箱根 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第17巻
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1. 西郷隆盛 第17巻

渡辺清は箱根の関所を従順な関所役人にまかせ、波多の宿まで兵をすすめて、西郷吉之助の命令を 待っことにした。 三日目に伝令が来た。先鋒本隊は本街道と足柄と韮山の三道にわかれて進軍し、小田原で合流する、 「変りがあろうがなかろうが、進軍をとめることはできぬ。もし妨げるなら、武力をもってお相手い たそう」 「諸君の進軍をとめようとは申さぬ。諸君もまた、われわれの通行をとめることはできぬはすだ」 「通行は勝手だ。坊主を捕えても役に立たぬ」 「しからば、通行いたす」 「勝手になされ ! 」 渡辺隊が箱根の関所に着いたのは朝の七時ごろであった。関所役人たちは目をさましているようだ が、玄関の障子はしめきってあった。渡辺清は関門の前に銃隊を整列させ、ラッパ手に命して進軍ラ わらじ ッパを吹かせた。びつくりした関所役人が障子をあけると同時に、渡辺は玄関の式台に草鞋のままと び上がった。 天下の箱根の関所に土足でふみこんだのは、まさに前代未聞。この暴挙をとどめようともせす、関 所役人たちは武器と関門付近の地図をひき渡してしまった。あっけにとられ、拍子ぬけのしたのは大 村藩兵の方であった。

2. 西郷隆盛 第17巻

に心底を知り合った仲た、御両所とも天下の大勢に通した達識の士であるはずなのに、無抵抗の江戸 に大兵を進めるとは、まことに解しかねる、とにもかくにも、兵は駿府あたりに留めて、箱根を越え ないことにしていただきたい。 : はつはつは、結構な御注文た」 「海舟という男は、何を思いあがっているのですか ? 」 みぐもためいちろう 佐土原藩の隊長三雲為一郎が言った。「この場に及んで、そんな身勝手な注文を出すとは : 「官軍を泥人形だと思っているのだ ! 」 どなったのは薩藩隊長取締桐野利秋であった。「このような無礼きわまる注文を出した上は、海舟は 中すに及ばず、慶喜の素っ首を引抜いてやらねばならぬ ! 」 真っ赤になっていた。しんから腹を立てているようだ。 村田新八が静かに、 「敵が高言をはく場合は、内に備えがないことが多い。おそらく幕軍には、目下のところ箱根占領の 意志も実力もなかろう。一日も早く進発することに僕は賛成します」 木梨参謀が、 「いすれにせよ、箱根の険を前にして空しく滞陣することは、士気を消耗するだけでなく、敵に機会先 東 を与えることになる」 桐野が叫んた。 : 勝海舟と徳川慶喜の素っ首を引きぬくことに異議が第 「西郷先生、なぜだまっているのですか ? あるのですか ? 」

3. 西郷隆盛 第17巻

桐野利秋以下四藩の代表が小田原に急行した直後、大村藩の隊長渡辺清は斥候隊として箱根に進発 することを、西郷吉之助に申出た。興津から箱根までは約二十里、全軍の行軍には四日はかかる。渡 辺清は自分の隊だけなら、二日で行けると断言した。西郷は先発を許した。 渡辺は駕籠と馬と人足を雇えるだけ雇い、鉄砲、刀槍、食糧等はすべて駕籠と馬にしばりつけ、百 名の兵士をほとんど素裸の軽装にして、午前二時ごろ出発した。途中で足をいためた兵は駕籠で運ぶ つもりであった。 たいまっ 三島についたのが翌日の午後四時。その日はここで泊り、夜中の午前三時に、松火をつけて出発し た。夜のあけるころ、中山宿をすぎ、箱根の関所の五、六町手前まで行った時、先手の兵が二人の僧 りよ 侶とその従者たちを捕えた。輪王寺宮の使僧、覚王院と竜王院であった。 覚王院義観は四十五、六歳、豪胆で傲岸な傑僧の風格と貫禄をそなえていた。田舎藩の隊長など眼 中にないと言いたげに、 すんぶ 「われらは輪王寺宮の命によって、駿府におもむく。昨日より薩州の桐野某以下四藩の者が小田原に 来て、わけのわからぬことばかり中して邪魔立てするので、大総督の宮に直談判にまいるのだ。談判軍 先 のぎまるまで、官兵は箱根の西にとどまられたい」 東 渡辺清ははねかえした。 「拙者は朝命をもって兵を動かしている。輪王寺宮とは何者か。たとえ本物の宮様であろうが、われ章 第 らの知ったことではない」 「怪しからんことを申す人た。輪王寺の宮も宮、有栖川の宮も宮、その御身分に変りはない」 かご ・こうがん そう

