大山綱良 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第22巻
227件見つかりました。

1. 西郷隆盛 第22巻

それから約二時間後、大山県令と野村署長は高雄丸の船室で、川村純義と林友幸と対談していた。 野村の報告をうけた大山は篠原、永山、淵辺等と相談の上、この際、会うだけは会ってみるのが良 策だと結論した。・ 四郷吉之助よりも年長の大山綱良は川村のはるかな大先輩であるが、海軍大輔を県 庁に呼びつけるわけにはいかぬ。特に林内務少輔は官制の上では直接の上司であり、彼は先に鹿児島 視察に来たとき、大山の県政と私学校に極めて有利な報告をしてくれたことがある。しかし、この一一 人をしいて上陸させれば、私学校徒がだまっていず、最悪の場合は使節殺戮という結果にもなりかね まずおとなしく高雄丸に赴いた方が賢明たと判断したのである。 月村忝義が切出した。 席が定まり、あいさつが終ると、 「今回の訪問の目的はほかでもない。先に、政府が御用船赤屯丸に弾薬を移送させようとしたら、何 者かに妨げられて空しく帰った。つまり、物情騒然の情報がしきりなので、政府は実地視察のために ' 僕と林少輔を派遣したのだ」 大山は胸をはって答えた。 「物情騒然はごらんのとおりだ。弾薬略奪は何者かなどと遠慮せずに、私学校徒と申すがよい。すで に県庁からも届け済みだ。おぬしの耳に人っていないはずはない」 「私学校徒を激発させたのは何が原因か」 「これは白々しい。県令として公平な目で見ても、深夜の弾薬運搬によってまず挑発したのは政府側

2. 西郷隆盛 第22巻

一日幕時代以上の不公平と不条理が横行している」 申すが、実はー 大山は両手をついて、 「いかにも公正なる御意見と拝察いたしまする」 この屋敷では昔ながらの藩主と藩士の礼法が維持されている。それを敢て無視したのは、西郷吉之 助ぐらいなもので、横紙破りで聞えている大山綱良でさえ、久光の前に出ると茶坊主のようにかしこ まらなければならない。 久光はなおもはげしく政府の処置を攻撃したあとで、言葉をやわらげ、 「奈良原の内報では、勅使はそなたに対しても何らかの処置に出るらしい。おそらく大久保、木戸ら の巧らみであろうが、十分に気をつけるがよい」 その夜おそくなって、大山が自宅の茶の間で寝酒を飲んでいるところへ、親友の市来四郎が人目を しのんで訪ねてきた。 「おい、今回の勅使下向はただごとではないそ。表向きは御老公の慰撫だが、実はおまえを狙ってい 大山はじろりと市来をにらみかえしただけで、何も言わなかった。市来はいらいらと膝をゆすって、 「おれは西郷、桐野の徒とは肌が合わぬし、縁もゆかりもないが、幼な友達のおまえだけは助けたい。 ・ : 逃げろとは言わぬ。断乎出撃しろ。幸いおまえの手には巡査隊がある。それをひきいて熊本に行 る」 8

3. 西郷隆盛 第22巻

「つまり逃げろということじゃよ、 「ちがう。黒田らはおまえの首を狙っているのだそ。おまえともあろう男が、おめおめ奴らに首を渡 していいものか」 返事はなかった。いつもの大山なら激しい言葉ではねかえしてくるところだが、西郷や大久保の先 輩で、薩藩随一の剣客といわれた男がまるで放心したように独酌の盃を重ねている。 おい、何とか一一一口え。おまえは西郷とは合わぬ点もあるだろう。桐野、篠原、村田どももおまえに心 を許していない。いまさら熊本に行って、彼らの下風に立っことはないと思っているだろうが、そん なことにこだわっている時ではないぞ。 ・ : 明日になれば、勅使は二の丸に来る。御老公とても聖旨 はお受けしないわけにはいかぬ。御老公が屈服したら、勅使はおまえを呼び出す。おまえは黒田や高 島の見ている前で平つくばる男ではない。そうすれば、勅命にそむいたとして縄を打とうというのが 奴らの魂胆だ。縄目の恥辱をうけるよりも、いさぎよくとび出せ。同し散るなら戦場で散ることだ」 「市来、好意はよくわかった」大山綱良は空になった盃を見つめながら、「おれも男の死に方を考えて審 いたところだ。 ・ : 死ぬときまったら、あわてることはない。寺田屋騒動以来、おれはこの手で多く使 の人間を殺してきた。殺した奴は殺される。やっと自分の順番がまわってきたのだ」 章 市来は背筋に冷気を感じた。大山が自分の殺した死者の亡霊に悩まされて眠られず、うわごとにも + それを言い、酒がすぎると狂気の発作を起して剣をふりまわすという噂を思い出した。 「大山、おれは帰るそ。勅使を迎える準備で今夜は徹夜だ。ただ、おれの言ったことだけはお・ほえて け」

