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検索対象: 西郷隆盛 第6巻
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1. 西郷隆盛 第6巻

内治も外交も減茶滅茶だ。しかも、もし万一、彦根の一党が権力を弄んで、上御一人を強い奉るよう加 なことがあったら、大義は減びる」 「それとも、出兵の時機はまだ早過ぎるという理由でもあるのか」 「早過ぎるどころではございませぬ」 吉之助は湧上る喜びをおさえて答えた。「水戸には出兵の実力なく、越前と土佐は幕府と関係が深過 ぎます。私の見るところでは今ただちに兵を繰り出すことの出来るものは、長州と薩摩」 「ほ ) つ、一〕癶州、が動 ) か ? 」 「去る四月のはじめには、海岸警備兵の交替を名として、約三百の兵を伏見に止めておいた事実があ ります。藩政府の方針がそこまで進んでいるのか、それとも一部の有志の策動か、その点はまだ判断 がっきませぬが、京都のまわりで、現在もっとも活湲に動いているのは、水戸でもなく、越前でもな 長州ではないかと私は考えております。他の諸藩は、あるいは人を用い、あるいは金を用いし ろいろと策動はしておりますが、出兵という非常手段に訴える決心を持っているのは長州だけのよう に思えます。 : : : 薩摩の出兵ということは、私もしばしば考えました。心からそれを望んでおります・ しかし、事はあまりに重大で、それを殿におすすめするだけの自信はございませんでした」 「では、なぜわざわざ帰って来た ? 余の釣舟におしかけて来たのだ」

2. 西郷隆盛 第6巻

夋斎がどなったとき、女中が膳を下げるために入って来た。 「あら、何がそんなに面白いのでしよう」 「面白いよ。まったく面白い ! 」 俊斎は両手をうしろについて、天井に向って大口をあけ、「あっはつは、わっはつはつは 「まあ、有村さん、何が : 「うるさいッ ! 早く片づけろ ! 何もかも片づけてしまうんだ ! 」 「あら、何を片づけるんですの ? 」 「膳だ、このお多福め ! 」 俊斎は立上って、便所に行くつもりか、ぶいと廊下に出て行ったが、 「あツ、畜生、また出やがった ! ぶるる、化物め ! 」 と叫んで、身震いしながら、座敷に駆けこんで来た。 「箒星か」 と、伊地知正治がいった。 ・ : 今夜はまるで花火の化物みたいだ」 「うん、いやな星だ。毎晩、尻尾が長くなる。 吉之助は、開いた障子のあいだから、西北の空をすかしてみて、 「なるほど、だんだん大きくなる」 こうまう 彗星であった。吉之助が江戸を出発する少し前あたりから出はじめて、はじめのあいだは光茫も短 く、一「三尺にしか見えなかったが、日が経つにつれて次第に尾が長くなり、昨夜あたりからは長さ しつぼ 156

3. 西郷隆盛 第6巻

「チェッ、もうここまで来やがったのか」 「親分、コロリというのは、ありゃなんですかな」 やくびよう 「厄病だ」 「そんなこたあわかっていますよ。異人が持って来た病気だというじゃありませんか。薩摩の殿様も コロリで死んだそうですね。・ : ・ : 異人は何でも持って来やがる。梅毒だって、異人から来たんだそう ですね」 「チェッ、厄病神が黒船に乗って来てたまるもんか」 「そりや、乗って来ますよ。人間が乗るんだもの。神様だって乗ってきます」 かさ 「理屈をいうな、この梅毒かき野郎 ! 」 こっちを呼んでいる」 「親分、いい女がいますぜ。ほい 「よけいなことを : : : 」 と言いかけて、文吉はロをつぐみ、小柄な身体を緊張させた。飯盛女の呼びかける宿屋の看板の下 から、同じく旅商人の早足の三太がすっと蝙蝠のようにあらわれて、肩をならべて来たからである。 歩きながら文吉がたずねた。 「いました」 「一番はずれの宿ですよ」 「じゃあ、俺たちは柏屋に泊る。貴様は豚の宿に泊れ」

