「それは、そのとおりだが : 「戦争をするための大使ではありません。わたしは全く戦意を持たぬ修好の使節として出かけるので 「しかし、その誠意が相手に通じるかどうか。もし万一・ 「もし万一という言葉は聞きあきました。わたしの身を心配してくださるのは、まことにありがたい が、わが身のことより国を興す遠略を考えなければならぬ時です。このままでは、日本は再び内乱の 大災厄に見舞われ、維新の大業も土崩瓦解のおそれがある」 三条はかすかに身ぶるいして、 「そうかもしれぬ。わたしもそれをおそれている。 ・ : しかし、内乱を願う者の不平不満を朝鮮に向 けるというのは、つまり出兵ということになるのではないか」 「ちがいます。出兵は第二段、三段の話だと申したのは、ここ五年や十年は絶対に出兵してはならぬ という意味です。朝鮮の背後にはロシアがある。この大国と一戦する覚悟がなければ、朝鮮には出兵 できない このことを日本の朝野にわからせるためにも、わたしを大使にしていただきたいとお願い しておるのです」 「そこのところが、まだわたしにはよくわからぬのだ」 「韓国と戦ってはなりません。固く手を結ぶことが日韓両国を生かす道です。日韓が結べば、清国と もまた結ばれる時がくる。これは大院君にもぜひわかってもらわねばならぬことです。 : : : 敵は韓国 でも清国でもない、東亜を狙うロシアであり、欧米諸国であるということがわかれば、日本国内の不 236
に輝かせるがよい〃とはげまし、アメリカ公使ファルケイフルグも慶喜の″壮挙〃を本国に伝えた。国 務長官フィッシュは″アメリカ大統領は、貴政府の懇切なる処置を大いに善しとする〃と返電してきた。 しかし、慶喜の計画は清国側にもれた。上海の新聞に、日本人旅行者の談として誇大な記事がのり、 清国は韓国政府に、「日本幕府は朝鮮征伐のために八十余隻の軍艦を用意し、まさに襲撃せんとして いる、沿岸の防備を厳重にせよ」と警告した。大院君はおどろき怒って、平山使節団の来訪を拒否し た。これは怒る方が尤もである。韓国人には豊臣秀吉の″朝鮮征伐〃の記憶が生きており、大院君は 島津久光の如く、日本の開国を西洋追随と見て軽侮し憎悪していた。 慶喜は韓国国王に親書を送り、日本に武力侵略の意志はないこと、上海の新聞記事は事実無根の流 こ迫っていたので、韓国 説にすぎないと弁明したが、その時にはすでに国内の動乱と将軍退位が目前冫、 間題は″厄介な遺産〃として明治新政府に引継がれることになった。 明治元年、維新政府の成立とほとんど同時に、韓国への使節派遣の議が再燃した。提案者は木戸孝 允であった。日記には、次のように記してある。 『朝鮮へ使節を出す、余の建言するところにして、実に戊辰一新の春なり。朝廷の規模、一定の上は、 いわんや朝鮮は、 遠く西洋各国とも友好の約あり、各国の公使等も親しく天顔を拝するに至る。 近隣の国にして、かっ旧交の国なり。故に別に使節を遣し、一新の趣旨を告げ、互いに将来往来せん ことを望む』 最初は修好使節を送るつもりたった。しかし、大院君が日本の新政府を認めす、侮日方針を堅持し ていることが判明するにつれて、木戸の意見も激烈になっていった。 155 第七章桜島山