4. 西郷隆盛 第22巻

勅使一行が神戸港を出航した時の護衛艦は四隻だけであったが、黒田はます福岡に寄港して総督本 営の山県有朋、川村純義と協議し、軍艦を八隻に倍加して、陸兵と巡査隊を増強した。久光の大叔父 で旧福岡藩主の黒田長溥を同行したのも黒田の案であった。 鹿児島入港後の行動も慎重そのものであった。勅使一行は三日間海上にとどまり、密偵と偵察隊だ けを上陸させて市内の状勢を探った。城下は大混乱していたが、私学校党の兵力は全く残っていず、 久光もまた勅命に従うことがわかった後に、はじめて勅使は久光邸を訪問した。 しかし、ここで大山綱良を取り逃がしたのでは、軍艦八隻をひきいてきた甲斐がない。黒田は福岡 で岩倉具視の次のような手紙を受取っていた。 「大山はなにとそ方略をもって捕縛に相成りたきものに候。逮捕尋間すれば、外国人を通じて武器を 註文したことなども判明し、また今後、金殻弾薬運搬の道を断絶いたすことも可能と存じ候」 黒田は各所に密蔵された武器弾薬類を没収し、中原尚雄以下の密偵団を収容所から解放して軍艦に 移すことからはじめて、大山には手をつけるそぶりも示さなかった。 大山は形勢を察して、自宅謹慎の届け書を出したが、黒田は一応それを受人れた上で「県令と県官 こ入れるまでは自山に遊一 には別に嫌疑はないから、従前どおり出勤執務せよ」と通達した。猛禽は籠冫 ばせておいた方が安全だ。 市来四郎は十一日の深夜、またひそかに大山の茶の間を訪ねてきた。 「おい、また寝酒か。のんきすぎるそ。黒田の巡査隊は吉野村の高菜畑に埋めてあった弾薬箱まで嵎 り当てた。村の子供に銭をやって案内させたという」 きん

5. 西郷隆盛 第22巻

煽動する大山綱良に吉之助は真顔で答えた。 「おれは大久保を君側の奸だとは思 0 ておらぬ。あれはあれで誠意をかたむけている。ただ、青年た ちを怒らせる多くの失政が現政府にあることだけは認める。その点を政府と大久保に尋問するために 上京するのだ」 大山は笑って、 「暗殺事件はどうだ。失政どころか、陰険きわまる陰謀た。大久保は昔からそんな奴だ 0 た。この一 件だけでも、大久保打倒の名分は立つ」 「そうはいかぬ。刺殺云々は中原某の酔余の放言だ。・ とう考えてみても、大久保がそんな命令を出す はずはない」 「動かぬ証拠があるじゃないか」 大山は西郷進発の後に捕えられ、東京に護送されて裁判所の訊問をうけ、長崎に転送されて斬首の 極刑に処せられた。彼が死を覚悟して西郷と私学校党を擁護し裁判官に抗論したからだと言われてい る。ただし、法廷における彼の供述書には、県庁は必ずしも西郷の上京と私学校党に協力したわけで はないことを弁明したかのように見える節も多い。これは、被逮捕者の気の弱りの故か、それとも裁 判官の作為か、必ずしも文字通りには信じがたい。私学校徒の挙兵については、むしろ煽動者であっ たと見る方が正しい

