篠原国幹 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第22巻
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1. 西郷隆盛 第22巻

「なんとも、取りかえしのつかぬことをしてくれた」 小兵衛は声を高くして、 「しかし、兄さん、これはおそかれ早かれ起ることだった。現に大久保と川路はあんたと私学校幹部 暗殺のための密偵を送りこんでいる。これで私学校徒が憤激するのは無理もありません」 「おまえら、その証拠をつかんだのか」 「つかみましたが、発表はまた抑えてあります。しかし、暗殺の風説は早くから流れていました。そ こへ赤竜丸が人港して、深夜に火薬を搬出したので : : : 」 「おれの暗殺を大久保が命じるはずよよ、 「大久保が直接に命じなくとも、忠義顔の川路利良が功をあせって暗殺団を組織したということはあ り得ます。谷口登太が中原尚雄から直接に聞き出した報告書がここにありますが : : : 」 : ・中原 「中原という男はおれも知っているが、酒癖のわるい奴た。どうせ酒の上の放言であろう。 を捕えたのか」 「いや、まだです」 「ほうっておけ。帰国以来、暗殺の話は何度も聞かされたが、おれも桐野も篠原もちゃんと生きてい る。 : 桐野は何と言った」 「桐野さんも村田さんも地方にいるので、まだ幹部会には出ていません。篠原さんの発議で、兄さん の意見を聞くまでは去就をきめぬことにして、おれが迎えに来たのです。港に早船を待たせてありま す。一刻も早く・

2. 西郷隆盛 第22巻

この年の鹿児島は六十年ぶりといわれる珍しい大雪であった。二月十三日の昼ころから雪模様にな り、十四、十五日と降りつづけて、ついに積雪一尺余。西郷を擁した私学校徒一万二千の出陣は吹雪 と烈風をおかして敢行された。 中央政府の首脳部は西郷の不参加を信じていたが、西郷出陣のことは二月五日の私学校大講堂での 評議によって決定したと見ることができる。 午前九時、西郷を迎えて、百五十畳敷の大講堂に集った者は桐野、篠原、村田新八、永山弥一郎を はじめ、幼年学校監督淵辺高照、吉野開墾社主任永山休二、県警察課長中島健彦、警察署長野村忍介、 池上四郎、辺見十郎太、河野主一郎、加治木区長別府晋介以下各区長十八名、私学校分校長百三十七 名、その他、合せて二百名を越えた。 別府晋介がまず立ち上がって、 彼らを生き証人として、堂々と問罪の帥 「中原尚雄一味の自白により政府の奸謀は明らかになった。 / を起すべき時である」 拍手と喚声が起り、「出兵、出兵 ! 」という叫び声が大講堂をゆるがした。 永山弥一郎が静かに立上がって、 「政府問責には異議はないが、いま直ちに出兵するのはおだやかでない。政府の奸謀を天下に明らか にした上でなければ、ただの乱臣賊子の汚名を着せられるおそれがある。挙兵の真意が世に理解され ず、江藤や前原の二の舞として天下の物笑いになることだけは極力避けなければならぬ」 辺見十郎太がどなった。

3. 西郷隆盛 第22巻

自宅にたどりついた。太陽は桜島の真上にのぼり、時刻は正午をすぎていた。 家のまわりには、五十名あまりの武装した私学校徒が集まっていた。出入りの合言葉まできめてあ る、厳重な警戒ぶりだ。 吉之助は辺見にたずねた。 「十郎太、これは何のざまた」 成尾が代って答えた。 「刺客団は今夜中にも事を挙げるという密報がありました。集まっているのは、西田と常盤分校の生 徒たちです」 そこへ西郷小兵衛が駈けこんで来て、 「兄さん、帰って来てくれたな。間にあってよかった」 「何が : 「警察は中原一味の逮捕にふみ切った。明日中には、諸郷にひそんでいる一味も逮捕の見込みです」 「桐野は何をしている」 「篠原さんの家で、永山、淵辺の諸氏と会談中です。まもなくここに来るでしよう」 「おまえも密偵団逮捕に賛成したのか」 「もちろんです。逮捕しなければ、こっちがやられる。ただ、兄さんが逮捕は警察にまかせろといっ たから、まかせただけです」 「やつばり手おくれか」 15 第一章流血の獄舎

4. 西郷隆盛 第22巻

「自白の調書があるとしても、自分の暗殺を理由の挙兵は私憤に類する。 べきことではない」 「しかし、挙兵上京は決定したのだろう」 「とても抑えきれなかった。東京までついて行ってやらねば、途中で何が起こるかも知れぬ」 「おぬしがついて行けば、戦争は起らぬというのか」 「江藤前原の二の舞だけはやらせたくない。 とにかく東京までたどりつけば、吉井、伊地知もいるこ とだし、必す大久保とも話がつく」 「なにを馬鹿な。一万の武装兵をひきいて行けば、県境を越えると同時に戦争だ」 「その戦争をやりたくないのだ。なにか名案はないか」 「ふふふ、ロではそんなことを言うが、おぬし、内心では伏見鳥羽から始まった討幕戦争のように、 行く先々で味方が増えて、万事うまく行くと思っているのだろう」 「桐野などはその考えのようだが。 : しかし、今度はちがう。一歩まかりまちがえば朝敵だ」 「遠慮は無用。おぬしは陸軍大将、桐野と篠原は陸軍少将だ。月給はまだ陸軍省があずかっているそ うだから、現役と見てよかろう。おぬしらの名で各鎮台と県庁に、政府尋問のために上京すると通達 出 を出したらどうだ。現役の陸軍大将、少将が兵を指揮しても朝敵とはいえまい」 「いかん、無用の小策だ」 「勝てば官軍 ! 」 「その言葉は嫌いだ」 ・ : 少なくとも男子のなす

