で、犠牲もまた少ないと判断したのだ。 征台の役を起すことは″内治論〃の原則にそむくが、もし兵を動かさなかったら、兵そのものが反 乱し、″内治〃は内側から崩壊する。 大久保は出兵にふみきった。当然、政府部内に猛反対が起った。その先頭に立ったのは″内治派〃 の巨頭で潔癖家の木戸孝允である。彼は太政大臣三条実美にあてて手紙を書いた。 「江藤新平一党が縛に就いたそうだが、彼も征韓論の巨魁であるから、もし今日、国力を傾けて台湾 征伐を行うつもりなら、伏罪した彼らを釈放して征台軍の先鋒を命じられたら如何」 筋の通った痛烈な皮肉である。また、伊藤博文にあてた手紙にも、 「新附琉球藩民六十余人のために国費人命をつぎこんで、征台戦争の危険を冒すよりも、数千年来の 日本固有の人民を愛護してもらいたい」 「内務省も文部省もこそって内心は大不同意た。自分も内心の大不同意を抑えて、お茶をにごしてい るが、浮世にもこんな地獄があるものかと、涙を流すばかりである」 同じく長州派の鳥尾、三浦、山田の各少将をはじめ、陵軍卿山県有朋もまた、′ ー征台は一歩あやまれ勝 A 」 者 ば、清国との戦争になる、とても現在の陸軍にはその準備はない / ーと反対した。 しかし、大久保利通は、ここでも彼一流の決断と頑張りを発揮して押切った。木戸と長州派の反対 よりも、軍隊の崩壊と内乱の再発を恐れたのだ。その上、彼には大隈重信と西郷従道という有力な協七 力者がいた。 大隈の現職は大蔵卿だが、外交にもくわしく、長崎の渉外係のころから、 ークス公使の威嚇に屈
戦克ちて三千の兵気雄なり 請う見よ皇威異域に及ぶ 石門城頭旭旗の風 これは北京から厦門を経て台湾征討軍の陣中を見舞い、西郷従道、谷干城等を訪ねた時の作である。 社寮川を渡って蕃地に入り、石門と牡丹江の戦蹟を望見して帰営した日の日記に書きこまれているか ら、おそらく司令部における祝宴の酒中作と思われる。後にこれも多少字句を和らげて改作されたが、 あえ 戦死傷病兵千を越えた新戦場を吹く風の腥気を敢て無視しているところが大久保らしい 帰朝後の大久保は、北京談判の成功を誇示して、征台役の不評を無視した。 中央政府の強化こそ、彼がおのれに課した至上命令であった。征韓論破裂がもたらした国内分裂を 一日も早く統合することを、大久保は自分の使命と信じていた。佐賀の乱が簡単に鎮定できたことが、 うつ 彼に最初の自信を与えた。不平不満は日本の各地に鬱積し、くすぶっているが、幸いに西郷は動かな 。長州の前原一誠は頑愚に近く、しかも木戸、伊藤、井上、山県の線とは決定的に対立しているかの ら、もし動いたとしても、江藤新平ほどの抵抗も示し得ないであろう。土佐の板垣退助は新帰朝の不白 平組におだてられて直訳的な自由民権運動に熱中しているので、かえって西郷党との間に間隙を生じ た傾きがある。西郷と結ばないかぎり、板垣は恐るるに足らない 。もともと単純な武人肌の男だから、十 裏から手をまわして懐柔するという方法もある。 ここで弱味を見せてはならない。北京交渉も台湾征討も共に大成功であったことを国民に信じさせ
されて外征派の先頭に立ったことは全く筋の通らぬ話だ。北京交渉が日清戦争に発展しなかったこと は不幸中の幸であるが、日本の受けた傷は大きい。財政の面だけみてもわずか五十万両 ( 実質は十万両 ) の償金は戦費の十分の一にも当らず、内政の整備と充実に絶望的な打撃を与えたといってもいい。 もかかわらず、大久保、大隈、西郷従道等の当事者は蕃地の小戦果と北京の外交的勝利のみを歌って 自ら掘った足元の穴の大きさに気がっかぬ。軍人連はますます戦功を誇り大隈型の文官もこれに追随 というのが木戸 している。大久保はこの勢いに乗じて寡頭専制政治への途を突進するにちがいない、 の悲観的観測であった。 その上、木戸は故郷の萩の町に帰って、長州士族の困窮ぶりを目のあたりに見た。前原一誠の一党 とも面談して、彼らのあいだに鬱積している不平不満が爆発寸前にあることを知った。さらに、板垣 退助の唱導する自由民権運動が予想以上の共鳴者を得て、全国に燃えひろがりつつあることを認めざ るを得なかった。現政府に対する不満と反発は困窮士族にとどまらず、いやしくも文字を解する地方 ″有志。の心を深くとらえている。伊藤がいかにすすめようと、大久保がどんなに頭を下げようと、 石 彼らに同調して専制家の仲間入りをすることはできない。 の ういう芸当のできる男だ。″智略の点では張子房白 井上馨は木戸の内心の機微を敏感にとらえた。そ に比すべき人物だ〃と評した者もいる。板垣退助を引出して木戸と握手させ、長州と土佐の連合によ 章 十 って、薩派を牽制すれば、自分もまた中央政界に返り咲く可能性がある。 第 木戸は板垣ほど急進的ではないが、かねてから民選議院の開設には賛成している。その板垣を必ず 会談に出席させるからと井上に説かれて、木戸もようやく腰をあげ、とにかく大阪まで出かける気に
桂久武は心配そうに、 「おぬし、まだ気づいておらぬようだな」 吉之助は首をふって、 「篠原はもともと重厚の質だ。桐野も昔の人斬り半次郎ではない。地位がの。ほるにつれて、それにふ さわしい読書にもはげんだので、もう無学を笑いものにされることもない。昨日も、ヨーロッ 帰った村田新八を同道して、ここに来てくれたが : 「桐野利秋が好漢であることは、おれもよく知っている。ただし、三つ子の魂百まで。生来の荒武者 振りはなかなか抜けぬ。おぬしが山野にかくれて人に会わず、全国各地からの有志者の応対を桐野に まかせておくのは・ 「おれが会えば、西郷党ができるおそれがある。徒党は国の禍いのもとだ」 「桐野はおぬしほどには唐ってはいない。あいつの話はいつも景気がよすぎる。明日にも大軍をひき いて、都に攻めのぼりそうな話し方をする。それがそのまま各地にったわって、西郷はいまにも大乱 人 を起こしそうな風説になる」 愛 天 「風説がどうでも、おれ自身が動かねばよかろう」 「そうはいかぬ。今回も、おぬしは林有造には会ったが、江藤の門弟山中一郎には会わなかった。山 章 中は桐野に会って、西郷は立つものと信じて佐賀に帰った。それが江藤の性急な挙兵の一因をなした ~ ( と一一一一口うものもいる」 「それは :