前原 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第18巻
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1. 西郷隆盛 第18巻

そうです。もし兵部大輔の前原一誠が帰っていたならば、萩の干城隊は奇兵隊に同調するおそれがあ ったのですが、木戸と広沢参議が前原の帰国をくいとめたので、無事だったということです」 前原一誠は干城隊をひきいて北越で戦った。上士隊である干城隊にも不満は鬱積していた。前原は 越後でも租税を全免しようと試みたくらいだから、農民と兵士には激しすぎるほどの同情を持ってい て、その処理と待遇について、木戸や広沢とは意見を異にしていた。前原を帰国させたら、鎮圧より 火付け役にまわるだろうと危険視され、警戒されたのである。 亠↑Ⅲ工、刀 「木戸は徹底的な弾圧策に出るようです。初めのあいだ、藩庁は手も足も出ず、政府軍の隊長たちは 命からがら八方に追い散らされ、木戸も二度ほど殺されそこねたので、恨みは深い。奇兵隊には大楽 源太郎や富永有隣などという暴れ者がいる。しかし神官、僧侶、医者、学者も多いのたから、たたの 暴徒とは言えない。多少の行きすぎはあったかもしれないが、ここで玉石ともに焼いてしまったので は、あとで無理がおこるのではないかな」 吉之助がたずねた。 「鎮圧の見込みはあるのか」 村田が答えた。 「ここ二、三日が峠ですが、まず政府軍の勝利は確実でしよう。奇兵隊には戦意はない。藩庁をかこ んで、解散手当ての増額を要求している程度で、藩政府を倒そうとか、中央政府をどうしようとか、 そんな気持はないようです。もともと勤皇の・志によって集まった草莽の兵ですから : : : 」 [ 64

2. 西郷隆盛 第18巻

ミお麝末″の住の字を分解すれば三鹿となる。今日は軍服を着ているが、上衣も 判事の三鹿先生た。″、 ズボンもよれよれで、せつかく短くした髪もぼさ・ほさ、断髪よりも乱髪に近い 「おぬし、青道心になったな。まさに大入道だ。あんまり黒田をいじめるなよ。あいつ、おぬしにお どかされて、頭から湯気を出していたそ」 しい思案もわこう。長州と薩摩がばらばらになった 「もっとおこらせた方がいし 脂汗を流したら、 ュ / し、刀」 のは、黒田のせいだというじゃよ、 「いや、それほどでもない」 「前原と山県を相手にいがみあっていると聞いたが : 「山県は利ロな男だ。黒田ほど子供じゃない。黒田といがみあったのは、前原一誠の方だが、これは 相当な難物だったな。おれがここに来たばかりのころは、山県も前原も参謀を辞職して国に帰ると大 いい男だ。さす 新ぎ、中でも前原が強硬で、とても手がつけられぬと思ったが、つきあってみると、 がは吉田松陰門下、まっすぐで潔白、長州人の中では出来のいい方ではないかな。黒田とはまだ歯を : そうそう、風 むいていがみあっているが、おれとはうまくいっている。前原のことはまかせておけ。 山 おぬし、雲井竜雄という人物を知らんか」 の 「知らんな」 「薩摩と長州を離間して、かみ合わせたのには、この男が一役買っている」 第 「どんな男だ」 「米沢藩士だが、京都にいたころは、長州奇兵隊の時山直八などとっきあっていた。時山は長岡城の そまっ

3. 西郷隆盛 第18巻

本営には吉井幸輔はいたが、参謀たちはだれもいなかった。黒田清隆は米沢に、山県有朋は会津に 前原一誠はまだ旅館に残っているはずだと聞いて、 進撃するために早くも津川方面に進発したという。 桂は村田を吉井のもとに残し、兵士に案内してもらって、前原に会いに行った。 三十五歳の参謀前原一誠は後輩の桂を喜んで迎えたが、いかにもいそがしそうであった。 「ちょっとここで待っていてもらおう。米沢藩の降伏で、本営はお祭り気分だが、何もかもこれから しゃないか。京都から軍資金も援兵も来ないし、会津城の守りは固い。二カ月包囲してまた落ちぬそ。 兵乱つづきで、この地方の百姓も住む家を焼かれ、やがて雪がくる寒空に、まるはだかで食うや食わ ずの毎日だ。まごまごしていると百姓一揆が起る。今日は、村々の代表たちの陳情を聞くことになっ ている。ちょっと行ってくるぞ」 吉田松陰門下の潔癖性を一身に集めたような人物である。後に明治新政府の参議という最高の位に の・ほりながら、反乱を起して刑死する宿命はすでにそのきざしを見せていたかもしれぬが、それは前 原自身も知らぬことであった。 席をけるようにしてとび出して行ったあとの部屋には、書類が散乱していた。その中に詩稿らしい秋 晩 反古紙があった。 陣 戦 桂はひろいあげ、しわをのばして読んでみた。 章 第 半歳の従軍功未だ成らす 風は短髪を驚かしすでに秋声