4. 西郷隆盛 第17巻

高輪南町の薩摩下屋敷の一室で、村田新八と桐野利秋が議論している。村田はおちついているが、 桐野は例によって青筋を立てていた。 「今さら大久保利通の使者などに会う必要があるか。追いかえしてしまえ ! 」 「まあ怒るな、桐野。はるばる京都から酒と菓子を持って陣中見舞いに来たお使者だ。追いかえすわ けにはいかぬ。おまえは下戸だから、京都の菓子はなっかしかろう。あとでもらってやるからな」 「ごまかすな、村田。あの使者はたたの陣中見舞いではない。われわれの急進撃は、勝海舟のしかけた わな 罠にとびこんだも同然だから、箱根の西にひきかえせという大久保の内命を持って来たのだ。気にく わんやつだ、大久保という男は。いつも賢者顔で、策士面で、おれたちを子供あっかいにしやがる」 「ふふん、おまえは子供かもしれんが、西郷先生は子供じゃない。大久保さんの言いなりになるとは かぎるまい。すでに、おれたちは箱根を越えて江戸に入った。総攻撃は三月十五日と全軍に通告して : しか ある。勝海舟の罠だかなんだか知らぬが、とびこんだ以上は、ひきかえすわけにはいかん。 し、大久保さんの心配は、おれにも、わからぬことはない」 「こいつ、「立日をはか ! 」 ちよとっ 「京都からながめておれば、この急進撃は猪突盲進としか見えないだろうな。駿府も箱根もがらあき、 小田原にも藤沢にも幕兵は一兵もいなかった、それをいいことにして江戸にはいりこんたのは、勝海 ぎようゆう 舟の思う壺だ、江戸には必す大きな落し穴が掘ってある、一代の梟雄勝海舟が無策無抵抗で江戸城を

5. 西郷隆盛 第17巻

輪王寺宮 ( 後の北白川宮 ) は東叡山の法親王で、静寛院、 イ和宮とともに、江戸にいる二人の皇族の一人である。 「だれにかつぎ出されたのか知らぬが、大総督の宮にお 会いになり、征討軍を箱根以西にくいとめることが目的」 ~ 隊長たちはざわめいた。 「くいとめられてたまるものか ! 」 「朝敵ときまった今日、皇族をかつぎ出すとは権謀もは なはだしい ! 」 などと声があがる。 参謀海江田信義が膝をすすめて、 「いずれにせよ、輪王寺宮を大総督の宮に会見させたら、 事が面倒になる。江戸攻撃は中止にならないまでも、延 期になるおそれがある。われわれの軍略としては、速戦軍 先 即決、来月の半ばまでには江戸城に入城したいのた」 東 吉之助がひきとって、 「しかし、何と中しても宮様のことだ。幕臣を扱うよう章 にはまいらぬ。大総督の宮としても、お会いにならぬわ第 : なんとか箱根をお越えにならぬよ けにはいくまい 寺

6. 西郷隆盛 第17巻

うに工夫したいのだが、いい考えはなかろうか ? 」 隊長たちは顔を見合せた。宮様という一語が重いのである。 桐野利秋がどなった。 「ここは陣中である。錦旗にそむく者はすべて朝敵。宮様であろうが何であろうが、かまうものか。 小田原に泊っているというのなら、今夜じゅうに兵を出し、討ち果してしまうだけのことだ ! 」 吉之助は大きな目で桐野をにらんだ。その目に射すくめられて、桐野は沈黙した。 村田新八が、 「宮様を討ち果すわけこよ、 冫。し力ないが、しかし、箱根を越させてはならぬ。言葉でお引きとめ中すの は不敬とは言えまい。各藩から一人ずつ急使を出し、小田原に行かせたらいかがでしようか」 吉之助はうなずいて、 「そのほかに手だてはなさそうだ。長州、大村、佐土原の諸藩から一人ずつ代表を選んでもらおう。 ・ : 桐野、薩藩からはおまえが行け」 「えつ、僕でいいのですか ? 」 「いくらおまえでも、宮様に対して剣は抜けまい。行ってくるがよい」 箱根の関所は、大村藩の藩兵によって占領された。それは戦争というよりも、ただの喜劇に似てい

7. 西郷隆盛 第17巻

興津の宿に着いたのは三日目であった。早い行軍とは言えないが、まず予定どおりである。 各部隊の宿営が定まり、夕飯も終ったころ、西郷吉之助は参謀と各藩の隊長たちを本陣に呼び集め 「ただ今、探偵の報告がまいった。上野輪王寺の宮が役僧どもをひきつれて、去る二十五日江戸を御 出発、おそらく今夜あたりは小田原にお着きになるとのことだ」 吉之助はそれには答えす、 「諸君に御異議がないなら、明朝早く進発する」 隊長たちは声をそろえて、 「異議はありません ! 」 吉之助はうなずいて、 「一日の行程を五、六里と見れば、箱根占領は五日または七日の後であろう。 ・ : その用意をしても しュ / し」 勇み立った隊長たちがそれそれの屯所に引きあげて行った後、吉之助は村田新八をふりかえって言 「海舟先生がこんな手紙をよこさなかったら、おれは畯府にとどまったかもしれん。箱根を越えるな と言うから、越える気になった。奇妙なことだ」 とんしょ

