ごうまん 「大村は何もかも自分でやると言っています。傲慢とも無礼とも言いようがない。 : ひとりでやれ るなら、やってみるがいし われわれは明日にも京都にひきあげる。大村ごとき男の風下に立っこと はできません。戦うべき戦場はほかにいくらでもあります」 「これはまた、たいへんなことになったな」 吉之助はかすかに笑って、「二人とも、もっとおちついたらどうだ」 「いや、もう我慢ならぬ」 海江田は参謀会議の模様を報告して、「大村は林参謀は戦争を知らんと言った。勝海舟におどかさ れて腰のぬけた参謀もいると言った。われわれにあてつけたのだ。 ・ : 三条卿は大村にまるめられて いる。まごまごしていると、われわれにも辞職命令が来る。首になるのを待っ義理よよ、 吉之助はしばらく考えていたが 「海江田、攻撃の日取りはいつだ ? 」 「それも大村は明言しません。参謀は大村ただ一人、他藩はすべて従えという態度です」 「よかろう。この一戦は大村にまかせ、大村に従おうではないか」 「とんでもないことを : : : 」 「もはや戦争はさけられぬ。戦う以上は勝たねばならぬ。大村は三千の兵があれば勝てると言ったの 桐野がはき出すように、 「長州や佐賀の兵だけで勝てると思っている福助野郎に従えというのですか ! 」 188
勝海舟と西郷吉之助の苦心はすべて水泡に帰した。 輪王寺の宮は北に向って脱出し、会津藩も奥羽北越の連合も、榎本武揚の海軍も大鳥圭介の陸軍も 共にまだ健在である。 『奥羽は一円、賊軍と相成り、兵隊の仕事よほど沢山に相成り申し候。当地 ( 江戸 ) 相かたづき候わば、 奥羽に出かけ候ふくみに御座候』 吉之助は自分を兵隊だと思っている。燃えはしめた戦火を消すためには、戦わねばならぬ。望むも 望まぬもない。しかも、同胞相喰む内戦は、ただ相手を倒せばすむことではない。吉之助はこの苦し い戦争をたたかう兵士の一人として奥羽蝦夷の果てまでおもむく覚悟をきめた。この上は、人事をつ くして、神の加護をまつばかりだ。 『奇妙なることには、宇都宮の苦戦、白川城両度の攻撃にも、ときどき白狐戦場にあらわれ出で候由。 一人二人の目に見え候ことにてはこれなく、数十人見うけ申し候由』 白狐は島津家の守護神の使者である。 争 『稲荷大明神の加護あらせらるることと、ひときわ兵士進み立ちおり申し候。とんと戦には負けざる戦 ものと安心いたしおり申し候』 上 人間の善意と希望はしばしば裏切られる。だが、いかなる場合にも、善意と希望とーーそして勇気章 を失ってはならぬ。 十 〈猛虎の巻終〉 すいほう びやっこ
たものではない。あんたは大総督宮、大総督宮とおっしやるが、あっちが宮なら、こっちも宮だ。ど こに差別があるかな」 「そう、そうですかね。あんたは輪王寺宮を守るだけで、慶喜公を守るつもりはないというのだな」 「まあ、そ ういうところだ」 「よろしい。その返事を大総督の宮に持って帰り、彰義隊は徳川家の兵隊ではないと申上げる。あん たは勝手に彰義隊を指揮して、宮と宮との一戦を試みるがよかろう。ただし、この戦争は徳川家とは 関係ないという証文を書いていただこう」 覚王院義観はニャリと笑った。 「わしを戦争好きと思われてはこまる。しかし、事態の切迫を思えば、つい暴言もはきたくなる。不 敬にわたる言葉があったら、許していただこう。あなたをこのまま帰したのでは、この山は戦火の巻 になってしまう。ちょっと待ってもらいたいな」 「待っ必要はない。あなたは決心したのだから、大いに戦うがよろしい。拙者は慶喜公の仁慈と恭順 の志を信奉し伸長する。諸隊ことごとくそむいても、敢えて動。せぬ」 こうおん 「こまったお人だな。わしの言い方は荒つぼかったかもしれぬが、すべて徳川家累代の鴻恩に報いる 赤心から発したものだ。それがわからぬというのなら、わしの負けだ。今日から彰義隊と諸隊をひき いて日光山に退去謹慎することにしよう」 「これはまた急におとなしくなったものだ。その言葉にいつわりがなけれは、そのように大総督府に 報告する」 ちまた 177 第九章彰義隊
