・第五巻〈月餽の巻〉の時代的背景 第一八五七年 9 ・ 7 長崎奉行、露使プチャーチンと日露追加条約カ条を締結 ( 安政 4 年・西調印 郷隆盛引歳 ) ・ 6 長崎奉行、「蘭人遊歩規定」をあらため、これを露、英、米 の各国にも適用するよう令達。同日、米国総領事タウンゼント・ ハリス、下田を出発し、陸路上府 ( 日、江戸到着 ) 【世相】信濃 相模、駿河、加・松平慶永ら、幕府に一橋家主・徳川慶喜を将軍継嗣に推薦 尾張の諸国にする 大雨、大洪水。 1 ・ 2 ハリス、登域し、将軍家定に謁見、大統領。ヒアースの国書 佐久間象山、 を上呈す 遠射銃を考案 1 ・ 2 ハリス、老中堀田正睦をおとずれ、通商の急務を力説する ( 日、幕府はその演説の写しを、評定所一定、海防掛および長崎、 する。 吉田松陰の松浦賀、下田、箱館Ⅱ現在の函館日の各奉行に示し、可否を諮問す。そ 下村塾、増築の多数は開国要求の許容を答申した ) 西郷、徒目付に昇進 なる。 ・ 1 幕府、米国大統領の国書ならびに総領事ハリスの口上写し を、三家以下諸侯に示し、意見を徴取。同日、西郷、薩摩を出 立し、月 6 日。江戸到着 島津斉彬、米使と応対し、将軍継嗣問題に関する意見書を 11 10 236
も参加し、江戸の平田篤胤、鈴木重胤、京都の梅田雲浜なども事にあたっている。 じゅぶつ 寄附も全国の平田派の同志から集まるはずであゑ平田派の国学は儒仏の教えを激しく攻撃し、官 学をいっさい認めぬから、諸藩の重職にある者や出世病患者どもはこれを異学視しているが、そのか わりに志のある下級の武士、郷士、豪農、富裕な商人のあいだに熱烈な支持者がある。それだけ底カ があるわけだ。 「回天の志を遂げるためには、地底の激流ともいうべきこの隠然たる勢力を忘れてはならない。幕政 改革もよかろうし、将軍継嗣の問題も重要だが、あまり政治の上層のことだけに目を奪われていては、 かえって事をあやまります」 ドしナカならずしも我田引水とは思えぬ自信のこもった口調であった。 と、工藤左よ、つこ。、 和魂漢才碑の碑文には、菅公の中にあると伝えられる次の一句を選ぶ。 『およそ国学の要とするところは、論古今にわたり、天人を究むといえども、それ和魂漢才にあらざ るよりは、その闖奥を窺う能わず』 これは先師平田篤胤が常に愛誦し、座右の銘としてしばしば門人に書き与えた章句であるが、さら起 中 に次の一句も選びたい。 道 『およそ神国は一世。無窮之玄妙なるものは敢えて窺い知るべからず。漢土三代周孔の聖経を学ぶと いえども、革命の国風は深く思意を加うべきなり』 幕府の勢力いかに強盛なりといえども、万世一系の皇位に一指触れさせてはならぬという意味であ る。情勢が切迫すれば、幕府は何を仕出かすかもしれぬから、この皇国の大真理を改めて強調してお こんおう
守れもののふ九重の 御階の桜かぜそよぐなり そう・もう この歌の御心はわれら草莽の微臣に呼びかけられただけでなく、幕府にも呼びかけられたものと拝 察する。幕府がもし古き世の武臣のごとく、誠忠の鉾をとって宮廷を守る誠意さえあれば、幕府の協 力を嘉納せられ、ともに外交のことを解決されようという大御心です。 : : : 主上は決して幕府をただ 苦しめようとなされているのではない。幕府が外夷に迫られて、難局に立っていることもよくおわか とたん りになっている。ただ、仰いでは皇祖皇宗の威霊にそむき、伏しては千万の赤子を塗炭の苦におとし いるることなからしめんがために、幕府の善処を望まれているだけです。 : : : 然るに、幕府の朝廷に 対する政策はただ強制と買収、威嚇と賄賂だけだ。 ・ : この空前の大国難にあたって、主上は公武一 あくしゅう 和をお望みになっているのに、幕府は武家政治七百年の悪習をあらためず、朝威を侮り、暴力と金カ によって、その政策を強制しようとしているのです。 : : : 幕府の軽薄なる開国者流は、京都を頑迷に ころう して固陋だという。私をしていわしむれば、古きになすみ、固陋に執して、皇国を危殆に瀕せしめん としつつあるのは、まさに幕府そのものです。 異国も なずめる人も残りなく 攘ひっくさむ神風もがな とっくに きたい 176
