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検索対象: 西郷隆盛 第16巻
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1. 西郷隆盛 第16巻

「発砲したのは薩摩と長州だ。わが土佐藩はこの戦闘を薩長の私戦とみとめて、いずれにも味方せぬ そ。もし兇器をたすさえて禁門をおかす者があれば、たとえ薩長の兵たりとも討ってしりそける」 「今さら、何のたわごとを ! 」 「たわごとは、そっちのことだ ! 」 罵倒しながら、ひきずられながら、容堂は退出した。越前春嶽も伊達宗城も、つづいて病床の尾張 慶勝も侍臣に運ばれて姿を消したので、会議は解散も同様になった。 老人の中山忠能はおろおろしながら、 「しばらく休憩する。 ・ : 内裏では、さそ女官どもが立ち騒いでいることであろう。日も暮れはてた。 聖上の御機嫌をうかがわねばならぬ」 自分に言い聞かせるようにそう言って、廊下に出て行きかけた。 大久保利通が呼びとめて、 「中山大納言に申上げます。聖上御動座のことは、いましばらく御延期を : : : 」 「何を申す。左様なことは、臣下のロに出すべきことではない。余も決しておすすめはしないぞ」 いつの間にか、公卿と参与の半数以上が姿を消してしまったので、虎の間は歯のぬけた櫛のように なっていた。 遠い砲声はなお障子にひびきつづけて、はげしさを増したようである。 ばとう 175 第八章鳥羽伏見

2. 西郷隆盛 第16巻

丹羽淳太郎は尾張藩の勤皇派で、岩倉党とは同志のつきあいをしていた。最後の機密までうちあけ られているわけではないが、事の重大さはよく心得ていたので、伝奏の詰問に対して、そらとぼけて 答えたという。 「深夜、おさわがせして、まことに恐縮でござりますが、実はわが藩主がいつまでも退朝いたしませ ぬので心配しておりましたところ、浮浪の徒が主人の退朝の途中を要撃するとの流言あり、若侍ども が武装して集まってまいりましたので、ひきつれて参上いたした次第。他意はございません。御門外 までまいりましたところ、ただの流言にすぎぬことが判明、ただ今、ひきあげるところであります。 とんだ不調法、ひらにおゆるし下さい」 伝奏はこの申し開きを信用したらしく、それ以上問おうとしなかったので、無事にひきあげること ができました、と丹羽は頭をかいてみせた。 「ます、よかった。岩倉卿におとりつぎしよう」 「いや、おやすみなら、お目ざめの後に、貴公からよく申上げていただきたい。実は出兵は早いほど しいと思ったので。 : 今度はまちがいませぬ。時刻の変更があったら、御連絡ください」 逃げるように辞去して行った。 藤井が奥の広間にひきかえしてみると、岩倉具視は目をさましていた。報告を半分だけ聞いて、 「あきれたな、丹羽もあわて者だが、伝奏も間抜けだ。これで事が破れなかったとは、切れたと思っ

3. 西郷隆盛 第16巻

参与のいる次の間がざわめき、薩摩の大久保と長州の井上聞多の血相が変った。上佐の福岡孝悌が 容堂の放言をひきとめようと腰をうかしたが、まにあわなかった。 「いったい何のための王政復古、大政奉還であるか ! 朝廷は新制度と称して太政官なるものを設置 し、不肖山内容堂も議定の職に列している。 ・ : その議定にも相談なく、徳川慶喜の参内をさまたげ みだりに発砲して戦端を開くとは : 「まだそのようなことを申されるか ! 」 岩倉がどなりかえした。「王政すでに復古せる今日、大兵をひきいて京都に押しのぼることがすでに 不逞である。これに対して、皇居守護の兵が防戦するのは当然のこと : 「皇居守護を命ぜられているのは土佐も尾張も越前も御同様だ」 容堂の声の方が大きかった。 ・ : 百歩 「他藩の知らぬまに、なぜ薩摩と長州だけが鳥羽と伏見に出兵し、勝手に発砲したのだ ? しりそいて考えても、これは薩長と会桑の私闘である。公平無私なるべき朝廷が慶喜討伐を宣言した 出して、この首をはねるがよい ! 」 次の間の薩摩と長州の参与たちをにらみまわして、「余の首をはねるのには手間はかからぬ。そこら の自称勤皇武士に命令すれば、病い犬のようにとびかかってくるー : はつはつは、吐作もないこ とだ」 172