三条実美が心配そうに、 「実は、西郷、関東の戦況は官軍にとって必ずしも有利でないとのことだが、そのような事実がある のか ? 」 「戦争はまだ起っておりません。甲州方面の小戦闘のことなら、官軍の大勝利でございます。だれが そのようなことを : : : 」 木戸孝允がひきとって、 「横浜で発行されている外字新聞にのっているそうだ。兵庫の伊藤博文から報告が来ている」 「根も葉もない風説。もし事実なら、私は江戸で戦っているでありましよう。 兵火の江戸を留守にし て、慶喜助命のために上京するようなことはいたしませぬ」 「なに、慶喜助命のため ? 」 「戦禍をふせぐためには、慶喜の恭順を認め、死一等を減することが最良の道。 : : : 外字新聞がその ような虚報を伝えるのも、彼らが日本の内戦を望んでいるからです。外国の術中におちいることは、 お互に厳重警戒の必要がありましよう」 あんど 吉之助の上京の目的が慶喜助命であることがわかると、出席者の表情に安堵の色があらわれた。大 久保の予見した通りであった。木戸孝允が乗出して、寛典論を唱えはじめたので、会議はおのずから、 吉之助の望む方向に動いた。後藤象二郎も木戸に同調した。彼は吉之助の助命論を軟化とみて、内心 ひそかに自分の先見を誇っているように見えた。 ただ、会津、桑名両藩主の叛意は明らかであるから、抗戦の気配を見せたら、ただちに撃減すると はんい 121 第六章寛典
「はい、実に残念であります」 「戦争は一時のもの。おたがいに犠牲はでるが、その後におのずから道もひらけることであろう。あ まり思いつめないように・ 「お言葉、まことにかたじけない。 : ただ、彰義隊はもはや徳川家とは無縁であります。覚王院義 観は慶喜公を無視し、輪王寺宮を強制し奉って、諸隊の戦意をかき立てています。私ども旧幕臣みす ・勝海舟もそれを残念がっております」 からの手で鎮圧すべき不義大逆の暴徒と化し終りました。 「海舟先生にも、せい。せい身辺に気をつけるように伝えてください。兵火の中では、何がおこるかも しれぬ」 「西郷先生こそ、どうそお大切に ! 」 山岡鉄太郎は頭をさげ、立ちあがりかけて、ふと思い出したように、「益満休之助は来ておりませぬ 「まだのようだが。 : あんたは益満には会いたいでしような。二人で駿府までわざわざ会いに来て くれた仲だ」 : 益満は日暮れ前に氷Ⅱ 「いえ、そのことではありません。ちょっと気にかかることがあります。 町に顔を出したそうですが、どうも様子が尋常でなかったと海舟は中しております。あいつの顔に死 相があらわれていたとか : 「なに、死相 : : : ? 」 いちす 「あいつもよく働いてくれました。一途に思いつめる男です。戦場で死ぬのは武士の本懐ですが、し 197 第十章霖
「それはまた、たいへんなことになったものだ」 「前途多難。もはや寛典などと言っている時ではありますまい」 「そうかもしれぬ」 きんき 吉之助は苦しそうに、「寛典がまちがっているとは思わぬが、錦旗にさからう徒党は討伐せねばなら はんと ぬ。しかし、彰義隊をはじめ、江戸にのこっている旗本たちは、ただの叛徒だとは思えぬ。徳川家の 処分はまだきまらず、幕臣たちは収入を失って、その日の暮しにも困りはじめている。不満を持つの も当然だろう。おまけに、江戸の官軍は早くも驕兵となって、士民の反感をかき立てるようなことば かりしている」 山県はどきりとしたようだが、吉之助は吉原の事件にはふれなかった。 「私は、徳川家に百万石、少なくとも七十万石くらいは返してやり、幕臣の生活を保証してやらなけ れば、この騒ぎはおさまらぬと考えている」 「今となっては、それも宋襄の仁。泥棒に追い銭ではありませんか」 「山県さん、私も戦争は覚悟しておる。もしあんたが、奇兵隊をひきいて北越に出陣するなら、私は 京都に滞陣中の薩軍をひきつれて、もう一度、江戸に帰ってくる。彰義隊を一挙にけちらし、長駆し ・ : ただ戦争 て会津城を衝く。その決心はすでにつけている。しかし、事の大本を立てておかねば、 に勝っただけでは、敵は従わず、民も治まらぬ。戦乱に戦乱がつづくだけのことであろう。私は寛典 という大方針は捨てぬつもりだ」 「わかりました。よく心得ておきましよう」 っ そうじよう 151 第八章逆風
