勅諚 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第6巻
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1. 西郷隆盛 第6巻

ばしては、却って殿のお怒りを受けよう」 一人言のように言い、幸吉をふりかえって、かすかに笑い、「鵜飼幸吉、お前もこの勅諚に命をかけ た。拙者もまた命をかけなければなるまい。お互いに、むすかしい時勢にめぐり合せたな」 「御家老殿 ! 」 「安島帯刀もまた水戸武士だ。寸時たりとも義公の御教えを忘れたことはない。覚悟はついたぞ。大 義のために命を捨てる覚悟はついた」 鵜飼幸吉は旅の疲れも忘れ、白木の箱を捧持して安島のあとに従った。中庭を御殿の方に歩きなが らあふるる涙に月の色もかすな思いであった。 水戸中納一言慶篤は、勅諚と聞くとただちに床の中からはね起き、近臣の茅根伊豫之介にその旨を含 めて、駒込の老公斉昭のもとに走らせ、安島帯刀には重臣一同の至急出仕を取りはからうように命し 茅根伊豫之介は間もなく馳せ帰って、老公は早速開封お受け申上ぐべしとの御意見であると報告し , もくよく た。水戸慶篤は沐浴して衣服をあらため、手ずから勅諚を開いて、これを茅根に渡し、重臣の面前で 馬 朗読させた。 走 そむ 『まことに皇国重大の儀、調印の後言上は : : : もっとも勅答の御次第に相背き、軽率の取りはからい 章 ・ : 更に深く叡慮を悩まされ候。なにとそ公武御実状を尽され、御合体、永久安全のようにと、ひと五 えに思召され候。 : : : 当今外夷追々入津、容易ならざるの時節、既に人心の帰向にも相かわるべく、 かたがた宸衷を悩まされ候。 : : : 』

2. 西郷隆盛 第6巻

見だ。月照和尚の意見であり、近衛、三条両卿の意見でもある。主上の御意見もこのあたりにあると 拝察する」 りん こ、ね 吉之助は涙の乾いた頬を平手でぬぐい 、膝を正し、凛とした声音になって、「長州、土佐、筑前、肥 後、小藩ながら大阪城代の重任にある土屋侯、これらの諸藩には京都出兵の可能性がある。禁闕守護 ちよくじよう の勅諚が下れば、かならず動くにちがいない。 : だが、その前に水戸と尾張を動かさなければなら ぬ。この両藩が動けば、幕府は半身を斬り取られたも同然だ。しかも、井伊の暴断はこの両藩を幕府 の正面の敵にしてしまった。今こそ好機だ」 「しかし : ・ : ・」 俊斎は坊主頭をふり立てて、「水戸も尾張も謹慎中ではないか」 「それもかえって幸いだと俺は思う。謹慎中にもかかわらず、あえて勅命を奉じたということになれ ば、幕命よりも勅命の重きゅえんを天下に示すことになる」 「ふうん、名案のようにも聞えるが : 三円が引取って、「どうだかな、動くかな。京都で考えているほど江戸の事情は簡単じゃないぞ」 : とい、つと ? 」 吉之助は膝を乗り出す。熱心な目の色であった。 「水戸も尾張も思いのほかにもろかった」 三円は答えた。 「ほとんど手も足も出ないくらいに叩きつけられている。 ・ : 尾張では、家老の竹腰 ただなか という奴が大奸物で、井伊ならびに紀州の家老水野忠央と肚を合せ、め・ほしい有志は一人残らず君公

