「加宮、君はそれでも学者のつもっか ! 」 「なに、なんと申された ? 」 「西洋人の古着を着て、かたことの英語をしゃべるのが学者じゃない 「ふん、たいした学者面だ。人みな酔える世に、我ひとり醒めたりか。よろしい。僕は君にくらべれ ば学者ではない。しかし、武士だ。お望みなら、武士たる証拠をごらんに人れよう」 加宮は開きなおったが、福沢はひるまなかった。 「僕は斬り合いは不得手だ。性にあわぬことは、ごめんだ」 「斬るとは言わぬ。しかし、西洋にも決闘というものがあると聞いた」 「それもごめんだ。学者のやることではない」 「僕は学者ではない。洋服は着ているが、歴とした庄内藩士た」 「庄内藩は江戸の治安の総取締という大役を仰せつかっている。君が庄内藩士なら、薩摩屋敷の浪亠亠 どもの、あの暴状を取締るがよい。勤皇に名をかる強盗どもを江戸市中のみか関東各地に野放しにし ておいて、何が庄内藩士だ ! 」 柳河春三が仲に入って、 「おいおい、福沢君。その言い方は学者らしくない」 箕作秋坪も腹立たしげに、 泥は君自身にもはねかえるぞ」 「われわれに泥をはねかけるつもりか。 味方ができたので、加宮藤三は洋服の胸をはってそりかえり、 28
砲手たちはおどりあがって、手をたたき、口々に叫んだ。 「やった、やったそ ! 」 フランス士官が加宮に言った。 「火薬庫たな」 「たぶん、そうでしよう。これでは、たいした戦争にはなりませんな。まもなく終るでしよう」 砲撃はつづいたが、邸内からは打ちかえして来ない。旧式の大砲ばかりで、すぐに役に立たなくな ったらしし 、。こだ、 , い銃隊だけが、はげしく応射していた その射撃のあいだをくぐり、 槍と太刀をひらめかせた浪士隊が突出して来た。三人、五人と隊を組 んで斬りこんでくる。庄内藩兵が左右に散ると、追い討ちはせず、三田通りを西に向って走って行っ た。双方ともに死傷者が出たようだ。乱戦の背後で、島津の定紋のある屋根の列が燃えあがってい 浪十隊は次から次へととび出して来た。その中の一隊が隣の阿波屋敷の塀を破って突入したので、 上の山藩兵は苦戦し、隊長の金子六左衛門が戦死した。 庄内藩兵は三田通りの赤羽橋寄りに集まった。退却したわけではなく、逃げる敵を逃がして、味方 さんべいがしら の犠牲を少なくするためであった。幕府撒兵頭の大平備中守が奥詰銃隊と別手組をひきいて応援に来 かっこう たが、これは全く戦意がなく、庄内藩兵の列のうしろで戦争見物という合好であった。 136
ていた。 正門の通用門から、羽織袴の男が飛び出して来た。四十歳をすぎた浪士風の男たが、庄内兵の方に 向って両手をあわせ、ペコペコと頭をさげている。 「あれは何だ ? 」 庄内藩兵の制服を着て陣笠で仮装したフランス士官がたすねた。 「助けてくれと言っているのです。あんなやつもいます。食いつめ者の浪人ですよ」 「不潔きわまる ! 」 「私もそう思いますよ」 加宮は答えて、連発銃を取上げた。「やりましようかね」 ひきよう その必要はなかった。砲兵の発射した直撃弾が卑怯な男の頭をふき飛ばしてしまった。 フランス士官が叫んだ。 「やあ、また来たそ」 今度は若い。まだ二十歳くらいの浪士が二人、通用門から出て来たが、群がる庄内兵のあいだを突 破して三田通りの方に向った。その後姿に向って、加宮は狙いをつけたが、 「やめときましよう。あいつらは勇敢だ」 と、連発銃をおろした。 そのとき、すさまじい爆音がひびきわたり、大地がゆれ、真っ黒な煙の柱が邸内から吹き上がった。 135 第六章薩邸焼討
篠崎彦十郎は答えた。 「たしかに浪士はいるが、それが果して劫掠乱暴をはたらいたかどうかは不明のことでござろう」 「お引渡しをこばまれるのですな」 「当方で取調べの上、お返事しようと申したのです」 「証拠は十分です。わが庄内藩は、御老中より貴藩邸に潜伏の浪士を受取れとの命令をうけ、受取り にまいったのです」 「これは心得ぬ。もはや幕府の老中には、そのような権限はないはす」 「えつ、何と申される ? 」 「徳川家はすでに半月前、大政奉還をなされた。したがって、慶喜公は前将軍と申上げる。将軍職で なくなった者の老中には発令の権限はないはず」 「わが庄内藩は江戸の取締方である。取締方まで廃止されたという布告は聞いていない。江戸取締の 資格において、乱暴浪士の引渡しを要求しているのです」 「当方としては、同じ返事をくりかえすよりほかはござらぬ。幕府には命令を発する資格はない。人 材ぞろいの貴藩の方々がこの道理をおわかりならぬとは不思議な話だ。特に、西洋の学問にもくわし い貴公がそのような : 「大政の奉還と江戸の治安は別物です。たとい将軍職は廃せられても、それに代るものができるまで は、わが藩は独自の判断をもって江戸の治安を維持する責任がある」 「独自の判断は、薩摩藩としても同じこと。当邸内のことには、当藩が責任を持ちます」 132