ちまた 都では、夷人が大兵を率いて江戸城を包囲し、江戸はすでに戦乱の巷に化しているという途方もない 噂になっている。 その噂を打ち消し、外交関係の真相を公卿の有力者に説明しようとすれば、それだけで、幕府の廻 し者といわれ、皇国を夷狄に売る奸物と目され、浪士に旅館への帰途を待たれて脅迫を受ける。 刀を抜き合せれば、勝ち目はない。生死は天にまかせる覚悟はつけているものの、市井の無頼にひ としい連中と取り換えるには、まだ惜しい命である。 転々と宿を移し、かくれ場所をかえ、藩地から有能な応援者を呼び寄せ、用うべき手段のいっさい をつくして、情報を集め、右を説得し、左を論破し、この二カ月というものは、病気がちな身体を押 して、文字どおり席の暖まる暇もなかった。 公卿の諸太夫にも欲の深い男がいる。彼らに対しては賄賂も贈らねばならぬ。 : 内政については 相当の識見を持ちながら、外交に関しては、まるで子供のような知識しか持っていない公卿もいる。 彼らを説くためには、世界情勢のイロ ( から始めなければならぬ。 : 浪人儒者の側にも、幕吏の側 にも、短気な放言家がいて、お互いに強硬ぶりを示そうとして、穏かならぬ噂をまき散らす。 たとえば、主上を彦根城に移し奉るとか、承久の乱における後鳥羽院の故事を再演しても、幕府はそ の意志を強行しようと決意しているとか、そんな噂がどこからともなく立って、主上のお耳に入った 9 主上は大いに御笑叱あそばされ、 ( それは間違いであろう。承久の乱の場合は、武家に帰した政権を御所に取りかえそうとなされたの だ。だが、こんどはちがう。蒙古来襲にも比すべき皇国の一大事である。武家方もなければ、御所方 しせ
枚を抜き去っていただきたい」 関白も色をなして答えた。 「余が胸中の苦心と大策が、お前ごときにわかるはずはない」 「いや、よくわかっております。今日こそ、はっきりわかりました。殿下が前日われら議奏に語られ たところと、今日の態度はまったく逆であります。昨日は禁裏方、今日は幕府方ーーー二枚舌とはこの てき ことを申すのであります、 : : : 幕吏に阿諛して、神州を夷狄の餌食になさんとするか、かかる関白の 下で議奏の役にいることは、お上に対し奉って不忠不信、私の良心の許さぬところであります」 と、その場で辞表をたたきつけて立ち去った。 みむね だが、この辞表は主上の御旨によって、却下された。幕府方のあらゆる策動と強圧政策に対して、 もっとも断乎たる態度をもっておのそみになっているのは、主上御自身であった。堀田が莫大の賄賂 ごしんかん を用意して上京したという噂があったとき、主上は御宸翰を九条尚忠に賜わり 『実に右の献勿、 4 いかほど大金に候とも、それに目くらみ候ては、天下の災害のもとと存じ候。人の 慾、とかく黄白には心の迷うものに候。心迷いも事によりては、それかぎりにてすみ候えども、今度 の儀、実に心迷いて候ては、騒動に候わんや。 右につき、私においては、いかなる態にも受けまじく存じ候。関東も物入り多き時節に候故、まず このまま関東へあずけおき候よう、献上の節、御中渡し然るべくや。またまた入用の節は、世上静謐 の上申しつかわすべく候か。関東へ預けおくことむずかしき儀においては、備中守 ( 堀田正睦 ) へそ のままっかわしたく存し候。なにぶんにも、今度は天下の大事、談じ来りのこと故、そのまま預けお あゆ せいひっ 190