6. 西郷隆盛 第22巻

「おれも極力ひきとめるが、あんたも私学校幹部に考えなおすようにすすめてくれ。悪くすると、西 郷の命取りになる。国家にとっても、郷土鹿児島にとっても取りかえしのつかぬ大損失だ ! 」 だが、大山綱良の返事は冷たかった。 「貴公らのような高官が鎮撫に尽力するなら、多少の効果はあるかもしれぬ。しかし、どうかな。挙 兵突出論の根は深い。たとえ西郷を説得することができても、桐野も篠原も承服せぬ。桐野と篠原が 承知しても、一万二千の私学校徒は、騎手をふりおとした奔馬となって突出する。つまり西郷でさえ、 もはや鎮撫できない状勢だ。まして、おれのような奴がいかに努力しようとも、蚊が山を動かすより もむすかしい。もうあきらめているよ」 しかし、川村には挙兵反乱が西郷の意志であるとは信じられなかった。 " 暗殺計画 ~ などは全く論外 である。中央にいる西郷従道も、大山巌も、西郷の反乱参加は夢にも予想していない。川村もまた西 郷一族の一人として、そう思いたカった 「まだ望みはある。西郷に会えば、何とか局面打開の方法が見つかるかもしれぬ。面会を取りはからと ってくれぬか」 章 大山はうなすいて、 第 「よかろ、つ。 : さて、場所はどこにする」 「今日の午後一時、おれの親父椎原の家で : : : 」

7. 西郷隆盛 第22巻

かえす言葉もなく、市来は帰宅したが、その翌日の十二日、県庁の属官が大山の手紙を市来の家に 持ってきた・ 「昨日の酒は苦かったが、今夜はうまい酒を差上げたい。快く飲んで別れよう。夕刻までに必ず御来 訪を待っ」 日没を待って、市来は出かけた。大山家では陽気な三味線の音が門の外まで聞えていた。怪しみな がら奥座敷に入ってみると、大山の親類の者が大勢集まり、田畑大書記官をはじめ県官の主立った者 も顔をそろえ、出入りの芸者たちが三味線をひき踊り子を踊らせていた。まるでお祭りのような盛宴 であった。 大山は市来を自分と田畑大書記官のあいだに坐らせ、 「明日は勅使のお供で上京する。黒田のやり口は目にみえているが、おれ一人の上京ですむことなら、 お安い御用だ」 田畑が膝を乗り出して、 「県令閣下は、私どもがいくら引きとめても承知なされませぬ。実は私も覚悟しているのですが : : : 」 ( 彼は大山逮捕の後、新県令岩村通俊の赴任がきまると割腹自殺した ) 。 三味線の音がひとしきり高くなった。大山は三つ重ねの盃の小さいのをとりあげて、 「市来、受けてくれ、別盃だ。おれは大盃で行くそ」 「それにしても、大山 : : : 」 「 1 も ) つ、 。今夜は陰気な話はやめろ。陽気に行こう。 : 田畑、踊れ、おれが歌う」

8. 西郷隆盛 第22巻

大山綱良はくるしそうにつぶやいたが、しばらくして川村にたずねた。 「政府は軍艦を下関に集めたと聞いたが、本当か」 「なぜ聞く」 「もしそうなら、戦争はもう始まったも同然た。おれは県令だし、久光公とも近いから、西郷の反乱 参加をくいとめたいと本気で苦慮しているのだが : 「おれは海軍大輔だが、軍艦を下関に集めたことはまだ聞いていない。艦隊は陛下の御巡幸に供奉し て神戸港と大阪湾にいる。 : かりに戦争がはじまって第、おれなら下関には軍艦は集めぬ。守るな ら、まず長崎だ。長崎は開港場で外国人が多い。暴徒が突入したら、厄介なことになる」 「長崎には、もう軍艦をまわしてあるのか」 「はつはつは、君の質問は私学校党のために政府の戦略をさぐっているように聞えるそ」 「ふふ、そうも聞えそうだな」 「君に明言しておこう。長崎にはすでに軍艦数隻を派遣してある。おれも実は西郷と面談できねば長 崎に急行せよという訓令をうけている。もし私学校党が長崎を襲うようなことがあったら、一撃のも断 とに打ちはらう。 甘いことは考えるな、と桐野、篠原らに伝えておいてもらおう」 「万事休すか。おれの調停も手おくれだ。帰るぞ」 「まことに残念だが、致し方ない」 川村は大山と野村を送って甲板に出た。舷梯を下ろうとする大山の肩をたたき、 「君も残念だろうが、西郷伯父も苦しかろう。私学校党がこれほど頑迷固陋だとはおれも思っていな

