桂久武は予言したつもりでなかったであろうが、それから十日たたぬうちに、江藤新平は文字どお りの落武者となって鹿児島の町に姿を現わした。 江藤は二月二十三日、島義勇は二十八日に佐賀を脱出した。反乱は二週間を待たず、政府側の完勝 に終ったのであるが、佐賀落城が江藤の鹿児島到着と同じ日の三月一日であったことは、江藤自身も 知らなかった。まだ西郷に援軍を求める時間はあると思っていたようだ。 福岡から佐賀に入った大久保の行動はまさに疾風迅雷であった。岩村高俊、武井守正などに諮問し て、峻厳極まりない処分方針を決定した。 一、賊徒巨魁の者は梟首。その子弟十五歳以上の者は禁錮。 一、巨魁につぐ首長の者は斬。 人 一、一時首長たりし者は流刑または懲役。ただし、遁走就縛の者は斬。 愛 天 その他八ケ条。諮問はもちろん名ばかりで、すべて大久保の独断専行であった。 追跡はただちに開始され、捕吏と密偵の大群が薩摩に向った。江藤と島の落ち行く先は鹿児島以外 / . し 第 大久保は三月三日付で、鹿児島県権県令大山綱良に手紙を書いている。 「さて、当地も存外速かに平定、御同慶の至り。然るところ、江藤はじめ遁走いたし、則ち探索に及 まに江藤らは落武者となって、おぬしを頼ってくる」
「御苦労であった」 「私どもはこれで退去いたしますから、どうそ御自由に御上陸ください」 警部が立去るのを待って、林有造が言った。 「あの警部はおとなしいが、政府の警戒はきびしくなるだろうな。江藤先生、私どもはここでド船し て、あなたの一行とは別行動をとるという形にしておいた方が安全だと思います」 江藤はしばらく考えていたが、 「林君、お願いがある。山中一郎を鹿児島までつれて行って、西郷翁をはじめ桐野、篠原の諸君にひ きあわせてくださらぬか。つまり、吾輩も正確な情報がほしいのだ」 「お安い御用です」 「鹿児島からの帰りに、君にも佐賀に立寄ってもらいたい。それとも、僕が長崎あたりで待とうか」 「それも情勢しだいということにいたしましよう」 「慎重だな」 「その逆です。情勢如何によっては、私は鹿児島から土佐に直行し、山中君だけが佐賀に帰るという ことにもなりかねません」 105 第四章反逆の船
西郷吉之助が乞い受けて鹿児島医学校と付属病院をまかせた。 大山巌は思い出したように、 「ところで、ウィリス先生の近況はどうです ? 」 村田があきれて、 「なんだ、おまえ、それも知らなかったのか」 「その後、ずっと会っていないのでな」 「ひどく鹿児島が気に入っているらしいそ。江夏十郎の娘を嫁にもらってもう子供もできた。・ : : ・赤 倉に集まる生徒もたちまち三百人を越えたので、先生、御満悦だよ」 ウィリスのために建てられた医学校兼病院は赤煉瓦造りなので、「赤倉」と呼ばれていた。 「よし、とにかく、おれはウィリス先生に会ってくる」 大山巌はそれから一カ月あまり鹿児島下加治屋町の生家に滞在してした。。 、 - ふらぶらと暮していたわス し一フ けではない。兄彦八の病気、吉井家との縁談のこともあった。西郷引き出しは、半ばあきらめてよ、 フ たものの、もっと話合った上で、本心をたしかめなければ、使者の役目が果せない。 赤倉病院のウイルス医師は彦八を慎重に診察してくれたが、ある日、巌だけを院長室に呼び、 きん 第 「肺がおかされています。菌が腸まで下っているので、残念ながら、私の医術では手のほどこしよう 、刀子ー - し : しかし、非常に気力のあるお人だから、適当に養生をつづければ ,
れが俗人どもに利用されてかつぎ上げられると : 「そこだよ。薩摩には賞典学校と私学校ができて幾千という血気の若者が集まっている。彼らに西郷 、がかつぎあげられたら : : : 」 「そりゃあ、大変なことになる」 「そこまで見通しているおまえなら、きっと説得できる。 ・ : 三条、岩倉両公の手紙をよく読んでみ ろ。西郷引出しのことさえ果してくれれば、再度留学のことは必ず引受けると書いてある」 大山は手紙を取上げて、 : 力。と、 ) 「ひとり、鹿児島県のことのみにあらず天下のため是非御領承下されたく所望に候なり : もわからんな。御両公は、おれが帰れば、西郷は必ず出るときめてしまっているようだが、そりゃあ 無理だ。