崎から高知に直送しておいた。あとの二百梃は海援隊と陸援隊にわける。おれは目下のところ 平和論者だが、しかし武器なしの丸腰で、薩摩に押しまくられるのは御免だ」 この六月に上京した時には、後藤と坂本は薩摩の武力を背景とする大久保と西郷に押しまくられ、 押し切られた形であった。 二人が山内容堂に呼ばれて長崎から京都に着いた時には、四藩会議は崩壊し、容堂はすでにいなか った。島津久光と正面衝突して、病気を口実に帰国してしまったのだ。 坂本竜馬は後藤をはげまし、船中で熟議した大政奉還論をひっさげて、在京の諸侯、諸藩の有志、 これと思う公卿のあいだを遊説してまわったが、どこにも薩摩の手がまわっていて、反響らしいもの はほとんどなかった。 けっぺっ
じよう、 あった。その火事も攘夷派の浪士たちの放火が多い、と町奉行所の役人たちは言っている。 「しかし、公使、情報活動には危険はっきものでしよう。危険をおかさずには、 しい情報は集まりま せん」 「君は日本マニアだ。日本の家に住んで、日本人の生活がしてみたいのだろう。ついでに日本の料理 を食べ、日本ムスメと結婚したらどうだ ? 」 「結婚のことをのそけば、公使のお言葉のとおりです」 どうせし 「幕府に雇われているフランス士官たちは、みな日本ムスメと同棲しているそうではないか」 「士官だけではなく、通訳官のカション老人も将軍から素晴しい日本娘を下賜されたそうです」 ようそう 「あの妖僧め。女はゲイシャか ? 」 カトリック僧カションはロッシュ公使の懐刀で、その風貌と辣腕のせいで、外交団のあいだでは 妖僧と仇名されている。 : しかし、 「いえ、下町の商人の娘で、メリンスお梶という仇名のある派手好きの女だそうですが、 将軍も老中もイギリス人のわれわれには妾はプレゼントしないでしよう。イギリスは薩摩と長州の味盗 方だと見抜かれましたからね。自分でさがします」 怪 「えつ、妾を ? 」 「いや、家の話です。実は、もう候補は見つけてあります」 サトーは「高屋敷」のことを話して、「茶室風ですが、母屋は二階建てで、しかも階段が三カ所につ第 いています。前の持主が刺客を警戒しなければならぬ身分の者だったのでしようか。二階を寝室につ あだな かじ ふところ ふう・ほうらつわん
8. 「同意した方が賢明だと思っています」 「幕府側にも極端な保守派がいて、さかんに薩摩の陰謀を宣 イ伝しています。危険ですね」 「幕府内部の保守派は将軍自身がおさえるでしよう」 「慶喜公に、その実力があるでしようか」 中井弘はふしぎそうにサトーの顔をながめ、しばらく考え こんでいたが、急に日本語にかえって、 「サトーさん、あなたの話を聞いていると、イギリスは日本 の内乱を望んでいるかのように聞えますね」 サトーはすこしあわてて、日本語で答えた。 「私、そんなこと、言いません。ただ、私、日本の情勢につ いて、後藤さんやあなたほどには、楽観的でありませんね。 私、このことについて、論文書きました。あなた、まだ読み ませんか」 「『英国策論』でしよう。拝見しました。しかし、 章 こんな話はやめましよう」 第 「なぜ、やめますか」 「水かけ論という言葉が日本にはあります」
・ざがある」 「そのことわざ、シナにもありますね。しかし、イギリスはするい漁師ではありません。日本の開国 と通商を希望しているだけです。通商貿易はおたがいの利益になります」 「どうも、あんたにはかなわない」 後藤は笑ってみせて、「僕は喧嘩はしない。妥協というものを心得ているつもりだ。大久保の要求を まるごと飲なことにした」 「まるごと・ : : ・飲む ? 」 「全部そっくり、ここに飲みこんだ」 後藤は大きな腹をたたいてみせて、「薩摩の条件も大久保という男も、今は僕の腹の中におさまって いる」と、中井弘をふりかえり、「イギリス人にはこういう言い方は通用しないかね」 中井はと。ほけ顔で、 「なに、わかりますよ。サトー君はシナ通で日本通で、半分東洋人みたいな人物です。日本酒も日本 ムスメも大好物と来ている」 よくわかりますよ、中井さん」 サトーはニャリと笑って、上衣の内ポケットから飾りの美しい小型の拳銃を取出して、テー、フルの 上においた。 中井はちょっと顔色をうごかしたが、 「おや、これは勇ましい。決闘ですか ? 」 円 6
