てやろう」 これが私学校の始まりであった。桐野、篠原、村田を呼んで相談すると、まず桐野が、 「荒れ馬の調練所なら、たしかに必要です。実はおれも突出組の家元と見なされて、まだかまだかと 若者どもに突き上げられて弱っていたところです」 慎重な篠原国幹も、 「荒れ馬は若い奴らだけではありません。県令の大山綱良までが、東京の出張先から手紙をよこして 〃大久保が北京に行っている間にすみやかに挙兵突出すべし、この機を逸しては恢復の機会はない″と 煽動してくる始末だから手におえません。 ・ : 私も至急、学校をつくることに賛成です」 村田新八が、 「しかし、篠原さん、大校舎を建てるとなると、金がいるそ」 「それにも名案がある。県庁に、旧藩庫から引きついだ金が百万両ほど遊んでいる」 「ほう、百万両も : : : 」 「正確には九十何万両だったと思うが、校舎の建築と当分の経費には、その一部をまわしてもらうだ けで充分だ。大山にはおれが話す」 「大山は兵学校にしたがるだろうな」 「おれは文武両道だ。武技も錬り、学問もさせる。しかし、兵学校だと言えば、大山は一も二もなく 賛成するたろう」 そのとおりになった。県令大山綱良は喜んで建設費の支出を承諾し、その年の六月の末には、御厩
「あれは、早くから陸海軍両省の管轄に移してある」 「名義だけだ。現地にあるかぎり、私学校党の手中にあるのと同然だ。僕は昨年来、これを大阪に移 せと主張し献言したが、陸軍省の大山巌と海軍省の川村純義が反対してそのままになっている。大山 も川村も西郷の親戚だったな。危険とは思わぬか」 「大山も川村も、いま武器と弾薬を撤去すれば、暴発の導火線になると見てとったのだ。その見方の 方が正しい。この際挑発に類する行為は絶対に避けたい」 「鹿児島人としては、そう言いたいだろう。大山巌少将は熊本鎮台司令官に任ぜられながら、鹿児島 人と戦うことになるのはいやだと言って、司令官を辞し、土佐の谷干城に代ってもらったではないか」 「邪推もほどほどにしろ。あれは陸軍卿の山県が大山を本省に必要な人物と見て、谷に差しかえただ けのことだ」 「それだけではあるまい。鹿児島の私学校党をのさばらせているのは、中央政府の中の鹿児島人の無 気力と無用の寛容だ。否定できるか」 木戸の論理と舌鋒は鋭い。さすがの大久保もたじたじとなって、 「病人のくせに、元気なものだな」 「病気などにかまっておれるか。一刻を争う危急存亡の時だ」 「たしかに武器と火薬庫の撤去は考えなければならぬ」 「考えるだけでは間にあわぬ。明日にも実行しろ。政府の大黒柱は君だ、君なら実行できる」 る」 175 第十章爺さん婆さん
を報告したが、大山は、 「それは容易ならぬことだ。おれは県庁に行き、巡査を召集するから、おまえは一等警部中島健彦の 家に行き、対策を相談せよ」 と答えて追いかえした。新納大尉は言われたとおりにしたが、中島警部は不在であった。たぶん私 学校党の幹部会に出席していたのであろう。 大山綱良は人力車を支度させ、ゆっくりと県庁に向った。途中で、深夜の町を人力車と馬車が火薬 類を満載して走りまわっているのを見て、車夫に話しかけた。 いや、西郷自身にもどうにもなるまい。おれに取 「こりゃあ手がつけられん。桐野にも篠原にも : り鎮めろといっても無理だな」 県庁について宿直の吏員を起し、警部と巡査の召集を命したが、夜も明けたころ、目をこすりなが ら集まったのは十三人だけであった。 大山は笑って、 「相手は千人以上だ。十三人ではどうにもならん。陸海軍さんがあわててござるから、とにかく警戒 だけはしてもらおう。だが、おぬしらも私学校くさいから、うつかり現場には派遣できんな」 菅野海軍少佐は二月一日に造船所襲撃事件を正式の文書にして大山に提出し、″暴徒″の探索と所 員の保護を求め、もし県庁の力にあまるなら熊本鎮台に出兵を要請すると書き加えた。大山は菅野の 使者に答えた。 「いま兵隊を出したら、火に汕をそそぐようなものだ。もう一日だけ待てと伝えろ」 214
