奉行所 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第16巻
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1. 西郷隆盛 第16巻

白兵戦になれば、槍隊はおそるべき威力を発揮する。だが、その前に薩軍の小銃隊が反撃した。会 津の槍隊は砲兵陣地の二十間ほど手前まで来て、進むことができなくなった。槍を使わぬ先に、銃弾 りゅうだんほう に倒れる者が続出し、組頭の中沢常左衛門も戦死した。小銃隊と榴弾砲に対する槍隊の突撃は、素手 で白刃に立ち向うのと同じことだ。洋式戦法になれぬ林権助は用兵をあやまったようだ。 「敵にうしろを見せるか。恥を知れ、恥を ! 」 老奉行はあぶみに爪立ちして采配を打ちふり、声をふりしぼったが、その時、一発の銃弾が彼の陣 笠をふきとばし、乱れた白髪を風に流した。よろめいて、馬上にうつぶしたところを、別撰組頭の佐 川官兵衛がとびついて手綱をとり、奉行所の柵門の中に引き入れた。 「御奉行、お怪我は ? 」 「大砲隊は何をしている ? : たかが三門の薩摩の大砲を打ちくずすことができぬとは : 「向い風の上に、敵はくらやみの中から打ってまいります。小銃隊も狙いをつけかねているようでご ざいます」 奉行所の屋根が燃えつづけている上に、町の民家が火を発したので、味方の陣地は真昼のような明 るさになっていた。 老奉行は歯ぎしりしながら、 「槍隊の死傷は ? 」 「たいしたことはございませぬ」 「よし、突出するそ、いかなることがあっても、この陣地から一歩もしりそくな。勤皇を私する薩長 つまだ 180

2. 西郷隆盛 第16巻

山田喜久馬が答えた。 やまじもとはるさかいしげとし 「実は、ただ今、京都から、山地元治と坂井重季の小隊が到着いたしました。偵察を名としておりま すが、実は援兵であります。山地も坂井も板垣退助の同志です。 : : : 御老公と後藤象二郎は、たとえ 伏見ロで戦争が起っても、薩長と会桑の私闘であるから、土佐兵は絶対に参加するなと申しておりま すが、われわれは敢えて藩命にそむき、諸君と生死を共にする覚悟であります」 「む , 重、手口、、こ。 1 鳫ツ」—> 一三ロ子ー : しかし、まあ土佐藩には、なるべく幕兵と顔の合わぬ部署を守っていただこう」 山田は怒って答えた。 「その御心配は無用です ! 」 午後四時ころまで待って、伏見奉行所に返答を催促した。陸軍奉行竹中丹後守の名で、 『今般徳川内府殿、勅命により入京につき、先供の人数並びに会津、桑名共まかり通り候段、御案 内申し達し候』 という返事が来た。談判決裂である。 見 中原猶介が砲兵陣地にかけつけたのと、はるかな鳥羽街道の方向で砲声がひびきはじめたのが、ほ 伏 とんど同時であった。 羽 さくもん 伏見奉行所の柵門が八文字に押しひらかれ、幕兵が突出して来た。総勢約四大隊、騎馬五人、先鋒鳥 は会津兵と新選糾。砲兵陣地と奉行所の距離は二町しかない。 陣地まで三、四十間のところまで迫っ章 ひふた 第 て来た時、薩摩の砲隊は火蓋を切った。 そうろう