4. 西郷隆盛 第16巻

議によらず、ひろく有力な大名を集めた公正な列藩会議によって決定すべきだと強調した。 パークスの質問は、例によって無遠慮で乱暴であった。 「私には理解できぬ。あなたは五千の兵力を持ち、会津侯と桑名侯は合せて八千の兵力を持っている のに、なぜ京都を放棄したのか ? 政治的に見ても軍事的に見ても、ただ愚挙というよりほかはない。 その上、土佐と尾張と越前という大藩があなたを支持しているのなら、逃げ出す理由は全くないでは ないか。京都を逃け出したのは、ただの臆病だ ! 」 サトーは最後の一句だけは通訳しなかった。 慶喜は苦しそうに答えた。 「内乱を皇室に及・ほすことは、日本人には許されぬことだ。これは外国人には理解できぬことかもし げきこう れぬ。 : 私の家臣たちは、特に薩摩に対して激昻しているので、長く京都にとどめておくことは危 険だと判断したのである」 「退却すれば、敵は攻撃してくる。おそかれ早かれ、薩摩と長州は大阪を攻撃すると思わぬか ? 」 「果して攻撃してくるかどうか、それはわからない」 ほんとうにわかっていないのだろう、とサトーは思った。慶喜は薩摩の「不意討ち」にあって、全 く混乱している。敵の真意を理解しかねて、対策をたてることができず、退却という拙劣な方法をと ったにちがいない。 ークスはさらに意地のわるい質問をつづけた。 「クーデターによる政権の奪取は政変と革命の常道である。京都の新政権に対するあなたの見解は、 0 、

5. 西郷隆盛 第16巻

やっと腰をあけた山内容堂が河原町藩邸に到着したのは、正午をすぎた時刻であった。 待ちくたびれた後藤象二郎が、 「殿、宮中の形勢は重大でございます。たたちに御参内のほどを」 「ばかな ! 余はここで一杯やる。おまえもっきあえ。飲めぬロではあるまい」 「私は昨夜より今朝にかけて、三度宮中にまいり、 越前、尾張の二侯と対談し、また諸藩邸をまわっ て、重臣たちを説きました。すべて、わが藩と同論でございます」 「ふふ、薩摩も同論と申すか ? 」 「つまり、敵は薩摩だけでございます。殿が参内なされて一気に押し切れば、薩摩の陰謀は木っ葉微 じん 「では、なおさら、いそぐことはない。飲め ! 」 「薩摩の大久保は宮中に入って岩倉、中御門両卿と協力し、西郷は外にあり、三千の兵力をもって御 「河原町でお待ちすることになっております。実は、島津侯もすでに御参内 : : : 」 「あの小僧に何ができる ? おやじの久光が大芋なら、あいつはただの小芋だ。余が腰をあげないか ぎり、御前会議の幕もあがらぬわい」 「お言葉のとおり、諸侯の望み、宮中の望み、天下の望みは、すべて殿の上にかかっております。も いや、そろそろ、お腰を上けてもよろしい時刻かと存じまする」 49 第三章小御所会議

