「他の諸藩も大義の実現と日本の統一のために戦っているのです。だから、われわれは負けながら、 実は勝っている。現に米沢藩は降伏したではありませんか。秋田方面も、いまひとふんばりで必ず勝 てます」 「まあ、よかろう。ここで、おぬしと議論しても、どうなることでもない。西郷吉之助が弟の従道を 出すというなら、おれは軍監の白井良三郎をおぬしにつけてやろう。白井は戦争上手だ。役に立つだ ろう」 「は、め」 、ミといつもこいつも性にあわん。ただ西郷という大入道はちょいとちがう 「おれは薩搴人はきらした。・ ところがある。嘘も言わんし、地位もほしがらぬ。民百姓のことをいつも考えているし、おまけに詩 , もうまし」 「そうですか」 「あいつが陸路庄内を攻めると言ったのなら、必ず実行するだろう。おぬし、安心して秋田に帰れ。 西郷に会ったら、前原がよろしく言ったと伝えてもらおう」 これ以上話すことはなかった。桂太郎は半ば失望して松崎にひきかえした。薩軍の本陣は庄内進発 の準備でごったがえしていた。 西郷吉之助に会ってあいさっすると、 「従道は港の豊瑞丸で待っている。いつでも出発なさるがよい。新発田の様子はどうだった」 「みんないそがしそうでした」
の時間もっくれるわけだ、と心の中で笑っていた。 勅使岩倉具視は迎賓館に迎えられ、山県有朋は城に近い大きな旅館を宿舎に与えられた。一間へだ てた隣が西郷従道の部屋であった。 山県は入浴をすますと、浴衣のまま従道の部屋に押しかけて行き、一刻も早く吉之助に会いたい、 と言った、従道はあきれ顔で、 「何をあわてている。ここまで来たら、いつでも会える」 「いや、日田県の暴動について、おまえの兄貴から機密の手紙をもらったばかりだ。ここに持ってき たが、まだ返事も書いていない。早く打ちあわせなければ、間にあわぬ」 「ははあ、おまえ、ひとりで兄貴を説得するつもりだな」 「とにかく、早く会いたいのだ」 「兄貴はまた城中たろう。近ごろ、兄貴は大奮発で、毎日登城して日が暮れるまであれやこれやとい そがしい。おまえがどうしても会いたいというのなら、使いの者を出してみよう」 使者は城に行ったが、すぐ吉之助の手紙を持って帰ってきた。今日は手がはなせぬが、時間の都合 のつき次第、明日中にも自分の方から訪問するから待っていてくれという返事であった。 「さあ、これでよかろう」 従道は笑って、「兄貴は来るといったら、必ず来る。まあ今夜はゆっくり 館 章 九 第 芋焼酎でも飲んでもらうか」
き出すのが目的であった。 西郷従道はパリで作ったというフロックコートを着ていた。その姿で陛下に拝謁し、帰朝報告を申 上げたのだという。彼は山県有朋と同じ貨物船で、去年の六月に長崎を出帆したが、途中何度も船を 乗りつぎ、マルセイユに着いたのは冬の初めであった。こまめで律儀な山県よ。、 を / リからすぐロンドン に渡り、そこで冬をすごし、春を待って、フランス、ベルギー ドイツ、オース トリア、ロシアを巡 遊したが、従道は。 ( リに坐りこんで、根を生やしたように動かなかった。 ″欧州文明の粋はパリに集まっている。短い時間に馬車馬みたいに諸国を走りまわっても、別に得る ところもあるま い〃とうそぶいていたが、遊び好きで酒豪の薩摩男には、花の都バリの酒と女がよほ ど気に入ったようである。 帰りも山県と同船して大西洋をわたり、アメリカ合衆国を汽車で横断したが、 = ューヨークで普仏 開戦の報を聞いた。車中も船中も、どっちが勝っかの戦局論でにぎやかであった。山県はドイツ派、 従道は最後までフランス派だったので、予想は従道の負けになり、あとで、 ′パリで遊びほうけて勘 がにぶったな″と山県に冷かされたが、もちろん、そんな話は兄の吉之助の前ではしなかった。 まず、旅行中の見聞から始めて、 「アフリカの山風いたくおろすらし、吹きたっ波もアラビアの灘。 わきかえる汐さえあっき波路かな、照る日の色もくれないの海。 192