9. 西郷隆盛 第22巻

大山綱良は微笑して、言葉をにごした。 「それは、政府の出方次第 : : : とおれは思っている。もし万一西郷が立てば、一万二千の私学校徒は 護衛のため、これに従うだろう。西郷は立たずとも、桐野、篠原は動く。物情騒然どころではないぞ。 この大山のカでも制御できぬ。おぬしら、今ごろやって来ても間にあう状態ではない」 日村はしばらく沈黙していたが、 「何もかも、おれには初耳だ。西郷暗殺などは思いもよらぬ。現に大久保はおれの神戸出航前に再三 電報をよこし、久光公と西郷だけは何としても渦中から救い出せと訓令した。三条公、岩倉公、吉井、 伊地知、松方はいうまでもなく、山県、伊藤などの長州組でさえ、西郷暗殺など考える道理はない」 「木戸孝允がいる。あの執念深い婆さんは薩派を目の仇にしている」 と大山県令は笑って、「おぬしも薩摩人なら、若い校徒の火薬庫襲撃くらいは大目に見てやれ。それ で万事まるくおさまる」 「とにかく、中原らのロ述書なるものを見せてもらえぬか」 「いつでもお目にかけるが、いま警察で整理中だ。ここには持参していない」 「君の言葉を疑うわけではないが、警察署で作られた自白書なるものは、軽々に信じることはできな 僕もはばかりながら西郷一族だ。せつかくここまで乗出して来たのだから、自分の手で徹底的に 取調べ、西郷暗殺の疑いを解き、私学校徒の憤激を鎮めたいと思う。 : 西郷の挙兵東上が本気であ ろうとは、とてもおれには信じられぬ。誤解の上に誤解が重ったにちがいない」 「果して、誤解かな」 8

10. 西郷隆盛 第22巻

来た。その数は第一日だけで三千名を越え、私学校の門標は誰かの筆によって「薩摩本営」と書きか えられ、市内の十三分校の門にも「薩摩分営」の標札がかかげられた。 七日の朝、吉之助は大山県令に使者を送って、御都合よければ私学校本営まで来てもらいたいと告 げた。大山はすぐにやって来て、校舎と校庭を埋めた壮士の群れをながめ、 「いよいよやるか」 と面白そうに笑った。吉之助は笑わす、 「とにかく、こういうことになってしまった。不覚だったよ」 「何が不覚だ」 「ここまで来たら、もうどうにもならぬ。とにかく上京して、大久保に直接尋問することにきめた」 「尋問だなどと生ぬるいことをいうな。君側の奸を掃蕩する義兵た。何の遠慮がいるか」 大山格之助綱良は吉之助より一つ上の五十二歳、正円と名乗って茶道方をつとめていた少年のころ からの仲間である。剣道は藩中随一と言われ、もともと奈良原繁、海江田信義 ( 有村俊斎 ) と共に久 光側近の公武合体派に属し、寺田屋騒動では有馬新七の一党を斬った。 だが、やがて討幕派に転し、維新戦争では奥羽征討軍参謀として出征し、軍功によって賞典禄八百 石を賜り、鹿児島県参事から県知事に進んた。 私学校創立にあたっては、桐野、篠原らと協力して、吉之助を助けた。別府晋介、辺見十郎太等を 区長に任じ、野村忍介、中島健彦を署長、警部とし、県官と巡査に多数の私学校党を採用したのも彼 である。