4. 西郷隆盛 第18巻

土佐二小隊 新発田四小隊砲三門 倉三小隊 その他、合せて約二千。 軍議の結果、二千人は二手にわけられ、一隊は 山県有朋が指揮して会津に進撃し、一隊は黒田清 隆がひきいて庄内に向うことになった。会津方面 の主力は長州、庄内方面の主力は薩摩という形で ある。前原一誠は総督の宮を奉じて新発田に残っ 前原とともに総督本営に残ることになった吉井 幸輔が笑いながら吉之助に言った。 「さあ、これで大と猿は二手にわかれた。庄内組嵐 には長州犬はおらぬから、かみ合う心配はなかろ うが、黒田の手綱はおまえにまかせたそ」 「黒田もそれほどの馬鹿猿ではない。総大将とも章 第 なれば、今度は考えるだろう」 「総大将はおまえじゃないか」

5. 西郷隆盛 第18巻

第一一章越の山風 その日のうちに春日丸は新潟港に着いた。偵察隊を出して調べてみると、薩軍の本営はすでに新発 山県の長州軍は新津方面におり、西園寺公望 田に移動し、黒田清隆も吉井幸輔もそこにいるという。 と前原一誠は三条あたりに滞陣しているらしい 「こりゃあ、いかん」 西郷吉之助は隊長たちを集めて言った。 「薩摩と長州がばらばらだ。考えなければならんな」 弟の従道が、 「何も考えることはない。すぐに新発田に乗りこんで、黒田の鼻柱をたたいてやればいいでしよう」 「そうはいかん。おれたちが乗りこんだら、黒田のやっ、援軍が来たと喜んで長州軍と戦争をおつば じめるかもしれん」 みんな笑った。 吉之助は真顔で、 「そうかといって、山県と前原の方に行ったら、黒田がひがむ。ここが思案のしどころだ。地図をし

6. 西郷隆盛 第18巻

藩庁は入牢中や遠島中の囚人まで狩出して出征させたが、これらの連中は戦争が終れば殺してしまう つもりだったに相違ない。現に殺されている。藩庁の役人どもは中央政府までペテンにかけた。諸隊 の中からいくらか役に立ちそうなものだけを選び出して、常備軍という名で中央政府に売りつけよう とした。兵隊の上前をはねてさんざん私腹をこやしておきながら、解散手当を出し惜しみ、中央政府 の費用で後始末をつけようとしたのだ。このカラクリを知って、憤慨の極、藩庁の門前で割腹して死 んだ者もいる。隊士たちは怒り狂って城内に押し入り、藩主の公館を囲んだが、藩公父子に危害を加 えようとしたのではない。無能無策の腐れ役人の処分を要求しただけだ。山県有朋はヨーロツ。 ( に行 ってしまっているので、諸隊は前原一誠を呼びかえすことを望んだ。前原は潔白で善良で情深い隊長 だったので信頼されている。ところが、前原の代りに木戸が帰ってきた。木戸は広沢や井上や伊藤以 上に憎まれている。血も涙もない陰謀家中の陰謀家だ。木戸の帰国を知った途端に兵隊は荒れはしめ た。二度ほど彼の宿舎を襲ったが、逃亡の名人の木戸は巧みに逃げて下関にかくれた。それから木戸 の復讐が始まったのだ。 横山正太郎は青ざめながら付け加えた。 反 「あの男は剣客の出身で、人を殺すことを何とも思っていません。木戸が山口に入ったら、奇兵隊の兵 奇 処刑が始まって、域の内外は血の海になってしまいます。先生、何とかしてやってください」 章 それから半年たたぬ七月に、東京に出た横山正太郎は中央政府の失政十箇条を集議院の門前に掲げ

7. 西郷隆盛 第18巻

兵で満員だと聞きました」 とうもお公卿さんは長州びいきで、薩摩 「御本営では副総督の四条隆平卿にお目にかかりましたが、。 と聞くと顔をそむけます。援軍到着がおそすぎたと叱られました」 「黒田も山県もいないのだな」 「それが、どう , も : : : 」 「ど一 ) ) しこ 「黒田参謀の評判はよくありません。この町を守っているのは、長州の前原一誠の干城隊ですが、前原と 黒田は大と猿のようにいがみ合っているとのことです。山県参謀も辞表を出したという噂があります」 「そりゃあ、いかん。勝ちいくさになって、まだいがみ合っているとは、よほどのことだ。とにかく、 総督の宮に御挨拶だけ申しあげて来よう。上陸の用意だ。兵隊はいらぬ。柴山と信吾と二、三人でよ かろう。新八、おまえは残れ」 年 元 西郷吉之助は総督本営で嘉彰親王に拝謁し、諸藩の部将たちにも会い、町をひとまわりして、春日明 丸にひきかえした。二時間とはかからなかった。本営と町の様子を見ただけで、素早い判断と見通し章 第 をつけたようであった。 赤塚艦長を呼んで、