的はありません。兄さんを東京に引き出し、この難局に当ってもらうためでした」 吉之助はもういちど目をこすり、従道の顔を見つめた。弟の五体が洋行前よりもひとまわり大きく なったような気がした。 「信吾、本気だな」 「本気です。朝廷の衰弱と危機を救いうるものは西郷吉之助のほかにはない。たとえ大久保、吉井の 両先輩に頼まれなくとも、おれは兄さんを迎えに来る理由がある。朝廷を思う兄さんの心を、おれは 弟として誰よりもよく知っているつもりだ ! 」 自分の言葉に興奮して、従道は涙を流した。涙は吉之助にも伝染した。 兄弟は顔を見合せたまま黙っていた。やがて、従道が言った。 「もちろん、兄さんだけではない。今度こそは久光老公を、身に縄つけても引っぱり出すつもりです」 吉之助は目を見はった。涙は消えていた。 「信吾、御老公の出馬を願うというのはおまえだけの考えではなかろう。大久保はまだあきらめない のだな」 「岩倉卿も三条卿も薩摩を動かすためには久光公は無視できないと言っている。兄さんはあきらめて いるのか。久光公の出馬は不可能だと思っているのか」 「おまえはそのフロックコートで陛下に拝謁したと言ったな」 「そうです。いっしょに参内した山県はロンドン製のフロックコートだった。お公卿さんの中にはま だぐずぐず言う者もいるが、宮中もやがては洋服になるよ。 : : : 兄さんは反対か」 196
西郷吉之助が黒田清隆の薩軍とともに、庄内鶴岡の城下に入ったのは九月二十七日であった。神楽 橋に近い七日町の加茂屋という旅館に循を定めたが、奥の一室にひきこもったまま一歩も外に出よう としない。村田新八が、 「おっと、腹を立てるより茶を立てろか。ごもっとも、ごもっとも」 桂と白井が笑いだしたので、大山も苦笑して、話はそのままになった。薩摩と長州が大と猿のよう にいがみあう場合でないことはたれもよく知っていた。 一結局、西郷従道は桂の長州軍に従って新庄と松山方面に行くことにきまった。薩長協力を行動で示 そうというわけである。 ます最上川東岸を占領し確保しなければならぬ。行軍三日の後、最上領と松山領の境界にあたる峠 を越えて、西坂本という部落に入ったとき、山麓の小さな沼のほとりに、青竹の先に一封の書状をさ したものが立ててあった。 桂太郎が開いてみると、荘内藩の降伏状である。従道をふりかえって、 「これはおどろいた。やつばり戦争は終ったらしい」 「まっすぐに鶴岡に行った方が早道だったようだな。兄も黒田参謀も、今ごろは鶴岡城の中に坐って ござるかもしれん」 従道はうれしそうに肩をゆすって笑った。
田に直行するより陸路をとって庄内の鶴岡城を突いた方が早道だと思うが : 「しかし、その前に、秋田がつぶれてしまったら、どうしますか」 「それも考えたが、船で二千の兵を運ぶのはたいへんなことだ。そろそろ海が荒れはじめる季節です。 途中で嵐にあったら、とりかえしのつかぬことになる。米沢兵を先鋒に立てて陸路をとった方が早く て確実だという話になったのだが、・ とんなものでしよう」 「それはそうかもしれません」 「その代りというわけではないが、あんたには弟の従道をつけて秋田に行かせる」 と言って、吉之助は従道をふりかえり、 「こいつは私によく似て、たいして戦争上手とも思えぬが、伏見鳥羽以来だいぶ痛い目にあって、多 少は胆もすわってきた。い くらかお役に立つかもしれぬ」 二十五歳の従道はあごをなぜながら、ニャニヤと笑っている。 「そこまで考えてくださっているのなら、何も申しません。あなたの軍略にしたがいましよう」 桂太郎は答えたが、実は不服であった。素手で秋田に帰ったのでは、軍使の役が果せない。自分の 留守中に薩摩と肥前の援兵が着いたというのも話がうますぎる。西郷が援兵をくれないのなら、山県 有朋か前原一誠に会って長州の援軍を頼むよりほかはない。 翌朝早く、桂太郎は村田新八に案内をたのみ、加治川を舟でさかのぼって、新発田の本営を訪ねた。
吉之助は笑って、 「そら、また驕兵のもとがやってきたぞ。おれたちは早く退散した方がいい。銃器輸送のくらいは、 馬と人足さえあれば、庄内藩にまかせてもできることだ」 「そうはいきません」 「とにかく、一日だけ待とう。出発の用意のできた部隊は今夜中に出発させる。宿舎があいたら、大 山の部隊にゆずってやるのだ」 黒田はあきれ顔で、 「いそがしい先生だな」 「兵は拙速を尊しとすとは、こんな時に使う言葉だ」 上機嫌であった。村田新八が、 「先生、大山参謀と従道がお会いしたいと申しておりますが」 「会うとも。しかし、今夜でよかろう。この宿でタ飯を食おう。新着の兵の軍紀は黒田の軍に見習え と、おまえから大山に伝えておけ」 しかし、西郷従道は日の暮れない前に、加茂屋に乗りこんできた。奥の部屋に行ってみると、吉之 助はうす暗い窓の下の机に正座して、何か写本らしいものを読みふけっていた。 「やあ、兄さん」
