井戸端で顔と手だけを洗って、吉之助はほこりだらけの軍服のまま桂太郎に会った。相手が若すぎ ることにちょっとおどろいたようだが、ていねいに礼を返して、秋田口の戦況を聞いた。桂太郎の報 告は簡単であった。正直に敗戦を認め、しかも戦局の前途を悲観していないところに、吉之助は感心 した様子であった。 「桂さん、援兵二千あれば勝てるのですな」 一戦意もなく装備も旧式な諸藩の兵を何千集めても役に立ちません。薩藩の精兵なら一千で結構でし 。兵の余裕があるでしようか」 「島津隼人隊を秋田にまわしておいたが : 「まだ着いていません。しかし、島津隊といえば、また門閥の上士隊でしよう。精兵といえるでしょ 、つ力」 「これは一本まいった。米沢方面は幸いに勝っているようだから、私が総督指揮官になって秋田に行 ) ことにしましょ ) つ」 村田新八があわてて、 「先生、それはいけません」 吉之助は村田新八をふりかえって笑い、桂太郎に向って、 「桂さん、この村田という男は私の目付役で引きとめ役だ。あんたと同じ姓の桂久武という家老が薩 摩にいるが、私の身を心配して、村田を目付役につけてくれた。ありがたいと思うが、時々ありがた めいわくなこともある」
桂太郎は秋田城にかけつけた。城内では、九条総督、大山綱良参謀、領主佐竹右京大夫が諸藩の隊 長たちを集めて軍議の最中であった。大曲、花館方面の敗報はここにもとどいていた。越後から来た 村田新八と柴山景綱は薩摩門閥隊の腑甲斐なさを恥じ、怒っているように見えた。 「桂君の意見はもっともだ」 村田新八が鬼瓦と仇名のある顔を赤鬼のように赤らめて、「実は私もこれほどたとは思っていなか った。秋田の救援はこの程度にして、越後側から北上して庄内を攻めれば、それでかたづくと軽く考 えていたのです。 : : : 幸い、春日丸はまだ船川港で待っております。桂君といっしょに、すぐに越後 にひきかえし、西郷先生に会っていただきましよう」 桂太郎が越後松崎に着いた時には、西郷吉之助は本陣にいなかった。米沢方面の戦況視察に出かけ こらしいという。 村田新八は困ったものだと言いたげに、 「うちの先生は、ちょいと目を離すといつもこれた。伏見戦争の時にも彰義隊討伐の時にも、本陣を 留守にして、第一線の弾雨の中にとび出して行った」 若い桂太郎は目を見はって、 「西郷さんという人は、そういう人ですか」 感心しているのだ。桂自身もいつも前線をとびまわっていなければ気のすまぬ青年参謀であった。 つ」
「小久光は長州にも土佐にも佐賀にも 「それもよくわかった」 「では、行って来い。おれは薩摩に残る」 「そのことを頼みたかったのだ。おれは君を東京に連れて行くつもりだった。だが、君が鹿児島にい なくなったら、何が起るかわからぬ。おそらく兵隊は反乱し、久光派が殺されるか、兵隊が長州寄兵 隊の如く処刑されてしまうか、恐るべき事態になろう。おれはここに来る前に、桂久武を訪ねた。桂 も君たけは鹿児島に残ってもらいたいと言った」 吉之助は微笑して、 「たから、おれは残ると言った」 「しかし、いざとなったら、東京に出てくれるだろうな」 「そう、いざとなったらな」 「今日の久光公の言葉は、桂久武と君のほかはだれにも知らせない。当分、おたがいの胸底に秘めて : それから、桂は大参事の職を君に代ってもらいたいと言った。病気もはかばか おくべきことだ。 しくないし、力もっきはてた、正体をあらわした大頑物と四つに組な自信は全くない、頑物の頭をた たく役はぜひ君にゆすりたい、君が大参事を引受けてくれなければ、自分はこのまま死んでしまいそ うだ、と嘆いていた」 「桂さんに死なれてはたまらん。しかし、おれはやっとのことで参政を辞職したところた。また大参 事などになったのでは、釣りも狩りもできん」 いや、公卿の中にもいるそ」 178