「しかし、君は大山綱良に押しまくられて : : : 」 「それはちがう。大山は西郷よりも年長で、とかく先輩風を吹かせたがるが、僕は彼に遠慮する筋合 はない。おそかれ早かれ、彼を県令の地位から追うことも考えている。だが、大山はもともと久光公 側近で、必ずしも私学校党とはきめられぬ」 「いや、君の北京出張中に、大山が東京から桐野、篠原に手紙を送り、今が突出の絶好期だと煽動し たという風聞もある」 「そういうこともやりかねぬ男だが、口先だけで実行力はない。西郷派からは警戒され、うとんじら れていることを知っているので、東京では僕の説をうけいれて県政改革に同意した。大いにやろうと いう話になったところへ、神風連と秋月党の乱がおこり、鹿児島大動揺の報が入ったので、大山は急 拠帰国し、県政改革は延期されたままになっているというのが真相だ」 「ふうん、それで ? 」 「事情がおちつき次第、改革は必す行う。現に、君の説をいれて、長州出身の内務少輔林友幸を派遣 した。必要なら、林を鹿児島に常駐させて、実情調査の上、改革に着手する」 「いや、林の件は、僕が人選をあやまった。 / 。 彼よ好人物すぎて、役に立たぬ。誰にたぶらかされたの か、鹿児島の県政は理想的で、役人はすべて西郷の精神を体して、愛民の政治を行っているから、暴 発の気配など全くない、などと馬鹿な報告を送ってきた。まさか、君は林の報告をそのまま信用して いるのではあるまいな」 大久保は薄く笑って、 17C
翌日、大山は東京の大久保内務卿あての報告書を二人の県吏に持たせて上京させたが、それは「襲 撃者は何者とも相わからず、目下八方捜索中」というとぼけた文書であり、同時に菅野少佐に与えた 手紙は、「造船所職員保護云々の趣きは、目下警部巡査各地へ出張中、人数甚だ少なく、手がまわりか ね候」という冷淡なものであった。 これには裏の理由がある。三十一日の早朝、中島健彦警部が登庁して大山に面会し、 「私学校徒の火薬庫襲撃の原因は、必ずしも赤竜丸の入港ではない。政府が刺客団を帰郷させ、校徒 の離間のみならず、西郷先生を暗殺し、その上で熊本鎮台に急報して軍隊を導き入れ、私学校徒の鏖 殺を企てたことが発覚したからだ。折りも折り赤竜丸が入港し、従来の慣例を無視して深夜弾薬を搬 出したので、ついに暴発となった。これを鎮圧するためには巡査を用いなければならぬが、現職の巡 査はほとんど私学校党です」 「ふふ、署長の野村と警察部長のおぬしを始め全部私学校党たろう」 「まあ、そ ううわけですな」 撃・ 「おれも政府の目から見れば私学校党だ。篠原や村田に言わせれば、彼ら以上の暴発論者だそうだ。庫 薬 火 ・ : まあ大いに期待して傍観しよう」 大山綱良は西郷の軍には参加しなかったが、後に捕えられて東京に護送され、長崎裁判所に転送さ章 十・ れて斬首の刑をうけたが、その原因はこのあたりから発していたと言えよう。 第
のため鹿児島に派遣させた。 二月の始め、黒田清隆が夜中ひそかに使者をよこして、黒岡季備という密偵の報告書を届けて行っ た。読んでみると、 「一、県下の形勢は目下のところ平静のように見えるが、これは汽船に例えて一言えば、発船の号令が ないので碇をおろしているだけのことで、蒸気は十分に煮え立っている。一旦碇を引切れば、必ず暴 発する姿である。大先生 ( 西郷 ) は日当山あたりで入湯中とのことだが、所在は不明、一カ所に三日 以上滞在することはないという。 一、桐野は四十日間だけ暴発を見合わすべしと私学校生徒に説論したという。桐野の宅には、暴発を 迫るため、多人数代る代る押しかけ、時には徹夜に及ぶ由。 一、桐野は彼らの前で″大先生は外患が起った場合のほか立つなと申しているが、その説は古い”と 嘲笑したとの評判。 一、私学校は大久保参議、松方大輔、川路大警視を憎むこと最も甚だし。 一、何かの話に、大先生は大山巌陸軍少将を評して、大山も命を惜しむようになったかと中されし山。 一、暴発出京の趣旨は、内政改革と民権拡張の説である。 一、旧知事公 ( 島津忠義 ) と久光公も、時宜によれば御出京の模様。君側及び門閥の輩もよほど奮発 の由。 一、貴島卯太郎等数人、私学校党の義絶に逢いたる由。右は事あるの日は東京へ内応する企てあり、 その連判状を取上げられたる由。 177 第十章爺さん婆さん
赤竜丸はこの慣例を無視した。県庁にも警察署にも届けず、造船所次長の海軍少佐菅野覚兵衛ほか 数人の政府側の責任者にひそかに連絡し、深夜、馬と車を使って運び出した。県令大山綱良も警察署 長野村忍介も私学校党であることを知 0 ていたからだ。そのうえ、鹿児島士族は新式のスナイドル銃 をほしがり、弾薬の市価も騰貴していた。武器庫の銃の多くはスナイドルで、火薬も優秀品、しかも その購入と製造は士族の多年の納米によるもので、これを他に移すことがわかれば、士族の目には政 府による″掠奪″に見える。いかに真夜中に運んでも、私学校党のきびしい監視網をのがれることは できない。川村純義のおそれたように″掠奪。に対する″逆掠奪″が起るのは当然であり、果してそ のとおりになったのであるが、さらに事態を悪化させたのは、中原尚雄一党の″西郷暗殺計画″が時 を同じくして摘発されたことである。爆発の導火線は二重になった。 191 第十一章西郷暗殺団
