第九章彰義隊 から 三条実美がまずおどろいたのは、江戸の治安悪化ではなく、大総督府の金庫が全く空になっている ことであった。 まさかこれほどだとは思わなかった。帰順した諸藩の献金もあり、江戸城開け渡しの際には、相当 な金が手に入ったものと思っていたのに、幕府の御金蔵は空であったのだという。諸藩は自分の出兵 を賄うのが精一杯で、形ばかりの献金はあっても、大総督府の台所には焼け石に水である。 三条実美は京都の岩倉具視に手紙を書いた。 『金子ごくごく払底、もはや軍費もほとんど使いはたし、困苦仕り候間、模様により、外国より借 たまわ 用仕るべく、この段お聞きおき給るべく候』 岩倉具視はあわてて大久保利通らと相談の上、次のような返事を書いた。 きようく 『金子大払底のおもむき、さてさて恐懼中しようなく候。 : : : 第一の会計が右の様にては、臣らはじ め政府の徒、実以って相すまざる次第に候。さりながら、やや都合も相付き、四、五日中に金十万両 まちがいなくお送り中上ぐる見込みに御座候』 これで外国からの借金はくいとめることができた。危いところだ。 きんす まかな つかまっそろ 170
などと同調して、盛んに即時討伐論を唱えている。つまり反西郷だな。大村や江藤を動かしているの が木戸だとすれば : 「木戸はそんな卑劣な男ではない」 「おまえは昔からよく人を信じる男だ」 「人を信ぜずして何ができる ? 」 「よしよし。おれも木戸を疑っているわけではない。しかし、意見の相違はさけられぬ。大久保とて もおまえと同意見とはかぎらぬぞ。京都の会議は難航すると覚悟しておけ」 その翌日の午後、寺町の岩倉具視の屋敷に、西郷、大久保、吉井の三人と長州の広沢真臣が集った。 いずれ天皇の御還幸を待ち、三条、木戸、後藤などの顔をそろえて太政官会議が開かれる。そのため の予備会議のようなものであった。 吉之助がまずおどろいたのは、江戸の治安の悪化と房総方面における幕兵の抵抗が誇張して伝えら れ、敗北した官軍は江戸城を慶喜に開け渡して退却するーー・その交渉が西郷と勝のあいだで行われた、 と岩倉具視も広沢真臣も思いこんでいることであった。 広沢は木戸の手紙を一同に示した。 「江戸城放棄こよ 冫。いかなる軍略上の理由があっても同意できない。まだ江戸城に入らぬ先なら、賊軍 の動静次第で適当に進退してもよいが、一度手に入れた城を放棄することは、味方の士気に影響する 161 第八章逆
逆 天皇の御還幸に陪従して、三条実美、後藤象二郎、小松帯刀らは京都に帰って来たが、木戸孝允は弋 姿を見せなかった。 切支丹問題の処理のために長崎に行ったということになっているが、何か裏の事情があるようだ。 広沢が、 「西郷さん、あんたはまだ異議がありそうだな」 吉之助は広沢には答えず、岩倉の方に向きなおって、 「岩倉卿、あなたは徹底的にたたくと申されたが、たたいてすむことかどうか、よく考えていただき たい。寛永寺の彰義隊を輪王寺宮もろとも焼きはらうことは、明日にでもできる。必ずしも援軍を必 : しかし、武士というものは、斬りつければ斬りかえす。いま、江戸の処置をあや 要としません。 まったら、東北と北越の動乱は十倍、百倍に拡大する。私はそのことを心配しているのです」 「こりゃあ、堂々めぐりだな」 吉井幸輔が取りなし顔に、「結局、みんな同じことを言っているのだが、江戸の実状を見た者と見な い者で意見がわかれているのではないか。だれかに西郷といっしょに江戸に行ってもらうことだな。 大久保、おまえ行かぬか ? 」 岩倉具視があわてて、 「そりやいかん。いま、大久保に留守されたら、京都はめちゃくちゃになる」
