「そ、それは : 「いや、何も新説を述べたわけではありません。私自身、この年になって、やっとそのことに気がっ いた。わが御老公斉昭様は今は生きながら死せるも同然、幕府正面の敵として駒込邸に幽閉され、そ の精神のみが、炳乎としてわれら水戸藩士の頭上に輝いておられる。われらは御老公に何ら求めると ころなく、その輝かしい精神に従うことができるのです」 この二人には、尾張と越前、土佐と長州の動向を 有馬新七と桜任蔵はなかなか姿を現さなかった。 いま一度たしかめることを頼んでおいた。それが気にかかって酔えず、吉之助は肌を脱ぐ気にもなれ なかったのである。 尾張と越前は、水戸と同様、幕府によって謹慎中である。それを押し切って一挙に参加するために は、水戸と同様の非常手段を必要とする。即ち藩主を奉じて藩地にかえり、幕府との正面衝突を覚悟 して京都に出兵しなければならぬ。越前の橋本左内と尾張の田宮如雲は、万難を排してそれを実行す ると確言した。藩主を盗み出して国にかえることがもし失敗したら、自ら死士となって京都に上ると けんこんてぎ さえ誓言した。まさに藤田東湖のいった「乾坤一擲の非常手段」である。 土佐と長州は、このたび水戸に下った勅諚が自藩に下らなかったことをはなはだ遺憾に思い、せめ てその写しでもいいから拝見したいと言 0 たという風聞が伝わ 0 ている。もしもそれが事実たとすれ ば、百万とまでは行かずとも、十万の援兵を得たことになる。風聞の真疑は、土佐では小南五郎右衛 [ 40
立ち到っております。勤皇の諸藩は勅書の回達を待ちかねております。現に越前と土佐の両藩主は、 水戸に内勅が下ったことを聞いて、せめてお写しにても拝見したいと申していると、たしかな筋から 私は聞きました」 ・ : 私もそのことを申上げたのだが、近衛公のお話では、越前と土佐には三条卿のお 「さあ、それが・ 手からたしかにお写しをつかわしたはず : : : 」 「いえ、それがとどいておりませぬ。とどいていないから、水戸は孤立の態に陥 0 たのです」 「西郷君、君はどう思います」 と、月照は吉之助をふりかえる。 吉之助は答えた。 「有馬君がいうのなら間違いないでしよう」 「では、あなたも勅諚の再降下に賛成なのですな」 「賛成です」 「ふうん」 月照は小首をかしげて、「あなたが、そこまで言われるのなら、私もありのままに申上げるが、堂上 公卿のあいだには、諸藩の有志の実力を疑う気分が相当に濃厚です」 「井伊を恐れているからでしよう。酒井と間部が怖くてならんのでしよう」 と、俊斎が口を入れる。 : だが、諸藩の有志の入説が、どれだけ藩主および藩の重役と連絡がある 「それもあるでしよう。 202
「そ、そこまではっきりと仰せられたのか」 「たぶん、星巌や月照の入説にお迷いになったのだと思うが : 「月照か」 「成就院の坊主だ」 「知っている」 そこへ村山かず江が帰って来た。何かいおうとしたが、黒雲のように険しい主膳の表情に気がつい て、ロをつぐんだ。 左近が気をきかせて、 「一杯いただきましようか。あなたのお酌で飲むのは久しぶりだ。なに、私はすぐに失礼します。あ とはお二人でごゆっくり : かず江は銚子を取上げたが、主膳はそれをおさえるように、 「文吉はなんと言った ? 」 、鍵屋にいる薩摩人は西郷のほかに有村某、伊地知某と申すものだそうでございます。筑前人 らしいのは二人いるそうですが、いずれも変名らしく、素性はよくわかりませぬ。有村は成就院の僧 月照を伏見の薩摩屋敷に送りつけるなど、しきりに活躍の様子でありますが、西郷吉之助は先月末に 鍵屋に到着、ただちに星巌、雲浜、鵜飼父子などを訪れ、その後はも 0 ばら月照と手を組んで、近衛 家、三条家等に対して活湲な工作を行っていたとのことでございます。越前、土佐、長州などとも連 絡して、何か非常な悪謀を企らんでいる模様 : : : 」 174
