増田宋太郎と柚木良之助が開墾小屋をたずねた夜にも、すでに三人の先客があって、炉ばたに芋焼 酎の徳利がならび、桐野利秋の大声がひびきわたっていた。 増田の顔を見るなり、桐野はうれしそうに、 「やあ、 いところへ来た。九州と長州の俊秀が期せずして集まった。東京からの同志もいるそ」 三人の先客の名は、熊本敬神党 ( 神風連 ) の使者野口満雄、長州前原党の今田浪江、在京の永岡久 茂党の藤本敬助だと桐野は紹介した。三人は増田宋太郎の名はかねて承っていると言ったが、増田は 相手を知らなかった。・ とれも一癖ありげな壮士ばかりだと思いながら、初対面のあいさつをした。 熊本の野口満雄が、 いカりまる 「われら敬神党は中津の皇学者渡辺重石丸先生のことはよく存じております。国体の本義と攘夷の根 本を堅持なされている当代の碩学として尊敬しております。あなたは重石丸先生門下の高足で : : : 」 「高足などと申されると恥入ります。僕は福沢諭吉の慶応義にも出入りして、いろいろと迷った揚 辺 句に・ 炉 「福沢ごとき開化の洋癖派は、名を聞くだけでもけがらわしい」 章 「そうでありましよう。しかし、彼の民権即国権の論にも聞くべきところがあります。ただし、現在六 の僕は重石丸先生の志をつぐべく決心して、郷里中津に帰っている。藩知事に進言して″皇学所″を 設立し、住吉神社の少宮司をつとめたこともあります」
て行けと、私も増田もひどく叱られました」 「ふむ、なかなか面白い先生らしいな。 ・ : それで、おまえはに残ったのか」 「私と朝吹は残りましたが、増田宋太郎は塾をやめて郷里の中津に帰ってしまいました。中津で同志 を集め、″田舎新聞″という新聞を発行しております。土佐、熊本、福岡、秋月、長州の前原一誠の党 とも連絡があるようです」 「そりゃあ、あぶない」 「はい、増田は朝吹とはかって、福沢先生を暗殺しようとしたことのある激しい男です。だいぶ以前 の話でありますが : ・・ : 」 「今はどうだ」 「福沢先生の説と態度は理解しているようです。いつであったか、増田が″西郷という人物をどう思 いますか″と質問したら、福沢先生は″西郷は現政府と官員の敵だが、人民の敵ではない。その証拠 には、政府は西郷がいっ立上がるかとびくびくしているが、人民は西郷の一日も早い蹶起を待望して いるではないか″と答えられたので安心した、と増田は話していました。 : 現に東京では今年春ご ろ西郷先生が五千の兵をひきいて鹿児島を出発なされたという噂が流れました。ただの流説だとすぐ にわかりましたが、増田宋太郎は先生の御心底をたしかめたく、私を強制するようにして鹿児島まで 同行して来たのであります。まじめな男で、学問もあります。会っていただけないでしようか」 「会わぬ。会っても本人のためになるまい」 「しかし、それでは : 112
桐野自身が私学校二万の健児をひきいて我らに呼応するにちがいありません」 今田は気の弱い男で真相を語ることができす、前原をあざむいたという説もあるが、必すしもそう ではなかろう。彼自身の若い闘志が生んだ希望的観測と見るのが正しいようだ。正直な前原一誠は門 弟の言葉を信じた。それが彼の蹶起を早め、悲惨な敗北につながったと見る人もある。 柚木良之助は、増田宋太郎と共にしばらく鹿児島に滞在した後、熊本から阿蘇高原にクほり、日田 の水郷と耶馬渓を遊覧し、増田の郷里豊前中津に行った。 西郷は軽々しくは立たぬという杣木の観測に、増田も同意したが、 「しかし、時機は案外近いそ。政府崩壊の兆はすでに現われている。ます萩か熊本が立って、動乱は ・全国にひろがる。そうなれば、鹿児島も立たざるを得ない。ただし、おれは西郷先生が動くまでは動 ・かぬことにきめた。おれは豊前と筑前方面を固めるから、おまえは、もう一度上京して、形勢を観望 しろ」 柚木は中津から下関に出て、横浜行の汽船に乗りこんだ。台風の季節もすぎて、秋も終りの瀬戸内 ・海は赤土の小島と松の緑に飾られた湖のように静かで美しかった。左舷に流れる長州の山々と海岸の 風景は、その山の彼方で反乱が準備されつつあるとは思えぬ平和な眺めであった。 下関を出港して一時間あまり、杣木は甲板に立ちつくしていたが、そろそろ船室にもどろうと階段 の方に歩きかけたところを、だしぬけに呼びとめられた。 「やあ、やつばり君だったな」 物おう、藤本君か」