4. 西郷隆盛 第6巻

水田に落ちた男も土手の上に顔を出したが、とびかかって来そうな様子もない。 二人とも若い男であった。文吉はいないらしい。どっちもまだ捕り物にも馴れていず、死身で食い さがって来る闘志も持合せていないようであった。 「御用だ、神妙にしろ ! 」 「馬鹿者 ! 」 怒鳴りつけておいて、吉之助は悠々と歩き出した。文吉はどこにかくれているのか。文吉が出て来 れば、乾分どもは食いさがって来るだろう。人数が多くなれば、相撲の手だけでは間に合わぬかもし れぬ。刀はなるべく抜きたくないが。 : 一町ほど歩いて、ふりかえってみたが、追っかけて来る気 配はなかった。 ( さては文吉を呼びに行ったのか。そうなれば面倒だ。よし、急ごう ) ちりふ 両股に股すれができはじめていて、走るとそれに汗がしみる。池鯉鮒の入口、相妻川のほとりまで 走りとおし、店をしまいかけた茶屋を見つけて、残り物の冷しうどんで腹をこしらえた。そこへ折よ く戻り駕籠が通りかかったので、無理に頼み、 しい出し値の代金をはずんで、岡崎まで三里三十町の 夜道をかけさせることにした。駕籠にゆられながら、うとうとと眠ったようである。両側に軒燈の明 りを感じて目をさますと、駕籠は宿屋の立ちならんだ賑やかな街並の中に入っていた。 旅姿の武士が駕籠にならんで小走りに歩きながら、闇をすかしてしきりに吉之助の顔をのそきこん三 でいる。思わず刀をひきよせて、 「何者だ、輛礼 73 第章タ霧

5. 西郷隆盛 第6巻

「各国の大名たちょ、よく皇国の皇国たる所以の根源をわきまえ、かく各々、国々を所領し、官位を 授りしも、ことごとく朝廷の御恩顧による深き御恵みをまことにかしこみ、骨髄に徹して思い奉り きたなごころ よきこころ いかで、この大御恵みに報い奉らわでやはと一日も忘れ奉らず、黒心なく丹心もて仕え奉り、自ら つみなわ いてきうちのぞ 皇国の御楯ともなりて、荒びなす奸賊らをば速かに征伐めて、御代を鎮め固め、夷狄を攘除きて、主 やす 上の宸襟を一日も早く靖め奉りて、皇威を海外に振い奉らんものそと、雄々しき猛き大和心を振起し て、・夜の守り昼の守りに、堅く朝廷に仕え奉らんそ、臣子の誠の道にそありける。 ゅめ、征夷府あるのを知りて、朝廷の深き大御恵みを忘れ、女々しき心に引かれ、己れが身の栄華 うらおも、 のみを思いて、君臣の大義を失い、朝廷の御危難をば猶予して他所にな見そ』 人は聞かずとも、天に訴えたい気持であった。 夜があけると間もなく、吉報が到着した。近衛公の屋敷から月照が持って来た吉報であった。 近衛公は三条公と熟議の結果、新七の報告書と月照の意見を採用し、内勅再降下を取りはからう決 心を定められた、ついては、その使者には有馬新七が適任であるから、ただちに出発の用意を致せと のお言葉であったという。 新七は答うるより先に涙を流した。 「かくの如き重き機密のお使いを、私ごとき微賤なる者にお命じ下さるとは : : : 時世時節とは中しな がら、まことにおそれ多く : : : 何と申上げてよろしいことやら : : : たとえ身は砕け、骨は粉になりま こんげん ときょ 214

6. 西郷隆盛 第6巻

わかに強硬となり、六月の二十八日、大老または御三家のうち誰か一人上洛せよという勅命が下った のであるが、この間の事情はきっと梁川星巌あたりがくわしく知っているのではないかと思う」 ちちまさにる 七月十日の早朝、夜明けの雲がやっと切れはしめたころ、伊地知正治が吉井幸輔の長屋にとびこん で来た。 寝込みをおそわれた形で、幸輔と吉之助が茫然としていると、 「何をぼやぼやしている。早く顔でも洗って来い ! 」 京都から夜船で淀川を下って来たのだが、船の中では一睡もできなかったと、伊地知は言った。な るほど、一つしか開いていない目が真っ赤に充血している。 「どうしたというのだ、いナし ? 」 「どうしたもこうしたもない。顔を洗って来い、顔を ! 」 日ごろから老成重厚をもって通っている伊地知正治としては、まったくめずらしい昻奮ぶりである。 幸輔と吉之助が顔を洗って帰って来ると、正治は下男が蒲団を片づけている部屋の縁側に坐って、 せっせと握り飯を食べていた。 「朝飯か ? 」 吉之助がいうと、 「うん、お前たちの顔を見たら、急に腹のへったのに気がついた」