「はは亠め」 かずのみや 静寛院は孝明天皇の御皇妹で、将軍家茂の御後室として江戸城中に残っている和宮のことである。 はしもとさねゃな 橋本家は和宮の御生母を出した家であるから、血縁が深い。慶喜助命の嘆願書は橋本実梁の手を経て さんじようさねとみ 三条実美におくられた。 「三条卿も岩倉卿もぐらついている」 きんき 吉之助は言った。「その他の公卿の中には錦旗の進発を中止せよという軟論さえ出ているという。 とんでもない話だ ! 」 「なるほどな」 「ここで慶喜の恭順を認めたら、越前と土佐あたりから、必ず寛典論が出る。春嶽公も容堂公も慶喜 の味方た。慶喜自身には罪はないかもしれぬ。その恭順もまがいものではないかもしれぬ。しかし : お気のどくだが、慶喜公には死んでもらわねばならぬ ! 」 「叔す - つもりか ? 」 「血縁をたどれば、慶喜を出した水戸家も皇室とつながる。また、因州と備前の藩主は慶喜の弟。現危 くわなさだ なりあきら おわりよしかつあいすかたもり てんしよういん に江戸城中にいる将軍家定の御後室天璋院は、わが斉彬公の御養女だ。尾張慶勝と会津容保、桑名定 あり たか ・ : それを思えば、とても戦争などできるものではない。和宮は親征大総督有五 敬の三人は実の兄弟。 いわくらともみ すがわたるひと 栖川熾仁親王とは御許婚の仲であり、その生木をさいて御降嫁を実現したのは、ほかならぬ岩倉具視章 第 であった。 : 和宮の嘆願書を見て、岩倉卿がぐらっくのは無理はない」
ただごとではなかった。山岡鉄太郎は、益満は江戸の町が焼けることを惜しんでいるのだと言った が、そんなものではない。勝海舟は死相と言ったそうだが、益満の表情に現れているのは、死相では ぞうお なく、絶望的な怒りであり、憎悪であった。 燃えるような目つきで、しばらく吉之助をにらみすえていたが、 「先生、あなたはよくもあの二人を見殺しにしましたね」 「よこっ ? 」 「そんな人だとは : : : そんな冷酷無残な人だと夢にも思わなかった ! 」 「益満、何のことを言っているのだ ? 」 「知らぬとおっしやる。そうですか、そんなものでしようかね」 益満はあぐらをかき、尻をまくりかねないふてくされた姿勢になって、「江州だか信州だか、どこか そこらあたりで、伊牟田尚平と相楽総三が斬られましたね」 「なに、あの二人が ? 」 「斬ったのは、幕軍しゃない。東山道総督府 : : : 総督も副総督も岩倉具視の息子で、参謀の中には薩 「おお、おまえ : 、・ : ど、どうしたというのだ ? 」 遊び人風に着流した着物がびしょ濡れになっているだけではない。髪は乱れ、皮膚は黒ずみ、血走 った目が死人のように、いや墓場から出て来た幽鬼の目のような不気味な光を発していた。 199 第十章霖雨
きんただ 参議正親町中将公董 きんなり 西四辻大夫公業 西郷吉之助 林玖十郎 錦旗奉行穂波三位 かわはた 河大夫 東海道先鋒兼鎮撫総督府 さねゃな 総督橋本少将実梁 さきみつ 副総督柳原侍従前光 参謀木梨精一郎 かえだのぶよし 海江田信義 東山道先鋒鎮撫使 ともさだ 総督岩倉大夫具定 ともつね 副総督岩倉八千丸具経 参謀板垣退助 ちじまさはる 伊地知正治』 ふそろ 廊下に不揃いな足音をひびかせて、背のひくい男が部屋に入って来た。足はちんばで、目は片目、 顔はあばたでゆがんだ異相の軍略家伊地知正治であった。 一口 一口 一口 ロロロ おおぎまち たまじゅうろう 0
う条件をつけて、朝議は決定した。岩倉具視が嘆願書の答書を書き、上奏して宸裁を仰ぎ、吉之助 に下付した。 その夜は、大久保利通の宿舎に泊って、夜の明けるまで語り合い、主上の大阪行幸をはるかにお見 送りして、吉之助は出発したのである。 駕籠の中でも、途中の宿舎でも、ただ眠りつづけた。江戸が戦火から救われたとしても、それで戦 争が終ったとは考えられない。しかし、人事はつくした。あとはただ天命を待っ心境であった。 二十五日に駿府に着き、有栖川大総督の宮に拝謁して、徳川家処分の全権委任を取付け、箱根では 先鋒総督橋本実梁卿に朝議の決定を伝えて、全軍進発の手順を定め、江戸高輪の藩邸に入ったのは、 三月も終りの二十九日であった。 藩邸には、益満休之助が待っていた。勝海舟の内命をうけて、三日前から泊りこんでいたのだとい 「先生、御無事で何よりです。海舟先生もたいへん心配しておりました」 「そうかな」 「江戸もだんだん物騒になって来ましたので、道中万一のことがあってはと : 「道中は無事であった。江戸はそれほど騒いでいるのか」 「なにしろ官軍の勢いが強すぎますからね。どいつもこいつも肩で風を切っている。我が物顔とはこ しんさい 122
