西郷 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第3巻
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1. 西郷隆盛 第3巻

そのためには時機を待て ! 」 「いつまで待てばいいのだ ? 」 ・ : それが待てなければ、せめて西郷から 「正義党の全員がこぞって立上るとき、その時が時機だ。 の詳報が届くまで待て。そのうちに、大山正円や樺山三円も帰ってくることだろう。彼らも最初から の同志だ。その意見も聞いてみなければならぬ」 「いずれにせよ、僕は即時決行には反対だ。僕の反対をも無視して、君たちがやるというのなら、何 もいうことはない」 「君は西郷を見殺しにするつもりか」 「西郷がもし君のような軽率な意見の持主なら、あえて見殺しにするかもしれぬ。だが、西郷はそん な男ではないはずだ。僕は西郷を信じている。とにかく、詳報の来るまで待て。それを見た上で、僕 : では、これで帰る。君たちも気をしずめて、 も態度を決する。僕のいいたいことはそれだけだ。 もう一度考えなおしてみるがいい」 との顔にも、先ほどの元気はな青 市蔵は袴の裾をはらって、帰ってしまった。三人は顔を見合せた。。 章 十 「やはり西郷の手紙を待たなければならぬか」 第 奈良原がびとりごとのように呟くと、俊斎は額に青筋を立て、歯をくいしばって叫んだ。 「その必要はない ! 絶対にない ! 西郷の意見いかんにかかわらず、国許は国許だけでやらねばな ぬ。

2. 西郷隆盛 第3巻

れたならば、余は身のおきどころもなくなる、と仰せられた」 「藩内統一のための余のこれまでの苦心も水の泡、のみならず、余の幕政改革、尊王救国の理想と大 計は根本から覆えらないまでも、大障害をうけて、機会は遠く去ってしまう。余の心も知らず、忠義 をはきちがえ、かかる軽挙を企てる奴らは、馬鹿か気狂いか : 「殿が : : : 殿がそのようなお言葉を申されたのか ? 」 「はっきりと馬鹿か気狂いかと申された。西郷に厳しく申し渡せ、西郷にして、もし、余の家臣なら ば、ただちにこの軽挙を中止し、以後固く身をつつしめ。才蔵お前も同罪だ : 「さらに、あるいは国許においても、同様の暴挙が計画されているかもしれぬ、有村俊斎、樺山三円、 大山正円など相前後して帰国したのも、余の察するところでは、この暴挙に無関係だとは思われぬ、 火元はおそらく江戸であろう、西郷はじめ彼らの一党が、水戸屋敷に出入りしていたことも余はよく ・ : もしも国許において暴発するようなことがあったら、これも西郷の責任だ、ただち 知っている、 に暴挙中止のための手段を講ぜよ、さもなくば、今日この日より、西郷をも伊東をも余の家臣とは思 わぬ。 : : : 殿のお口からこのような激しいお言葉を聞いたのははじめてだ。僕は耳も聾し、目もつぶ れる思いであった。どこを通って、ここまで歩いて来たか、それもおぼえていないほどだ」 吉之助は汗の玉の浮き上った顔をやっと上けて、 「僕はどうすればいいのだ ? 」 214

3. 西郷隆盛 第3巻

。いないわけでもありません。私の知るかぎりでは、有馬一郎、関勇助などの 、強いて探せま、 人物は、どこに出しても恥ずかしからぬ一流の名士だと思いますが、どちらも齢をとりすぎていて、 : ・若い者の中では、西郷吉之助、長沼嘉平、大久 とても中央までは乗り出して来れないでしよう。 保市蔵ー・ーどれも私の友人であり、先輩でありますが、このうち長沼嘉平は病身で、今年の秋亡くな りました」 「惜しいな」 「だが、西郷と大久保は元気です。どちらも郷党の異物と称せられ、仲間から一目も二目もおかれて います。この二人なら、先生の気に入るかもしれません」 「西郷と大久保かーー・おぼえておこう。齢はいくつだ ? 」 「はい、西郷は二十七、大久保は二十五であります」 「若いな。いい齢だ」 俊斎は二人の人柄をいろいろと説明して、 「仲間を讃めるのはどうかと思いますが、とにかく薩摩の将来を背負って立つものは、この二人では ないかと、私はひそかに思っております」 「ますますよろしい。ぜひあってみたい。江戸に呼びよせろ」 「はい、私も、早く江戸に出て来いとたびたび手紙を出しているのですが : 「来年は斉彬公御参府の年だったな。それにお供して来てはどうだ ? 」 「先生、それは無理です。二人とも貧乏で、家柄は低い。手軽にお供というわけにはゆかないでしよう。