6. 西郷隆盛 第16巻

岩倉邸の広間は、たけり立った浪士たちでわきかえっていた。 「尾州の丹羽のやっ、出兵の時刻をまちがえるとは、何というあわて者だ」 「いや、明らかな裏切りだ。御三家ともあれば、勤皇はロにしても、幕府が大切。きっと二条城と通 謀しているにちがいない」 「ここまで来て大事が破れるとは ! 」 「戦争だ、戦争だ ! 」 「おい、おれの刀はどこだ ? こうなれば斬って斬りまくり、みごと死んでみせるそ」 「幸いにこの屋敷は御所に近い。まことにいい死場所を得た」 太刀の目釘をしめす者、槍をとって玄関の方にかけ出して行く者、銃を抱いてうずくまる者ーーオ でに戦争がはしまったようなぎであった。 しろはふたえ わせ 岩倉具視が静かにはいって来た。白羽二重の袷に錦の袴をはいているが、頭は丸い入道姿である。 うしろに、朱塗りの酒桶を両手にさげた西川与三と酒の肴の膳をささげた侍女三人が従っていた。 「やあ、諸君、ます飲んでいただこう」 公卿らしくない大声で、「尾張の出兵で、とんだことになったようたが、また事が終ったわけではな : 成敗は天なり、死生は命なりという言葉もある。いやしくも天に恥じざる心をもって、地に 恥じざる事を謀ったわれわれである。ここで死んでも、思いのこすことはない」 さかおけ さかな

7. 西郷隆盛 第16巻

後藤象二郎は岩倉具視が容堂を刺すなどということは、万が一にもあるまいと思っている。浅野長 ちゅうりく 勲の前でそのような言葉を出したとしても、ただのおどかしであろう。蘇我の人鹿誅戮の先例などと は大げさすぎる。しかし、心配なのは容堂が大酔していることだ。酒になれた殿様だから、御本人は 正気のつもりでいるであろうが、またどんな放言をしないともかぎらず、まかりちがえば、容堂の方 から手を出して取組み合いくらいはやりかねない。場所が場所であるから、落度は公卿よりも大名の 方にあるということにされてしまう。 「おそれながら申上げます。殿の御精神は今日の議論で満堂を動かし、かしこくも聖聴にも達しまし た。岩倉入道も大久保も窮地に立ったと私は考えます。この際、一応手綱をゆるめて走らせてやった 「当然のことだ。蛤御門は、このまま会津にまかせておけばよい。なにも薩摩の配兵計画にしたがう間 ことはないのだ」 「会津の本隊は桑名兵とともに二条城にひきあけてしまいました。慶喜公としては恭順のおつもりで ございましよう。いまだに出撃の気配はございませぬ。一方、長州軍はすでに山崎の関門を越えたと、 辻将曹の報告がございました。芸州兵は動揺し、浅野長勲は改論して : : : 」 「よにつ ? 」 「岩倉入道に同調したと中します。尾張の家老丹羽淳太郎も今朝方ひそかに岩倉邸におもむいており ます。何の打合せでございましようか」

8. 西郷隆盛 第16巻

ゆったりと床柱を背にしてすわり、浪士たちにそれぞれ盃をくばらせた。侍女につがせて、まず自 分がのみ、 「諸君、別れの酒となるか、勝利の前祝いとなるか、それも天にまかせて、ます大いに飲むことだ」 浪士たちは口々に叫び立てたが、岩倉具視はかるく受けながして、しきりに盃を重ねる。気をのま くりや れた形で、浪士たちもそれにならった。たちまち二つの酒桶はからになり、厨から新しい酒桶がはこ ばれて来た。だが、だれも酔を発する者はいなかった。青ざめた頬と光る目だけがならんでいる。 酔ったのは岩倉具視ただ一人のように見えた。しわのふかい顔を渋色に染めて、 「さて、 いい気持になった。まだ夜明けにはまがある。わしは眠らせてもらう」 その場にごろりと横になって、足をのばした。侍女があわてて枕と蒲団をはこんで来た時には、高 高といびきをかいていた。狸寝入りか。いや、そうでもなさそうだ。慾も得もない寝顔であった。 尾張藩の重役丹羽淳太郎がかけつけて来たのは、それから三十分ほどの後であった。岩倉がまだ熟 睡しているので、藤井九成が別室で応対した。 丹羽はただひたすら恐縮していた。 「全くとんだ思いちがいをいたしました。出兵の時刻をまちがえたのです。あやうく大事を破るとこ ろ、おわびの申上げようもありません」 藤井はあきれ顔で、 「それにしても、よく無事にここに来られたものだ」 ひくろうど 「いや、伝奏の使者につかまり、非蔵人口までよびつけられて、油をし・ほられました」 39 第二章出

