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検索対象: 西郷隆盛 第22巻
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1. 西郷隆盛 第22巻

り・・レ J . し ) 勹 , 。 久光父子は鎮撫の命を奉じ、実行を奏し、上京御礼中上ぐるとのことなり」 同じく四月十日の項には、高崎正風の現地視察の報告を記して、 「鹿児島の近況は全く賊地同様にて、黒田中将は機械場を破壊し、目にふれたかぎりの弾薬を始末せ しのみにて、勅使退去後は以前の光景に復し、現にこのたび淵辺高照、別府晋介等千五百の兵を招募 して、八代ロに出撃するという。 勅使と黒田中将の鹿児島に在りし時も、淵辺、別府等は城下または地方に身をひそめいたりという。 黒田中将が久光父子に面会した際は、全く君臣の如く、同じ席に入る能わず、久光もまた傲然とし て黒田に対せり。実に今日朝廷のため一歎息なり、故に、余は始め山田顕義少将の派遣を主張せしが、 情実により一Ⅱ決定せしものが一変せり 私の交際を以て、黒田が久光父子に面会する時は、旧誼を思い、礼節をつくすのも当然なれど、朝 命を帯びて鹿児島に行き、国家の大典を明らかにするに際し、かかる挙動はいたずらに朝命をあやま るものなり」 いかにも、木戸らしい慷慨悲憤ぶりである。 しかし、三十八歳の黒田清隆は彼自身の流儀で動いて、久光慰撫と大山綱良逮捕を二つながら巧み に実行した。 きゅうぎ 165 第十章勅使の艦隊

2. 西郷隆盛 第22巻

第十章勅使の艦隊 三月四日、田原坂攻防戦が白熱しているころ、政府軍の主力艦が、しかも八隻、突如として鹿児島 湾に現れた。 軍事的には空き家も同然の鹿児島城下は、上を下への騒ぎになった。久光の家令、市来四郎の日記 によ、れば、 「八隻の軍艦の見えしより、一統の騒動ひとかたならず、家財道具を山中の田舎へ持ち運び、老幼を 携えて走りちがう有様、今や砲撃のはじまるが如し。巡査は辻々に出でて制すれども、カに及びかね たり。終夜、騒ぎ通しなり」 その夜、大山県令は久光の呼出しをうけた。出頭すると、久光は不快と不興の色を満面にあらわし て、 「先日の英国領事の報告とはちがい、軍艦には勅使が乗っているそうだ。勅使でありながら、この物 々しい武備は何事だ」 英国領事は、先月の半ばごろ、医師ウィリアム・ウィリスの引取りと現地視察をかねて来訪したの だが、その折り、日本政府は近く鹿児島攻撃のため艦隊を差向けるらしいと、久光と大山県令に告け 158

3. 西郷隆盛 第22巻

勅使一行が神戸港を出航した時の護衛艦は四隻だけであったが、黒田はます福岡に寄港して総督本 営の山県有朋、川村純義と協議し、軍艦を八隻に倍加して、陸兵と巡査隊を増強した。久光の大叔父 で旧福岡藩主の黒田長溥を同行したのも黒田の案であった。 鹿児島入港後の行動も慎重そのものであった。勅使一行は三日間海上にとどまり、密偵と偵察隊だ けを上陸させて市内の状勢を探った。城下は大混乱していたが、私学校党の兵力は全く残っていず、 久光もまた勅命に従うことがわかった後に、はじめて勅使は久光邸を訪問した。 しかし、ここで大山綱良を取り逃がしたのでは、軍艦八隻をひきいてきた甲斐がない。黒田は福岡 で岩倉具視の次のような手紙を受取っていた。 「大山はなにとそ方略をもって捕縛に相成りたきものに候。逮捕尋間すれば、外国人を通じて武器を 註文したことなども判明し、また今後、金殻弾薬運搬の道を断絶いたすことも可能と存じ候」 黒田は各所に密蔵された武器弾薬類を没収し、中原尚雄以下の密偵団を収容所から解放して軍艦に 移すことからはじめて、大山には手をつけるそぶりも示さなかった。 大山は形勢を察して、自宅謹慎の届け書を出したが、黒田は一応それを受人れた上で「県令と県官 こ入れるまでは自山に遊一 には別に嫌疑はないから、従前どおり出勤執務せよ」と通達した。猛禽は籠冫 ばせておいた方が安全だ。 市来四郎は十一日の深夜、またひそかに大山の茶の間を訪ねてきた。 「おい、また寝酒か。のんきすぎるそ。黒田の巡査隊は吉野村の高菜畑に埋めてあった弾薬箱まで嵎 り当てた。村の子供に銭をやって案内させたという」 きん