4. 西郷隆盛 第3巻

「そうかね、そういえば、酒で鍛えた身体でもなさそうだ」 俊斎が、 「先生、酒で身体が鍛えられますか ? 」 「身体だけではない。、 心も大いに鍛えられる。酒を飲むはなお書を読むがごとし。なかなか修業がい る。身は屈す数尺の廬、坐して跨る陽州の鶴という境地に達するまでには、李白のような酒の天才で も十年はかかったろう」 「一飲三百杯、万巻駆使すべしでしよう。 先生、その詩ならもう何度もうけたまわりました。今 日は何かほかのお話をして下さい。せつかく西郷君をつれて来たのですから」 「酒の話ではいけないのか。はるばる南海の名酒を携えてわが草廬を訪れて来てくれた客人には、酒 の話をするのが礼だろう」 「西郷君は天下の形勢について、先生の御意見を聞きたいのです。江戸に来て、何もかもわからなく なったと申しております。そもそも幕府の諸外国に対する方針は : 「はつはつは、その話か。その話なら、。 とうやらお前の方が俺よりもくわしそうだ。西郷君も、俺に敷 聞くよりも俊斎に聞いた方が早道たろう」 そこへ女中が、盃をのせた盆を運んで来る。そのうしろから、髪の白い品のい い小さな老婦人がち 章 七 よこちょことついて来た。 第 「ああ、お母さん。、、 ししところに来られました。さあさあ、こちらへどうそ」老母の姿を見ると、東 湖はニコニコ笑って座をしざりながら、「これは西郷吉之助という薩摩の偉丈夫です。はるばる薩摩の

5. 西郷隆盛 第3巻

俊斎は米良をにらむ。関勇助が引き取って、 「奸党一掃のことは、われらの宿願だ。それについては何人も異議はないはず。その実行方法につい て江戸の同志たちが何か名案を考えついたというのなら、聞かせてもらおう」 「方法は簡単です。江戸では西郷が碇山将曹を斬る。国許においては、われわれが吉利仲、二階堂志 津馬、伊集院平、海老原宗之丞および最近帰国することになっている島津豊後を斬る。ただ、それだ けです。 : : : たたそれだけのことを、今日まで実行する者がいなかったから、殿様にこのような苦し い御決心を強いるようなことになってしまったのです」 「おいおい、今になって、そんなことをいい出しては困るじゃないか」椎原与三次がなだめ顔に、「奸 党を斬ることなら、昨年殿様御出府の前に、われわれが計画したことだ。だが殿様の御懇切な御内諭 によって思いとどまった。高崎崩れの流血をふたたび繰返してはいけないというお言葉に従って、 : よ っさいを殿様にお委せした。その事情は西郷も君もよく知っているはずだ。もう忘れたのか。 るばる江戸から帰って来て、何をいうかと思ったら、そんな陳腐なことをいい出す」 俊斎の額にさっと青筋が浮び上った。 「陳腐とは何事だ。僕も西郷も江戸でつくすべきことはつくして来た。その上で考えた実行方法だ。巨・ それを陳腐だというあなたは : 「言葉尻をとるな」 「そうですか。言葉の問題ではありませんね。要するに諸君に実行の勇気があるかないかという問題 です。西郷はもう実行しました。今ごろは、碇山将曹の死骸の上に折りかさなって倒れているかもし ちんぶ

