「それはまた、たいへんなことになったものだ」 「前途多難。もはや寛典などと言っている時ではありますまい」 「そうかもしれぬ」 きんき 吉之助は苦しそうに、「寛典がまちがっているとは思わぬが、錦旗にさからう徒党は討伐せねばなら はんと ぬ。しかし、彰義隊をはじめ、江戸にのこっている旗本たちは、ただの叛徒だとは思えぬ。徳川家の 処分はまだきまらず、幕臣たちは収入を失って、その日の暮しにも困りはじめている。不満を持つの も当然だろう。おまけに、江戸の官軍は早くも驕兵となって、士民の反感をかき立てるようなことば かりしている」 山県はどきりとしたようだが、吉之助は吉原の事件にはふれなかった。 「私は、徳川家に百万石、少なくとも七十万石くらいは返してやり、幕臣の生活を保証してやらなけ れば、この騒ぎはおさまらぬと考えている」 「今となっては、それも宋襄の仁。泥棒に追い銭ではありませんか」 「山県さん、私も戦争は覚悟しておる。もしあんたが、奇兵隊をひきいて北越に出陣するなら、私は 京都に滞陣中の薩軍をひきつれて、もう一度、江戸に帰ってくる。彰義隊を一挙にけちらし、長駆し ・ : ただ戦争 て会津城を衝く。その決心はすでにつけている。しかし、事の大本を立てておかねば、 に勝っただけでは、敵は従わず、民も治まらぬ。戦乱に戦乱がつづくだけのことであろう。私は寛典 という大方針は捨てぬつもりだ」 「わかりました。よく心得ておきましよう」 っ そうじよう 151 第八章逆風
吉之助が山県に会ったのは、第一回長州征伐の始まった元治元年の冬であった。山県は主戦派の急 先鋒で、奇兵隊をひきいて藩内の俗論党と戦い、三条実美以下の五卿を奉じて長府の功山寺に陣取っ さいしょあっし ていた。幕府側の征討軍参謀西郷吉之助は、吉井幸輔と税所篤だけをつれて真冬の馬関海峡をわたり、 山県に会いに行った。決死の潜入であった。五卿を薩藩に引渡して九州に移せば、国境にせまった征 討軍を即時解散させ、無用の戦争を必ず中止させると言って山県を説得し、そのとおりに実行した。 四年前の話である。 さかな 戦陣の旧友は、ペンキの匂いのする船室で、下男の熊吉が仕度した酒を、小アジのタタキを肴にく みかわしながら、 「西郷さん、あんたはあの時も寛典論だったが、今もまた寛典論だ。いつも戦争のまっ先に立ち、単 身死地に入るような危い芸当をやりながら、寛典論だから、おかしな人だ」 「なるほどな。そう言われてみれば、たしかに、おかしい。われながら奇妙だ」 「自分で感心することはないでしよう」 「それよりも、山県さん、私には時勢の変遷というものの方が、もっと奇妙に思えてならぬ。昨日の うら 味方が今日の敵、明日はその敵が味方にならぬともかぎらぬ。これでは、うつかり怨みは結べない。 慶喜公と久光公にしても : : : 」 「徳川慶喜がどうしました ? 」 八 第 「まだ一橋慶喜と呼ばれていたころ、われわれは斉彬公をいただき、慶喜公を将軍の位につけようと 大騒ぎをしたものだ。その騒ぎが結局安政の大獄をみちびき出し、橋本左内、吉田松陰を始めとする新
「皆様、お立ちですよ」 「やあ」 居眠りをしていたとはー 吉之助はあわてて立上がり、退出する勅使と参謀たちのあとにつづいた。 131 第六章寛典
「佐賀の江藤などという連中ではないか」 「まあ、そんなところだ」 「公卿というのは三条卿か ? 」 吉井は苦笑して、 たく 「おまえ、江戸にいたくせになかなか詳しいな。中川宮と越前の春嶽をかついで何事か企らんだ悪質 なやつもいた。それにくらべると、江藤や大村益次郎には悪意はない。寛典寛典と言っていると、幕 兵にあなどられるばかりだから、早くたたきつけろという議論た。三条卿ならずとも、これには賛成 するそ」 「おまえも賛成か ? 」 「江戸の官軍の評判はよくない。 というのは、おまえのやり方に疑問をもっている者が京都には多い ということだ。