4. 西郷隆盛 第22巻

一日幕時代以上の不公平と不条理が横行している」 申すが、実はー 大山は両手をついて、 「いかにも公正なる御意見と拝察いたしまする」 この屋敷では昔ながらの藩主と藩士の礼法が維持されている。それを敢て無視したのは、西郷吉之 助ぐらいなもので、横紙破りで聞えている大山綱良でさえ、久光の前に出ると茶坊主のようにかしこ まらなければならない。 久光はなおもはげしく政府の処置を攻撃したあとで、言葉をやわらげ、 「奈良原の内報では、勅使はそなたに対しても何らかの処置に出るらしい。おそらく大久保、木戸ら の巧らみであろうが、十分に気をつけるがよい」 その夜おそくなって、大山が自宅の茶の間で寝酒を飲んでいるところへ、親友の市来四郎が人目を しのんで訪ねてきた。 「おい、今回の勅使下向はただごとではないそ。表向きは御老公の慰撫だが、実はおまえを狙ってい 大山はじろりと市来をにらみかえしただけで、何も言わなかった。市来はいらいらと膝をゆすって、 「おれは西郷、桐野の徒とは肌が合わぬし、縁もゆかりもないが、幼な友達のおまえだけは助けたい。 ・ : 逃げろとは言わぬ。断乎出撃しろ。幸いおまえの手には巡査隊がある。それをひきいて熊本に行 る」 8

5. 西郷隆盛 第22巻

た。大山は覚悟して、中原尚雄以下の密偵団を収容した留置場が海岸近くにあったのを県庁構内に移 し、西郷軍に送るために集めた武器弾薬食糧の類を田舎にかくすなど対策を講じていたが、勅使とは 全く思いがけなかった。 久光はますます不機嫌になって、 「政府は余が西郷の党に同調したと疑っているのだ。無礼きわまる。 : : : 奈良原繁が先刻、余に内報 してきた」 奈良原は今は大久保に密着しているが、久光への忠義立ても忘れない。そんな男だ。 「勅使は柳原だが、黒田清隆と高島鞆之助が随行している。二人とも薩藩士のくせに、余の心底を邪 推するとは以ってのほかだ」 「お怒り、ごもっともと存します」 ながびろ 「艦隊司令官伊東祐麿も藩士だ。陸兵三個大隊と巡査隊を積みこみ、おまけに余の大叔父黒田長溥を まで乗せているという。武力で脅かし、人情でからめようというのか」 「いえ、武力は私学校に対するものでございましよう。長溥公の御出馬は、つまり政府がそれほどま の でに御老公を重視している証拠で : : : 」 「気やすめを申すな。余は私学校党の暴挙も許さぬが、政府のやり方もことごとく気に入らぬ。 章 明日は勅使がこの屋敷にくる。聖旨はつつしんでお受けするが、黒田、高島、伊東ごとき旧家臣には十 絶対に頭は下げぬ。現政府は喧嘩両成敗ということさえ知らぬ。西郷、桐野、篠原の官位を剥奪する なら、同時に大久保、川路、黒田らをも罰すべきだ。余が左大臣なら必ずそうする。文明開化などと

6. 西郷隆盛 第22巻

く二月十三日に、伊藤が大久保に送った電報には・「島津久光、西郷大将の挙動はいまだ分明せざるも、 まず暴徒に党与せざるものと見なし : : : 」という一節がある。 しかし、この二月十三日には、全県下の私学校党は武装して鹿児島の町に集結し、翌十四日には私 学校校庭で、西郷吉之助による雪中の閲兵式が行われた。 鹿児島から帰った川村純義と林友幸が高雄丸で神戸に急行し、山県有朋、伊藤博文と会談したのは、 十二日の深夜であるが、ここでも、西郷が反乱に参加しているか否かが重要な論点になった。 Ⅱ村純義は言った。 「いずれにせよ、私学校徒の暴発は既定の事実であるから、至急陸海軍を配備しなければならぬが、 西郷自身は現に自分との面会を承諾した。自分も上陸の用意をしたが、熱狂した私学校徒に妨げられ た。桐野、村田、辺見らは武装兵を艀舟につみこみ、高雄丸奪取の気勢を示したが、おそらくこれは 西郷の意志ではあるまい。西郷の誠忠の志は疑うべくもなく、思慮も周到の人物であるから、親族の ひいき目ではなしに、大義も名分もない暴徒と行動を共にすることはない、と信じている」 林友幸も同じ意見を述べたので、伊藤博文も同意した。 「私は西郷の人物をよく知らぬが、現地を見て来た川村、林両氏の言葉を信したい。西郷が江藤の乱 出 にも前原の乱にも、よく校徒を抑えて立たしめず、特に最近は他県よりの来訪者を避けて山中の温泉 に身をかくしているという情報は軽視できない。征討令を出す前に勅使を派遣して、まず久光公父子三 と西郷大将を渦中から救出することが良策ではないか」 山県有朋は百をふった。