久光という厄介物の存在によって、特殊な独立国の観を呈していて、廃藩置県も税金問題も徴兵令も この県には、まだ徹底していない。しかし西郷は廃藩と徴兵令を、″薩摩守に弓を引く〃覚悟で実行し た男だ。いかに久光が横車をおしても、西郷はこの新制度を自分の手でこわして、旧にもどす心配は 万が一にもなかろう。 しかし、県令には大山綱良という横紙破りがおり、西郷党を事実上牛耳っているのは桐野利秋とい う猪武者だ。これらが久光派と結べば、少なくとも二万の士族が団結する。鹿児島に対しては、ます 密偵政策を用いて、抜本策の根まわしをしておくよりほかはなかろう。 大久保は鉄血宰相ビスマルクと弾圧者ティエールを気取るつもりはなかったかもしれぬが、しかし、 おのれの方針をつらぬくためには彼らの弾圧政策を敢て学ばなければならぬ。 しかも権力をふるうことの快味と魔味はようやく彼の骨髄をおかしはじめていた。独裁者の誕生で ある。これがやがて、三十年の親友にして同志たる西郷吉之助を死地に追いこみ、同時におのれの横 死の囚をつくろうとは、少なくとも明治九年半ばの大久保利通の予想しなかったことであった。 ぎゅうじ かみ
猪の肉の煮付、錦江湾の小鯛の塩焼をはじめ、心づくしのお国風の料理の数々、西郷家としては精一 杯の御地走であった。 さかすき 菅実秀を正座に据えて、吉之助は七人の客の前にかわるがわる進み出て、鄭重に″盃をちょうだい″ してまわった。 「大きいからだを小さくして」と石川静正は日記にしるしている。返盃の時には、鉢の肴を箸ではさ んで、一人一人にすすめた。 ひとわたり盃がまわった時には、吉之助の顔は首筋までまっ赤になっていた。 吉之助は末席にかえって、首筋をなでながら、 「わたしは若い時には少しは飲めましたが、近ごろはまるで駄目で、ごらんのとおりゆでダコのよう になり、もう自分の手足が八本に見えます」 と言って一座を笑わせ、 「だが、あなた方は若い。下戸のわたしにはおかまいなく大いにやってください」 一同、くつろいで、にぎやかな酒宴になった。詩吟からはじまって、庄内のお国ぶりの歌も出た。 酒興もたけなわになったときに、石川静正が、 「そう一言えば、桐野先生もあまりお飲みにならなかったようです。やはり私学校の規律がきびしいせ いでありますか」 いもじようちゅう 「いやいや、桐野はもともと下戸だったのが、近ごろいくらか芋焼酎も飲めるようになった。篠原、 おしすけ 村田、別府晋介、野村忍介、大山綱良、みな相当にやります。酒の上での第一等の豪傑には辺見十郎 さかな
「西郷は鹿児島に帰っているのか」 「おそらくまだでしよう。この報告にあるとおり、日当山方面に姿をかくしている様子。したがって、 騒擾は桐野、篠原らの : : : 」 「もしそれならば、大事に至るまい」 「いえ、南洲翁が不在ということは、かえって危険です」 : おまえは、西郷の意志如何にかかわらず、暴発は不可避と見るのだな」 「そうも考えられる。 「左様。詳報を待って対策を講じたのでは、すでに手おくれ。警視庁はすでに巡査二千名の増員を完 了し、いつでも現地に派遣できます。閣下はただちに陸海軍を動員して : : : 」 「鹿児島のことは、まず鹿児島人が責任をとらねばならぬ。おまえはすぐに岩倉邸に参上し、それか ら伊地知、吉井、大山、小西郷、黒田、松方、野津兄弟らを召集せよ」 「御巡幸のお供で京都に行っている者もだいぶおりますが : : : 」 ん さ 「在京の者だけでよい。今夜中に、ここに呼び集めるのだ」 婆 「かしこまりました」 、 - 御巡幸さ 川路がとび出して行ったあとで、大久保は筆をとり、京都にいる伊藤博文に手紙を書した。 , 巛 爺 中の陛下を驚かし奉るのは、まだ早すぎるが、伊藤に知らせておけば、すぐに木戸と三条の耳に人る。 十 黒田と川路の情報を簡明に要約して、 第 いずれにしても、この節は破裂と見据え候ほかござなく候。その情態を臆察するに、この度の ・ : 西郷は一 暴挙は、必ず桐野以下班々の輩 ( とるに足らざる連中 ) において即決せしに疑いなく、