8. 西郷隆盛 第17巻

こえなやな箱根の御坂雨晴れて 関のあなたも月になりゆく やまがたありとも ふくだきようへい 長州奇兵隊長山県有朋が参謀福田侠平とともに箱根を越えて江戸に入ったのは四月中旬、江戸開城 の五日後であった。状勢次第では、大阪に滞陣中の奇兵隊を関東方面に出動させなければならぬ。そ の偵察のためであった。 大総督府の本営は芝増上寺にあり、長州軍の本陣はその近くの青松寺におかれていた。山県は青松 寺に旅装を解き、同藩の先輩木梨参謀から状勢の大略を聞いた後、増上寺の西郷吉之助に会いに行っ 「山県さん、 しいところに来てくれた。こっちは大くたびれで、そろそろ交替のほしいところだった」 笑談のようにそう言ったが、吉之助の眉根のしわは深かった。 山県も眉をよせて、 「だいぶ不穏のようですな。大略は木梨参謀から聞きましたが : 「城だけはどうやら受けとったが、陸軍と海軍を取り逃がした。今日も、板垣退助から、おまえが勝 あぶら 海舟の舌先三寸にあやつられて甘い処置をしたからだと、脂をしぼられたところだ」 みさか 134

9. 西郷隆盛 第17巻

「私はこれでも主戦論者だ。洋学者だから、みな腰抜けとはかぎらぬ。少なくとも、勤皇家どもの詭 弁にはひっかからない。 いかに錦旗と宮様をかつぎ出してきても、薩摩と長州の兵隊どもを官軍だと 思わないね」 いくらか酔っている。サトーはウイスキーをついでやった。柳河は飲んで、 「私はね、大挙西征すべしという建白書を書いた。陸軍もあり、海軍も健在だ。恭順などとばかばか いやしくも征夷大将軍を朝敵よばわりはちゃんちゃらおかしいじゃないか。大挙西征して薩長 をたたけば、その日から彼らの方が朝敵になる。何そ名分をおそれ、小節にこだわることあらんや ! もっといただきましよう」 サトーはついでやった。 「これは私だけの意見じゃない。江戸城中でも開成所でも築地の桂川屋敷でも、西征に反対する者は かつらがわほしゅう みつくりしゅうへいかんだこうへし かとうひろゆきふくざわゆきち 一人もいなかった。桂川甫周先生はもちろん、成島柳北、作秋坪、神田孝平、加藤弘之、福沢論吉、 かみやとうそう うすいとうげ 加宮藤三 : : : みんな勇ましかったね。海軍は大阪湾を衝き、陸軍は箱根と碓氷峠を越えて京都に攻め のぼる。やれば、できないことではなかった。だから私は建白書を書いたんだが、通らないね。梨の昏 つぶてさ。 : 御老中も若年寄も腰がぬけたのさ。勝海舟も大久保一翁も : いや、腰ぬけの最たるの ものは、おそれながら上様の慶喜公御自身だ ! 」 サトーはだまっていた。柳河春三は目の前のクモの巣をはらうような手つきをして、 「もう手おくれだね。幕閣がまごまごしているうちに、官賊の方が箱根と碓氷峠を越えてしまった。第 薩長土の先鋒軍は品川と新宿に迫っている。万事手おくれ ! これじゃあ自棄になるよ。酒も飲みた

10. 西郷隆盛 第17巻

現に、先鋒軍は桑名で編成替えを行わざるを得なかった。因州、備前、彦根、佐土原、大村、長州 などの混成部隊であったが、そのうちいくらか軍隊らしいのは英式装備の佐土原、大村、長州の三個 らん 小隊だけ。彦根は蘭式装備の一個大隊を出していたが、オランダではすでに古すぎる。その他の藩兵 に至っては、鉄砲は火縄銃、軍装は陣羽織の下に小具足をつけたのが大部分で、まるで関ヶ原か大阪 ぞうひょう 夏の陣の雑兵である。 海江田信義はその昔の有村俊斎で、法螺も吹くが鼻っ柱も強い参謀であるが、この雑軍では桑名城 しのはらくにもと 下を一歩も出ることができなかった。西郷吉之助が村田新八、桐野利秋、篠原国幹を隊長とする薩摩 の精兵約五百をひきつれて来援したので、はじめて軍隊らしくなった。大村、佐土原、長州の兵だけ を残して、他はすべて京都に送りかえし、薩摩の新鋭部隊を主力として前進を開始したのであるが、 実数は千に足りない。幸いに沿道の諸藩はいささかの抵抗も示さず、徳川家発祥の地として抵抗を予 想されていた駿府城までが、いち早く使者を派遣して恭順を申し出たので、ここまでは無事であった。 前途には名にしおう箱根の難関がある。敵はすでに箱根を越えて沼津韮山の線まで進出しているか もしれぬ。幕府の新鋭艦隊が清水港に入り、官軍の側面を突くという情報もあった。 参謀海江田信義としては、いやでも征討軍の総勢五万、先鋒隊三千と法螺貝を吹きならさざるを得 ない場合であった。 駿府城代の本多紀伊守が選んでくれた仮本営は城東伝馬町の豪商の屋敷であった。造作にも調度に ありむらしゅんさい にらやま