川畑魯水が着物を着かえるあいだ、吉之助は奥座敷で関勇助と話した。 「今晩は何か特別な御用事ですか」 ・ : なんとも形勢 「いやいや、魯水先生にもあいたかったが、お前にもあいたくてやって来たのだ。 が不穏になって来たからな。お前や大久保の意見を聞いて見んことには、俺にも対策が立たん」 「大久保を呼んでまいりましようか」 : しかし、困ったことになったものだ。これ 「いや、供の者に呼びに行かせた。今に来るだろう。 からという時に大切な人に死なれた。生きているあいだには、それほどにも思わなかったが、阿部伊 勢守というのは、やはり当代に欠くべからざる人物だったのだな」 関勇助は白髪の目立っ首をふって、打水に湿った庭先を眺める。残暑の季節であるが、タ闇が深く なると、萩の葉をゆする微風に立ちそめた秋の気配が感ぜられる。 「今晩は、 : お使いをいただいて恐縮です。あ、西郷もいたのか」 庭先をまわって、大久保市蔵が入って来た。 「おっと、おっと、これは千客万来じゃ」 魯水も廊下づたいに姿を現して、「これがみな患者なら、魯水先生御内福ということになるのだが、 打ち見たところ、毒を盛られても死にそうにない御連中ばかりじゃ」 「関先生、何の御用事でしようか」
座もきまらぬ先に大久保市蔵は気ぜわしく、、 尸しカける。 「少々機密に属する問題だが : 関勇助は膝を正して、「魯水先生の御意見もぜひうかがいたいと思っております」 「いや、かしこまりました。いずれ、さようなことだろうと覚悟はいたしております」 ロではふざけながら魯水も真顔になる。 「まず、西郷の意見から聞きたい。江戸の情勢だが、阿部伊勢守亡き後の幕閣はどんなふうに動いて 行くとお前は思うか」 吉之助はしばらく考えていたが、 「申すまでもなく、わが藩にとっては極めて不利な動きを示すでしようが、ます起ることは水戸と幕 府との正面衝突ではないかと思われます」 「ほう、水戸と幕府」 「事の表面だけについて見ましても、老中首座の堀田備中守は開国派で、水戸老公は攘夷派の本尊で らんべき す。かねてから仲が悪い。老公は備中守を蘭癖先生と仇名して毛嫌いするし、備中守は内心老公の頑鶴 迷ぶりを軽蔑しているにちがいありません。そのほかの老中、牧野備前守、久世大和守、内藤紀伊守白 などにいたっては公然たる反水戸派です。これらが大奥の勢力と結んで反対工作を開始したならば、章 十 いやでも水戸は幕閣と正面衝突です」 第 「そこまでは俺にも想像がつく」 関勇助は憂わしげにうなずく。市蔵は目を光らせて吉之助の口元を見つめている。魯水の顔からも
府熱が高まっていることは事実でございます。西郷吉之助の意見などが、だ、ぶ影響しているのでは ないかと考えられます」 「さもあろう。吉之助もだいぶ腰の落着かぬ様子だな。若い者には旅をさせてやらなければなるまい。 ・ : お前は関勇助や大久保市蔵のまわりに集まる青年の名前、気質、才能、その他、探り得たことを すべて余のもとに知らせるがよい。 : 心配は無用。魯水、薩摩はすでに九州の薩摩ではないそ。薩 摩こそ日本の真ん中だ。余は若き人材をひきいて、日本の真ん中を歩く。そろそろその時期がやって きたのた」 二の丸の方向で、軍鼓のひびきが聞えはじめた。 午後三時、少年隊調練開始の時刻である。 〈而立の巻終〉 237 第十四章白鶴城
「ああ、なるほど」 「なるほどか。ますますあきれた不器用な奴じゃ。 のだ、不器用な藪蚊め ! 」 吉之助は縁側の蚊遣りを行水盥のそばに運びながら、 「では、御誕生はいつごろでしよう」 「いや、ありがとう。ついでに背中を流してもらいたいな。御誕生なら、九月のはじめだ」 「間違いありませんか」 「女の生み月もわからないようだったら、明日から御典医は辞職だ。ただし、公子か公女か、それは 知らぬそ」 「川畑さん、魯水先生」 垣根の外から呼びかけたものがあった。「おや、西郷もいるな」 「ああ、関先生 ! 」 関勇助であった。学者風の肩衣に絽の袴をつけ、供の仲間をつれているのを見れば、正式の訪問ら鶴 「おっと、おっと」 四 ぐびじんもくよく 魯水は盥の中で大袈裟にあわててみせて、「玄宗皇帝じゃあるまいし、衣冠東帯で虞美人沐浴を眺め十 ・ : おい、西郷止水先生、早く関広国先生を座敷に御案内して、しば られちゃあ、こりやたまらん。 らくお相手を頼むよ」 たらい なんで俺の坊主頭ばかり狙って刺す