3. 西郷隆盛 第6巻

立ち到っております。勤皇の諸藩は勅書の回達を待ちかねております。現に越前と土佐の両藩主は、 水戸に内勅が下ったことを聞いて、せめてお写しにても拝見したいと申していると、たしかな筋から 私は聞きました」 ・ : 私もそのことを申上げたのだが、近衛公のお話では、越前と土佐には三条卿のお 「さあ、それが・ 手からたしかにお写しをつかわしたはず : : : 」 「いえ、それがとどいておりませぬ。とどいていないから、水戸は孤立の態に陥 0 たのです」 「西郷君、君はどう思います」 と、月照は吉之助をふりかえる。 吉之助は答えた。 「有馬君がいうのなら間違いないでしよう」 「では、あなたも勅諚の再降下に賛成なのですな」 「賛成です」 「ふうん」 月照は小首をかしげて、「あなたが、そこまで言われるのなら、私もありのままに申上げるが、堂上 公卿のあいだには、諸藩の有志の実力を疑う気分が相当に濃厚です」 「井伊を恐れているからでしよう。酒井と間部が怖くてならんのでしよう」 と、俊斎が口を入れる。 : だが、諸藩の有志の入説が、どれだけ藩主および藩の重役と連絡がある 「それもあるでしよう。 202

4. 西郷隆盛 第6巻

が原因かと思うが : 「いや、必ずしも日下部氏だけの責任ではないだろう」 伊地知正治は箸をおいて膳を片よせながら、「やはり形勢の切迫がそれをさせたのだ。酒井と間部が 上京しないうちに、なんとか先手をとりたかったのだ。なにしろこの二人の着京と同時に大弾圧が始 まるという風聞があるから、有志もあせっているし、公卿もあせっている。畏れ多いが主上の御怒り しんキ、ん : この形勢を打開して、宸襟を安んじ奉るために 御悩みも一方ならぬと洩れうけたまわっている。 は、何はともあれ、井伊大老を追い落すことが先決問題だというので、近衛、三条両卿が全責任をも って、密勅降下の冒険をあえてしたのだと思われるが : 「ふうん」と、吉之助は唸る。 「あなたは江戸で日下部にあいましたか」 水戸は勅諚をお受けするのですか、しないのですか」 俊斎は気ぜわしく畳みかけて、「いったい、 : 水戸は勅諚をお受けした。だが、それを実行することはできないだろう」 「日下部にはあった。 「それは怪しからん ! 」 「勅諚不回達論や返還論まで起っている」 「ますます怪しからん ! 」 「いや、あとでくわしく話すが、それに対する対策はすでに講じてある。 まそう。お前の第二の任務は : : : 」 「月照和尚を鎌田出雲にあわせることでしたね」 彗 ・ : その前に仕事の話をす七

5. 西郷隆盛 第6巻

たすさ あらためて説明致すまでもなく、諸君すでに御存じのことと思いますが、事に携わりました両藩の者 が一堂に会することのできたのは今夜がはじめてであり、二度と集まれるかどうか、それも期しがた いので、言葉の誤解や事のくいちがいを防ぐために、一言だけ申上げておきたい。 事の直接の動機は勅諚の問題であります。このたびの勅諚は幕府ならびに諸雄藩に対して下された じゅんぼう ものでありますが、幕府がこれを遵奉する意志のないことはすでに明らかであります。然らば、水戸、 尾張、越前をはじめとする諸雄藩がこれを遵奉するかと申しますると、遺憾ながら、現在の形勢では、 これまたはなはだおぼっかないのであります。 そうそう 日ごろ正論家中の錚々と目されていた連中も、大老井伊の専行に腰をぬかし、たちまち灰色の軟弱 論者に化してしまった。威公、義公以来の伝統に輝く水戸藩においてすら、勅諚奉還論が公然とあら いや、これは決して水戸を責めるために申しているのではありません。この状態はわが薩摩 われ : ・ においても同様、先公の薨去以来、島津豊後一派の奸党はふたたび頭をもたげ、先公の御遣志はふみ にじられ、藩論は支離減裂の有様であります。他の諸藩もまた大同小異。 ここにおいて、水戸の金子、高橋の両先輩は最後の非常なる決意を持って江戸に出て来られた。即 ち、藩内の軟弱論者や俗論者流にかかわることなく、真の誠忠の死士を駆って幕府の権奸を斃し、水 戸御老公に将軍の顧問になっていただき、幕府をして勅諚遵奉の実を挙げしめようとする大計画であ ります。 そのためには、駒込に御幽居中の御老公は藩地に御帰還を願う。もしも斬奸の一挙が破れて討手を 向けられるような仕儀に立ち至ったならば、幕府の軍勢を引受けて一戦をも辞せぬ、とそこまでの大 134