まあ、怒らずに聞け。 : 一兵も損せず江戸城を手に入れたまでは大出来だが、その とんしゅう 先がさつばり進まぬ。江戸には彰義隊とか称する連中が屯集して荒れまわっているそうではないか。 彰義隊を江戸に残したのも、海軍を逃がしたのも勝海舟の陰謀で、おまえは勝の舌三寸にまるめられ 「吉井、それは小人の邪推だ」 「世間には小人の方が多い」 「木戸は何と言っている ? 」 「それが、はっきりしないのでな。大村益次郎という軍師をつれて来たのは木戸だ。その大村が江藤 160
「おれは遷都の前に、陛下の江戸御親征を願いたいと考えたのだが、とてもとても : : : 」 「おまえが痩せるのはもっともだな。しかし、京都のことは、まかせるよりほかはない。おれはまず 江戸をおさめなければならぬ。江戸の町を焼いてしまったのでは、遷都もできまい」 「そのとおり」 大久保は客をおいて、「江戸を焼かぬためには、寛典が必要だ。おれは慶喜助命に賛成だよ」 「おお、賛成してくれるか ! 」 「はつはつは、厳罰論の家元はおまえた。その家元が寛典論になったと聞いたら、木戸孝允も喜ぶだ ろう」 吉之助はおどろいて、 「なに、木戸が喜ぶ ? 長州人の慶喜に対するみは深い。許すはずはないと思っていたが : 第二回目の長州征伐を自ら指揮したのは慶喜である。長州を代表する木戸が慶喜助命に賛成とは意 外であった。 大久保は微笑して、 「つい十日ほど前のことだが、長州侯の名で丸山の丸山楼に、木戸はわが藩公をはじめ在京の諸侯と 重臣たちを招待した。おれも出席したよ。にぎやかな宴会で、一同大いに歓をつくして散会したが、 とおれはにらんだ。というのは、その席で慶喜攻撃の言葉は長州人の口から ただの懇親会ではない、 118
三条実美が心配そうに、 「実は、西郷、関東の戦況は官軍にとって必ずしも有利でないとのことだが、そのような事実がある のか ? 」 「戦争はまだ起っておりません。甲州方面の小戦闘のことなら、官軍の大勝利でございます。だれが そのようなことを : : : 」 木戸孝允がひきとって、 「横浜で発行されている外字新聞にのっているそうだ。兵庫の伊藤博文から報告が来ている」 「根も葉もない風説。もし事実なら、私は江戸で戦っているでありましよう。 兵火の江戸を留守にし て、慶喜助命のために上京するようなことはいたしませぬ」 「なに、慶喜助命のため ? 」 「戦禍をふせぐためには、慶喜の恭順を認め、死一等を減することが最良の道。 : : : 外字新聞がその ような虚報を伝えるのも、彼らが日本の内戦を望んでいるからです。外国の術中におちいることは、 お互に厳重警戒の必要がありましよう」 あんど 吉之助の上京の目的が慶喜助命であることがわかると、出席者の表情に安堵の色があらわれた。大 久保の予見した通りであった。木戸孝允が乗出して、寛典論を唱えはじめたので、会議はおのずから、 吉之助の望む方向に動いた。後藤象二郎も木戸に同調した。彼は吉之助の助命論を軟化とみて、内心 ひそかに自分の先見を誇っているように見えた。 ただ、会津、桑名両藩主の叛意は明らかであるから、抗戦の気配を見せたら、ただちに撃減すると はんい 121 第六章寛典
第一章五危 第ニ章東海先鋒軍 * 第三章猛虎 * 第四章江戸の黄昏 * 第五章対決 第六章寛典 * 第七章動乱 猛虎の卷 * * * * 目欠