5. 西郷隆盛 第22巻

「兄さん、未練がましいそ」 弟は兄をどなりつけた。「起ったことはどうにもならぬ」 「おまえは先に帰れ。おれは一両日おくれる、と篠原に伝えておけ」 「なぜおくれるのです」 「おまえの言うとおり、起ったことはどうにもならぬ。 小兵衛はいまいましそうに舌打ちして、 「いまさら考えてもどうなるものか。 する。そのつもりでいて下さい」 「逮捕は警察のすることだ。私学校にその権限はない」 「つまらん理屈はやめてください」 本気で怒って、小兵衛はそのまま寺をとび出してしまった。吉之助は家僕の熊吉をつれて、その夜 のうちに小根占の平瀬十助の家に帰った。その晩は、離れの一室にこもってしきりに何事か考えこん でいたが、夜明け近くになって、やっと寝床に入った。 正午も近い時刻に、はげしく犬が吠えた。吉之助が目をあげると、枕元に熊吉がいて、 「辺見十郎太様と成尾常経様が鹿児島からお着きになりました」 「またか。うるさい奴らだ。待たせておけ」 : ただ、おれはもうすこし考えたい」 ・ : とにかく、おれは帰るが、帰ったらすぐに中原一味を逮捕 13 第一章流血の獄舎

6. 西郷隆盛 第22巻

きた。 「一、鹿児島県逆徒征討のこと。 二、西郷、桐野、篠原の官位褫奪のこと。 三、中原尚雄ら二十一名の者、引渡しのこと。 四、鹿旧ル島県下の者、帯刀禁止のこと。 五、鹿児島に居残りおる西洋人引渡しのこと」 勅命ということになっていたが、これは大久保の政府命令を黒田が独断で勅命に変えたものであっ た。しかも、大久保命令には「大山県令逮捕護送のこと」という一カ条が明記されていたが、黒田は わざとそれを略した。大山の逃亡脱出を警戒したのだ。 大山は田畑大書記官をふりかえって笑い 「どうも臭いな。官位褫奪の中に、おれの名が人っていない。 : おい、右松、御労だが、もうい ちど軍艦まで行ってもらおう。県令は不行届の責任をとり、自宅に謹慎致すと届けてくるのだ」 右松県属は軍艦に行き、「神妙の至り、改めて沙汰のあるまで神妙に謹慎すべし」という返事を持艦 . の って帰って来た。 勅 大山はたすねた。 「応待に出たのは誰だ」 「黒田中将でした。この返事は直筆です」 「はつはつは。参議、開拓使長官、陸軍中将閣下か。あの小僧も出世したものだな。まあ、威張りた邸 ちだっ

7. 西郷隆盛 第22巻

一喝して、進軍喇叭を吹き鳴らさせた。政府軍は三方面から吶喊して敵塁に迫ったが、薩軍は猛烈 に応射し、旅団の死傷者は刻々と増えた。 砲兵隊は弾丸雨注する中で、街道に砲塁を築き、二百五十メートルの近距離で轟撃したが、薩軍は 一歩も退かず、この日の攻撃は挫折した。 一方、吉次峠に向った野津道貫隊は三日の夜から四日の朝にかけて山上の砦を砲撃した後、保塁二 百メートルの距離まで接近した。佐々隊は銃隊を山腹の林の中に散開して応戦した。一進一退の攻防 戦になったが、熊本本営から約五中隊の援兵をうけて意気あがった佐々隊はよく迎え撃って、政府軍 に昼食の時間も与えなかった。政府軍の将校はひるむ兵士を叱咜して督戦したが、敗勢をもりかえす ことはできなかった。 午後一時すぎ、薩軍は総突撃を敢行した。 「気象惨憺、天地ために昏し。やや久しくして勝敗決せず」と政府軍側の戦記にある。「賊将篠原国 幹。挺身その衆を指揮す。江田少佐これを知る。善射の兵を選び狙撃せしむ。音に応じて斃る。一賊 負て逃る。戦闘ますますはげしく、江田少佐もまた賊丸に死す。わが将校以下死傷過半、号令徹せす。 田 兵気ために挫折す」 の 薩軍側の記録によれば、 「時に篠原、頭巾付きの緋色の外套をかぶり、手に赤銅づくりの大刀をひっさげ、始終戦線に挺立し九 いのち て率先号令す。英姿颯爽、一同目を見張る。八番小隊長石橋清が″あなたの命は山嶽よりも重い。兵 士の真似をせず、早く安全の地に移って下さい〃と諫めたが、篠原は徴笑して、″おれは戦闘にきたの とっかん