3. 西郷隆盛 第16巻

出撃の先頭に立っている騎馬武者は、砲弾に吹きとばされたはずの老奉行林権助であった。新しい 陣笠にかむりなおしているが、顔の半面は血と硝煙で真っ黒になっていた。負傷に屈せず、反撃の先 頭に立ったのだ。つづく槍隊の総勢五十人。おそらく生き残りの中から選び出した決死隊であろう。 「島津式部殿に物申す。これなるは会津中将の家来 : : : 」 老奉行の絶叫は、もちろん、桐野にも信吾にも聞えなかったが、槍隊がまっしぐらに島津式部の本 隊めざして突きこんで行くのはよく見えた。 「おいおい、あの奉行殿は、式部殿に一騎討を申しこむつもりらしいぞ」 桐野が言った。「こりや、勇ましいことだ」 「勇ましいのは結構」 信吾が答えた。「しかし、今は戦法がちがう。一騎討の時代じゃないな。式部殿は心得てござる」 式部隊は槍隊の突撃をさけて一町あまり後退したが、そこに横列をしいて、はげしく射撃しはじめ た。同時に右側の畑の中に長州隊が散開して、馬上の老奉行を狙い撃つ。馬は銃声と硝煙の中で棒立 ちになり、老奉行は落馬するかと思われたが、よく馬を乗りしすめて、槍をふりあげ、声をからして 部下をはげましつづけた。しかし、たしかに一騎討の時代ではなかった。槍隊の大半は槍を用いない羽 先に、銃弾に倒されてしまった。一発の砲弾が槍隊のまん中で破裂して泥と煙を吹きあげた。夜の烈 風が硝煙を吹きはらった時には、槍隊は四散し、奉行の姿も見えなかった。 ( 会津藩の戦史を飾 0 た老 第 奉行は、この夜の乱戦の中で重傷を負い、大阪から江戸にひきあける船中で死んだのであるが、それ は後の話である )

4. 西郷隆盛 第16巻

「まかなー」 「行かせてくれ。もしも勝利のきざしでもあったなら、お公卿さんたちの腰もきまる。御遷幸の必要 もなくなる。自分の目で見とどけて来たい。行かせてくれ ! 」 桐野利秋と西郷信吾は四十人の抜刀隊をひきい、御香院裏の丘の斜面に身をふせて、戦機をうかが っていた。奉行所も燃え、伏見薩摩屋敷も燃えていた。火災に照らし出されて、一進一退の戦況が手 にとるように見える。 桐野がいった。 「会津の御連中、なかなかおやりになる。そろそろ、こっちも行くか」 「待て、待て」 西郷信吾がのんきそうに答える。「いま出て行っては、中原隊と式部隊に相すまん。長州さんもよく やっているじゃないか。もうすこし、砲隊と銃隊に撃たせておこう」 奉行所正面の中原隊は、島津式部の本隊と林友幸の長州隊の応援を得て、よく戦い、会津槍隊の突 出をくいとめ、一度ならず柵門の中に追いかえしたが、会津軍もまた屈しなかった。銃砲撃がゆるむ と、隊を組みなおして、燃える柵門の中から出撃してくる。 「やあ、出て来たそ。あの奉行殿、まだ生きてござる ! 」 信吾がおどけた声を出す。「影武者かな。それとも幽霊か」 184

5. 西郷隆盛 第16巻

の奴らに、会津武士の骨の硬さを思い知らせてやる ! 」 槍隊の第二回の突撃は、さらに不運であった。火災の光を背にして、銃火の中にとび出して行った のだ。その上、敵陣には援兵が来たらしく、飛来する銃弾の数も二倍になっていた。柵門をとび出し よだげんじ たものは、カナ 、こつばしからなぎ倒されて、組頭依田源治が戦死した。 老奉行林権助もいつのまにか負傷していた。流が右の額をかすめ、流れ落ちる血で目をあけるこ とができなくなった。だれかに馬からひきすりおろされ、柵門に立てかけた畳のかげに押しすえられ 「引くな、一歩も ! 」 声はまだたしかであったが、血まみれの姿は味方の目にも手負いの老将の死物狂いとしか見えなか おたけ った。会津武士の一徹の生涯をこの一瞬にかけた必死のーー悲壮の名に価する奮闘であり、雄叫びで あったのだが : 戦争にも運と悲運がある。いや、戦争なればこそ、運がはたらく。この時、薩軍の破裂弾の一発が、 奉行所の玄関わきにつみあげた火薬箱に命中した。爆音と爆風の中で、老奉行のからだが横飛びに吹 っとんだ。会津藩の悲運であった。 西郷吉之助は東寺の本営にいた。相国寺から馬をとばして来たのである。 薩軍の総指揮官として、藩主島津忠義に従って藩邸の総本営にいなければならないのであるが、次 18 ] 第八章鳥羽伏見