って来たのだが、去る七月五日、井伊はついに御三家、親藩幽既を決行した。・ : : ・尾張中納言慶勝は 8 ちつきょ 隠居謹慎、水戸老公斉昭は小石川水戸屋敷に蟄居謹慎、水戸の当主慶篤と一橋慶喜は登城停止。これ で水戸一族は全減だ。 ・ : 加うるに、越前中将慶永は隠居謹慎。あの若さで隠居だ。橋本左内の感慨 や如何 ? 」 「、つ亠び」 吉之助は唸った。 ぎこ 「ここまで来れば騎虎の勢いだ」 伊地知はつづけた。 「井伊は決して引きかえすことはなかろう。 去しているらしい」 「なに、将軍薨去 ? 」 「京都では、将軍は井伊に毒殺されたのだという噂さえ立っている。やりかねないと思うが、そんな ことはどっちでも、、。 ししいすれにせよ、将軍が死んだことは事実らし い。だとすれば、親藩幽閉の暴 挙はまったく井伊の専断より発したもので、彼の決心がいかに断乎たるものであるかが想像できる。 さてこの次には誰が : : : 誰がやられると君たちは思うか」 二人とも答えない。 答えるまでもなく、結論は明らかだ。水戸と尾張と越前がやられたとなれば、井伊の手は当然京都 にのびる。いや、その前に、一橋派の土佐、筑前、宇和島、薩摩がやられるだろう。中でも島津斉彬 ・ : しかも、現将軍家定は、井伊の命令の出た以前に薨
かという点を疑っているのです。ある意味で、この疑いは無理もない。かって長州のある有志は京都 に三百の兵を駐兵させたと高言したが、十日と経たぬあいだに引揚げてしまった。あとでわかったが、 それは江戸と相州の沿岸警備兵が国元へ帰る交替兵にすぎなかったのです。越前と土佐の有志もしき しつこう、出兵の気配はない。 りに京都駐兵説を唱えるが、すでに間部が江戸を出発したというのに、、 その点は薩摩にも、いや西郷君自身にも責任があります。斉彬公の御逝去という特別な事情があるとい そそう うものの、三千人出兵説が画鯱に帰したということは、どれほど公卿の意気を沮喪させたかわからな 。最近では税所普門院が、斉彬公の御遣志と称して、近衛、中山両卿をあざむき奉った事件があっ 吉之助は答えた。 「お説のとおりです」 「では、近衛公が内勅の再降下を躊躇されるのは無理もないではありませんか」 「ごもっともです。しかし : : : 」 記 「しかし、どうしたのです」 日 「しかし、薩摩は大阪に三百の兵をとどめてあります。いえ、必ずとどめます」 都 「ほほう、大阪に : : : なるほど、島津豊後の手兵ですな。これも帰国の途中じゃありませんか」 章 「帰国の途中ですが、ほどなく新藩主が参覲のために出府されます。それを待っために若干の兵を大 + 阪、伏見のあいだにとどめる。口実はそれで充分です。 : : : 私は島津豊後にあいます。そして : : : か ならず豊後を動かします」
「迷ったのであります。あわてたのでございます。 : : : 形勢のあまりの急転に、茫然自失、江戸にい ながら、いても立ってもおれず、殿の御裁断を仰ぐよりほかはないと思い立ち、大あわてにあわてて とんで帰った次第でございます」 吉之助は首筋の汗を平手で拭いた。 「はつはつは、正直なことを申す。よろしい、お前はただちに出発せよ。江戸と京都において、余の くろだなりひろ ・ : 近衛忠熈公、筑前の黒田斉薄、土佐の山内容堂、越前の松平慶 出兵の準備をととのえるがよい。 ・ : 待て、幕閣においては、誰を動 永に余から手紙を書こう。それを携えてすぐに出発するがよい。 かしたらよかろうか。堀田正睦。 : : : 堀田を動かすものは岩瀬と川路 : : : 」 「骨の硬いのは川路の方かと存じます。井伊が目の仇にしているのは岩瀬ではなく、川路のように思 、 " ~ ます」 : お前はいつでも出発できるだろうな」 「では、川路に手紙を書こう。 「お心のままでございます」 「では、二、三日中に : : : そうだ、その前に一度釣につれて行ってやろうか」 吉之助は目をかがやかせて、 「はつ、ぜひお供を : : : 釣もながいあいだいたしませぬ」 「今日は鯛をあげたそ。魯水はカナガシラとタコばかりだ。あっはつは」 「私も一度、鯛をあげてみたいものです」 「お前はイカ釣りの名人だそうだな。イカを食べすぎて腹をくだしたのは去年の話だったか」 21 第一章水の上
内治も外交も減茶滅茶だ。しかも、もし万一、彦根の一党が権力を弄んで、上御一人を強い奉るよう加 なことがあったら、大義は減びる」 「それとも、出兵の時機はまだ早過ぎるという理由でもあるのか」 「早過ぎるどころではございませぬ」 吉之助は湧上る喜びをおさえて答えた。「水戸には出兵の実力なく、越前と土佐は幕府と関係が深過 ぎます。私の見るところでは今ただちに兵を繰り出すことの出来るものは、長州と薩摩」 「ほ ) つ、一〕癶州、が動 ) か ? 」 「去る四月のはじめには、海岸警備兵の交替を名として、約三百の兵を伏見に止めておいた事実があ ります。藩政府の方針がそこまで進んでいるのか、それとも一部の有志の策動か、その点はまだ判断 がっきませぬが、京都のまわりで、現在もっとも活湲に動いているのは、水戸でもなく、越前でもな 長州ではないかと私は考えております。他の諸藩は、あるいは人を用い、あるいは金を用いし ろいろと策動はしておりますが、出兵という非常手段に訴える決心を持っているのは長州だけのよう に思えます。 : : : 薩摩の出兵ということは、私もしばしば考えました。心からそれを望んでおります・ しかし、事はあまりに重大で、それを殿におすすめするだけの自信はございませんでした」 「では、なぜわざわざ帰って来た ? 余の釣舟におしかけて来たのだ」