れのことに気がついたのはよろしい。江戸における一年間を、お前も無駄にすごさなかったというわ けだ」 「時に京都のことについて、何か聞きこみはないか ? 」 「はい、桜任蔵、橋本左内より又聞き致しましたことのほかには、何も存じませぬが、ただ現下の皇 国未曽有の危機を打開するためには、天皇親政の実を挙ぐるよりほかはないと、固く私は信じており ます。この根本の大義さえ明らかになれば、内おのずから人心正しく、外おのずから国威振い、爾余 の小問題は労することなくして定まると考えております」 「ほほう、お前は余に尊王の大義を説こうというのか ? 」 斉彬の口調にはべつに叱責の調子はなかったが、吉之助の頭はおのすから下った。下らざるを得な 斉彬にくらべれば、自分ごときは今目ざめたばかりの小児にすぎない。国許にいるとき、関勇助や さいしょあっし 税所篤から国学の講義は聞いた。だが、それはただ聞いただけにすぎなかった。江戸に来て、藤田東立 湖に叱咤され、桜任蔵や水戸組の同志たちに啓発されて、ようやく尊王の何物たるかを解しはじめた十 自分である。その実践に至っては、何一つ踏み行っていない。 章 それにくらべれば、斉彬の尊王精神は古く、根深く、実行的である。去る嘉永六年の冬、斉彬は領 地の東海岸を巡視したことがあったが、その途中、大隅の国桑原郡稲積の里に立寄り、犬飼の滝を見 物し、そのほとりに手づから松の苗木を植えた。滝は高さ百八十余尺、幅六十余尺に及ぶ薩南の名瀑 じよ
所であるが、その実、江戸在住の青年子弟のための新思想の研究所である。西郷吉之助は余の真意を 知っているはす。 ・ : 江戸の糾合方には樺山三円、有村俊斎、伊地知正治、税所篤、それから : : ・」 とかたわらの手控えを取りあげてパラバラとめくり、「堀次郎、岩下方平、美玉三平、伊牟田尚平 : : まだいる、橋ロ謙助、高崎五六、柴山愛次郎、それに最近では有馬新七。 : この有馬などは国学 組の中でも激派、何を仕出かすかわからない男であるが、余は作事方から抜いてあえて糾合方にまわ はんこう した。 : : : 有馬新七は藩黌造士館に国学の一科がないことを大欠陥なりとし、その急設を主張してい る。現在の情勢において、国学が青年子弟をいかなる方向に導くか、余はよく心得ているつもりであ るが、あえて有馬の意見を採用しようと思っている」 「阿部正弘亡き後の幕閣は、かならず薩摩の正面の敵となるであろう。余は幕府の敵とならぬために 万全の対策を講するつもりであるが、それはかならずしも成功するとはかぎらない。その時には、余 は藩内の青年たちと行動をともにする決心である。 : : : 在藩の青年たちの中心は大久保 : : : 何と申し 「はつ、市蔵であります。琉球館役方大久保次右衛門の : : : 」 「よしよし、大久保市蔵か。聞いたことがある」 斉彬は筆をとって手控えの中に書きこみながら、「関勇助は京都に上りたいと申してはいなかった 「べつに : : : そのような口ぶりはもらさなかったようでありますが、若い連中のあいだに上京熱と出 236
もしも、この衝突が起った場合には、わが藩はいやでも渦の中に巻きこまれてしまう」 関勇助は腕組みをしたまま、大きくうなずいた。市蔵も天井をにらんで黙りこむ。 魯水はくぼんだ瞳の奥をキラリと光らせて、 「なかなか、うがったことをいうぞ。理由が聞きたいな。どうして江戸と京都が衝突するのか、なぜ 薩摩がその渦の中に巻きこまれなければならぬのか ? 」 くさび 「阿部伊勢守は政局の裂け目をつなぐ楔子のような人物でした。 : 人目には立たなかったが、すわ るべき場所にちゃんとすわって、幕府と水戸をつなぎ、水戸と薩摩をつなぎ、江戸と京都をつないで いたのです。 : : : その楔子がぼろりと落ちた。裂け目はみるみる大きくなって、何もかもばらばらで す。水戸も、大奥も、京都も、それそれ勝手な方向に動きはじめます。現に動きはじめています。水 戸は勝手に京都と連絡し、幕府は京都所司代や九条関白を通じて、その逆の手を打つ。大奥の女中達 は結東して、水戸、越前の慶喜擁立運動に反対する。 : 堀田正陸には、とてもこのばらばら状態を きれつ 収拾する力はない。他の老中連に到っては裂け目の中に石をほうりこんで、ますます亀裂を大きくす ることよりほかに芸はないでしよう。魯水先生のお言葉を拝借すれば、どいつもこいつもとんだ不器鶴 用者ぞろい 「ふうん、なかなか器用なことをいいおる。それで ? 四 十 「それで、江戸と京都が衝突すれば、薩摩はどちらの側に立つでしようか。魯水先生の御意見をうか 第 ・、、こいものです」 吉之助はおちついた口調で、逆に突きこむ。 まさよし