「それも承っております」 そばから桐野利秋が笑いながら、 「増田君、あんたは討薩論を唱えて、実行に移しかけたこともあったな」 「ありました。三年ほど前に自百して禁獄六か月に処せられました。討薩論の責任はとったつもりで 「なぜ薩摩を討たねばならぬと考えたのかな」 二十七歳の増田宋太郎は目を青光りに光らせて、 「鹿児島県だけが封建の旧習と士族の特権を維持し、禄制も税制も改めず、独立国のごとく振舞って いたからです。 ・ : しかし、西郷先生やあなた方が下野して以来、薩摩独立の元凶は久光公であり、 これに妥協し援助したのは大久保を始めとする在朝の薩閥の大官どもであることが判りました。封建 の旧習はいずれ改まる。そんなことよりも、維新の大目的たる国体の根本を確立し、国威を海内に宜 揚することが急務であり、そのためには西郷先生をはじめ、あなたや篠原さんに協力することが本道 だと思いなおしたので : : : 」 「しかし、木戸孝允をはじめ長州閥はいまだに討薩論を唱えているそ」 「それは彼らの視野の狭小と権勢慾を証明するだけのことです。 : : : 南洲先生がひとたび立上がれば、 中央の専制も鹿児島の旧習も一挙に掃減できます。あなた方はいっ : 「出たそ、出たそ。あっはつは」 桐野の哄笑が増田の熱弁を絶ち切った。 116
「実は、先生。豊前中津の増田宋太郎を同道してまいったのでありますが、御面接願えないでしよう 力」 「豊前の増田・ 「福沢先生の縁者で、慶応義塾に籍をおいていたことがあり、僕はいろいろと指導と啓発をうけ、ひ そかに兄事している人物であります。実は、これまでも一度、鹿児島に来て、桐野さんにはお目にか かったが、まだ西郷先生にはお会いできなかったので、今度は。せひお目にかかりたいと中しますので 吉之助はしばらく黙っていたが、 「一人に会えば、十人に会わねばならぬ。十人に会えば、百人、千人になる。会わぬに越したことは 子ノし」 「は事の ? 」 「その増田君とかが、おれや桐野に会いに来たというのも、いずれ豊前中津の不平党を代表してのこ とであろう。言うことはわかっている。西郷はいっ立つか、いっ政府顛覆の軍を起すか : : : 」 「はい。中津にかぎらず、全国の有志の望みはひとえに先生にかかっております」 「柚木。おまえは慶応義塾で何を学んだのだ。福沢論吉という男は政府顧覆党か。おまえが送ってく れた彼の著書では、最も広く深く世界の大勢に目をそそいでいる人物に見えるが」 「福沢先生は岩倉、大久保の専制政府には大反対党ですが、真の愛国者だと、私は思っております。 その点、西郷先生のお考えに最も近い人物ではないでしようか」 えんじゃ 109 第六章炉辺放談
大乱はこれより始まる。鹿児島も必ず動くそ。桐野氏は自重論を説いたが、私学校党は旧軍人の豪傑 と血性の青年そろいだ。いかに西郷先生が抑えても大爆発は近い。君はそう思わぬか」 柚木は返事をしなかった。藤本はにやりと笑って、 「何も考えこむことはないそ。君はずっと増田宋太郎と行動を共にしていたのだろう。あれは豊前の 神風連だ。豊後の鶴崎には毛利空桑門下の頑固党がいる。これもきっと動くそ」 : もうタ飯ですね。 「僕は何も知りません。増田さんと日田川の鮎を食って帰ってきただけです。 今夜は酒でも飲みましようか」 「神風連の壮挙を祝してか」 「いや、何だかしらぬが、飲みたくなったのです」 横浜に着いた柚木良之助は、桟橋で藤本と別れ、人力車をひろって桜木町まで行き、駅の売店で新 聞を探した。日付の古い読売新聞と当日の東京日日新聞だけが売れ残っていたので、一部ずつ買って序 待合室のべンチに腰をおろした。汽車の出発までには、まだ三十分ほどあった。 動 いかにも通俗新聞らしい書き方で、次のような記事がのっていた。 まず読売新聞をひろけてみると、 章 「本日は日曜日で新聞はお休みでありますが、今度の熊本の騒ぎにつき、皆さんがいかにも心配なさ七 る様子ゆえ、先日からの続きをすり立て、昨日の風聞をお目にかけます。 さて、熊本県庁は焼けませんで、打ちとった者が三十人、縛られた者が十二人、腹を切った者が全
藤本は用心深そうに唇をひきしめて、 「それは明言できることではありません。私どもは永岡先生の命令に従うだけで。 ている同志の動静は桐野先生の方が詳しく御存知でしよう」 「知らんな」 「評論新聞の海老原先生から報告があったと思いますが : : : 」 この藤本敬助という八字鬚の三十男が政府の密偵であったことは後に判明するのであるが、桐野不 秋はそれを知ってか知らずにか、無警戒なと・ほけた顔で、 「評論新聞はときどき読んでいるよ。しかし、海老原という男はおれに輪をかけた大法螺吹きだ。あ の一党の書いたものを見ると、政府は明日にもひっくりかえりそうに思えるが、そう簡単にはいくま し」 柚木良之助がたずねた。 「桐野先生は自分を法螺吹きだと認めておられるのですか」 桐野は苦笑して、 放 「言うことが大きすぎると言って、いつも西郷先生に叱られるから、つまり法螺吹きだろう。近ごろ辺 炉 は、大いに反省し、大いにつつしんでいるつもりだが : 章 増田宋太郎が、 第 「あなたは、現政府はそう簡単には倒れそうにないとおっしやったが、その理由を聞かせていただき たいものです」 : 東京に集まっ