ら新手の援兵をつぎこむことができたが、彰義隊側は丘の上に孤立して、しかも兵力にかぎりがあつ新 た。総数五千と号していたが、実数はその半分にも及ばなかったのが、開戦直前に脱落者が続出した。 おくびよう 勝利の見こみなしと見て臆病風に吹かれた者が大部分であったが、大村益次郎の謀略をまにうけて、 戦争は当分ないと思いこみ、自宅に帰ったり、友人の宅を訪問したり、吉原で飲んでいたりして、開 戦までに帰れなかった者も少なくなかった。 山内にふみとどまった者は、天野八郎自身もその正確な数を知らなかったが、人夫を合せても千五 百に足りなかったようだ。 戦意の点でも、官軍側の士気が特に旺盛であったとは言えない。薩軍と長州軍だけが別格で、その 他の諸藩の兵はお義理の出兵気分が強く、実戦の経験もほとんどない部隊であったから、なるべく弾 の来ない場所を選んで、進撃をためらっていた。 彰義隊側には、少なくとも意地があり、江戸の最後を飾ろうとする決意があった。援軍が必す到着 すると信していたので、気勢もあがり、開戦後の数時間は官軍を圧迫し撃退して、戦局有利と天野八 郎を喜ばせたのだ。 だが、ついに限度が来た。補給の道を全く断たれた孤立の軍が対等の戦闘を行うことができたのは、 せいぜい午前中だけであった。 黒門口が突破されそうだという急報をうけて、天野八郎が本営から山王台に駈けつける途中、清水 堂のそばで、撤兵隊約四十名に出会った。まだ傷ついていない新手の旗本兵であった。 「黒門があぶないそ ! 」 おうせい
「万一の場合というのは戦争か ? 」 桐野がどなった。 「もちろんです ! 」 吉之助は苦笑して、 : しかし、桐野、談判は海舟先生とこの吉之助がやる。無礼のこと、軽 「みんな戦争が好きだな。 もうどう 挙妄動に類することは一切許さぬ」 「先生、桐野も、もう子供ではありません」 こはんとき 小半刻の後、吉之助と下男熊吉を乗せた小舟は田町の海岸に近づいた。風もかすかな春の海である。 しカり・ 釣舟の群の向うに品川のお台場が見え、煙をはかぬ幕府の艦隊が碇をおろしていた。 吉之助は例のたんぶくろの古軍服を着て、胴の間にあぐらをかき、動かぬ空の雲をながめて、石の ようにだまりこんでいた。彼の胸の中では、二つのものが激しく戦っている。和議か総攻撃かーーーあ と一刻の後に、そのいすれかを選ばねばならぬ。 勝海舟の昨日の訪問はさりげないものであった。今日の会談も、供一人もつれぬ無造作なものた。 このさりげなさの裏にひそめられている並々ならぬ決意が、吉之助の胸にはひしひしとひびいてくる。 ( 海舟の苦境は自分の苦境と同じものだ。同じ日本人の苦境である。海舟は一身をかけている。自分 もかけねばならぬ。一身をかけるとは、おのれを絶すること・ーすべての私心、私憤、功名心を捨て ることであろう ) 102
義隊も脱走した大鳥の陸軍も榎本の海軍もおさまると中されるが、そううまく行くかどうか ? 武士には意地というものがある。たとえ徳川家に百万石の家禄を与えることにしても、飯米だけで人 間の胸がおさまるものかどうか ? 」 「私が旗本だったら、おさまりませんね。たとえ奥州、北海道の果てに追いつめられても戦います」 「そういうことになる」 「しかし、海舟先生も山岡鉄太郎も何とか彰義隊をおさえようと必死です」 「おれも京都をおさえに行く。努力はしてみるつもりだが、おさえることができない時は、戦争にな る。海舟先生にも、その覚悟をしていただきたいのだ」 外は雨になったようだ。海からの風がはげしく雨戸を鳴らしはじめた。 かろく 149 第七章動乱
吉之助が山県に会ったのは、第一回長州征伐の始まった元治元年の冬であった。山県は主戦派の急 先鋒で、奇兵隊をひきいて藩内の俗論党と戦い、三条実美以下の五卿を奉じて長府の功山寺に陣取っ さいしょあっし ていた。幕府側の征討軍参謀西郷吉之助は、吉井幸輔と税所篤だけをつれて真冬の馬関海峡をわたり、 山県に会いに行った。決死の潜入であった。五卿を薩藩に引渡して九州に移せば、国境にせまった征 討軍を即時解散させ、無用の戦争を必ず中止させると言って山県を説得し、そのとおりに実行した。 四年前の話である。 さかな 戦陣の旧友は、ペンキの匂いのする船室で、下男の熊吉が仕度した酒を、小アジのタタキを肴にく みかわしながら、 「西郷さん、あんたはあの時も寛典論だったが、今もまた寛典論だ。いつも戦争のまっ先に立ち、単 身死地に入るような危い芸当をやりながら、寛典論だから、おかしな人だ」 「なるほどな。そう言われてみれば、たしかに、おかしい。われながら奇妙だ」 「自分で感心することはないでしよう」 「それよりも、山県さん、私には時勢の変遷というものの方が、もっと奇妙に思えてならぬ。昨日の うら 味方が今日の敵、明日はその敵が味方にならぬともかぎらぬ。これでは、うつかり怨みは結べない。 慶喜公と久光公にしても : : : 」 「徳川慶喜がどうしました ? 」 八 第 「まだ一橋慶喜と呼ばれていたころ、われわれは斉彬公をいただき、慶喜公を将軍の位につけようと 大騒ぎをしたものだ。その騒ぎが結局安政の大獄をみちびき出し、橋本左内、吉田松陰を始めとする新