8. 西郷隆盛 第22巻

「熊本まで突出すれば、九州一円はただちに呼応する。各地の同志もそれを待っているから、全国制 圧は容易である」 という楽観的強硬論を唱えてゆずらなかった。 二月十三日、粉雪の舞う旧練兵場跡で、歩兵五個大隊、砲兵二個小隊の閲兵が行われた。 一個大隊は約一千名、一番大隊長篠原国幹、二番大隊長村田新八、三番大隊長永山弥一郎、四番大 隊長桐野利秋、五番大隊長は池上四郎であった。 ( 別府晋介は区長をつとめている加治木の町で六、七 番連合大隊の編成を進めていた ) 。ほかに、一番砲隊長岩元平八郎、二番砲隊長田代五郎。大砲はフラ ンス式で四斤山砲二十八門、十二斤野砲二門、日砲三十門。輜重隊は桂久武、大小荷駄隊は椎原与右 衛門がそれそれ責任者となった。桂久武は家老もっとめた名門の出だが、吉之助との長い友誼を重ん じ、病軅をおして突出の軍に加った。 西郷吉之助は、陸軍大将の略服にかぶりなれぬ軍帽をかぶり、はきなれぬ軍靴をつけて、閲兵台に 立った。勢をました雪が横なぐりに吉之助の頬を打つ。 閲兵式の後に幹部会が開かれたが、その席上で″明日の出陣の前に中原尚雄以下の兇徒を血祭にふ げよう〃という意見が出た。誰が言いだしたともしれぬ血なまぐさい発議であったが、辺見十郎太な どは腰の大刀を抜きはなって、 「奴らを大円陣の中におき、その罪状をくわしく読上げて、ことごとく首をはねろ。この上ない軍神

9. 西郷隆盛 第22巻

熊本城は内側から自壊する」 「小兵衛、おぬしはいったい何を恐れているのだ」 きようまん 「斥候の夜襲を撃退したのを勝利と思う、その驕慢の心を恐れている。驕兵は必ず敗れる」 「なにを、貴様 ! 」 若い別府晋介と西郷小兵衛が血相を変えて立上がろうとするのを、篠原国幹が抑えた。 : おれは強襲論に賛 「待て。戦争はもう始まっているのだ。鹿児島進発の前の軍議とはちがうそ。 成する。熊本城は手をのばせばとどく距離にある。いかに堅城とはいえ、全軍を投入して、八方から 城壁をのぼれば、どうすることもできまい。ます、やってみることだ。一日のばせば、援軍はそれだ け近づく。今が好機だ」 籐原の発言には権威があった。桐野利秋も同調した。 「攻城はすでに始まっている。力をゆるめてはならぬ。城は必す落ちる。落した後に長駆して小倉に これなら小兵衛と野村の北上説にも矛盾しないではな 出ても十分にまにあうし、後顧の憂いもない。 し , 刀」 別府晋介は勝ちほこって、 「では、西郷先生の決を仰ぎましよう」 吉之助は答えた。 「議論はっきたようだな。おれは戦争には素人だ。ここは篠原と桐野の説に従うよりほかない」 「先生も強襲説ですな」 こうこ 107 第六章熊本城攻防

10. 西郷隆盛 第22巻

西郷小兵衛と野村の本営訪問は、諸部隊長の総意を代表したのだという説がある。野村忍介、伊東 祐高、山口盛高、神宮司助左衛門、別府九郎の戦闘手録によれば、 よろしく先 ″いま我が全軍がとどまって一城を攻囲するのは良策ではない。 「各隊長、相議して言う。 こうや / 、 着の兵をして攻城せしめ、余軍は進んで両筑豊肥の地を略し、長崎、小倉を控扼すべし。かくの如く なる時は、九州風靡、海内蜂起、天下のこと知るべきなり″と。議すでに決し、各隊長、春竹村の本 営に到りて、これを西郷に乞う」 本営では桐野篠原以下の諸将が激論中であったが、篠原は強襲説を固守して動かない。西郷吉之助 は沈思すること久しくして、強襲策を中止して分進北上策を採用した。桐野利秋は初め篠原の強襲策 に傾いていたが、やがて分進説に賛成し、その後、薩軍が連敗して退いたとき、 「もし先に篠原説に従い、全軍強襲して一挙に熊本城を落していたら、こんなことにはならなかった らう」 と嘆息した、と「西南記伝」は伝えている。 西南の役に関する攻防双方の文献は実に多すぎる。当事者の手記や回想録は重要な資料であるが、攻 体験の細部にこだわって全局を見落したもの、記憶の風化と忘却作用により、虚実を混同したものも本 多く、正否の判定に迷う。 西郷吉之助が諸隊長の進言を入れて強襲策を捨てて北上論を採り、桐野利秋もまた、それに同意し六 たとも言われているが、強襲はその後数日間つづき、それが失敗した後に、長期の包囲攻城策に変り、 北上論はついに実現されず、薩軍は実に五十数日間、熊本城周辺に釘付けにされたことだけは動かせ