「幕府への献言書の草案だ。余が命じて書かせた」 吉之助は読んだ。 「第一、幕府は三代将軍家光の先例に従い、五、六年に一回かならず将軍の上洛参内を実行すべし。 まった 第二、外夷しばしば来航すれども、全国の武備全からず、人心ようやく幕府を去らんとするものあ り。この時にあたり、外艦摂津、大阪の海に寇して横行せば、幕府は如何とするか。京摂のあいだは きんけっ わすかに一日の旅程にすぎず、禁の御警備まことに憂うべし。よって行宮を奈良に設けさせられ、 平時においても年に一回ずつ奈良に行幸あらせられ、不慮の変にのそみ、決して御動揺あらせられざ 朝準備をなすを要す。 きようしゃ 第三、禁中はもちろん、宮、公卿に至るまで、用度の窮乏はなはだしく、これを幕府の驕奢にくら ふれば、実に天地雲壤の差もただならず。幕府は宜しく皇室御供料を増加し、尊王の実をあぐべし。 然るときには、諸大名もまたこれにならいて必ず進献するものができるであろう。 第四、諸大藩をして京都及び大阪に駐兵せしめ、もって宸襟を安んじ奉るべし。 第五、将軍に委任さるべき政権を条定し、大事はすべて天裁を仰ぐこととすべし。 第六、宮、堂上公卿といえども、武術を修練し、銃砲のことを研究せらるべし。必ずしも国防の助の 南 けとならざるも、もって文弱の弊を矯むるを得ん。 章 第七、摂播泉三州の海岸に堅固なる砲台を築くべし」 第
いなかったし、有馬新七や日下部伊三次もそこまでロに出したわけではない。ただ、多くの仲間に背 を向けて、越前屋敷や藩邸の大奥に対する秘密工作に専心している態度が、新七や伊三次の疑惑と反 感を買い、たまたま激しい非難となって次左衛門の耳に入ったのであるが、彼の気性として、それを 胸にたたんでおくことができず、西郷の前でついあのような態度をとってしまった。 西郷は芯から怒ってしまったようだ。怒れば、雷よりも激しいところのある人である。 ( 勝手に歩け ! ) とどなった以上、明日からは振り向いてもくれないかもしれぬ。 ( 俺はもう一人だ。一人で俺の道を歩きとおすよりほかはない ) 次左衛門は自分にいってきかせた。 ( よし歩きとおしてみせるそ ! ) リスを斬ろうとは考えていたわけではないが、一人になった以上、誰も妨げるものはない。蓮田 ハリスを斬るのもまたよかろう。 と信田の悲願をついで、 ( だが、果して斬れるだろうか ? 自分はまだ人を斬ったことがない ) ハリスには幕吏の護衛がついている。 ( リス自身もコルト拳銃の五連発を持っているという。幕吏 リスのコルト銃の前にあえてたじろがぬだけの腕と自信が、自分にあるだろう の囲みを斬りぬけ、 か。あるつもりだ。だが、それを試したことはまだない。 ( 試してみよう。辻斬りで試してみるのだ ) その頃の江戸では、追剥ぎ、強盗、辻斬りが盛んであった。むしろ一つの流行の観を呈していた。 うっせき 乱世の兆と識者はなげき、士民の心に鬱積した不平不満の現れと学者は説明した。頽廃と殺伐。幕府 なかま