会談を終った桂太郎が寺に近い民家に宿をとり、夕飯をすましたばかりのところへ、西郷吉之助の 使者の柚木良之助という少年が来て、すぐに本陣まで御足労願いたいという。 あわててかけつけると、寺の本堂から兵士たちの明るい笑い声が聞えて来た。祝盃でもあげている 様子だ。歌っている者もいる。 使者の少年は桂を西郷の居室の阿弥陀堂の方に案内した。吉之助をかこんで、村田新八、西郷従道、 柴山景綱、有馬弥兵衛、高城七之丞などの隊長が集まっていた。ここにも明るくて陽気な空気がただ よっている。西郷吉之助もニコニコしていた。 村田新八が説明した。 「桂君、米沢藩が降伏したのだ。君が宿に行ってまもなく、黒田参謀が新発田からとんで来て、吉報 を伝えてくれた。降伏しただけでなく、米沢兵が先鋒となって庄内藩を討伐することを中し出た。こ ううまくいくとは、われわれも思っていなかった」 柴山景綱がひきとって、 秋 「そこで軍議を開いたのだが、われわれはもう秋田に行く必要はなくなった」 晩 桂は怒って答えた。 戦 「それはいかん。米沢が降伏しても、秋田の危急が去ったわけではない」 「まあ、待ってくたさい、桂さん」 西郷吉之助が言った。「あんたの甯守中に、秋田には薩軍の第二救援隊五百のほかに副島種臣のひ第 こうなれば、私は秋 きいる肥前兵が到着した。春日丸の赤塚艦長の報告だから、まちがいあるまい。
「桂さんはそのころ色が白く、黒いラシャの洋服を着て、長い刀を肩から紐でさげ、陣笠をかむり、 切り下げ髪の黒いほっれ毛が。 ( ラリと額に垂れた姿の凛々しさ、男らしい男でした』と主婦の高橋伊 勢子は後に述懐している。 、敗戦っづきと長い陣中生活のために、そのころは兵士の風紀も乱れ、隊長達の中には酒と女のこと で″柳によじのぼり花を折る〃と非難される者も多かったが、桂太郎だけにはそれがなかった。この ″謹厳ぶり〃も、二十二歳の緊張と潔癖の賜物であろう。転戦のあいだに、桂は、警衛役から参謀添 役に昇進し、他に人のいないままに長州軍指揮官の責任を、その小柄なからだの双肩と愛嬌のある才 槌頭に引受ける形になっていた。 角館の敗戦をどうやらくいとめたころ、越後から沢副総督の息子沢主水正が帰って来て、神宮寺に 滞陣中の父のもとにかけつけた。薩摩の軍艦春日丸が松江藩の援兵四百人と村田新八のひきいる薩軍 一小隊を乗せて秋田に着いたのだという。 援軍到着を喜んだ沢為量三位卿は反撃のための軍議を招集したが、角館の陣中からかけつけた桂太 郎は断乎として反対した。 「その程度の援兵では、とてもまにあいません。秋田藩は東北唯一の勤皇の藩としてよく戦ってくれ ましたが、装備も悪く、戦法も拙劣、その他の諸藩の兵も疲労の極に達して、士気もおとろえ、全く 役に立ちません。島津隊五百の薩軍も、その半ばを失いました。敵は休養のため一時後退しただけの りり・
三年がんばらなければなるまい。武士の仕事は戦争だけではない。桂、おまえも政事と民政のことを 今から考えておけ」 「はい。しかし、私にとっては、今は軍事だけです。秋田の戦況を聞いてください」 「聞こう。話せ ! 」 前原一誠は桂の話を聞き終らぬうちに首をふって、 「それは、できぬ。おぬしには気のどくだが、援軍のことはあきらめてもらおう」 「やつばりだめですか」 「奇兵隊の福田侠平も阿賀川で苦戦して、援兵と糧食をほしがっているが、それも送れぬ。おまけに、 おれのひきいる干城隊というのは、薩摩の島津隊と同じく、門閥家と上士の子弟を集めたなまくら部 隊だ。戦えば負けるし、みな戦争にあきて国に帰りたがっている。むりに秋田に送りつけても、役に は立つまい。実は、おれもときどき国に帰りたくなる。おぬしはどうだ」 晩 「私は帰りません。この戦争に勝たねば、大義をつらぬくことができません」 陣 「おれもそう思って自分をはげましている。しかし、薩摩はいばるばかりだし、他の諸藩の兵はただ戦 章 お義理で戦っているだけだ」 第 「ちがいます」 この先輩はただの不平家ではないのか、と若い桂太郎は腹が立ってきた。
西郷吉之助が黒田清隆の薩軍とともに、庄内鶴岡の城下に入ったのは九月二十七日であった。神楽 橋に近い七日町の加茂屋という旅館に循を定めたが、奥の一室にひきこもったまま一歩も外に出よう としない。村田新八が、 「おっと、腹を立てるより茶を立てろか。ごもっとも、ごもっとも」 桂と白井が笑いだしたので、大山も苦笑して、話はそのままになった。薩摩と長州が大と猿のよう にいがみあう場合でないことはたれもよく知っていた。 一結局、西郷従道は桂の長州軍に従って新庄と松山方面に行くことにきまった。薩長協力を行動で示 そうというわけである。 ます最上川東岸を占領し確保しなければならぬ。行軍三日の後、最上領と松山領の境界にあたる峠 を越えて、西坂本という部落に入ったとき、山麓の小さな沼のほとりに、青竹の先に一封の書状をさ したものが立ててあった。 桂太郎が開いてみると、荘内藩の降伏状である。従道をふりかえって、 「これはおどろいた。やつばり戦争は終ったらしい」 「まっすぐに鶴岡に行った方が早道だったようだな。兄も黒田参謀も、今ごろは鶴岡城の中に坐って ござるかもしれん」 従道はうれしそうに肩をゆすって笑った。