見だ。月照和尚の意見であり、近衛、三条両卿の意見でもある。主上の御意見もこのあたりにあると 拝察する」 りん こ、ね 吉之助は涙の乾いた頬を平手でぬぐい 、膝を正し、凛とした声音になって、「長州、土佐、筑前、肥 後、小藩ながら大阪城代の重任にある土屋侯、これらの諸藩には京都出兵の可能性がある。禁闕守護 ちよくじよう の勅諚が下れば、かならず動くにちがいない。 : だが、その前に水戸と尾張を動かさなければなら ぬ。この両藩が動けば、幕府は半身を斬り取られたも同然だ。しかも、井伊の暴断はこの両藩を幕府 の正面の敵にしてしまった。今こそ好機だ」 「しかし : ・ : ・」 俊斎は坊主頭をふり立てて、「水戸も尾張も謹慎中ではないか」 「それもかえって幸いだと俺は思う。謹慎中にもかかわらず、あえて勅命を奉じたということになれ ば、幕命よりも勅命の重きゅえんを天下に示すことになる」 「ふうん、名案のようにも聞えるが : 三円が引取って、「どうだかな、動くかな。京都で考えているほど江戸の事情は簡単じゃないぞ」 : とい、つと ? 」 吉之助は膝を乗り出す。熱心な目の色であった。 「水戸も尾張も思いのほかにもろかった」 三円は答えた。 「ほとんど手も足も出ないくらいに叩きつけられている。 ・ : 尾張では、家老の竹腰 ただなか という奴が大奸物で、井伊ならびに紀州の家老水野忠央と肚を合せ、め・ほしい有志は一人残らず君公
しあに 六年六徒豈煩わしと言わんや 天廃人をして廃園に居らしむ 用いす張家の三十乗 ただ携う太上の五千言 梁川星巌の「聯逍遙処」は加茂川のほとり、窓に比叡の青巒を置いて、鬱蒼と繁った廃園の中にあ る。 廃園に住んで自ら廃人と称し、その居室を「鴨沂小隠」と名づけ、ひたすら老荘の風を慕う世外超 俗の老詩人を装いつづけてすでに十年。だが今は、誰もこの小庵の主人をただの詩人だと思っている ものはない。ただの隠者だと思うものはさらにない。 もしも近畿から関東にかけて、かの安政の大地震にもまさる地震が起るとしたら、その震源地は必 なますひげ ずこの「鴨沂小隠」ーー齢七十を越えて、なお詩と政治を忘れぬ鯰髭の怪人物の仕業であろうと、専二 わらペ ら京童の噂であった。 うんせい 星巌の白髪は公家と宮家を経て雲井に連なり、右手は水戸、左手は長州、土佐と結び、右脚は尾張、 いずも 田出雲殿も京都に駆けつけることになっている。 京都に行こう ! 」 いっさいの勢力は京都に集まるのだ。さあ、行こう、 せいらん 33 第章赤鬼
探っているのか」 「御・ : : ・御冗談を : : : 」 ・ : 文吉、分をこえた 「では、なぜ俺のところから出た女駕籠を丸太町あたりまでつけて行った ? おせつ力し。一一一ⅱ 、よ午さぬそ。三日以内に、二人組の浪士の姓名と居所をつきとめて来い。それができなけ れば、今後出入りは無用。絶対に無用。帰れ ! 」 立上って、主膳はふたたび姿を見せなかった。 長野主膳の怒りを買っては、文吉の立っ瀬はない。 乾分たちを怒鳴りつけながら、八方に手をまわし、関白邸推参の二人組浪士の探索をはじめたが、 何の手がかりもないうちに、三日の期限は切れてしまった。 密勅降下のことがあって以来、地方から京都にのぼって来る浪士の数はますます多くなった。浪士 とはいうが、かならずしも藩籍を脱した浪人とは限らない。歴とした雄藩の藩士の変名したものが大 部分で、中には郷士の息子の国学かぶれしたのや、食いつめ者の浮浪の徒が時の潮に乗って志士の面 をかむったのもないではなかったが、それとても長州、土佐、越前、薩摩など反井伊派の諸雄藩と連 ひご 絡があり、または近衛、三条、久我、その他の公卿の庇護をうけて、藩邸や公卿屋敷にかくれ住み、 夜の闇にまぎれては通り魔のような所業を働く。その中からただ二人だけを探り出すことは、前科者 の博徒や人殺しを捕えるのとは勝手がちがい、さすがの文吉手をこまぬかざるを得なかった。 れぎ 160