「この手紙は極秘の文書であるから、お前に読ませるわけにはゆかぬ。だが、俺が読む分には差支え はなかろう。お前が、そばから、それを盗み聞きして : : : 」 「盗み聞きはいやですよ」 「いやでも、盗み聞きしろ」 吉之助は小声で手紙を音読して、 「これによって見れば、堀田の上京はやはりハリス一件について京都を説得するのが目的らしい・水 戸の老公は堀田の使命を無事に達成せしめるために側面から援助の手をのべているようだ。朝廷と幕 府のあいだが万一疎隔するようなことがあったら、外交のことはもちろん、国内の統一がおぼっかな ごえいりよ くなるから、御叡慮の御もっともな点は幕府も受入れ、幕府側のやむを得ざるところは、少しは御叡 ・ : 水戸老公御謀叛どころではな 慮をお曲げになっても、公武一和を計らねばならぬという意見だ。 まったくその逆だ」 「ふうん、やつばり御親藩だよ。いざとなれば、幕府第一か」 「しかし、公武一和という点では、わが藩公も御同意だと思う」 羽 紗 「だが、幕府第一だとは申されまい」 「俊斎、お前は : ・・ : 」 章 吉之助は俊斎の顔をにらむように見たが、気を変えて、「いずれにせよ、これでいよいよ舞台は京都六 に移ったと思うが、どうだ」 「そうかもしれませんね」
なにツ ? 」 桜任蔵は気色ばんだ。 吉之助は首をふって、 「いや、噂だ。 , 御老公は京都と結んで幕府を取りつぶし、自ら天下に号令せんと企てている。慶喜擁 立運動は、実は幕府乗取りの一手段にすぎないという噂が飛んでいる」 「その噂なら俺も聞いている。しかし、水戸藩士としての俺の耳には、薩摩の陰謀の噂の方が本当ら しくひびく。幕府乗取りの総本家は島津斉彬公だ。水戸も越前も薩摩に踊らされているにすぎない。 しい、噂だ、噂の報告をしているのだ」 : おいおい、顔色を変えなくとも、 : 遠くさかのぼれば関ヶ原がある。近く 「なにしろ、薩摩の方にはお膳立てがそろいすぎている。 は篤姫君大奥入り。もしも篤姫君に男子が出生したら、幕府は薩摩侯の意のままということになる。 ・ : 薩摩侯は慶喜擁立派のような顔をしているが、これは水戸と越前を味方につける手段であって、 内心は篤姫君に男子出生を待ち望んでいる」 「桜、それはちがう ! 」 「噂だ、噂だ。噂の煙だ。黙って聞くがいい。 「き、貴様はわが君公に対して : : : ふ、不敬の : : : 」 吉之助は真っ蒼になり、任蔵の襟首をつかんで、その場にねじ伏せ、「不敬の言を吐くつもりか ? 」 ・ : 薩摩侯はかかる遠大なる大陰謀を企てられたが : ・ 144
組み伏せられながら、桜任蔵は大声で笑った。 こいつ、笑うか : : : ま、まだ笑うか・ : : こ 「ふふふふ、あっはつはつは」 笑いとばされたかたちで、吉之助は手をゆるめた。任蔵はむつくりと起きあがって、衣紋もっくろ わず、茶碗の酒に手をのばしながら、 「あっはつは、こいつあ、とんだ有村次左衛門だ」 「なにつ ? 」 「斎藤弥九郎先生にねじふせられた次左衛門そっくり、手も足も出なかったよ」 「次左衛門がどうした ? 」 : どうもしない。聞きたければ本人に聞け。 : : : 時に、さっきの話のつづきだが、薩 「いや、なに : 摩侯陰謀の噂は、水戸老公謀叛の噂よりも根がありそうに聞えるぜ。 : : : 他藩に先んじて大軍艦は建 造するし、帰国以来、もつばら兵を練り、日もこれたらざる有様、おまけに最近は京都の近衛公を通 : この事実が幕府にもれたので、その対策のため織 じて、天朝に対して何か非常なる進言を行った。 に、堀田正睦があわてて上京したのだという噂だ。この方が、よっぽどもっともらしいじゃないか」 吉之助は返事ができなかった。これには思い当る節があった。かならずしも根も葉もない噂ではな 正月の末に、斉彬から詳細懇篤な密書が吉之助のもとにとどいている。それには、京都ならびに六 羃府に対する献白書の写しが添えてあった。 出府以来、斉彬から一度も手紙が来ないので、自分が江戸にいて独断専行していることが、もしゃ