6. 西郷隆盛 第16巻

「射て、今だ、うちくずせ ! 」 中原は采配をふりあげて、「風が味方しているそ ! 」 朝から強い北風が吹いていたのが、日没とともにはげしさを増し、幕軍の真正面をたたいている。 顔もあげられないほどの風力が、敵の照準を狂わせ、味方のために煙幕をつくる。予期しない援兵で あった。北風が強いことは知っていたが、それが実戦に役立とうとは気がっかなかった。 味方の大砲も小銃もよく命中しているようだ。柵門のまわりでは、死傷者が続出している。急に敵 陣の背後が明るくなった。奉行所の屋根が燃えはじめたのだ。味方にとって、これほど好都合な照明 はじめて砲兵陣地に歓声があがった。それまでは全員が歯をくいしばり、目をつりあげ、射撃に全 神経を集中して、言葉を発する者もなかったのだ。 その時、柵門の中から、裏金の陣笠をかむった騎馬武者にひきいられた一隊が槍の穂先をつらねて おし出して来るのが見えた。会津の槍隊にちがいなかった。 騎馬の隊長は会津藩の大砲奉行林権助であった。夜目にはわからぬが、老奉行は朱の胴当をつけ、 黒雲を描いた白地の陣羽織を着こんでいた。陣笠をとれば、白麻に似た白髪の老武者だ。従う槍隊は 総勢約八百。突撃の喚声は銃砲声をかき消すばかりで、中原隊の砲兵陣は今にも突破されるかと思わ れた。 179 第八章鳥羽伏見

7. 西郷隆盛 第16巻

九時をまわったころ、外国奉行の石川河内守が姿をあらわした。彼はひどくしょげかえっていて、 一晩のうちに十も年をとったかのように見えた。 「とんだことになりました。何もお手伝いできないのはお気のどくです」 「お気のどくなのは、君の方だ ! 」 サトーも向っ腹を立てていた。 「外交権は幕府にあると宣言しておきながら、外交団の保護もできない。 ているのだ ? 」 「さあ、それは : : : 申上げられません」 「例によって都合のいい御病気だろう」 サトーは皮肉を言った。「薩長軍は将軍の病気見舞を砲弾でするというわけだね。全くお気のどく な話た。砲撃はいつはじまるのか ? 」 「わかりません。今のところ、まだ敵軍は大阪市中に姿を見せていませんが、一刻も早くお立ちのき になった方が安全です。 : 船と人足を捜してまいりましよう」 サトーは石Ⅲ河内守といっしょに、城の大門の外まで行き、人足をさがして、小荷物の山を公使館 の裏手の川岸に運び出すことができた。そのあいだに荷船も五隻到着したので、パ ークス公使の機嫌 もなおった。 その日は淀川口の外人居留地まで下って、公使の一行は副領事館に泊った。 翌日になっても、まだ戦争が起った様子がないので、サトーが第九連隊の護衛兵をつれ、大阪城に いったい、慶喜公は何をー 214

8. 西郷隆盛 第16巻

吉之助は伊地知正治と相談して、一番砲隊長中原 猶介に鈴木武五郎と辺見十郎太の小銃隊をつけて、 急派しておいたが、それだけで間にあうかどうか ? 中原は砲術家で同時にすぐれた軍略家であり、鈴木 と辺見は齢も若いし、元気いつばいの銃隊長である しきふ から、これに伏見藩邸駐在の島津式部の兵を合せれ ば、相当な頑彊りを見せてくれるであろうが、それ も敵の出方と兵力次第だ。 中原猶介は伏見に到着すると、地形を偵察して、 御香院宮裏手の畑に陣地を築き、新式の四斤半施条 砲三門を据えつけた。砲口から二町とはなれぬ近距 さくもん 離に伏見奉行所の柵門があった。 おがさ 奉行所は柵門の外まで兵士であふれていた。小笠 わらいわみのかみ 原石見守を主将とする旗本兵約二大隊、新選組約一一 百人、ほかに藩籍不明の兵も一小隊ほどいるという。 旗本兵の中にはフランス将校に訓練された伝習兵も まじっているから、あなどれぬ兵力である。 元日は無事にすぎたが、二日の午後になると、完 せじよう 155 第七章逆 流

