従道 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第20巻
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1. 西郷隆盛 第20巻

「ところが、その大久保が芝の売茶亭あたりに、吉井、伊地知、松方から黒田、野津、西郷従道まで 集めて何事かこそこそやってござるのだ」 「なに、従道 ? あの茶坊主も : : : 」 「おれも従道という奴が気にくわん。同じ陸軍少将でも、あんたや篠原さんとは品物がちがう。図体 ばかり大きいが、大西郷とは似もっかぬ小西郷だ。しかし、先生は従道のことになると、大きな目を 細くして、まるで目くらだ。 / 従道が黒田や伊藤に同調して策謀しているなそと言ったら、頭からどな りつけられる」 「よし、おれは黒田と従道に会いに行く」 「待て。それよりも大久保に会ってくれ」 桐野利秋は上げかけた腰を落して、 むしす 「大久保は苦が手だ。あいつの仏頂面を見ると、身がちちむ。いや、虫唾が走る」 「向うもそう言っているかもしれんそ。桐野の鍾鬼面を見ると : 「こいつ、どっちの味方をしているのだ」 とうも困った詩だと思った。 「おれはこの前、青山の別荘で、先生の詩を見せてもらった。。 酷吏去来秋気清し 鶏林城畔涼を逐うて行く というのだが」 「おれには漢詩は大久保よりも苦が手だ。酷吏というのは誰のことだ。岩倉や黒田なら、なるほど酷

2. 西郷隆盛 第20巻

留学中の大山巌 ( 後の元帥、日露戦争の名将 ) を呼びかえそうというのは西郷吉之助を鹿児島から引出 すためであった。この際、西郷を動かせる者は大山巌のほかにはない。弟の西郷従道では間に合わぬ。 兄の吉之助は従道を可愛がっているが、従道はいろいろないきさつから在国の薩摩士族と辞職組に憎 まれている。少年のころから軽率なくせに要領のよすぎるゴマすり茶坊主で、西郷下野の際にも兄や 弟の小兵衛と行動を共にせず、ただ一人東京にとどまって、ひたすら出世街道を歩きつづけている恥 知らずだ、と罵倒する者さえいる。これは従道にとっては濡れ衣で、彼が吉井、伊地知とともに東京 にとどまったのは、大久保にひきとめられたというよりも、吉之助の内意に従ったと見るべき点が多 。先の徴兵令発布の際にも、従道は兄の身代りの形で矢面に立ち、全国の士族の恨みを買った。徴 兵令は山県有朋と西郷隆盛の合作ともいうべき大改革であったが、隆盛は士族慰撫のために積極的な 発言をせす、陸軍大輔の有朋と陸軍少輔の従道を表面に立たせて決行した。 そういう損な役割を平気で引受けて世の非難も蛙の面に水と受け流す腹芸もできる男だ。むしろ兄 思いと讃められてもいいのだが、世間はそうは受取ってくれぬ。特に在国の薩摩士族は西郷一族の面 よごしだとののしって、従道の八方美人ぶりを憎んでいる。いま帰国したら暗殺されかねない勢いで あるから、吉之助引出しには最も不適任である。 島津久光もまた失敗した。久光帰国の目的は薩摩士族の動揺を鎮めると同時に、西郷を伴って上京 することであった。西郷には江藤の暴挙に同調する意志は全くなかったので、特に鎮撫の必要はなか ったが、上京の件は何度すすめても、固くことわって動かなかった。ことさらに久光に反抗したわけ ではなく、勇退帰耕の志が固かったのだ。ついには、武村の自宅からも鰻池温泉からも姿を消し、行 かえる やおもて

3. 西郷隆盛 第20巻

形勢逆転である。笑いとばされて、西郷従道は沈黙した。 大隈はテーブルの上に一通の電文を投げ出して、 「読め。大久保参議が長崎に来る。明日あたり横浜出帆の予定だ。まさに電光石火だな」 従道は椅子から立上がって、うろうろと部屋の中を歩きまわりながら、 : とてもおれには兵隊は抑えきれぬ。 「いかん。こんなはずでは : : : 外交団の奴めー た大久保が : 大隈は勝ちほこったように、 「何をぶつぶつ言うておる。おぬし泣いているのか」 従道は立ちどまって大隈をにらみつけ、 「泣くにも泣けぬわい。これほどまで外交団にふんづけられて、おぬしくやしいと思わぬのか」 ークスが憎い。あいつは、いまだに日本を独立 「思いは同じだよ、従道。おれには米国公使よりもパ 国と思っていない : おぬし港に行ってみたか」 「港がどうした」 章 ーヨーク号の積荷おろしはもう始まっている。大倉組の人足だけでは手がたりぬ。おぬしの薩七 摩兵も貸してもらわねばなるまい」 「こいつ、まだおれを : ・・ : 」 ・ : なんでま