表したものであり、桐野利秋、野津鎮雄などの隊長が交替兵の到着を待たすに帰国したのも西郷の指 g 令に従ったもので、西郷は近く大兵をひきいて東上し、新政府の大粛正を実行するという噂をそのま ま信じている者も少なくなかった。 これが根も葉もない流説であることを、大久保はよく知っていたが、人心の不安は一日も早く鎮め なければならぬ。右大臣三条実美と相談の上、関西滞在中の大納言岩倉具視をそのまま勅使とし、自 分が副使となって西下することに決定した。いかにも大久保らしい素早い決断であった。 岩倉勅使の一行が鹿児島に到着したのは十二月十八日であった。東京と京都では師走の雪が降り、 風もまた激しかったが、鹿児島は梅もふくらな春景色であった。 一行の中に兵部少輔山県有朋も加わっていた。彼は長州人の中では最も薩摩人と近しく、西郷吉之 助とは北越戦争の陣中でいろいろと親しい交渉があった。特に最近は西郷従道と洋行をともにして、 おれおまえの仲になり、ともに世界への見聞を広めて、意見にも共通するところが多くなった。木戸 と岩倉が西郷吉之助起用を決意し、従道を先発させたのも山県の主張があずかって力があった。従道 が兄の引き出しに苦労していることを手紙で知り、木戸に代って西郷を説得する決心で、自ら志望し て随員に加わったのである。 大久保は到着と同時に活動を開始した。即日登城して、藩公父子に謁見したが、久光は甚だ不機嫌 で、例によって、病気を口実に勅使を城中に迎えることをできるだけ延期しようと試みた。これはか ねて予期したことであったから、大久保は気にしなかった。いやしくも勅使である。延期はできても、 拒絶することはできない。謁見を延ばせば、船酔い気味の岩倉卿は旅館で休養できるし、自分の工作
ない。特に西洋好きでもない。しかし、久光公のほとんど狂に近い西洋嫌いを見ていると、斉彬公の 進取開明の精神が思い出されてならぬのた」 従道は頭をかきながら、 「結局、おれもあきらめて、東京に帰らねばならぬのかなあ。 いるのだ」 「何の意地だ ? 」 「勅使が下向しても、大久保さんが来ても、兄さんは腰を上げなかった。故斉彬公に義理を立てて久 光公に意地をはっているのでなければ、中央政府などどうなってもいいと思っているのだ」 「信吾 ! 」 「怒ることはないだろう。誰の目にもそう見える。おれも兄さんと話しているうちに、そう思うより ほかはなくなった」 「馬鹿者 ! おまえは軽口をたたくよりほかには芸はないのか。ものを言う時には、もっと考えてか ら一一一一口え」 「そうかなあ」 従道はさつばり感じない顔で、 「兄さんの話だけではよくわからん。明日から、すこし歩きまわってみるか。桂さんや伊地知さんの 意見を聞いてから、ゆっくり考えても間に合うだろう」 「おまえにはかなわん。よくよく野放図に生れついた男た」 : 兄さんは、やつばり意地をはって
けで、多くを語らなかった。 従道は山県の来意と兄の胸中を察していたようである。笑いながら、 「山県の奴、長州の一コチコチ野郎だったが、こまめにヨーロツ。ハ諸国を見学しただけあって、急に 開けたことを言うようになった。木戸も目をまわすだろう」 桐野が聞きとがめて、 「何のことた。また長州の兵隊どもが何か : : : 」 従道はとぼけ顔で、 「そうらしいな。山県は奇兵隊生えぬきだから、奇兵隊員を処刑した木戸をやつつけるつもりかもし れん」 「それで、うちの先生に応援を頼みに来たのか。身勝手な奴だ」 大山巌が、 「桐野さん、ヨーロッパでは軍人は政治に関係するなという原則のようなものができている。おたが いに軍人た。政治向きのことは、大久保さんあたりにまかせておくがよい」 彼はつい最近、ヨーロツ。ハに行き、普仏戦争を視察して帰って来たばかりであった。 桐野は不平そうに、 「しかし、うちの先生は軍人で参議だ。軍人が動かんことには、政治は動かん」 「日本では、まだそこのけじめがはっきりしていないが、おれは軍人だから、軍事に専心する。もう 一度ヨーロッパに行って、軍事学と砲術を研究して来たい。今の願いはそれだけだな」 256