9. 西郷隆盛 第16巻

大砲隊長中原猶介は勝利を予期していなかった。敵の一万に対して、味方は二千たらす、そのうち 土佐兵二百はどこまで戦ってくれるか当てにならない 銃砲の数も敵が圧倒的であ「た。幕軍の主力はフランス式の伝習兵であり、薩軍はイギリス式を採 用しているが、その優劣は、まだ実戦で試したことはない。白兵戦になったら、音に聞えた会津の槍 隊と新選組の抜刀隊が物を言うであろう。 この強敵を撃減することは不可能である。どこまで食いとめ、どの程度まで持ちこたえるか、考え ることはそれだけであった。 いずれにせよ、第一砲隊は全減を覚悟しなければならない。伏見奉行所の柵門から二町とはなれぬ 距離に三門の砲をならべてあるのだから、まず敵の攻撃目標になるのは、この陣地だ。 果して会津藩の槍隊は突出して来ると見る間に、三、四十間の距離まで迫って来た。中原は目をつぶ さんだん りゅうだん る思いで金の采配をうち振り、霰弾二発、榴弾一発を発射させ、つづいて小銃隊に一斉射撃を命じた。 敵もただちに撃ちかえして来た。砲座のまわりに死傷者が出はじめたが、砲手たちは屈せず、三門 の大砲を守って砲撃をつづけた。 せんこうごうおん にお 閃光と轟音と血の臭いのする時間がたって行った。夢中で指揮をとっていた中原猶介は硝煙とタ闇 の中に、退却する敵兵の姿を認めたとき、自分の目をうたがった。たしかに敵は柵門の中に逃げこん でいる。くずれ立ったわけではないが、退却したことはたしかだ。 もちろん反撃のための退却であった。敵兵は奉行所の中から畳をかつぎ出して柵門に立てかけ、そ のかけから小銃を乱射しはじめた。

10. 西郷隆盛 第16巻

三日の正午をすぎたが、幕軍の本営からはなんの返事もなかった。 そのあいだに、兵力はますます増強され、伏見奉行所には、フランス式伝習兵約四大隊、士官らし い騎馬七名がくりこんだことが偵察できた。淀川筋は、豊後橋ぎわから町はすれまで、新着の諸藩の 兵ですきまなく埋められている。その数およそ四千。夕刻までにはその倍になるかもしれぬ。 しのはらくにもと かわむらすみよし 薩摩方にも、京都からの援兵が着いた。小銃三番隊篠原国幹組、四番隊川村純義組、日砲隊成田正 右衛門組ーー・約五百の精兵であったから、伏見駐屯の薩摩軍五百、長州軍四百、土佐軍三百を合せれ ば、ます戦えないこともなかろう。 島津式部は藩邸に各隊長と長州の林友幸、土佐の山田喜久馬を集めて軍議を開いた。 「鳥羽街道には、松平豊前守を将とする桑名、大垣の兵約五千が進軍中である」 中原猶介が報告した。「伏見口には陸軍奉行竹中丹後守を将とし、会津兵、伝習隊、新選組、志摩、 浜田藩兵を主力とする大軍がいる。その数は現在のところ確認できないが、おそらく明日になれば一 万を越えるのではないかと思われる」 「たとえ一万になってもお義理で集まった烏合の衆だ」 林友幸が言った。「戦うなら早い方がよい」 「わが軍の配備はすでに完了している」 「いつでも戦えるが、土佐はいかがであろう」 中原は答えた。 ちゅうとん 166