8. 西郷隆盛 第18巻

今年は正月の伏見鳥羽から、五月の上野彰義隊まで、戦乱にあけて戦乱に暮れ、しかもまだ戦争は 2 つづいている。彰義隊の抗戦は一日で鎮圧することができたが、戦火は東と北に燃えひろがった。江 戸城を手におさめ、関東諸州の残敵を追い散らしてしまえば、会津藩は孤立し、東北地方はおのすか ら平定すると思ったのは、大きな見込みちがいであった。敵をあなどりすぎた、甘い考えであった。 会津を中心とする奥羽同盟と、長岡、米沢、庄内を主力とする北陸諸藩の結東は固く、守勢にまわ っているのは官軍の方である。この勢いでは、徳川幕府が東北の地で息を吹きかえすという最悪の事 態もおこりかねない。 西郷吉之助が薩軍の一部をひきつれ、藩主島津忠義を奉じて京都から鹿児島に帰って来たのも、凱 旋とはほど遠いものであった。うちつづく戦争に疲労しきって、使いものにならなくなった兵隊を国 もとに送りとどけ、それに代る新鋭の部隊を編成して再出陣するためであった。強力な援軍なしには 打開できない戦況である。 しかし、出陣の準備ははかどらなかった。まず新兵の訓練から始めなければならない。洋式新兵の 主力は銃隊であるが、すでに調練の終ったものは、すべて援軍として送り出されていた。参謀と将校 も不足していた。伊地知正治、大山綱良、桐野利秋、大山巌は土佐の板垣退助とともに会津方面に、 黒田清隆、吉井幸輔、村田新八は長州の山県有朋、前原一誠とともに越後方面に出陣している。砲術 家の中原猶介も砲兵隊をひきいて関東から越後方面に転進したという。 まるで無から始める調練であるから、時間と手間がかかった。六月の中旬から始めて、七月も末の 今日までかかって、どうやら目鼻だけはついたものの、すべての責任を一身にひきうけた西郷吉之助

9. 西郷隆盛 第18巻

「長岡藩を敵にまわしたことはとりかえしのつかぬ失策でした。長州の責任です。土佐の岩村精一郎恥 などという若僧を交渉にあたらせたことがそもそものまちがいで : : : 」 「その話はやめましよう。こっちも黒田というあわて者が、あんたや前原参謀を怒らせたと聞ぎまし 「それも いや、もうすんだことです。吉井幸輔さんが来られて以来、前原一誠も黒田参謀もだい ぶおとなしくなりました。吉井さんというのは、なかなかの人物ですな」 「あれはね、よごれとか三鹿先生などと呼ばれて、見かけと風采は至ってお粗末たが、見栄と私心は ない。人情もゆたかで、寛大ということをよく知っている」 「耳がいたいな、豊瑞丸の船中では、あんたは慶喜助命と徳川の家臣に対する寛大の処置を説いた。 私はそんな寛典は泥棒に追い銭だと笑いましたが : 「そんなことがあったかな」 「今になって思いあたります。情は人のためならず、戦争でも敵に情をかけること、つまり寛大は、 いかなる権謀術数にもまさることを、つくづく思い知らされました。 : しかし、そのおかげで、私 は薩摩に対して寛大すぎる、つまり譲歩妥協しすぎるといって、わが藩の少壮血気の連中にこづきま わされておりますが : : : 」 やせた頬をゆがめて、山県有朋は笑ってみせた。 吉之助は真顔になって、 「ということは、長州と薩摩の反目はまだ解けていないということになりますな」

10. 西郷隆盛 第18巻

・ : 雲井は支那戦国の策士を気取り、″討薩檄〃という怪文章を書いて時山に送っ引 激戦で死んだよ。 た。それを山県も前原も読んだらしい このたびの争乱は天朝の御主意にあらず、薩藩が天朝の 威を借り、諸藩を恐喝し、自ら日本の政権をにぎらんとするものなり、といった調子のはげしいもの だった。これでは、わが藩は許すべからざる大奸賊たということになる」 「いったい、何のつもりで、そんな : 「さあね。伏見鳥羽以来、長州よりも薩摩の方が憎まれているようだ。会津をはじめ奥羽同盟の諸藩 にもその傾向が強い。 いろいろと考えてみたが、これは薩摩の兵が長州よりも強いからではない かな。長州さんもそれを知っているので、内心おだやかでない。雲井竜雄はそこに目をつけた。うま い着眼だよ」 「ひとごとのように一一一口うな」 「黒田も薩摩の兵が強いことを知っているので、とかく長州をないがしろにする。兵士の中にも、長 州は戦争がへたくそだと公言するものが出てきた。それが前原や山県を怒らせた」 「なるほどな」 吉井幸輔は今夜は本陣に泊っていくと言った。黒田清隆の失策は認めるが、それは同時に自分の失 策だ、黒田だけに責任をなすりつけるわけにはいかぬ、この危機を切りぬけるためには、是が非でも 西郷に新発田の本営まで来てもらわなければならぬ、一晩中かかって説得し、それでも聞かねば、首