寛典 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第17巻
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1. 西郷隆盛 第17巻

西郷はじめ参謀たちは西の丸の大手門で馬を下りた。大玄関まで馬を乗りつけたのは正副両勅使だ けであった。 たやすごんちゅうなごんとくがわよしのり 玄関の式台には、衣冠を正した田安権中納言徳川慶頼が麻上下姿の重臣たちを従えて出迎えていた。 すべてが静かで整然としている。平和すぎて、うす気味がわるい。勅使の橋本卿は式台でつまずき、 片足の草履をはいたまま玄関に上がってしまった。雑掌があわてて草履をぬがせた。 大江戸城の威容ともいうべきものに押されて度を失ったのは勅使だけではなかった。西郷吉之助自 はいとう 身も式台に上がった時、佩刀の始末に迷った。刀は玄関で係りの者に渡すのが作法であることは知っ ていた。国主大名だけが刀を手にさげて奥に入ることを許されている。自分は大総督府の首席参謀で あるから、大名なみに振舞っても、今はとがめる者はいないかもしれぬが、それは潜越というものだ。 と言っても、丸腰のまま城中深く入りこんでは、万一の場合、おのれを守ることもできない。 子供のように当惑して、吉之助はぬいた刀を両手で胸のあたりに抱きこんだ。これなら、手にさげ たことにはなるまい。 若年寄の大久保一翁が先に立って、一同を大書院に案内したが、刀を抱いた吉之助の奇妙な姿をち 「いや、それは・ 「しないだろう」 行列は無事に虎の門と桜田門を通って江戸城中に入った。時刻は予定どおり正午であった。 せんえっ 129 第六章寛典

2. 西郷隆盛 第17巻

「和宮が固く婦道をお守りになって、徳川家と生死を共にしようとなされているのは美しい。見事な お覚た。だが、それと慶喜助命とは別だ。公卿や大名たちは、もう戦争は終ったと思っているのか、 慶喜助命の小田原評定をしているようだが、ここで手をゆるめたら、すべては土崩瓦解、皇権回復と 日本統一の千載の大機は去る。 : おそれ多いが、和宮がしいて寛典を御主張になるなら、朝敵の一 味だ。天璋院とても同様。江戸城と運命を共にすることを覚悟していただかねばならぬ」 吉井幸輔は溜息をついた。西郷という男の激しさに、改めて圧倒されたのだ。長いっきあいである ぼうばく から、この巨漢がただの肥大漢ではないことを、吉井は知っている。肥っていて、茫漠としていて、 言葉がすくなく、坂本竜馬流に一一 = ロえば、ちょっとたたいただけでは、馬鹿か利口かわからぬ。しかし、 よう 決して馬鹿ではない。大きくたたけば大きくひびく というよりも、この男の胸底には、桜島の熔 岩のようなものが煮えたぎっていて、噴出する機会を待っている。この男の大きな目は、常に事物の 根源を見つめているのだ。 今度もそうだ。西郷吉之助の何度目かの爆発である。公卿と武家の大部分は朝廷の勝利は確定した と思っている。錦旗東征は形式的なものであり、慶喜が恭順するならば、取りやめてもいいと思って いる。だが、西郷はそうは考えない。戦争はこれからであり、皇権回復のためには、徳川慶喜に死ん でもらわねばならぬと言う。和宮がもしあくまで慶喜の味方をするならば、敵の一味だと言い切っ がん

3. 西郷隆盛 第17巻

「いや、これは失礼。あんたの中されているのは、戦争に勝った者の慈悲だ。私の見るところでは、 江戸の戦争はこれから始まる。上野に集結した四千の彰義隊の撃減を考えるならば、三百の降兵が腹 をすかせようが強盗になろうが、こっちの知ったことではない。勝敗が決せぬ先の参謀局には仏心は 禁物。鬼と言われてもひるまぬ勇断こそ必要なのだ」 「あんたは戦争の鬼らしいな」 「慈悲と寛典は薩藩のお家の芸のようだが、その慈悲が幕兵どもを思い上がらせ、手のつけられぬ事 態にしてしまった。 : 西郷さんに伝えていただこう、もしこれ以上、彰義隊の討伐を延期するなら ば、私は京都にかえる。あとは勝手にしていただこう ! 」 ぷいと立上がって城中を退出し、そのまま帰って来ないのだという。 「あの福助野郎、軍師はおのれ一人みたいな大きな面をして : : : 」 きゅう 海江田は憤慨した。「降兵のことばかりではない。白河口で官軍苦戦と聞いた時、僕が臼砲四門を急 送したのを、越権だとぬかしやがった。越権どころか、おかげで伊地知、板垣の軍は急場を切りぬけ たではないか」 「海江田、事態は簡単じゃないそ」 吉之助は苦しそうに、「大村のうしろには、三条卿がおり、木戸孝允もついている」 「佐賀の江藤などというはね上がり者もいる」 「官軍の和を保っためには、他藩の意見も聞かねばならぬ。何といっても、大村は長州随一の軍略家 だ。戦争のことは、おれたちよりも詳しい」 つら ↓ 73 第九章彰義