西郷には当分仙人遊びをさせておいた方が鹿児島は無事だ」 産 「いやいや、鹿児島は無事でも、中央政府がつぶれてしまう。大久保は必死でやってくれてはいるが、ス あれには敵が多すぎる。 : つまり、やりすぎて、冷酷な権謀家と思われ、いらざる敵までつくってラ フ しまう。ここのところはどうしても西郷に : : : 」 章 八 「天下のためというが、おれの十年留学計画も天下のためだ。 : おれは帰りたくない」 第 うどめ 「おまえも大目玉におとらぬ頑固な奴た」 御両公もあんたも、あせりすぎている。ノイローゼという病気ではないかな。 : この山の上から
郷、おたがい冫 ここの歳になると、隠遁の思いは常に心底にうごめいている」 「忠告はありがたいが、もうおそい」 「相変らす、頑固な奴だなあ」 しかし、税所の心配は半分しか当たらなかった。西郷のあとを追ってただちに帰国したのは、桐野、 篠原、池上四郎、逸見十郎太、別府晋介、淵辺高照、警保寮の坂元純煕などが主立った名前で、目下 のところ海軍と文官にはそれほどの動揺は見えない。 「それでいいのだ。東京を空つぼにして、政府を困らせるのがおれの目的ではない」 帰国した西郷としては、まずこれで一安心というところである。他藩からの訪問者の応待は桐野と 篠原にまかせ、自分はもっぽら武村閑居を楽しんでいる。 岩倉具視遭難の報につづいて林有造の一行が鹿児島に現れ、吉之助の″春窓の夢〃を破ったのは、 ちょうどそのころのことであった。 岩倉遭難の電報が鹿児島にとどくまでには時間がかかった。東京からの電信は熊本までしか通じて いない。その先は徒歩の配達になるので、二日または三日かかる。 鹿児島県庁の大山綱良の手に電文が手渡されたのは一月十九日の午後であった。 「右大臣は無事、下手人は不明、目下厳重探索中 : : : ふうん、未遂の暗殺では下手人諸君に気のどく みたいなものたな」 110
国家建設という大目的に邁進し、そのためにはビスマルク、ティエール流の酷罰主義と密偵政策をも 敢えて辞さなかった鉄腕の専制政治家であった。 大久保をして確信的な権力主義者たらしめたのは、佐賀反乱の容易すぎた鎮圧、江藤と島一党の他 愛ないほどの壊減であったともいえる。佐賀事件によって、大久保は権力の効用と権力操作の快楽を 知った。時世はこの型の″鉄腕政治家〃の出現を要求していたかもしれぬ。大久保がそれにならなか ったら、他の誰かがなったであろう。しかし、権力操作の残酷な快楽を知るのは、危険なことである。 ごうがん 為政者としての成長はここで停止し、暴君と独裁者の恣意と傲岸を身につけてしまう。志士、愛国者 が非情酷薄の挑発者と殺人者に変身する。大久保の権力主義は、ついに多年の親友にして同志、兄弟 以上といわれた西郷吉之助を死地に追いこんだ。しかも、動はただちに反動を生み、西郷の死後一年 ならずして、大久保自身もまた暗殺者の手に倒れる。 はたん だが、今はまだ明治七年だ。最後の大破綻までには、まだ三年の歳月がある。筆をもとにかえすこ とにしよ、う。 者 佐賀反乱の終りのころ、二人の亡命者が鹿児島に潜人した。その名を石井貞興、徳久恒敏と言い、 石井は三十二歳、徳久は二十九歳の壮年であった。共に佐賀城中で戦い、敗れて、鹿児島にのがれた。七 こう 二人とも奥羽戦争に従軍し、明治二年には東京遊学を命じられたが、昌平黌の学風にあきたらず、 西郷を慕って鹿児島に留学し、一年半あまり造士館で学んだことがある。その後佐賀に帰り、それそ
「もっと生きのいい返事をしろ。現政府は四分五裂するおそれがあるが、絶対にそうさせてはならぬ。 R よしカ 川路、ここ数日が勝負の山だ。 : 軍人と官員の動揺は、この大久保が抑える。おまえには 帝都の治安をまかせる ! 」 「はつ、光栄であります。誓って御信頼に・ 「西郷が東京を出たとすれば、途中必ず大阪に立寄る。すぐに大阪に連絡せよ。西郷は怒りやすい よく気をつけて決して不礼のないように鹿児島まで送りかえすのだ」 「はつ、かしこまりました」 西郷吉之助はまだ東京に残っていた。小梅村の越後屋喜左衛門の別荘に、沼の底の鯉のように身を ひそめていた。 隅田川岸で熊吉を小網町に帰す時、 「おまえは、いつでも引きはらえるように手はすをしておいてくれ」 「えつ、どこに引越すので : : : 」 ・ : 支度のできるまで、小梅村の越後屋の寮にもぐってい 「もう東京には用はない。鹿児島に帰る。 よ、つ」 「へい、あの寮なら、従道さんも知りませんな。大久保さんも気がっかぬでしよう」 「もう誰にも会いたくないのだ」