9. 西郷隆盛 第16巻

ら、自ら公正を放棄することになる。 : 岩倉卿、そなたはこの山内容堂をつん・ほ座敷のデク人形と 思っているのか ! 御用がなければ、余は土佐に帰る。議定の職は今日かぎり返上し、帰国仕る ! 」 一座はしんとなった。帰国は容堂の切り札である。京都の玄関口で砲声がひびいている今、土佐の 藩兵が皇居守護を放棄したら、幕軍は百万の援助を得たことになる。酔いと怒りにまかせた放言であ るとしても、言葉に出した以上、実行しかねない奔馬のような殿様だ。勝利の鍵は容堂がにぎってい る。その鍵を慶喜に渡そうというのだ。 岩倉具視も中山忠能もかえす言葉を知らず、三条実美はただ青ざめてふるえている。大久保利通が 次の間で何か発言しようとして片膝を立てたが、岩下方平におしとめられた。だれもーー容堂自身も、 ちゅうとん 伏見駐屯の土佐藩兵の中に討幕派がいて、切腹を覚悟で幕軍と戦っていることは、まだ知らなかった。 「お待ちください」 越前春嶽の声であった。「私は容堂侯の帰国には賛成せぬが、事態をここに立ち至らしめた責任は痛 感しております。私は尾張侯とともに最後まで調停のため尽力したが、もはや万事は終った。 見 いかなる厳罰をも甘受する覚悟でおります」 っしんで議定の職を返上いたしたい。 伏 動揺がひろがった。春嶽の意図いかんにかかわらす、これは山内容堂に対する大きな援軍であった。羽 春嶽と慶勝が辞職すれば、伊達宗城も浅野長勲もそれにならうであろう。残るは薩摩の島津忠義だけ となる。 八 第 かぎ

10. 西郷隆盛 第16巻

中山忠能、正親町三条実愛、中御門経之までが青ざめた顔を伏せて沈黙している。ときどき大久保 の方をぬすみ見るが、近づいて声をかけようとはしなかった。頼りと思う三条実美はまだ姿を見せぬ。 彼らまで臆病風にさそわれているとは思いたくないが、慶喜の急反撃をみちびき出したのは自分た ちの責任であるかのように感じて、気落ちし、焦燥しているのは明らかであった。 その他の公卿たちの態度はいかにもよそよそしい。大久保と視線が合うと、厄病神を見たかのよう ちょうしよう に顔をそむける。諸藩の参与たちは明らかに嘲笑的であった。口にこそ出さぬが、「薩摩の横車もこ れでおしまいだ。武力だけが解決策ではないそ」とでもいいたげな目の色であった。土佐の後藤象二 郎はちょっとだけ顔を出したが、尾張と芸州の参与と何事か密談し、大久保の方に徴笑してみせて退 出した。「これで勝負あったな」という意味の笑いであろう。 大久保は岩下をふりかえって、 「岩倉卿と三条卿に手紙を書こう。あの二人に出てもらわぬことには、会議の結果は開かぬ先にわか っている。みんな旗を立て、伏見まで慶喜さまの御到着をお迎えに行けということになる」 「岩倉卿からは、先刻連絡があった」 なかねゆき・ズ 岩下は答えた。「自宅で越前の参与中根雪江と懇談中とのことた」 「その懇談があぶない。越前は土佐と同腹だ。辞官も納地も取消して慶喜を参内させ、要職につけよ うと企てている。もしそんなことになったら : : : 」 大久保は言葉を切って、顔をふせた。もしそんなことになったら、これまでの苦心が水の泡になる だけでなく、薩摩は朝敵あっかいされる。 163 第八章鳥羽伏見