り解散を命じ候ところ、ついに兵器を携え公金を奪い、石州地方に向け脱走し候旨、同県より電報こ れあり、きびしく追捕すべき旨その筋に相達し候につきては、自然右賊徒は各県地へ散乱、或は潜匿 もはかりがたきにつき、きびしく探査をとげ、捕縛いたすべ く、この旨相達し候こと」 柚木は背筋が寒くなり、両膝がふるえはじめた。前原がついに立ったとすれば、鹿児島の私学校党 は、そして中津の増田宋太郎の一党は、どう出るか。 「やあ柚木君、まだいたのか、大変だ、大変なことになったそ」 呼びかけたのは八字鬚の藤本であった。 柚木は新聞を膝に落して、 「いま、読んでいたところです」 「ちがう、ちがう、熊本でも萩でもないそ。東京で永岡久茂先生の一党が蹶起した。おれの同志たちだ」 「えつ、どこを襲撃した ? 」 藤本は眉根にしわをよせてみせて、 「いや、それがな。 : : : 事を挙げるのは千葉の予定だったので、同志数十名、隅田川を舟で下ろうと したとこを、思案橋付近で警官隊に包囲され、激闘して双方多数の死傷者を出したということたが、 永岡先生の安否はまだわからぬ」 「やつばり失敗か」 133 第七章動乱の序曲
古之助の声は大きかったが、柚木青年はひるまなかった。燃える目で吉之助を見つめて、 「思いっきを中しているのではありません。福沢先生は自ら臆病者と称し、政府との正面衝突は用心 深く避けています。かの明六社を解散し″明六雑誌″の廃刊を主張したのも福沢先生であります。新 聞紙条令と讒謗律のもとでは、学者論客は政府の犬になるか、全員投獄されるか二つに一つだが、自 分はどっちもいやだというのが理由だったそうです。 : : : 私どもはその時の先生の消極主義に憤慨し ました。幸いに私は増田宋太郎や同じ中津出身の朝吹英二と親しくしていて先生の自宅に出入りを許 ・ : 先生は笑って、おまえらは人民の権利、 されているので、三人でおしかけて行って直言しました。 ほうらっ 人権というものをどう解釈しているのか、権利とは自由放埓のことではない、権はライトであるが、 この横文字を日本語になおせば″本分″という字が一番あてはまる。各人がおのれの本分を守って義 務をつくし、同時に他人や政府が個人の本分をおかすことを拒否するのが民権の主張というものだ。 おれは民権を伸ばして国の基礎を固め、日本が独立国たる面目を世界に示すことを生涯の目的として いる。この志は決して捨てぬ、と中されました」 吉之助はうなすいて、 「一身独立して、一国もまた独立す、と福沢の本の中にあったな」 「そうです。人間が平等であるように、世界各国も平等であるから、他国が理由なくわが国の権義を 「なにつ、何を言うか」 110
って行くだろう。しかし、必すそのうちに狸は尻つ。ほを出す。 : : : 維新の一挙は自然に成ったものだ。 天の理と時の勢いに従って人間が動いた。だから、伏見鳥羽以来、勝つはずのない戦争にことごとく 勝った。ここのところを見あやまって、軽挙盲動すると、 いたずらに功名を竸い、権勢を争う私戦に 終ってしまう」 増田がいらいらと膝をゆすりながら、 「あなたは薩摩人だから、そういうことも一 = ロえるのです」 桐野は首をふって、 「今田君が首領と仰ぐ前原一誠氏は長州人だ。参議、陸軍大輔もっとめた。土佐の板垣君にしても同 じこと。おのれの責任と郷土の子弟の運命を思えば、私憤や小不平によって軽挙はできない。必ず自 重するであろう」 「西郷先生も同じ考えだと思ってよろしいのですな」 「そう、おれが昔の猪武者にかえりそうになるたびに、大目玉先生から説法されたことを、そのまま ここで取次いでいるのだと思え。今は隠忍自重の時た。自ら踏むべき条理を守って、志を養い、時勢 の動くのを待って、廟堂の腰抜けどもを一掃する」 「その時機はすでに熟しております」 「まだまた、あわてちゃいかん。国内のことばかり考えていると、視野がせまくなり、ただの不平党 になる」 藤本が素早く先まわりして、 うどめ