こ 三田屋敷の正門は、町家の屋根をへだてて芝山内の五重の塔と向いあっていた。黒塗りの破風づく り、銅葺き屋根。丸に十字の定紋を夜明けの光の中に浮きあがらせている。 霜をふんで、四藩の攻撃隊が藩邸をとりかこんだのは、六時すぎであった。まもなく太陽がのぼる。 雲ひとつない霜晴れの朝空。銃も太刀も素手ではにぎれないほどの寒気であった。 おどしよろいかぶと 総指揮は庄内藩の家老石原倉右衛門。白糸縅の鎧に兜、陣羽織、金色の釆配をにぎって、馬に乗っ じゅんら ている。従う隊士の服装は、市中巡邏のときと同じ半洋服のもの、和服に腹巻をつけているもの、稽邸 すきん 古用の革胴に鎖小手のもの。新整組の隊長らしい一人は羽織袴で宗十郎頭巾をかむっていた。家老石 しのび 原の鎧兜も仰々しすぎるが、宗十郎頭巾もいかにも殿様のお微行然として、調子はすれだ。 さや しかし、槍の鞘ははらわれ、小銃、大砲にも弾がこめられて、開戦の準備はととのっていた。庄内 とんしょ 藩士としては、薩邸浪士にさんざん手こずらされた上に、つい三日前の夜は、屯所を銃撃されて死傷 伝習士官を出したくらいだから、もし庄内兵の腰がくだけたら、江戸城の兵をくり出すだろう。相当 きびしく攻めかけて来ると思え ! 」 「益満、おぬしも翔鳳丸に行ったらどうだ。艦長が上陸してこの屋敷にいるから案内させよう」 「とんでもねえ。おれは佐和之介の顔をもう一遍見て来たいのさ」 糾合所の鐘が聞えはじめた。「全隊集れ」の合図である。 夜があけかけていた。 はふ 一三ロ
たがえて、藩邸の正門まで歩いて行った。なかなかおちついている。庄内武士の根性を見せてやると 福沢論吉の前で言い放った高言をそのまま実行するつもりらしい 隊士たちはかわるがわる扉をたたいて「開門、開門 ! 」とどなった。門内はひっそりとして返事が 「まあ、おれにまかせておけ」 加宮はすすみ出て、「庄内藩の軍使だ。デイプロマシイを行うために参った。そこにいる薩州藩の 者よ、篠崎彦十郎に取次ぎなさい」 扉のすきまから名札をさし入れた。 しばらくして、返事がかえって来た。 「加宮藤三殿に篠崎がお目にかかります。おはいり下さい」 右側の通用門が開き、加宮だけをのみこんで、びたりと閉された。 焼 薩摩屋敷の隣は阿波徳島藩の中屋敷である。上の山藩の隊長金子六左衛門は、この邸内にある火の邸 やぐら 見櫓にのぼり、部下の堤作左衛門に命じて見取図をつくらせていた。 章 屋敷の中が手にとるように見える。すこし見えすぎるくらいだ。広い中庭が十字形の土塀でしきら れているが、浪士団はその土塀と築山を陣地にするらしく、大砲をすえつけ、砲弾をはこんでいた。 指揮しているのは陣羽織を着て白鉢巻をしめた三十歳くらいの武士で、態度がきびきびして、まずあ
薩邸の浪士は、一時は五百人以上にふくれあがったこともある。国学に養われて、志操行状ともに 堅固清潔なものが中心であったが、多人数になれば、屑がまじる。ゆすりたかりが本業のようなただ かんちょう の食いつめ浪人も入りこんで来た。おまけに、幕府の間諜らしいのがまぎれこんで、ことさらに過激 けんか な議論をはき、血気の連中を煽動する。酒の上の喧嘩や女出入りもおこって、士気が乱れた。 きびしく取締って、屑を掃き出し、間諜の証拠があがった者は斬り捨てて、現在の浪士団は約二百 人あまりに整理されているが、もうこれ以上は、篠崎彦十郎の統制力でもおさえきれないところまで 来ていた。幕府が攻撃をしかけて来たのは、むしろありがたい。 「敵の主力は庄内藩だが、五百は越えまい。上の山藩が二百 : : : 」 益満休之助は指を折って、「鯖江と岩槻をそれそれ百と見て、総勢八百 : : : 」 「実戦の役に立つのは、その半分もあるまい」 若い相楽総三は眉をあけて、 「わが方には決死の三百人がいる」 「しかし、庄内藩士はわれわれを目の仇にしている。手荒く突きこんでくるだろう」 関太郎が言った。「鯖江藩の大砲隊はイギリス式で、これも手ごわい。楽観は禁物」 益満がうなずいて、 「大砲隊の指揮はフランス伝習士官がとる模様だ。シャノワンだとかプリューネなどという連中が、 二、三日前からさかんに動きまわっていた」 水原二郎がうなった。 かたぎ