吉之助は真顔で、 「大久保、おまえは慶喜助命に反対なのか ? 」 「反対とは言わぬ。しかし、わが薩摩藩は武力討伐論と厳罰論で他藩をひきすって来た。それが寛典 論に急変したのでは筋が通らぬ : : : と言われても、弁解の道があるまい」 「慶喜は恭順している」 「どうだかな。慶喜一人が恭順しても、幕府の陸海軍がおさまるまい」 : しかし、恭順している者をたたくわけにはいかぬ」 「おさまらぬ奴は断乎としてたたくー ークスに使者を送ったそうだな。万国公法が何だかだと 「村田新八から聞いたが、おまえは横浜の。 ( 説教されたそうではないか」 吉之助は赤くなった。くるしそうに眉根にしわをよせて、 「イギリスを味方だと思ったのは、とんでもないまちがいだった」 けんせい ークスだ」 「しかし、フランスの幕府援助を牽制してくれているのはパ 「それは朝廷のためでも薩摩のためでもない。イギリス、ただイギリスの利益のためだ」 「イギリス公使としては当然だろう。そんなことは、おまえは最初から見抜いていたはずだ」 「見抜いていたつもりだったが、東海道を進軍しているあいだに忘れてしまった。江戸攻略をあせり すぎて、後門の狼の恐ろしさを見落した。虎狼の牙と爪をのばして日本を狙っている点では、イギリ ークス スもフランスもロシアも変りはない。外国にたよることの危険を百も承知のはずのおれが、。ハ の力を借ろうとしたのは、その罪、万死に価いする。ただ恥かしいと言ってすむことではない ! 」 ころう 115 第六章寛典
「では、西郷さん、談判に入ろうか。今日の私は軍使だ」 海舟は懐中から書類を取出して、「城中の意見を・ ここに箇条書にして来ました」 「まあ、勝先生、お茶でも飲んで : : : 」 吉之助は若侍がはこんで来た茶菓をすすめて、嘆願書をながめ、 「ほう、これは長い箇条書だ」 「勝手なことをならべてあると思われるだろうが、幕臣としては、ここらが、ぎりぎりのところ 「第一条、慶喜公は隠居の上、水戸藩へ : : : 」 「左様。山岡鉄太郎も中したとおり、備前藩には渡されませぬ」 あけわた 「勝先生、江戸城はまちがいなく開渡してくださるでしような」 「もちろんのこと。そこに書いてあるとおり、武器と軍艦もお渡しする」 「ここには、慶喜公寛典のことがきまった上で引渡すと書いてあるが : 「そう書かねば、おさまらぬ。そこは察していたたきたい」 「勝先生、しかとうけたまわりました」 いや、意見ではなく嘆願の筋をとりまとめて、 105 第五章対
ま御 す御 っ家れ私 の黙 く す く と 御 許わ 、だ 成 なれ 甲、に 兵た 人 は乱 あ 。た 、子 し鳥 、厳れ慶 を特 は喜 さ て木 つ罰 れ 徒は て論 て 。根 の輩 の顔 だ朝 る 、廷 。な っ郷 た い恭 だ ミ之 そ重え 旧 味 / の者 の 時十た 期重え 公 卿 あ今 を逆 と 女 ら道 ど も 甲、美 の 垣 根 い拝 は 郷そ 何 摩厳 と か 対論 し て 取 り の か 119 健 康 な の だ て く れ る が お は し て 望 ま ぬ ま だ だ で は な と て 第六章 と て と て も 九きか 重 の 垣 は 固 は だ 実 は を り は 力、 う と 寛 の ぬ れ さ は 謁 ー 1 だ機久 も拝嫌保助 う る し と も れ 承 つ て い る 典 主 上 の は い か が だ 之 は ふ と 様出小 た よ う に 膝 を 正 し て 士庭沈 若 葉 の 中 が 来 て る が つ い た れ も 気 が づ楽話 に な っ ナこ 安 心、 し て 大 阪 行 幸 の お 供 が で き る か れ ば は き ま っ よ う な も だ 目 日 に も 参 内 し て 朝 議 力、 る と に し で 大 ク、 保 をよ 大 笑 し た が す ぐ に 真 に て し か し り が い と 西 典 と は は お れ は 罰 言侖 ク ) 兀 は 西 助 だ と の 今 で ハこ、 ′つ た と お は州た蔵な 木 尸 、厳 本 家 は 薩 藩 だ と 甲 ん で い よ う 本 は っ長見 と お 甲 し、 た は ノし、 を 企 る と う 意 も オこ は る 制 た な は 出 ′つ に に 順 し を か し と る の