4. 西郷隆盛 第20巻

従道はテープルをたたいて、 「大隈、おまえは退却論か」 大隈ははねかえした。 「おれは福州占領論を唱えて、大久保さんに叱られたところだ。 : 主戦論者はおぬしよりも、この 大隈かもしれんぞ。しかし、日清の即時開戦論はおれもひっこめた。ただ、台湾を占領したら、列国 の干渉はさらに激烈となり、清国の反撃が起ることは火を見るより明らかだ。おぬし、一時の勝利に 安心して、台湾を手放してはならぬぞ一 従道は大笑して、 「こりゃあ、おどろいた。文官のおまえに尻をたたかれようとは思いがけなかった。いずれにせよ、 出征のはなむけにはうれしい言葉だ」 「よし、話はそれまで」 大久保が打ち切った。「三人の誓約書をつくっておこう。まず米人の解雇、台湾における軍事行動は 一切西郷従道にまかせ、蕃地鎮定の後にも当分兵を駐屯させてその地を確保すること。これに対して勝 4J 清国が事を構えた場合は、雇人れの英国人全部を免職し、英国籍の船舶を解約すること : ・ 者 従道はおどろいて、 章 七 「へえ、それからどうするのだ」 「そこまで来たら、大隈君の主張するとおり、おれは清国との一戦を覚悟して北京に乗込む」 「なるにとな」

5. 西郷隆盛 第20巻

山本権兵衛大将の回想によれば、明治七年、左近允隼人と共に兵学寮をやめる決心で鰻池温泉の西 郷を訪ね、薩摩出身の政府高官を批判攻撃して、従道もまた腐れ芋だと言ったとき、西郷は静かに答 えたという。 「従道は吉次郎とはちがい、少々知恵があるので、おまえたちのいうような欠点もあるかもしれぬ。 だが、いやしくも君国のため、ひたすら御奉公するという根本の大義は忘れてはおらぬ、とおれは信 じている」 さらに明治二十年の夏、海軍大臣となった西郷従道が佐世保軍港視察のため出張した時、海軍将校 として随行した山本は長崎丸山の宝亭で、不遠慮な質問をした。 「一、征韓論破裂の時、なぜあなたは南洲翁と行動を共にしなかったのか。 二、台湾征討の際、大久保の中止命令を無視して出発なされたのは、征韓論の時、大久保側につい た罪ほろぼしをして、南洲翁の意を迎えようとする下心があったのではないか。 三、南洲翁引退後の政局は、全く内乱の連続であった。これは中央政府の相次ぐ失政の故である。 そもそも維新の大業に際し、翁の手足となって働いた人々が、翁の引退を傍観して権力闘争にふけり、 ついに城山の悲劇をひきおこしたのは、東京に居残った諸公の罪だと一一 = ロえぬか」 これに対する従道の返事は正直であった。 : それにしても、おまえのように抜き身 「兄のことを言われるたびに、頭がいたむ。胸もいたい。 の太刀のような質問を正面からあびせかけた男は初めてだ。幸いに今夜は二人だけの席だから、ゆっ くり聞いてもらおう。といっても、今となっては、無用な繰りごとか手おくれの弁解になってしまう 228

6. 西郷隆盛 第20巻

「また、ばかなことを言う。いま、おれが出て行ったら、大久保のじゃまになるばかりだ」 「そこがわからん」 「思い切り腕をふるうのは一人の方がいい。大久保は必ずこの難局を切りぬける・おまえは、征台の 役を全くの失敗とは思っていないだろう」 「全部が失敗じゃないよ」 従道はまぶしそうな目つきをして、「日本の実力を、清国はじめ欧米列強に認めさせただけでも大 した手柄だと思っている。いまに世間もわかるだろう」 : いま、おれが出て行ったら、 「北京交渉も同じことだ。大久保の苦心と功績は必ず認められる。 大久保はおれの助けでやっと難局を切りぬけたということになり、彼の功績の一部をおれが奪うこと になりかねない」 「はは、あ」 「その上、おれが出て行けば、木戸はますます硬化し、板垣も意地になる」 「そう。そ ういうこともあるだろうな。気がっかなかったよ」 弟 AJ 西郷家の四兄弟は、次兄の吉次郎は越後で、末弟の小兵衛は西南の役で吉之助と共に戦死し、従道九 だけが政府の大官として生き残ったので、後世の西郷びいきの者は、悪名のすべてを従道ひとりに背 負わせた傾きがある。