6. 西郷隆盛 第6巻

「尾州は精兵二千を京都に出すと言っている」 「あてになるものですか。噂だけ、それこそ口先だけです。 : : : 越前の橋本左内などは、水戸とはも う義絶だなどと大きなことを言っているそうだが、では越前自身は何をしようというのです。藩主も 左内も、もともと開国論者で、事なかれ主義者です。人の批評はするが、自分が乗り出そうとは決し てしない。水戸と義絶などというのは、要するに口実です。自藩だけを渦巻の外におこうとする明哲 保身の術にすぎません」 「橋本左内が水戸と義絶すると言ったのか」 「知らないのですか」 「知らんよ」 しやしよく 「会沢伯民や戸田銀次郎までが、水戸の社稷をまもるためには、勅諚を一応返上すべきであるという というのが橋本などの説らしいですが、 議論を公然と唱えはじめた以上、もう水戸とはっきあえない、 これこそ齪謇て他をいう逃げ口上です。・ : : ・威公、義公以来、水戸の藩風は大義名分を明らかにする いちよく ことにある。朝廷より賜うところの勅諚を諸藩に回達しなかったら、即ち違勅になる。威公も義公も 違勅をあえてしても幕府の命を奉ぜよとは申されなかった。水戸の運命を賭しても、勅諚は奉じなけ ればならぬというのが高橋多一郎氏や金子孫二郎氏の意見です。 : : : だから、こうして、今晩の会も 開かれることになったのではありませんか」 「よしよし、わかったよ。それで ? 」 「それで、とは何です。あなたは今になって同志を疑うのですか。水戸の同志は、必要ならば、いっ 130

7. 西郷隆盛 第6巻

譜代大名の一人を京都に登らせ、幕議は条約締結に一決せりととどけ捨て、勅諚を無視し奉らんとす る下心。このこと堀田より内々小子へ申しつかわせし次第に御座候 ) 密書を机の上にかえして、斉彬はいった。 「吉之助、これも時の勢いか」 ・ : 天の勢いに 「なぜ答えぬ。答えられぬのか。 : : : 時の勢いにも二つある。天の勢いと人の勢い さから は抗うことはできぬ。だが、人の勢いには、動かそうと思えば、動かすこともできる。智恵と勇気の 問題だ。 ・ : 吉之助、井伊は大老になった。この彦根の化物は松平伊賀と結んで、権勢をたのみ、天 威をおそれず、将軍継嗣と通商条約に対する勅諚を二つながら無視蹂躙し : : : 」 「殿様 ! 」 「二つながら勅諚にそむき奉って、幕府の威光を朝廷の上に置こうと企てている。 之助 ! 」 「ゆる : : : ゆるせませぬ ! 」 「まさに壙古の大罪にして、大逆 ! 」 「お言葉のとおりでございまする。 ・ : そ、それを申しあげたく、私は江戸よりとび帰ってまいった のであります。大老の権勢をおそれてか、有志の諸侯も見ざる言わざる聞かざるの三猿主義。万策こ一 こに尽きたと考えて、先月の十七日、橋本左内と打合せて江戸を出発、途中、京都、大阪の同志にそ の地の情勢偵察を頼み、本日ようやく鹿児島にたどりつきましたところ、殿は御出漁とのこと : こうこ じゅうりん : 許せるか、吉 17 第章水の上