づたのか ? 」 「そう、式も宴会もにぎやかだった」 ークスは 広沢は答えた。「祝砲も発せられたし、軍楽隊の演奏もあったが、そのあとがいけない。パ きりしたん 三条卿と木戸の宿舎に乗りこんで来て、長崎の切支丹の処分について難題をもちかけた。浦上の切支 丹がフランス宣教師どもに煽動されてわが内政にいろいろと不都合な所業を行っていることをパーク スは知っているはずだ。知っていながら、信教の自由とかを楯に文句をつけた」 吉之助は当惑してだまりこんだ。 大久保が引きとって、 「広沢さん、信教の自由とかについては、西洋人は特にやかましい。切支丹のこととなると、目の色 を変える。この間題は別に考えた方がよかろう」 「いや、寛典などと称して旧幕府に弱腰を見せると、外国はますますつけこんで来ると私は中してい るのだ。この際、江戸城を慶喜の手にかえすなどとは以ってのほか : 「西郷はそのようには申していない。ただ勝海舟の嘆願を取次いだだけだ。 : : : 私は木戸さんと同じ く決戦論だ。海舟の要求は虫がよすぎると思っている」 岩倉具視が口を切った。 「余も大久保と木戸の意見に同意する。勝海舟は官軍には江戸と関東を鎮撫する実力なしときめてか かっているようだ。力を示さねばならぬ。まず徹底的にたたくことだ。徳川家の処遇はその後にきめ ればよかろう」 164
豊瑞丸はちょうど一週間かかって、四月五日の朝、大阪に入港した。慶応四年は閏年にあたり、同 じ四月を二度くりかえす。 こまったてわき 小松帯刀と吉井幸輔が波止場まで出迎えてくれた。天皇はまだ行幸中で大阪東本願寺に御滞在にな っており、三条実美、木戸孝允、後藤象二郎らが供奉しているが、岩倉具視と大久保利通は京都だと 。関東と北越の戦況を反映してか、大阪の空気もまたあわただしかった。 木戸に会いに行くという山県と福田とは波止場で別れ、ひとまず蔵屋敷に入ったが、腰をおちつけ るひまはなかった。たれよりもまず大久保に会わねばならぬ。小松に頼んで早船を仕立ててもらい - 吉井幸輔とともに淀川をさかのぼった。 船中での吉井の話によると、京都でも薩摩に対する風当りが強くなったようだ。日和見をきめこん弋 第 でいた諸藩が続々と出兵しはじめたので、早くも勢力争いのようなものが始まり、中には公卿をかっ いで薩長離間の陰謀めいた動きを見せる者も出てきたという。 「全くの初陣で、ただの兵隊だ」 「しかし、あんたの弟御なら : : : 」 「それはいけない。家柄や縁故だけの隊長や総督が多すぎる。お公卿さんだけでなく、わが藩にも家 老の息子がいきなり隊長になって、てんで役に立たぬのがいる。吉次郎も小兵衛も前線に出たらまご ・つくことでしようから、まあ、名前だけでもおぼえておいてやってください」 ひょりみ うるう
労働者をハワ 2 ・ 土佐藩兵、堺港上陸のフランス水兵と衝突、十三人殺傷 イに送る。壬 ( 堺事件 ) 。 生藩、古河藩 2 ・ 0 3 イギリス公使パークス、参内の途次襲われる。 に農民一揆。 木戸孝允、版籍奉還を三条実美、岩倉具視に建言。 福沢論吉、英 三井組・小野組・島田組を会計局為替方に任命。 学塾を芝に移 3 ・ 3 イギリス公使パークス、京都で天皇に拝謁 ( 前後にフラ 転、慶応義塾ンス、オランダ公使同断 ) と改称。「江湖 3 ・ 9 幕使山岡鉄太郎、駿府に入り官軍に休戦交渉。 新聞」「もしほ 3 ・貶東海道先鋒軍、品川着。 草」「内外新 3 ・ 先鋒木梨精一郎、西郷の旨を受け横浜でパークスと会見、 聞」刊 パークス、官軍の慶喜討伐に反対意見を表明。 ・五箇条の御誓文並びに国威宣揚の宸翰発布。 ・旧幕府陸軍総裁勝海舟、大総督府参謀西郷隆盛と会見、 江戸城の無血開城を決定。 太政官、五傍の高札を掲示。 ・天保山に行幸、海軍操練を親閲。 ・神仏分離令公布。 4 ・ 5 慶喜、朝裁を受命 ( 4 月Ⅱ日、水戸に向い江戸を退去 ) 。 238