吉之助を「先生」と呼ぶ青年が次第に多くなって来た。 はじめのあいだはなんだか気がさした。論語の素読を習いに来る稚児たちに「先生」と呼ばれるこ とは早くから慣れているが、身の丈も六尺近い桐野半次郎や有村雄助、次左衛門兄弟などに「西郷先 生」と呼びかけられると、おや自分のことだったかな、と咄嗟に返事ができなかった。 「先生だけはよしてくれ」 「でも、先生じゃありませんか」 「しかし : : : 」 「兄貴もあなたを先生だといっていました。僕も、こんどあってみて、やつばり先生だと思いました」子 弟 の 有村雄助はそう答える。雄助は俊斎の弟で二十三歳。兄の俊斎にくらべると、ずっとロ数も少く、 重厚な感じのする若者である。 その弟の次左衛門は当年二十歳。これは有村俊斎をそのまま若くしたような、短気で、あわて者で、一 第 喧嘩早く、おまけに桐野半次郎に劣らぬ剣道自慢と来ている。 「西郷先生は人を斬ったことがありますか ? 」 「そうでしようか ? 」 「今もし高山彦九郎先生が生きて薩摩を訪ねて来られたら、殿様は決して先生を追いかえすようなこ とはなさらない。俺はそれを信じている」
・ : そら : : : 東湖先生のところへ、西郷や樺山などについてときどき 「だいたい見当はっきました。 出入りしていた有村俊斎というあわて者の茶坊主があったでしよう」 「昨夜の奴は坊主ではなかったようだ」 「いえ、その坊主の弟です。俊斎の弟が、昨年の秋あたりから江戸にやって来ていて、水戸屋敷にも ときどき顔を出しますが、相当な腕自慢。辻斬りくらいはやりかねない奴です。 : : : もっとも、例の 日下部伊三次にいわせると、兄の俊斎よりも弟の方がよくできているそうで、できれば娘の婿にした いなどと、ひどく惚れこんでいた様子ですから、いくらか見どころのある奴かもしれません。 かし、人もあろうに先生に斬りつけるとは、やつばり兄貴の弟ですかね。はつはつは」 「あわて者にはちがいなかろうが、ひどく強情な奴だった。いくら締めあげても、薩摩の藩士だとは 白状しなかった」 「ほう、天下の斎藤弥九郎先生に締め上げられて白状しなかったとは頼もしい。斬りつけておいて翌 る日に入門を申しこんで来るというのも面白い」 任蔵は一人で喜びながら、「さっそく入門を許してあけなさい。みっちり仕込んたら、物になる奴か も知れません」 斎藤弥九郎はちょっと首をかしげていたが、 「その有村次左衛門というのは、やつばり西郷組か」 「さあ、西郷は近ごろあまり若侍のあいだには人気がないようですが」 「どうして ? 」 133 第五章あの道この道
相手の返事を待たず、吉之助は階段を駆下り、帳場で勘定をすませて、外に出た。 さっと開いた傘に、銀色の雨が降る。橋の袂の石垣の上に、何を釣る釣人か、川の水に杖をつくよ うな恰好で釣竿をのべた姿が、やや明るんだ空の下で絵のようであった。 藩邸の長屋に帰ると、有村俊斎が待っていた。弟の次左衛門も一緒であった。 俊斎は吉之助の顔を見上げて、 : どこへ行って来たのです ? 」 「どうした、顔色がよくない 「どこへも、行かぬ。江戸を歩いて、江戸の馬鹿馬鹿しさを見て来ただけだ。馬鹿は江戸の名物たと 見える」 「何を一人で怒っているのです」 吉之助は次の部屋で旅装東をあらためながら、 「そうか、怒る奴も馬鹿だな。俺も江戸に帰ったら、とたんに馬鹿の仲間入りをしたようだ」 「西郷先生 ! 」 有村次左衛門が、持前の生真面目な口調で、「先生は酔っておられるのですか。僕は京都の様子を聞 きにきたのです」 「次左衛門、お前も京都に行け」 章 吉之助は袴の紐をしめながら、「京都はいいぞ。山紫に水清く、人の心も美しい。お前のような若九 者の住むにふさわしい土地だ」 むらさき
動天驚地極大の事業も亦すべて己より帰造す という一句もあって、若い自信と活動慾をあおぎたててくれる。 困るのは、藩邸の内外の同志から出る思いがけぬ横槍であった。横槍をかついで先頭に立つのは例 によって有村俊斎だ。目の色を変えて、吉之助の長屋にとびこんで来て、 「いったい、あんたは何をしようというのだ。実に怪しからん」 「このあわて者め、何をひとりで騒いでいるのだ」 「松平慶永と橋本左内は、堀田正睦、岩瀬忠震と同腹の開国派だというではないか。あんたまで彼ら てき と一緒になって、皇国を夷狄に売ろうとしている。実に怪しからん」 「何を馬鹿な : : : どこで聞きかじったか知らぬが、水ならそこにくんである。