らぬが、戸田忠太夫がだいぶ肩を入れている様子だ。なかなか多方面の連中が集るらしいな」 「先生は御存じないのですか」 「いや、だいたいの見当はついている。越前では鈴木主税、矢島錦助、齢は若いが橋本左内。尾張で ながおかけんもっ は田宮如雲という男。肥後では長岡監物、津田山三郎、原田作助。柳川は池辺藤左衛門、これに加う るに薩摩の西郷吉之助か。はつはつよ、ど : をオしふ変り種がそろっている」 「水戸は ? 」 「戸田忠太夫、原田兵助、武田耕雲斎、かくいう藤田東湖、そのほか若手の方では名も挙けきれぬほど に多士済々だ」 じっと吉之助の顔を見つめて、「松代の佐久間象山、長州の吉田松陰などにも見当をつけておいたが、 二人とも幕府に捕ってしまった。 ・人物というものはありそうでないもの、なさそうであるもの。 ひょうひょう 集めようと思っても集らず、集める気もないところへ飄々と集って来る。 ・飄々といえば、桜任 蔵や、鮫島正助などはその尤なるものか。水戸組糾合を発起しておきながら、御本人たちはまたもど こかへ飄々ととんで行ってしまった」 「それは知りませんでした。どこへ行ったかわかりませんか」 「多分、西の方だろう。西の方もだいぶ動き出した。公卿の中にも骨のある奴がいくらかいるらしい : ・京都を動かすこと、これも水戸組の重大な仕事の一つだ。その点は、わが御老公もかねてから考 えておられるが、近ごろは斉彬公もだいぶ力を入れはじめたらしいな。いい / 御着眼だと思っている」 京都のことは吉之助にとって初耳であった。だが、その意味はよくわかった。 ゅう ちから
ちであった。 嘉永五年二月の吉野ヶ原の猪狩りに託した軍事調練には、実に一万四千の人数が集った。同年八月、 天保山ならびに二の丸外お庭における城下十二組の総検閲は、フランス大隊訓練、はじめての気タ イロン」操練であって、三百六十小隊、兵士一万一千二百八十二人、旗手三十二人、大砲二十四門 砲手百六十八人の大部隊であった。嘉永五年には騎兵隊の設置、安政三年には海軍創設令。 この大計画、大軍備の目的とするところは何か ? それを知るものは現在のところ自分だけだと思 うと、吉之助はじっとしておることができず、太鼓の音を聞くたびに、毎日のように調練場に駆けっ けたのだ。 だが、今日はそれどころではなかった。斉彬の雄図を挫折せしめる大障害が江戸において起った。 すなわち、阿部正弘の急逝である。 吉之助は筆をとって、水戸の同志原田兵助に宛てて書いた。 『福山侯御死去の由、なんとも力なき次第、天下国家のため悲涙この事に御座候。この時に乗じ、弊白 章 国の奸物は勢いを得候儀にて、なおさら恨むべく嘆すべきことども、御苦察下さるべく候』 四 十 阿部正弘の死は薩摩藩に思いがけない影響を及。ほした。この機に乗じて藩内の旧守派が抬頭しそう 第 な気配がある。 碇山将曹はすでに病死したが、老公斉興、お由良、久光を取巻いて、島津豊後、吉利仲の一派は依
「不器用な質問をする奴じゃ。そのような重大事が即座に答えられてたまるものか」 魯水は巧みに逃げたが、吉之助の自信のこもった言葉と際どい質問には内心おどろかされた様子で あった。 「関先生はどうお考えです ? 」 吉之助は勇助の方をふりかえる。 「もっと考えさせてもらおう」 「大久保、君はどう思う ? 」 「殿の御胸中は拝察のかぎりではない」 市蔵はまた天井の方に目をそらした。吉之助は大きな目で三人の顔をかわるがわるにらみつけなが ら、 「な。せそんな曖味な返事をするのです。殿の御胸中に問うまでもない。自分の胸にたずねたらいいの です。 : : : 殿様はかならず京都の側にお立ちになります。われわれも喜んでそれに従う。ただ、それ だけじゃありませんか」 萩の葉をわたる風が白い。秋である。 斉彬は居間の縁側に毛氈を敷き、侍臣の石川確太郎を相手に、小さな黒い小箱を組立てている。 「レンズ、レンズ : : : 英語ではレンズというのか。 : ここにはめこめば、 : なるほど、びたりと 230