友人である西郷隆盛への当然な影響が考えられる。 しかし、海舟の″日韓支三国同盟論〃も、昭和の石原莞爾の″東亜連盟論〃と同じく、韓国と支那 、ド難はまぬがれない。韓国にとっては侵略の脅威 の立場から見れば、日本中心の武力強圧論だとしうリ であり、当時の強国大清帝国の目には、小国日本の思い上がったひとり相撲と映ったにちがいない。 勝海舟の対韓意見は徳川慶喜と幕閣を動かした。老中水野和泉守は海舟に、軍艦二隻をひきいて朝 鮮近海を巡航し韓国事情を探索せよと命じた。元治元年三月のことであった。海舟は喜んで下関まで 出かけたが、その時、京都では禁門戦争が起り、横浜では英米仏蘭連合艦隊の長州攻撃の準備が始ま って、形勢が急変したために、江戸に呼びかえされて、彼の大計画は挫折してしまった。 元治元年は、朝鮮史で有名な大院君が摂政となった年だ。この頑固な英傑は武備を整えて、鎖国政 策を強化し、外人排斥とキリスト教撲滅を強行した。フランス軍艦を砲撃し、アメリカ海兵隊と戦い どちらも撃退することができたので、意気大いにあがり、″洋夷の前に平伏した〃日本の弱腰を嘲笑 していた。 フランス公使ロッシュは徳川慶喜に説き、フランスとアメリカとともに韓国の開国に協力せよとす すめた。 慶喜は外国奉行平山図書頭に軍艦一隻と陸兵二個大隊をつけて韓国に派遣することを決定した。卩 ッシ = 公使は″近くフランスと韓国の戦争が始まるから、幕府はこの機会に乗じて大いに威信を国外 154
' 「ははあ」 「わたしは今度も兵隊は連れて行かぬ。三条卿も板垣も、せめて一個大隊は連れて行けと言ってくれ たが、わたしはおことわりした。もし陸海軍を持って行ったら、対馬海峡が三途の川になる」 「なるほど」 と言ったが、山県は首をふって、 「しかし、あの時はお互いに日本人同士でした。今度は韓国人という外国人だ。そううまくいくかど う・カ」 「しかし、山県さん、韓国との戦争を避けようと思えば、誰かが丸腰の大使になって行かねばならぬ。 そのほかに方法があるかな」 「わかりました。そこまで打明けてもらえば、もう言うことはない。韓国のことはあんたにおまかせ する。おれは安心して鎮台まわりに出かけることができます」 「二年が三年かかってもかまわぬ。あんたは陸軍を固めてもらいましよう」 吉之助はそれ以上何も言わなかった。山県も深くは問わす、鎮台めぐりの旅に出発した。これが信 頼し合った二人の軍人の永別になろうとは、西郷も知らす、山県も知らなかった。三カ月後に、山県 が急報を受けて帰京した時には、すでに西郷吉之助は東京を去り、さらに四年後、山県有朋が征討軍 参謀として鹿児島に攻め入った時には、西郷は首のない死骸になっていた。 210
木戸孝允は七月二十三日に、副島種臣は同じく二十七日に帰って来た。 吉之助も横浜まで出迎えに行きたかったが、まだからだの調子がよくない。見舞に来た弟の従道に 出迎えを頼んでおいて、静養に専心することにした。あせってはいけない。まず健康を取りもどすこ とが肝要である。 従道はまもなく報告にやって来た。 「木戸はまるで半病人た。横浜に上陸すると、すぐに外医の診察をうけ、陛下への復命もそこそこに、 麹町の自宅にたどりついて、そのまま寝こんでしまった」 「それは気のどくだ。木戸にも無理な外国旅行だったようだな」 「兄さん、あんたも、そのからだでは、韓国行きは無理かもしれぬそ」 「よけいなことを言うな。副島はどうだった 「あのおやじさんは、朝鮮人参を食った種馬のように張切ってござる。横浜で、江藤と板垣におれも 加わって歓迎会を開いたが、台湾と韓国には明日にも出兵できると大気烙。北京では恭親王と李鴻章 を向うにまわして、一歩もひかなかったと威張っていた」 「結構なことではないか」 北京での副島の活躍ぶりについては、彼自身の手紙と随行武官の樺山資紀の報告で、吉之助もその 輪郭たけは知っていた。外国使臣に対しては尊大を極め、特に日本を属国あっかいにしかねない清朝 224