モンブランは岩下の信頼にこたえて、薩摩のために大いに働き、ロッシュ公使をくやしがらせた。 この冒険家貴族は宮廷と社交界に、平民出のロッシュの及びもっかぬ勢力をもっていた。自ら筆をと って「徳川幕府は日本の正統政府ではない、主権は京都のミカドにあるのたから、薩摩国は幕府と同 たいくん リ万国博覧会場には、日本大君靉 格で独立の王国である」と力説した文章を新聞に発表したので、 府 ( 幕府 ) と日本薩摩国政府の二本の旗がひるがえることになった。 岩下方平が任務を果して帰国の準備をしていると、モンブランがホテルにやって来て、 薩摩に行こうと言った。 「パリにおける幕薩戦争は、どうやら薩摩の勝利に終ったようだね。ナポレオン三世も幕府が日本の 主権者でないことだけは理解した。フランス外務省もロッシュ公使の幕府援助政策に疑問を持ちはじ ークス公使に押しまく めた。ロッシュはもうだめだね。日本に帰っても、本国の支持を失っては、パ られて、手も足も出なくなる。今こそ幕府打倒と王政復古の絶好の機会。僕を薩摩の外交顧問に雇う カよし」 海 岩下方平は返事ができなかった。フランス人の口から、討幕、王政復古などという言葉を聞こうと 章 は思ってもいなかったからだ。 八 「すこし時間をください。考えます」 「ああ、よく考えたまえ。幕府使節団は薩摩の学生たちを煽動しているらしいが、気をつけることだⅢ
では、虎のごとく鷲のごとき国にはさまれて、日本は卵のようにおしつぶされてしまう」 「は↓め」 「いかなる無理難題を吹きかけられても、今はどうにもならぬ。腹かっさばいて、はらわたをたたき つけてやりたい思いだ。 : 切腹よりほかに対抗の手段がないとは悲しいことだ」 「東洋には頼りになる味方がいない。老大清国が惰眠よりさめるのはいつの日のことか。朝鮮もまた、 いたずらに塀を高くして、日本がさしのばす手をにぎろうとしない。 : 日本はひとりで西洋と戦わ ねばならぬ」 「先生 ! 」 「ます内を固めるよりほかはない。 一日も早く無能無策の幕府を倒し、聖天子のもとに国の統一を実 現することが急務だ。 : 伝内、村田新八と黒田清隆を呼んで来い」 「二人とも外出しておりますが : : : 」 と もうりたくみ 「よし、帰って来たら、すぐに兵庫に行かせる。長州軍の総司令毛利内匠に会い、軍律と士規をきび実 と しくし、特に外国人との衝突は避けるように : : : 彼らにつけ入る口実を与えてはならぬ」 「はい、私でよろしかったら、すぐに兵庫に行ってまいります」 章 「いや、おまえは大切な大阪留守居役だ。村田と黒田をさがして来い」 十 第 「かしこまりました」
第二章怪盗 サトーは、品川の海を見晴らす御殿山の高台に、一軒の イギリス公使館の若い通訳官アーネスト・ 日本家屋を借入れることができた。 がけ 切立った崖の上にあるので「高屋敷」と呼ばれている凝った造作の二階家で、広い庭がついていた。 もとは身分のある武士の隠居所であったとか。老主人が趣味にまかせて作ったもので、日本語では「数 おもや 寄をこらした家」と呼ぶそうだ。長い廊下で母屋と二棟の茶室をつないであって、庭にぎっしりと植 込まれた植物は四季それそれの花を咲かせるように組合されている。 家賃は日本の小粒銀貨で百枚、英貨の六ポンド十三シリング四ペンスにあたる。すこし高いが、そ ークス公使が江戸の幕府 れだけの価値はあった。しかも、半分はイギリス公使館が持ってくれる。 と京都の朝廷との正面衝突が近いと見て、サトーに情報活動の強化を命じたのだ。 「情報は公使館の内よりも外に住んだほうが集めやすいと思いますが」 「それは危険た。江戸の治安はますます悪化しつつある」 公使は若いサトーをからかった。「公使館の壁の外では、君の生命は保証できないそ」 つじぎ たしかに、そのおそれはあった。江戸では毎晩のように強盗や辻斬りがあり、おまけに火事騷ぎが
「高屋敷」での生活は、サトーの日本趣味を満足させてくれて、はなはだ快適であった。 二階を寝室と訪問客の応接室にし、階下には控え室と書斎をつくった。書斎は九フィート四方て 品川の海を見晴らす円窓があった。広い浴室と台所もついていた。 すこしはなれて別棟の長屋があり、会津藩士でサト ーの秘書の野口が住んでいた。英語を習いに来 る日本人青年たちはここに泊った。そのほかに給仕の少年が一人、三十歳前後のあまり美しくない掃 除女、馬丁をかねた門番と二人の護衛がいた。護衛はこの年の春、サトーと漫画家のワーグマンが大 阪から東海道を江戸に下った時、幕府がつけてくれた別手組の者で、家柄は旗本ということであった が、それそれ二男か三男で、ほかに仕事もなかったので、護衛の役に満足しているようであった。 コックは雇わす、下町の万清という料理屋から純日本式の料理を運ばせた。これはサトーの趣味に もあい、シナ人のコックに正体不明の料理を食わせられるよりもはるかにましであった。 日本人は入れかわり立ちかわり訪問してきた。幕府の外国係、庄内藩、米沢藩をはじめとする市中 しようへいこう 警衛の役人、貿易志望の商人、開成所や昌平黌の教授などが押しかけて来て、口々に新居をほめ、お しゃべりをして行った。 かい、別棟に日本人の護衛たちを住ませておけば、まず安全でしよう」 「君が安全だというのなら、反対はしない。家賃は補助するから、せいぜい日本情緒を楽しむがよか ろう」 まんせい