7. 西郷隆盛 第22巻

るるに足らぬが、西郷までお花見気分に巻きこまれては一大事だ。 とじようし 川路は最初から武力弾圧論であった。外城士出身の彼には少年のころから城下士族には恨みこそあ れ、恩も義理もない。特に中原尚雄以下数十人の部下が逮捕され、拷問されたという知らせをうけて 以来、激しい復讐心の虜になったかのように見える。彼の眼中にはもはや西郷も久光もなかった。 海老原穆を私学校徒の煽動者だとすれば、川路利良は政府部内の煽動者だと一 = 〔える。彼の度々の進 言に影響されて、西郷だけは動かぬという大久保の確信もゆらぎはじめた。 その日の閣議の後、大久保は陛下に拝謁したが、自ら鹿児島に赴くという主張は取り下げ、熾仁親 王を主班とする勅使下向のことを異議なく受人れた。 99 第五章征討令発令

8. 西郷隆盛 第22巻

まず宮内卿が、 「昨日の閣議の模様は、太政大臣が詳しく上奏中上げましたが、陛下の御心痛は見るもいたましいほ どでありました。陛下はかねてから西郷の忠節を深く御信頼なされ、今もなお国家の柱石とお認めに なっておられます。大久保の中すとおり、反徒に組するごときことは決してあるまいが、久光一派に も不穏の動きがあることだし、西郷を渦中より救うためなら、勅使派遣を早急に取りはからうがよか ろう、と仰せられました。ただ 「ただし ? 」 「大久保が現地に赴くことは許さぬ、木戸が前線に出ることにも賛成できぬ、と仰せられました」 大久保はかすかに青ざめて、 「三条公は閣議のありのままを上奏したのでしようか」 「三条公の上奏は公正であったと思います。大久保の決意は動かしがたいから、勅使の中に加えたい とさえ中されたのでありますが、陛下は言下に、それはならぬ、大久保を手離したら政府の機能は停 止すると申されました。この上ない御明断と拝察致します」 発 令 伊藤博文がつけ加えた。 討・ 「陛下はこんなことも中されたそうです。大久保はおのれの主張が通らぬと、病気と称して閣議に出征 なくなることがある。自己の信念に忠実なのは結構だが、形勢は重大、勝手に病気になってくれるな 第 「そ、そのような

9. 西郷隆盛 第22巻

Ⅱ寸君のいうとおり、西郷の去就 都の三条公と東京の大久保公に君の軍略を報告しよう。 はまだ不明だ。大久保公も西郷は立たぬと信じているらしい」 「信じるのは勝手だが、武官には武官の立場がある。とにかく、おれは川村君と相談の上、陸海軍の 動員を強行する。反乱が全国に波及し、交通通信が分断された後に右往左往したのでは、すでに敗戦 と同じことだ」 「よし、陸海軍の手配は諸君にまかせる。おれはすぐに大久保公に電報して訓令を待つ。幸い明日は 陛下が大阪に行幸される。ただちに御決裁を得ることもできよう」 伊藤はその場で電報を打ったが、その電文の中に、先にのべた″久光公と西郷の挙動はまだ明らか くみ ではないが、まず暴徒には与せざるものと認む。両人に暴徒鎮撫の勅命を下されては如何〃という一 節があった。 この電報は大久保の手にはとどかなかった。彼はすでに汽船玄武丸に乗りこみ、西の強風と真冬の 激浪と戦いつつ神戸に向っていた。 返電は岩倉具視から来た。 「大久保参議は本日 ( 十三日 ) 横浜を発して貴地に赴きたり。百事、大久保と協議されたし。また柳諏 出 原前光元老院議官を同行せしめたるは、玉石ともに焚く憂いを除くべく、勅使を命・せらるることあら 章 んことを考慮したる故なり」 第

10. 西郷隆盛 第22巻

大山綱良はくるしそうにつぶやいたが、しばらくして川村にたずねた。 「政府は軍艦を下関に集めたと聞いたが、本当か」 「なぜ聞く」 「もしそうなら、戦争はもう始まったも同然た。おれは県令だし、久光公とも近いから、西郷の反乱 参加をくいとめたいと本気で苦慮しているのだが : 「おれは海軍大輔だが、軍艦を下関に集めたことはまだ聞いていない。艦隊は陛下の御巡幸に供奉し て神戸港と大阪湾にいる。 : かりに戦争がはじまって第、おれなら下関には軍艦は集めぬ。守るな ら、まず長崎だ。長崎は開港場で外国人が多い。暴徒が突入したら、厄介なことになる」 「長崎には、もう軍艦をまわしてあるのか」 「はつはつは、君の質問は私学校党のために政府の戦略をさぐっているように聞えるそ」 「ふふ、そうも聞えそうだな」 「君に明言しておこう。長崎にはすでに軍艦数隻を派遣してある。おれも実は西郷と面談できねば長 崎に急行せよという訓令をうけている。もし私学校党が長崎を襲うようなことがあったら、一撃のも断 とに打ちはらう。 甘いことは考えるな、と桐野、篠原らに伝えておいてもらおう」 「万事休すか。おれの調停も手おくれだ。帰るぞ」 「まことに残念だが、致し方ない」 川村は大山と野村を送って甲板に出た。舷梯を下ろうとする大山の肩をたたき、 「君も残念だろうが、西郷伯父も苦しかろう。私学校党がこれほど頑迷固陋だとはおれも思っていな