小艦隊を撃退したことに慢心して、西洋与しやすしと思いこんでいる。まことに危険だ。西洋諸国の一 国でも本腰になったら、京城は一日で占領される。しかも韓国の減亡はただちに日本の減亡に通じる」 「よかろう、それで」 吉之助は言った。「あんたは北京に行って何をなさる」 「朝鮮は清国の領土ではないという言質を、清国政府から取ってきます。それから台湾も : : : 」 吉之助は微笑して、 「副島さん、あんたは台湾まで取ってしまうおつもりか。恐しい人だ」 「はつはつは、台湾を取るか取らぬかは、故島津斉彬公にお聞きなさるがよい。おれは軍人ではない から、出兵の時機や方法については、あんたや板垣さんや伊地知さんにまかせるよりほかはない」 「大山綱良は台湾占領論、桐野利秋は朝鮮征伐論で、今にもとび出しかねない勢いだ。軍人どもにま かせたら、何をしでかすかわからぬ」 「私の受けた勅旨には、琉球を保護するために台湾問題を処理せよとだけ仰せられている。出兵せよ というお言葉はない。しかし、万一の場合のために道を開いておくのが外交だと思っております。琉 球を守るために台湾に出兵せざるを得ないという事態が起った時、清国に文句を言わせす、西洋列国 にも干渉の口実を与えないことが必要でしよう」 「そのとおり」 「朝鮮についても同様。ロシアは当分出て来ないとわたしは見ているが、もし清国が山海関と鴨緑江 を越えて大軍を動かしたら、厄介なことになる。幸い、今回の北京には同治皇帝の婚礼で、各国の大 くみ
「では、外務卿代理として上野外務少輔をこの席に呼ぶことをお許し願いたい」 書記官に案内されて、上野景範が人って来た。上野は薩摩出身でまだ三十になったばかりの白面の 青年官吏である。明治元年に外国事務御用掛に命じられ、その後しばらく大蔵畑を歩いていたのが、 再び外務省に返り咲いて、少輔という要職に栄進した秀才であるが、正院に出席して意見を述べるの は、今日が初めてであった。思いなしか、顔色も青ざめ、額にうすい汗をにじませていた。 彼はます持参した書類を書記官に手渡して大臣と参議に配らせ、一同が目を通し終るのを待って、 軽く咳をし、一礼して、やや甲高い声で始めた。 「書類に記してありますとおり、韓国政府の頑迷不霊は、もはや許すべからざる限度に達しておりま す。わが修交談判は維新以来すでに五年以上続けられておりますが、それによって得たものは、彼の 拒絶と侮辱のみ。去る六月六日、最後の修交使節ともいうべき森山茂と吉岡弘毅の両名が釜山より帰 来いたしましたが、韓国官吏はわが新政府を全く認めす、旧幕時代の旧慣の復活を強要して、一切の 交渉を拒絶いたしました。のみならす、釜山日本館の門前にわが漂流民を放棄し、日本人への食糧薪 水の供給を禁止し、さらに日本館に勤務する韓国人に対して、″西洋服を着て西洋船に乗る日本人は議 すでに日本人ではない。一歩もわが国境に入れてはならぬ、近頃の日本は全く無法の国であるから、韓 征 彼らのために働くのはやめてしまえ〃と通達する有様であります」 上野の顔は次第に紅潮して来た。話しているうちに怒りがこみあげてきたらしい
・ : わたしはただ全権大使を出せと言っただけだ」 べき時でもない。 「やつばりそうでしたか。いや、そうでしような。あんたが若い将校並みの即時出兵論を唱えるはす はないと思っていた」 「兵は兇器、戦は危事という言葉くらいは、わたしも知っている」 「と申しても、西郷さん、おれも軍人です。韓国、台湾、樺太に対しても何もするななどという腰抜 け議論は吐かぬ、松陰先生と高杉晋作の教えのとおり大陸経営はわが国の使命、天命だと確信してお ります。しかし、いま樺太で事を起せばロシアが出てくる。台湾をたたけば清国が出てくる。