4. 西郷隆盛 第17巻

のは二十三日。陪従は参謀西郷吉之助、林玖十郎、軍監江藤新平、小笠原唯八で、阿波蜂須賀藩の兵 約二百が警衛していた。 京都の太政官会議では強硬論が支配的であった。吉之助はさからわなかった。慶喜の恭順と海舟の 誠意を信じて、幕兵の処置は幕府にまかせよという意見は京都では通用しない。板垣退助の軍は東北 で、山県有朋の軍は北越で、それそれ苦戦を伝えられている。この実状を前にしては、寛典論が優柔 不断の拙策に見えるのもむりはない。ひとまず強硬論に従うべきであろう、と吉之助は考えた。兵は 機に臨み変に応じて用うべぎだ。おのれ一個の意見を固執する場合ではない。 大村益次郎は陸路を先発した。吉之助は三条卿を奉じて海路をとった。同船の江藤と小笠原は大村 とともに強硬論の火元であるが、呉越同舟などと笑うのは心がせますぎる。彼らとても幾度か危地に 入り、幾度か幽閉されて、今日に生きながらえた苦節の士だ。その一途な勤皇心と頼もしい行動力は うたがうべくもない。信じなければならぬ。もし慶喜、海舟を信ずるならば、これらの同志はいっそ う信頼すべきだ。 江戸城では、参謀海江田信義が待ちかねていた。吉之助の顔を見るなり、 「やあ、どうやら間にあった。どうなることかと思っていたそ。勝海舟という狸おやじは全く油断が ならぬ。あんたの麕守中にねじこんで来て、江戸城を慶喜にかえせという。とんでもない、そんな重 大事が出先の一存できめられるかとことわるだけはことわったが : 「狸ではない。海舟も江戸の鎮静に苦労しているのだ」 「苦労していることはよくわかるが、江戸城を渡すわけにはいかん」 のぞ

5. 西郷隆盛 第17巻

「おれも斬るつもりはない。しかし、軍律はきびしい。戦争とは無慈悲なものだ」 「よく心得ておこう」 吉之助は静かに答えた。「出発までに孫子も再読する。ただし、戦争は敵に対してもおのれ自身に対 しても無慈悲なものだ。五危と知りつつ、敢えておかさねばならぬ時もあろう。そこまでは、軍師の おまえも干渉しないだろうな、伊地知 ! 」 伊地知正治は、 「さて、話がきまったようだから、おれは行くそ。北陸道先鋒軍参謀の件で、また長州さんがごてて しる。いそがしい、いそがしい」 と出て行った。 吉之助は吉井をふりかえって、 「橋本卿の東海道先鋒軍が桑名の城を落しながら、なぜ一カ月近くもぐずぐずしているのか、理由は わかっているだろうな」 「そりゃあ、援軍を待っているのだ」 「とぼけるな、吉井 ! 」 「ほかに理由があるとは思えぬが : せいかんいん 「静寛院の宮の御使者が来ている。慶喜助命のための使者だ」

6. 西郷隆盛 第17巻

輪王寺宮 ( 後の北白川宮 ) は東叡山の法親王で、静寛院、 イ和宮とともに、江戸にいる二人の皇族の一人である。 「だれにかつぎ出されたのか知らぬが、大総督の宮にお 会いになり、征討軍を箱根以西にくいとめることが目的」 ~ 隊長たちはざわめいた。 「くいとめられてたまるものか ! 」 「朝敵ときまった今日、皇族をかつぎ出すとは権謀もは なはだしい ! 」 などと声があがる。 参謀海江田信義が膝をすすめて、 「いずれにせよ、輪王寺宮を大総督の宮に会見させたら、 事が面倒になる。江戸攻撃は中止にならないまでも、延 期になるおそれがある。われわれの軍略としては、速戦軍 先 即決、来月の半ばまでには江戸城に入城したいのた」 東 吉之助がひきとって、 「しかし、何と中しても宮様のことだ。幕臣を扱うよう章 にはまいらぬ。大総督の宮としても、お会いにならぬわ第 : なんとか箱根をお越えにならぬよ けにはいくまい 寺