村田新八は顔を赤らめて横を向く。吉之助はおもしろそうに肩をゆすって、 「しかし、桂さん、この鬼瓦みたいな顔でもわかるとおり、新八どんは武勇の士で、なかなかの激派 だ。私といっしょに島流しにな 0 たが、私よりも危険な人物だと見られて、鬼界ヶ島という絶海の孤 御赦免になったとき、あんまり島が遠いので、私も吉井も迎えに行くのに苦労したも 島に流された。 / のだ。そうだったな、新八どん」 。吉之助は微笑して、 村田は返事をしない 「新八どんも本心は前線の弾雨の中にとび出したくてならんのだから、秋田の前線につれて行く。私 : ところで、桂さん、あんたは秋田口で負けながら、しか といっしよなら、いやだとは言えまい も官軍は勝っと自信をもっているようだが、なぜですかな」 「さあ、それは : : : 私はただ勝っと思っているたけで、理由はどうも、説明できません」 「あんたは正直だ。私も伏見鳥羽のときは勝てるとは思っていなかった。いやでも戦わねばならぬと 思ったので、戦っただけだ。江戸に向って進発したときにも、無事に江戸まで行けるかどうか心配だ 晩 くら負けても、最後は勝っと 「私は戦っているうちに自信のようなものができたのです。い 陣 「なぜかな」 「わかりません」 「私にもわからなかった。だが、近ごろになって、わかったような気がしてきた。桂さん、秋田は平第 田篤胤先生の地でしたな」
するところにして、その難、即ち今日に来りて、殃旦タにせまる。のみならす、英仏はその機をうか田 ・故に一一 = ロう、 がい、飢腸を飽かしめんことを欲し、皇国の内乱を喜ぶこと、論ぜすして明白なり。 今日の急務は、薩長合一して、力を朝廷につくすにありと』 その長州に暴動が起ったのであるから、これを助けることは薩摩の義務である、出兵には一片の私 意も私心もない、朝廷に対する忠誠の実行であるーーという大久保の論理を桂久武は素直に受入れた。 「西郷には私から話そう。それでよろしいか」 「ぜひお願いします。私は城中におもむき、いま一度、御老公に念をおしてまいります」 桂久武は駕籠をとばして、武村の西郷吉之助を訪ねた。吉之助の部屋には長州から帰って来た横山 正太郎がした 桂は喜んで、 「おお、ちょうどよかった。横山から話は聞いたであろう。実は大久保が自分で兵隊をひきいて山口 まで行くと言っているが、あの男には戦争はむりだ。やつばり、あんたに行ってもらわねばならぬ」 吉之助はむずかしい顔をしていた。 「御家老、話はそれほど簡単ではないようだ。奇兵隊を暴動に追いやったのは長州藩政府の腐れ役人 どもた。その責任の一半は木戸にもあるかもしれぬ」 と横山をふりかえって「先刻の話を、御家老に中上げろ」 二十八歳の横山正太郎は興奮して青ざめていた。ふるえ声になるのを自制しながら、 「長州の役人どもは、最初から腐敗していたのです。奇兵隊は北越でも会津でも最も勇敢に戦って多 わざわい
本営には吉井幸輔はいたが、参謀たちはだれもいなかった。黒田清隆は米沢に、山県有朋は会津に 前原一誠はまだ旅館に残っているはずだと聞いて、 進撃するために早くも津川方面に進発したという。 桂は村田を吉井のもとに残し、兵士に案内してもらって、前原に会いに行った。 三十五歳の参謀前原一誠は後輩の桂を喜んで迎えたが、いかにもいそがしそうであった。 「ちょっとここで待っていてもらおう。米沢藩の降伏で、本営はお祭り気分だが、何もかもこれから しゃないか。京都から軍資金も援兵も来ないし、会津城の守りは固い。二カ月包囲してまた落ちぬそ。 兵乱つづきで、この地方の百姓も住む家を焼かれ、やがて雪がくる寒空に、まるはだかで食うや食わ ずの毎日だ。まごまごしていると百姓一揆が起る。今日は、村々の代表たちの陳情を聞くことになっ ている。ちょっと行ってくるぞ」 吉田松陰門下の潔癖性を一身に集めたような人物である。後に明治新政府の参議という最高の位に の・ほりながら、反乱を起して刑死する宿命はすでにそのきざしを見せていたかもしれぬが、それは前 原自身も知らぬことであった。 席をけるようにしてとび出して行ったあとの部屋には、書類が散乱していた。その中に詩稿らしい秋 晩 反古紙があった。 陣 戦 桂はひろいあげ、しわをのばして読んでみた。 章 第 半歳の従軍功未だ成らす 風は短髪を驚かしすでに秋声