頭でも冷やして来い」 / リスと幕府との交渉問題である。ハリスは秋の登城以来、通訳ヒュース 俊斎が騒いでいるのは、、 ケンとともに江戸に滞在して、今は九段下の蕃書取調所で幕府の外国掛と談判をつづけているが、彼 の提示した通商条約の中に函館、神奈川、長崎、新潟、兵庫のほかに、江戸と大阪を近い将来に交易 場として開き、その交易期間中は外国人の居留を許せという条項があり、しかも幕府はハリスの威嚇 どうかっ と恫喝に腰くだけして、この重大条項をそのまま承認するらしいという噂が、どこからもれたのか有 志のあいだにひろがった。 水戸は依然として、通商反対の急先鋒であるから、水戸組と関係の深い日下部伊三次、有馬新七な どのロをとおしてこの噂は薩摩屋敷にも伝わって来た。あわて者の俊斎は、吉之助の日夜の奔走をて 102
「次左衛門、俺は今日から、名をあらためたい。菊池吉之助武雄・ : ふるさとは 今宵ばかりの命そと 知らでや人のわれを待つらん この歌をつくった南朝の忠臣菊池武時は俺の祖先だ。武時の第二子武光、護良親王を奉じて、雨と 降る矢玉の中に鎧の袖のちぎれるまで戦って戦いぬき、ついに勤皇の戦いに斃れた。この武光の後裔 : この が肥後菊池郡加茂川村字西郷、増永城の城主西郷太郎政隆、すなわちわが西郷家の遠祖だ。 話は祖父からも聞き、父からも聞いた。だが、うかつだな、俺はすっかり忘れていた。こんど京都に 行ってはじめてそれを思い出したのだ」 と、有村兄弟の前にどかりと坐り、「俊斎、次左衛門、京都に行け、京都に ! 京都に行けば、思い 出すことが沢山あるそ ! 」 俊斎と次左衛門はあきれ顔で、ただ茫然と吉之助の顔を見上げていた。 四月の十日すぎに、橋本左内が京都から帰って来たという通知をうけた。 さっそく、越前屋敷に駆けつけたが、左内は留守。そのかわりに横山猶蔵がいた。京都の隠れ家で : いかんかな。 230
たい というだけであって、大した政治経歴もなく、したがって政治的手腕を現わしたこともない。譜代の 大名が紀州派のために活動するのは当然の話だ。吉之助ならずとも、彼はただの影の人物だと軽視し ていた。 江戸に着いた日も雨であった。 芝の藩邸には寄らず、品川からまっすぐに渋谷の別邸にまわって有村俊斎を呼び出し、近衛忠熈の 手紙を小の島に手渡すように頼んだ。 「うまく行ったのか」 「どうやら」 「そりや、おめでとう」 「くわしいことは、今夜でも話そう。芝の方へ来てくれ」 言い残して、その足で露月町にまわった。留守中、越前藩との連絡を頼んでおいた堀次郎を訪ねる ためである。 幸いに堀は在宅で、長屋の縁側に鏡をすえて鬚をあたっているところであった。 「やあ、帰って来たな」と、頬を撫でながら、「それにしても馬鹿に手間どったじゃないか」 「ちょっと上らせてもらおう。 : それとも外に出るか」 「出るかな。久しぶりに鰻でも食うか。旅費の残りがあるだろう」 22 ?
道 の 道 の 西郷と気まずい別れ方をした後で、有村次左衛門は急に人が斬ってみたくなった。 なぜそんな気になったのか、自分にもよくわからぬ。日ごろ尊敬している先輩の前で、あれだけの五 ことをいいきったあとのさびしさは、ロに現せぬものがあった。西郷吉之助が何をしているかは薄々 察せられぬことはない。その行き方がますら男の一筋の道に反しているとは、次左衛門自身も思って 「聞こう。有馬と日下部はなんといった。 ・ : 遠慮はいらぬ。いえ ! 」 「殿様の隠れ蓑を着て、藩邸から藩邸を飛びまわり、家老や重臣や老女どもを相手に陰でこそこそや いとぐち っていても天下は動かぬ。一身の出世の緒口にはなるかも知れぬが : : : 」 「うぬ、いったか、そこまでいったか ! 」 「いいました。二人だけではありません。みないっています。僕も申します」 次左衛門は眉をつりあげ、拳をにぎりしめて、「あなたや堀次郎や兄の俊斎が橋本左内などと結託し て、そんな裏道を歩くのなら、僕は有馬先生や日下部先生と一緒にただ一筋の大道を歩く決心です」 「歩け、勝手に歩け ! 」 吉之助はもう自分を制することができなかった。相手が若い次左衛門であることも忘れて、今にも つかみかかりそうな姿勢になった。 「失礼いたします」 次左衛門は勝ちほこったように立上り、肩をゆすって出て行った。