韓国に 出兵すればロシアと清国の両方が押し出してくる。わが兵制の現状では、とてもこの大国のお相手は できぬと心配しているだけです」 吉之助はいつもの癖で銀の煙管を眉のあいだに押しあてて、しばらく考えこんでいたが、 「山県さん、あれは元治元年の冬でしたな」 「えつ、何の話ですか」 議 「長州戦争の最中に、わたしは小倉の本営から吉井幸輔と税所篤を連れて馬関海峡を渡り、戦争をや めてもらうために、高杉晋作とあんたに会いに行った。あんたは奇兵隊長で長府の寺に立てこもって韓 征 意気盛んだった」 章 「はあ ? 」 九 第 「あの時、わたしは一兵も連れて行かなかった。全くの丸腰だった。馬関海峡は三途の川だと言われ ていた。もし兵隊を連れて行ったら、あんたに会えぬ先に殺されていたかもしれぬ」
: おい、伊藤、おぬしはおれを迎えに来た 日和を見て、おれと渋沢の辞職を知らぬ顔で見送った。 つもりだろうが、だれが来ようと、この井上は動かぬそ。もう政治には未練はない。西郷の奴、おれ を三井の番頭さんとぬかしやがった。畜生め、こうなれば、政府がどうなろうと、おれの知ったこと か ! 飲め」 「飲んでいる」 「西郷の馬鹿は丸腰で韓国に乗りこむとカんでいるが、相手は高杉晋作でも勝海舟でもないんだ。柳〕 の下にドジョウはいないそ。そんなに死にたければ、さっさと死にに行くがよい」 「死ぬのは西郷の勝手だが、後の始末が大変だ」 「そう、そのとおり、葬式の代りに、韓国まで兵隊をくり出さねばならん。維新くすれの失業士族は 薩摩にも土佐にもあまっているだろうが、金はどうするんた、金は ? : : : 戊辰以来、西郷も板垣も戦 争ばかりしていたが、あれは国内の演習みたいなものた。外国に兵を出せば、ちょいとそこらの商人 から御用金の徴発というわけにはいかん。人民も協力してくれぬ。何から何まで自前の戦争になる。流 その軍資金がいったいどこにあるというんた ! 」 伊藤はうなすいてみせて、 「しかし、おぬしが大隈と喧嘩したのはますかったな」 章 「どこが悪い ? 大隈は政府に金のないことを百も承知の上で、おれの緊縮方針にけちをつけ、おれ十 第 と渋沢を辞職させたのだ。あいつが出兵論に賛成のはすはないんだが、ロをへの字に結んで日和を見 ている。いやな野郎だそ。あいつは、おれ以上に西郷にきらわれていることを知っていながら : : : 」
のです。素手で行けば、必ず斬られるでしよう」 「もしも、そのようなことが起ったら、その時こそ、万国に向って韓国の罪を鳴らして公然と討伐の 軍を出されるがよい。だれも非難する者はありますまい」 江藤新平が念を押すように、 「西郷参議、あなたも出兵説なのですな」 西郷は答えた。 「わたしは大使派遣のことを言っている。出兵を論じているのではない」 その時、隣席の大木喬任と私語していた大隈重信が立上がった。大きな咳ばらいをして、 「提案いたします。対韓問題は国家の一大事。軽々に決定すべきことではない。すでに大久保使節は 帰国され、岩倉卿と木戸参議は帰朝の途中にあります。お二人の帰国を待って決定してもおそくない。 そもそも今の太政官は、いわば留守政府でありまして : : : 」 「お待ちなさい ! 」 議 西郷の声がひびいた。「留守政府といっても政府の責任は果さねばならぬ。今も中上げたが、今日 の論議は出兵論ではなく、大使派遣の可否である。そのくらいのことが決定できなくては、政府の役韓 征 はっとまらぬ」 「そ、それにいたしましても : : : 」 九 「それさえできぬというのなら、今から太政官の門を閉じて、一切の政務を取止め、参議一同辞職す るがよし ! 」 二一一口