8. 西郷隆盛 第6巻

越前、左脚は遠く南にのびて、筑前、肥後、薩摩を踏まえているといわれる。鯰にしてもよほどの大鉢 鯰である。 たとえば、このたび関東に下された勅諚、『仮条約は違勅なり。御三家の一人、もしくは大老を上京 せしむべし』という断乎たる勅命は星巌の発案に成ったもので、久我大納一一一口、青蓮院宮を通じて、天 聴に達し、御嘉納を経たものだといわれている。これも、近ごろ頓に激しさを加えた星巌の行動から 推せば、かならずしも根のない噂ではないらしい むせるような草いきれ、加茂川の水も湯気立ちそうな真昼時。今日も朝から「鴨沂小隠」には人の かすがせんあん 出入りがあわただしかった。僧月照と春日潜庵は朝方の風の涼しい時刻に来て、すぐに帰って行った らいみぎさふろうだいがく が、間もなく頼三樹三郎が大楽源太郎を従えて乗込んで来た。 ぎおん 三樹三郎は祇園の朝がえりだと言って、すでに酒気を帯びていた。星巌夫人の紅蘭女史に叱られな がら、子供のように酒をねだって、源太郎と二人、肩肌ぬぎになってねばっている。 かんかんがくがく 例によって、侃々諤々の議論であるが、星巌は卓によって如意棒をもてあそびながら川を眺め、も う聞きあきたよと言いたげな表情である。 「居士、老竜居士 ! 」 三樹三郎は膝をたたいて叫ぶ。「あんたは彦根に住んたことがありましたね」 「ないよ」 「いや、あった。確かにあったはすだ。彦根にはあなたの弟子は多い。家老岡本黄石の家に住んだこ とがあるでしよう」 とみ

9. 西郷隆盛 第6巻

二人の水戸藩士は下座にさがって、白木の文箱に黙檮をささげ、再び向い合った。 「いかが致したものか」 安島帯刀は腕を組む。 「勅諚でございます」 鵜飼幸吉の答えは、ただ一一一 = ロ。 「その件なら薩摩の西郷吉之助を通じて、一応拝辞申上げたはすだが : ・ 「存じませぬ。 : : : 西郷殿の江戸行きは八月の二日か三日のころかと思います。勅諚は八月七日、深更 に決定、八日早朝に仰せ出されたものであります。 : : : 不肖幸吉、命にかえて捧持してまいりました」 「幸吉、水戸藩士の一人と致しまして、主上の水戸藩への深き御信頼にそむき奉ることはできませぬ」 「いかにも ! 」 、や、水戸 安島帯刀は組んだ両手をほどいて膝に置き、腹の底から吐息をついた。「致し方もない。し ・ : 早速、御主君にお伝え致そう。さあ、御殿にまいろう」 藩士の一人として、光栄の至り。 と、立上った。 「この時刻に ? 」 こんどは幸吉の方が目を見張った。もう四ッ刻も過ぎて、まさに深更であった。 「わが藩の浮沈にかかわる一大事、時刻を問うことはできまい。急ぐに越したことはない。明朝にの 114

10. 西郷隆盛 第6巻

るべきだと僕は思う」 「その点は、ここまで来る途中、俺もよくよく考えてみた。薩摩に下るといっても、ただ下るのでは ない。囚州をはじめ西国の諸藩に賜わる勅諚の写しはまだ近衛公のお手許にある。これを諸藩に伝達 する役目を御上人にお願いしたいのだ。俺はこれから京都に引きかえし : : : 」 「えつ、京都に行く ? そりや危い ! 」 「危くとも、引きかえさねばならぬ。まだ仕残した仕事が山ほどある。禁闕御守護のための最後の責 任を果したいと思う。水戸との連絡も今一度かためておきたいし、それに斉興御老公の伏見御通過は ここ両三日中ときまった。島津豊後も大阪から上って来るそうだが、老公の御意志で京都出兵のこと とんなことがあってもくいとめる決心でいる。 がひっくりかえされるようなことがあっては大変だ。。 ・ : 俺はこれからすぐに京都に引きかえすから、お前は和尚のお供をして、大阪まで行き、吉井幸黼 と相談の上、しばらく大阪に潜んでおるがいい」 「大阪にいてもいいのか」 「安全なかくれ家が見つかったら、大阪にいろ。駄目だったら、すぐに下関あたりまで逃げろ。行先 落 だけははっきりしておいてくれれば勅諚はかならず後からとどける」 「ふうん、あんたが京都に踏みとどまってくれることには俺も賛成だが : : : しかし、なんだか心細い章 そ。せつかくここまで来たんだから、ついでに、大阪まで一緒に行ってくれてもいいじゃないですか」 : 大阪までお送りするのが順 「一刻を争うのだ。間部の一行はもう美濃あたりまで来ている頃だ。 序だが、ここから先は船だ。たとえ追っ手がかかっても船に乗りこんでしまえば、大阪までは追いっ 日