「はつはつは、御両君。これが福沢という学者天狗のくせだ。僕は気にしない。僕は学者ではないが とんしょ 庄内武士の魂は持っている。薩邸の浪士どもにわが藩の屯所に鉄砲を打ちこまれては、そのままでは ひきさがれぬ。 : 福沢君、いまに見ているがよい。薩摩屋敷は、我ら庄内藩士の手で焼きはらう。 攻撃の陣頭には、不肖加宮藤三が立つ」 「よく咆 ~ 、ニワトリは卵を生まぬということわざがヨーロッパにはある。失礼 4 丿る」 福沢諭吉は出て行ってしまった。 薩摩屋敷ならぬ江戸城二の丸が怪火によって炎上したのは、その晩の夜明け方であった。 築地の桂川屋敷で、学者たちのヒョットコ踊りがつづいているころーーといっても、これには、た だの馬鹿騒ぎではかたづけられぬにがい味がある。そんな御時勢なのだ。彼らの胸底にも、福沢論告 と同じ怒りと憂いが重くよどんでいた。 おらんだじ 伊達や道楽で西洋学に志したのではない。桂川甫周も『和蘭字彙』の出版には命をかけた。柳河春 けいも ) 三の「洋学便覧』、神田孝平の『経済小学』も、この国の将来に貢献する啓蒙書として、識者のあいだ まっさっ では高く評価されている。だが、京都を中心にまきおこった逆流は、彼らの「文明への意志」を抹殺 しかねない勢いである。しかも、幕府は全くの無為無策、打つ手を知らぬ有様だ。将軍慶喜の態度そ五 第 のものからして不可解きわまる。徹底恭順か武力討薩か、道は二つしかないはずなのに、大兵を大阪 城にとどめたまま、いまだに右とも左ともきめかねている。 火
まず、加宮藤三が、 - 」要ノれ・や ~ 、 《うせき 「御邸内に、江戸市中を劫掠し。乱暴狼藉をきわめた浪士が潜伏している。その者どもお引渡しねが ぎ、西郷吉之助殿の指揮下に入り、第二の任務につく。 ・ : 京都の集合所は東寺。 : 万一途中離散 して京都にのぼることのできなかった者は、身命を大切にして、適宜に潜伏し、征東軍が関東にくだ る報を得たら、ただちに合流、朝廷のため御奉公の実をあげてもらいたい ・ : あとで勘定係が軍資 金を分配する。全員、半年くらいの潜伏には十分な金額である」 もちろん、この演説は火の見櫓の上の二人には聞えなかった。 「堤、見取り図は ? 」 「できました」 「すぐに写しをつくり、諸藩にくばる」 「あっ、庄内藩の軍使が表玄関に来たようです」 「どれどれ、あの西洋服の男か。 : 妙な軍使だな」 加宮藤三は大玄関の前で篠崎彦十郎と関太郎に迎えられた。江川塾や勝海舟邸でたびたび会ってい る顔見知りの間柄だ。 談判は前置ぎなしに始った。 とうじ 闇第六章薩邸焼討
第六章薩邸焼討 江戸城二の丸が炎上して三日目の十二月二十五日の早朝、まだ太陽ものぼらぬ時刻に、遊び人姿の 益満休之助が手拭で顔をつつんで三田屋敷の裏門からとびこんで来た。寒気がきびしく、庭も屋根も 雪と見まがう厚い霜におおわれていた。 なおす卩 さガらそうそら 藩邸の奥の間に、留守居役の篠崎彦十郎と関太郎、浪士隊長の相楽総三と水原二郎 ( 落合直亮 ) を集 「いよいよ来るそ。庄内藩のほかに、上の山、岩槻、鯖江の三藩の兵が動いている。赤羽橋のあたり ・ : 夜明けと同時に、大砲のお見舞いをうけるものと覚悟してもらおう」 は兵隊だらけだ。 いや、この日をもたらすために、 四人は顔色も動かさなかった。この日のあることを覚悟して 焼 火付け強盗の汚名をしのんで、薩摩屋敷という孤城を守りつづけて来たのだ。もし幕府がいつまでも邸 攻撃をしかけて来なかったら、百人の薩摩藩士と二百人の浪士団はただの「浮浪の兇徒」あっかいに されて、自壊してしまう。 「結構なことだ」 篠崎彦十郎が言った。「これで辛抱のかいがあった」 てぬぐい 一口