一そ、それはちがう」 「おまえが勝手に来たというのか」 「そうですよ。おれにはおれの判断がある」 従道はくやしそうに、「大久保の命令で動いていると思われては残念だ。大久保はあんたを当分そっ として鹿児島で遊ばせておいてやった方がいいと言っている。征台の責任は全部自分でとるつもりだ から、報告もあとでよかろうと言った。しかし、征台軍出発の際に、おれはあんたに援軍を頼んだ。 : おれとしては、その礼もかねて報告に あんたは坂元純煕に三百人の兵隊をつけて送ってくれた。 やってきたのです」 「坂元は無事か」 「あれも大酒飲みだから、マラリアにもかからなかった。このまま上京して陸軍省に入りたいと言っ ているから、つれて行ってやろうと思っています」 「それがよかろう」 「巡査隊は、中原尚雄五番隊長以下、みなよく働いてくれた。中原をはじめ使える連中は東京につれ て行って、警視庁に復職させてやろうと思っているが、どうだろう」 「結構だな」 この中原尚雄がやがて警視総監川路利良直属の密偵団の長となり、二十数名の警部と巡査をひきい て鹿児島に潜入し、有名な「西郷暗殺事件」を起し、西南役の動因をつくるのであるが、それまでは まだ二年という時間がある。従道も吉之助も知らず、もちろん中原自身も知らぬことであった。 222
征討軍の陣容を整えた。 まさに電光石火である。大久保は現政府の存続に全責任を持っことを決意していた。いかなる手段 を用いても、江藤と島の反乱を鎮圧することが国に忠なる所以だと確信していた。 島津久光が西郷鎮撫のために帰国を願い出たのは、久光自身の発意であったが、彼は旧守派の公卿、 大名、士族の一部に偶像視されていたので、久光を鹿児島に帰すことを危ぶむ者が多かったが、大久 保は敢えて許した。久光が西郷と手をにぎる心配は万が一にもないことを、大久保は誰よりもよく知 っていた。 久光は鹿児島到着と同時に、息子の島津忠経を使者として武村に赴かせたが、西郷は留守であった。 湯治のため鰻池温泉に滞在中だという。 「ほんとの湯治なら安心だが、余の帰国を知って姿をかくしたのなら容易ならぬことだ。山中に徒党 を集めて密談しているのではないか。行先をつきとめて、召しつれて来い」 忠経は側近に守られて、鰻池に急行した。翌日、西郷吉之助は進まぬ顔色で、久光の宿所、旧城の 二の丸に出頭した。 「吉之助、その方は余を避けているのではあるまいな」 「左様なことはございませぬ。湯治をかねて狩猟に出かけておりましたので、御帰国のことも存じ上 げませんでした」 「狩猟の獲物はあったか」 「いえ、さつばり : ゆえん 145 第六章敬天愛人
そのころ全権大使大久保利通は東京で予想以上の大歓迎をうけていた。 横浜入港は十一月二十七日。黒田清隆、税所篤等の同郷人は船まできて慰労し、出迎えの小蒸気船 には中島信行神奈川県令、大江卓参事らがのりこんでいた。波止場には陛下より賜 0 た馬車が用意さ れていて、参議伊藤博文、坊城式部頭が出迎えた。 大久保自身の日記によれば、 「岸上には見物の貴賤内外人民群を成す。当所総代はじめ数百人礼服にて出迎え、脱帽の礼あり。 ・ : 御馬車にて大蔵省出張所に至る。当港の景況、戸ごとに国旗をひるがえし、種々の飾り物をこし らえ、人民歓喜の体、まことに意外の有様なり」 コまかなー」 「いや、あいつは本気だよ。おれもそのつもりでいる。おれの別荘では狭すぎるから、帰京したら、 巌と相談して、陸軍大将にふさわしい邸宅をつくる。庭師も京都から呼ぼうと思っている」 「やめろ。たとえおれが上京しても大邸宅はいらん。寝る部屋と本を読む部屋があれ。よ、 「気に入るようにするよ。出てくれるのだな」 「馬鹿者 ! おれが出たら、東京ばかりか鹿児島が大騒動になるのを知らんのか。 ・ : おまえ早く帰 0 て巌を助けてやれ。伊知地、吉井、黒田、それから大久保にも、鹿児島のことは心配するなと伝え ておけ」