7. 西郷隆盛 第20巻

「従道さんも顔を出しているらしいのです」 「なに、信吾が ? ・ : あいつは野津をつれて昨日もここに来てくれたが、売茶亭のことなど何も言 わなかったそ」 吉之助は首をかしげていたが、思いあたったように、「そう言えば、信吾の奴、今の陸軍の実力で は、戦争は五、六年間はやれぬとか、海軍は海軍省に相談中だから、その返事が来るまでは態度をき めることはできぬとか、自分は陸軍大輔として山県の留守をあずかっているので、なんとも苦しい立 場などと嘆いてみせたり : 桐野が言った。 「従道君は、大久保さんの旨をうけて、先生の出発をできるだけ引延ばそうとかかっているのです。 野津の奴も売茶亭の会合に出ているらしい、と篠原国幹が言っておりました」 「そのような卑劣な小策を用いる奴だとは思わなかった」 「大久保のことですか」 「いや、信吾だ。大久保は反対なら反対だとおれの前ではっきり言う。信吾にはその勇気がない。か げでこそこそ動きまわって、おれの前ではどっちつかずのことを言う」 「従道君は大久保にあやつられているだけですよ」 「いや、大久保はそんな男ではない」 「しかし、木戸と岩倉卿がおります」 「大久保はヨーロッパで木戸と喧嘩して帰って来たはずだ」

8. 西郷隆盛 第20巻

大久保利通が大隈と西郷従道に迎えられて、港を見おろす旅館に着くと、まだ食事も終らぬ先に、 とこかで飲んでいたらし 野津鎮雄少将が大迫尚敏大尉ほか数名の青年将校をひきいて乗込んできた。。 、酒気を全身にただよわせていた。 野津は大久保の食膳の前に、大あぐらをかいて、 「あんたはまた、征台中止などと軟弱論を吐きに来たのか」 大久保の目が青光りした。静かに箸をおいて膝を正し、 「何を一一 = ロうか、野津 ! 」 たたき斬るような一言であった。野津は身ぶるいして沈黙した。青年将校たちも一言も発すること ができなかった。この時のことを、大迫大尉 ( 後の大将 ) は人に語っている 」ようがく 「余等は平生野津将軍は豪傑の士なりとて崇敬しいたりしが、この有様を見て驚駭し、上には上のあ るものかなと深く感じたりき一。 大久保の本心としては、できれば征台を中止させたかった。廟議も中止に決定している。だが、ま にあわなかった。三千の兵をのせた艦船は一日ちがいで出航してしまった。西郷従道は背水の陣をし いた形で、一歩も退かぬ態度を示している。従道のカでは、将校団を抑えきれなかったのだ。大久保 は、野津鎮雄以下の将校は一喝して沈黙させたが、もしここで中止論を吐いたら、このままではすま 大久保利通の長崎の到着は、船団出発の翌日、五月三日の夜であった。 8

9. 西郷隆盛 第20巻

ったようた。三条の手紙は外国公使団の抗議を詳細に述べて、 「右につき至急評議いたし候えども、差向き良策もこれなく、よって大隈参議は至急帰京、西郷都督 は長崎港にて再命を待つべし」と結んであった。 大隈は三条の手紙をわしづかにして、西郷従道の宿舎にかけつけた。 , 従道は野津鎮雄、大迫尚敏 などの薩派軍人に、鹿児島から三百人の徴集隊をひきいて到着した元警保寮の坂元純煕を加えて、タ 飯代りの酒宴を開いていた。 大隈はどなった。 「おい、酒どころではないそ。またしても三条公の腰がくだけた。 一座は色めき立ったが、西郷従道は顔色も動かさなかった。酒のせいもあったかもしれぬ。 「腰くだけは三条公のお家の芸だ。大隈、おぬしまで、あわてることはなかろう」 「おれはあわてぬが、内閣は大あわてだ。 : ここでは相談できぬ。席を変えよう」 「外字新聞の記事と公使団の抗議のことなら、ここにいる者はみな知っている、ここで話せ。 うせ黒幕はパークス公使だ。あいつは清国びいきで、日本を属国あっかいにしている奴だ。奴が何を 言おうと、今さら延期も中止もあるものか。征台の一挙は、日本がイギリスと清国の属国でないこと を思い知らせてやる絶好の機会だ、とおぬし、言ったではないか」 「今もそう信じている。しかし、ニューヨーク号を取上げられたのでは、兵隊は送れても補給がっか : 出発は延期だ ! 」

10. 西郷隆盛 第20巻

この苦境はすべてパークスの差金だ。あいつが憎い ! 」 「からかっているのではない 従道は椅子にかえって、 「もうどうにもならぬ。大久保の到着を待っても、言われることはわかっている。 るそ」 「運送船なしでか」 「日本の艦船だけで、行けるところまで行く」 「食糧もなく武器もなく、酷熱の蕃地で空き腹をかかえ、素手で戦うのか」 「畜生、腐れ文官の貴様には頼まぬ」 「頼むと言え」 「なんだと」 「おぬしは無策の大目玉で通っているが、この大隈には策がある」 従道は目をみはって、 「策があるのか。教えてくれ」 「頼むと言え」 「頼む、大隈 ! 」 「よし、ニ = ーヨーク号を買いとるのだ。米国公使は動かなくとも、太平洋汽船会社は金で動く」 「そ、そんな金が : 「おれは参議で大蔵卿だ。金のことなら、まかせておけ。たとえ何百万ドル吹っかけられようと、国 うとめ ・ : おれは進発す