6. 西郷隆盛 第3巻

俊斎は黙って、吉之助の手紙を差し出した。市蔵はふるえる手で手紙を読みかえし、 「無事でいるのだな、まだ : 「無事だかどうだか、それはわからぬ。江戸の一挙が失敗したことだけは確かだから、その失敗を国 許で取りかえすのが、われわれの義務だ。同志としての務めだ。にもかかわらず、関勇助先生をはじ め、日ごろ同志顔していた連中は誰一人この務めを果そうとしない。 : 君はどうする ? 君ならき っと賛成してくれると思って、われわれは君の帰りを待っていたのだ」 「誰を斬るのだ ? 」 「まず、吉利仲と海老原宗之丞」 「仲間は誰々だ ? 」 「ここにいる三人と弟の治左衛門」 「時期は ? 」 「明日 ! 」 「なぜそんなに急ぐのだ ? 」 「急ぐ 急ぐどころか、ぐずぐずしすぎて手おくれだ」 「詳細は後報とこの手紙に書いてある」市蔵の言葉は次第に冷静さと落着きを取りかえして来た。 「なぜ後報を待たぬ ? 西郷の意志を尊重するなら、詳報を待つべきではないか。なるほどこの手紙に は斬奸を中止せよとは書いてないが、西郷の真意が、斬奸中止であったらどうする ? 」 「君までそんなことをいうのか ? 僕は西郷からちゃんと聞いている。自分の江戸出府の目的は最初 224

7. 西郷隆盛 第3巻

俊斎はひとりで上機嫌である。吉之助の前で、天下の藤田東湖先生と内輪の者のように話のできる ことが、嬉しくてならない。高輪を出たのは午すぎであったが、水戸屋敷に着いたのは、名高い百間 長屋の窓々に斜めな西陽が射しはじめるころであった。江戸川の流れにのそんで真一文字を引く壮大 で美しい表長屋。 「どうです、これが水戸様の百軒長屋。江戸名物の一つです」 俊斎は自分のことのように鼻をうごめかした。 東湖は幸いに在宅であった。西郷吉之助を連れてまいりましたというと、すぐに客間に通された。 去年とはちがって、東湖は長屋から邸内の一軒建ての門構え、玄関も客間もある屋敷に移り住んでい た。水戸から老母や妻子を呼び迎えていた。 「先生、これが西郷吉之助であります」 「よく来られた」 「先生、大きな男でしよう」 「うん、なかなか大きい」 屋 「先生、西郷は昨日国から着いたばかりです。草鞋の紐もとかないうちに、東湖先生にあわせろあわ摩 せろとどうしても聞かないので、連れてまいりました」俊斎はひとりでしゃべり立てる。「先生、今日 章 はひまですか。おひまでしようね」 第 「ひまでもないが : 「だって、御老公は登営をおやめになったそうじゃありませんか。殿様がお休みなら、先生もお休み ひる

8. 西郷隆盛 第3巻

が通るようでは幕府も末だ。水戸老公の攘夷論を敢然と受入れて押通すだけの勇気のある奴は、今の 幕閣には一人もいないのだ ! 」 その水戸斉昭自身が黒船の前に兜をぬぎ、匙を投げたという秘密な事情については、青年たちはも ちろん知らぬ。ただ世間の噂をそのまま信じて、一徹な攘夷論のゆえに幕府に容れられぬという水戸 の隠居に同情しているのだ。 「このありさまでは、殿様がせつかく江戸に乗込まれても、策のほどこしようがなかろう」 「しかし、なんとしても、殿様が来られたことは心強い。おまけに西郷もやって来た。君が来てくれ れば千人力だ。頼むぜ、西郷 ! 」 これは明らかにお世辞である。吉之助が来たからといって、この難局が打開できようとは誰も信じ てはいない。だが、お世辞と知りつつ、そんな気休めをいわずにはおれないほど青年たちは混乱し、 自信を失っていた。 吉之助は口々にしゃべりたてる一同の話に熱心に耳をかたむけながら、自分は一言も発せず、石の ように黙りこんでいた。 「西郷、何かいうことはないのか ? 」樺山三円がいらだたしげに膝をゆすって、「君は国許にいて、そ摩 の大きな目で江戸の方をにらんでいたはずだ。何か意見があるだろう」 章 「意見はない。あるはずがない」 第 吉之助は答えた。 混乱し、自信を失っている点では、吉之助も先発組に劣らなかった。生れてはじめての長旅は、彼