「俺をだまそうと思っても駄目だぞ」 「僕は橋本を信じている。 : : : 僕にも打ちあけずに京都に行ったのだとすれば、よくよくの事情があ づたにちがいない。君が知っているのなら、どうそ教えてもらいたい」 「ふうん」 任蔵はまだ疑念の晴れぬ顔色であゑ 吉之助は膝を乗り出して、 「もし京都に行ったのだとすれば、堀田正睦の上京と何か関係があるにちがいない。そこまでは僕に : では、堀田は何のために上京したのかという点になると、さつばりわからない。 も想像はつく。 しませつふんふん いろいろ手をまわして調べているが、諸説紛々、どれが真相なのか判断に迷う。実は今日、常盤松の 別邸に出かけたのも、有村俊斎に頼んで、大奥方面の噂を聞き出すためだったのだ」 はやしだいがくのかみ リスの問題、すなわち条約勅許のことについてなら、すでに昨年末、林大学頭と津田正路が上京 して運動中だ。その二人がまだ帰らぬうちに、老中首座みずから幕閣の智恵袋といわれる川路、岩瀬織 の両人を引きつれて急遽上京したのには、もっと重大な理由があるのではないかと、僕は思う」 「そうかもしれぬ」 章 桜任蔵は次第に真顔になって、「俺もいろいろと噂は聞いた。条約勅許よりも、もっと重大な問題が六 勃発して、そのために堀田は上京したのだという : 「それは水戸御老公のことだろう。御老公は京都手入れの大陰謀を企らんでおられるという : : : 」
ではいよいよ決定・ : ・ : 」 : ・それについて、何か聞きこみはないかと思って、お訪ねした次第 いや、将軍はなお御考慮中。 中根はまた考えこむ。返事のしようがないので、吉之助も黙りこむ。 そこへ、部屋の外から呼ぶ声が聞えた。 ・ : ああ、御来客中か」 「西郷さん、いますか。 吉之助はその声に聞き耳を立て、中根にちょっと失礼と言って座をはずした。別間の方で誰かと低 い声で話し合っている様子であったが、やがて帰って来て、 「お待たせしました。 : : : 茶道方の有村俊斎という坊主です。渋谷の別邸から報告にやって来たので すが、大奥では今のところ継嗣のことはあまり問題になっていず、それよりも水戸老公が京都に御内 通云々のことが将軍御生母本寿院の口から将軍の耳に人り、大騒ぎになっているそうです。例によっ て根もない噂だとは思いますが : : : 」 「いやいや、その話ならわれわれも耳にしている。まったく困った噂た。早く打ち消しておかないと、 思わぬところで思わぬ障害をひき起す。何とかして御老公の潔白を証明し、大奥の女どもの策動を封紗 じておかねばならぬ。それについて、水戸の安島帯刀殿といろいろ相談した結果 : : : 」 章 たかっかさ 中根は懐中から二通の書付を取出し、「これは堀田正睦殿上京と前後して、水戸老公より太閤鷹司政六 通公と大阪の城代土屋相模守に送った書簡の下書だが、これを読めば文章といい、趣意といい、老公 の寃罪をそそいで余すところはないと思う」
はうぎり 同じ方限の少年たちに文字を教え、素読を授けることは、年長者の義務であるから、江戸に出ぬ前 4 にも吉之助は熱心に少年たちを教えていた。だが、こんどは、下加治屋町だけでく、他の郷中の青 少年たちまで集まって来る。芋の苞をさげて吉野村からやって来た桐野半次郎利秋もその一人だが、 例えば村田新八は高見馬場から、篠原冬一郎国幹は平町から、有村俊斎の弟、雄助と次左衛門は尻枝 村からはるばるとやって来た。他の郷中の者と公然と交際することは藩の禁制であるが、青年たちは 平気であった。吉之助もそんなことは気にかけず、集まるものはすべて喜んで迎えた。 吉之助が語る江戸や京都の形勢は予想以上に青年たちの血を湧き立たせたようであった。特に水戸 派の学説と行動が喜ばれた。藤田東湖詩集はこそって筆写された。桜任蔵の話をもっと聞ぎたいとい うものもあった。 「いったい薩摩はいっ勤皇の義旗をひるがえすのですか。ぐずぐずしていては、水戸におくれをとる ことになるではありませんか」 そんな先廻りをした質問をして、吉之助を驚かせる少年もあった。 中でも村田新八が激越であった。齢はまだ二十一歳だが、身の丈は六尺に近く、議論だけでなく、 相撲をとっても、なかなか人に負けなかった。吉之助が江戸仕込みの手で投げ倒し、ねじ伏せても、 決してまいったといわぬ。高山彦九郎の崇拝者で、どうしても一度久留米に行って、彦九郎の墓に詣 でたいと口癖のようにいナ 「高山彦九郎のことなら、水戸の桜任蔵という人がくわしい。彦九郎の手紙や記録も熱心に集めてい