7. 西郷隆盛 第17巻

「先生もお困りでしようが、私も弱っております」 西郷吉之助はつづけた。「長い東海道をはるばる江戸まで下って来て、一戦もせぬということになれ ひょうろう ば、兵隊どもはおさまりません。ひとつ、武器なり兵糧なり、お互いに足りんところは貸し合って、 ひろば 先生が徳川勢を指揮し、私が官兵を指揮し、なるべく町をはなれた広っ場で一合戦やって勝負をつけ ることにしましようか」 「あっはつは、それは名案。江戸の市民も助かるね。 : たが、西郷さん、その返事も明日まで待っ ていたたこう。今日は処分案とは関係のないことを一つだけ中上げる。静寛院の宮の御事だが、これ いるかは、西郷さん、あんたと私とちょっと地位をかえて下されば、わかるはずた」 「いかにも。・ : ・ : 御心中、お察し申します」 「しかし、あんたが参謀で来てくれると聞いて、実は大いに安心していた」 「こりゃあ、どうも。 : 先生にそこまで信用されたのでは、私は兵隊をまとめて箱根の向うに引き あげねばなりません」 西郷は首筋に右手をあてて、大声で笑った。 海舟も笑いながら、 「そう願えれば結構たが、せつかくここまでおいでになったのを、お引きとり下さいとは、 でも言えないね」 いくら私

8. 西郷隆盛 第17巻

かったようである。軽くあしらわれたと思ったのか、言葉もはげしく切りこんで行った。 「先生はどこまでも戦争を望まれるのですか ? 人を殺すことを専一となさるのですか ? ・ : それ では王師とは申されませぬ。天子は民の父母であります。公正無私、理を理とし、非を非としてこそ 王師でありましよう」 西郷はおどろいたように目を見はって山岡を見た。 「これはひどい。人殺しあっかいはひどい」 「しかし、この急進撃を見れば : 「山岡先生、私とても、戦争と進撃のみを好む者ではない。慶喜公恭順の実効さえ立てば、無理を押 そうとは思わぬ」 「実効とは ? 」 「寺に逃げこんで坊主のまねをしているのが恭順ではありません」 「わかりました。恭順実行の箇条ーーそれをお示しください。主人慶喜においては、朝命にそむく心 はいささかもござりませぬ」 西郷はうなずいた。 「山岡先生、あんたの言われることはいちいちはっきりしていて、たいへんありがたい。先日来、静 寛院と天璋院の御使者が来て、いろいろと申したが、ただ嘆願するだけで、何をどうしようというの かさつばりわからなかった。 : あんたがここまで出張して、はっきり物を言ってくださったので、 慶喜公の心事も江戸の様子もわかって、大いに助かった。さっそく大総督の宮に申上げる。本営まで

9. 西郷隆盛 第17巻

も江戸の贅沢と豪奢がそのまま移されていた。遠州風の庭も見事で、泉水をかこんで春の花々が咲き くりの二階家があった。 乱れ、池の向うの桜木立の中に、新築したばかりの御殿づ その二階家を橋本総督と柳原副総督の宿所に当て、西郷吉之助をはじめ武家参謀と隊長たちは古い 母屋を詰所ときめた。兵隊は近所の寺と民家に分宿している。 到着のその夜から、吉之助の身辺はいそがしくなった。江戸に潜入させておいた密偵たちが帰って 来て、いろいろと情報を入れはじめたからだ。 密偵の中の変り種は中井弘であった。もともと薩摩藩士だが、薩摩の士風をきらい、若いころ脱藩 やまのうちょうどう して江戸に行き、山内容堂の保護をうけてイギリスに留学、帰国後はその新知識によって土佐藩の外 ごとうしようじろう 交顧問のような役を演じていた。特に後藤象二郎と親しく、大政奉還の際には、後藤の懐刀として、 いじゅういんかねひろ のずしずお 西郷を敵にまわした形になったので、桐野利秋、野津鎮雄、伊集院兼寛などの荒武者は、「中井、斬る べし」と息巻いたほどである。 形勢の急転を察した後藤象二郎が討幕論に乗りかえると、中井弘は京都の薩邸にのこのこと姿をあ らわして、 「どうです、西郷先生、僕はこれから横浜と江戸に行って来ますが、何か御用はありませんか ? 」 「おまえに何の用がある ? おれは後藤象二郎という男がきらいだ」 「後藤は西郷に負けたと自ら認めていますよ。目先のきく男です。一種の先見ですかな。あれはあれ章 で使い道があります」 「おまえも、そういう男だ ! 」 おもや せいたくごうしゃ ふところがたな

10. 西郷隆盛 第17巻

義隊も脱走した大鳥の陸軍も榎本の海軍もおさまると中されるが、そううまく行くかどうか ? 武士には意地というものがある。たとえ徳川家に百万石の家禄を与えることにしても、飯米だけで人 間の胸がおさまるものかどうか ? 」 「私が旗本だったら、おさまりませんね。たとえ奥州、北海道の果てに追いつめられても戦います」 「そういうことになる」 「しかし、海舟先生も山岡鉄太郎も何とか彰義隊をおさえようと必死です」 「おれも京都をおさえに行く。努力はしてみるつもりだが、おさえることができない時は、戦争にな る。海舟先生にも、その覚悟をしていただきたいのだ」 外は雨になったようだ。海からの風がはげしく雨戸を鳴らしはじめた。 かろく 149 第七章動乱