9. 西郷隆盛 第3巻

から斬奸であった、少くとも大久保市蔵だけには、このことを打ちあけておいた、大久保を説くため には説明はいらぬ、かねての宿志を実行するといえば、大久保はすぐにわかってくれる、とはっきり 僕にいった。その話は嘘か ? 」 「嘘ではない。しかし : : : 」 「何がしかしだ。われわれが正義の党を結んだ目的はただ一つ、奸党一掃よりほかになかった。だか : そのためにこの手紙を書 ら、もしかりに西郷が江戸で失敗して、斬奸中止を決心したとしたら、 いたとしたら : : : それは西郷が悪いので、われわれには彼に従う義務はない。斬奸は天の命ずるとこ ろであって、人の命ずるものではない。たとえこのつぎに西郷から中止せよという手紙が来ても、わ れわれは独立して決行しなければならないのだ。君がそれに反対しようとは夢にも思わなかった」 「反対はしない。ただ待てといっているだけだ」 「何を待つのだ」 「時期を待て。奸党一掃の志は僕とても決して捨てていない。ただ近藤高崎崩れの失敗を、二度と繰 嵐 り返してはならぬ。決行する以上は成功しなければならぬ」市蔵の言葉は凛としていた。「これが僕 青 の信念であり、僕の主義だ ! 」 やつぎ 章 俊斎は躍起となって説きたてたが、市蔵は頑として動こうとしなかった。 ・ : しかし、何度十 「君たちの目的は正しい。千万人といえどもわれ行かんという勇気もよくわかる。 も繰り返すようだが、決行する以上はかならず成功しなければならぬのだ。事を成すためには、古人 だが、この三つながら、現在のわれわれにはまだ もいっているとおり、天の時、人の和、地の利

10. 西郷隆盛 第3巻

吉之助は仏間にこもって、客にも顔を見せなかった。長弟の吉次郎だけが、まめまめしく見舞客に 応待し、幼い信吾や小兵衛の世話をした。 大久保市蔵と長沼嘉平は、ほとんど毎日西郷家に詰めきっていた。 嘉平が吉之助の気を引きたてるつもりで、 「君の気持はよくわかるが、もうそろそろ立ちなおってもらいたいものだ。どこの家でも、親は先に 死ぬものときまっている。僕にも父はいないし、有村俊斎もつい先ごろ父を失ったが、あのとおり元 気だ」 「そんな慰め方をしてくれるな。僕はひとりでいたいのだ。ほおっておいてくれ」 吉之助は答えて、仏間に入ってしまう。嘉平は市蔵と顔を見合わせて、黙りこむよりほかはなかっ 四十九日がすぎても、吉之助はまだ喪服を脱ごうとしなかった。市蔵が見かねて、 「君がそんなふうでは困る。西郷家も困るし、僕らも困る。君は西郷家の柱であるばかりでなく、わ れわれ仲間の大きな柱だ。君はいつも謙遜しているが、郷党の望みは君にかかっているといってもい弟 と : 君にやってもらいたい仕事は山ほどあるのだ」 。もうそろそろ喪服を脱いでもらわなければ。 兄 「ありがとう、よくわかっている」そう答えながら、吉之助はもう涙をためて、「こんな悲しみが世の 中にあろうとは知らなかった。祖父のときには、それほどにも感じなかった。父のときにも、まあ堪二 第 えることができた。だが、母の死は先の二つの悲しみを呼び起し、三十倍にし、三百倍にして、僕の 身にあびせかけたようなものだ。 : どうしていいのか、僕にはわからぬ」