7. 西郷隆盛 第6巻

なるみ 「目明し文吉につきまとわれ、鳴海の松並木に先まわりされて、とんだ活劇を演じて来たところです」 「やつばりそうでしたか。 : : : 実はあなたが出発された後、梅田先生が月照和尚にあわれて、あなた の話を聞き、それは危い、長野主膳が上京して来ている以上は、きっと追手をかけるにちがいない、 誰かに跡を追わせなければということになって、私がその役を買って出たのです。 : : : しかし、御虹 事でなにより、 : べつにお怪我も : 「いや、大丈夫でした。 : それにしても、長野主膳という奴、どうして、こんなに早い手廻しがで きるのでしようか。私が出発したことを知っているのは、月照和尚のほかにはいないはすだが : 「よほど広い網を張っているのですね。 ・ : 京都では、梅田先生も頼三樹三郎先生も、長野を斬って しまわねば事は運ばぬと申しておられるが : 「斬るべきでしよう」 「長州の久坂や大楽は見つけ次第斬るといっていますが、まるで風のような奴で、京都に着いたとい うことはわかっても、どこにどうかくれているのか見当がっかぬ。ただ、彼の悪謀の結果だけが次か ら次にあらわれて、われわれの仕事をくつがえして行くだけなのです。思いがけない場所から横槍が 出て、その時はじめて、これも長野の仕業だったかと気のつくような有様 : : : 」 「ますます斬らなければならぬ」 「お言葉のとおり。だが、まあそれは京都の同志が引きうけてくれるでしよう。あなたとしては、近三 衛公の密書を江戸に届けるのが仕事。 : : : 密書は無事でしような」 「無事です」

8. 西郷隆盛 第6巻

「思わしくない。水戸慶篤公は老中どもにペロリとなめられている。だから、俺ははるばる都にのぼ って来たという次第だが : 「まあ、その話はゆっくりと聞こう。秋の夜は長い。どうせ君の相手だ、夜明しは覚悟したよ」 「秋・ : ・ : 秋の夜か」 「ほいほ、、短冊を持って来ようか」 「なに、歌なら、そっちが本家だ」 正治と新七は国学の同門である。 「いや、京都はいそがしすぎて、近ごろは歌どころではない。君の旅の収穫を聞かせてもらいたいも のだ」 あばた 新七は菊石の顔をぼっと赤らめて、 : どうだかな。 「作るには作ったが : いっしかと 身にしむ秋の風寒み 千々に心をくだく頃かな 独り行く 旅の夜嵐はけしくて

9. 西郷隆盛 第6巻

して、疫病退散の水垢離をとろうかと思っているが : 「うん、それもよかろう。それもいいが : 吉之助はちょっと考えてから、「どうだろう、コロリの治療法を士民に知らせることにしては」 「治療法 ? 」 「治療法を普及し、施行すれば、京都の士民を救うことができ、同時に御所のまわりからコロリを遠 ざけることになる」 「お前、その薬を知っているのか」 と、正治がたずねる。 「ああ、知っている」 「いつの間に、医者になったのだ ? 」 こうけん 「いや、桜任蔵から教えてもらった。 ・ : 江戸でも非常に効験があった処方だそうだ。念のために書 きとめて来たが : 「なんだ、そんなものがあるのなら、早く教えてくれればいいのに ! 」 と、俊斎がいう。「俺は幕吏は怖くないが、コロリという奴とはなんとも性が合わん。コロリの葬式 にあうたびに足がすくんで、その日一日は飯がうまくない」 「はつはつは、それにしてはよく食うそ。今朝も六杯 ! 」 と、正治が冷やかす。 「うるさいな。なんでもいいから、その処方書というのを見せてください」 みずごり 206

10. 西郷隆盛 第6巻

「たしかに吉之助か」 「間違いございませぬ。相変らず不器用に肥っておりまする。 魯水が差出す望遠鏡を右手でしりそけ、斉彬は静かに言った。 「魯水、碇をあげさせよ。すぐに漕ぎかえるのだ ! 」 魯水があわてて自分の釣糸をたぐりあげたときには、舟はもう動き出していた。 ( 殿もお待ちかねだったのだな。吉之助の奴、釣舟が帰って来るのを待ちきれず、旅装のまま早舟を 漕ぎよせて来るとは、よほど火急重大な報告を持って来たのにちがいない。吉之助もあわてものだが、 殿もだいぶおあわてになっているらしい ) 魯水の想像は半分だけ当っていた。斉彬にも、実のところ、江戸にいるはずの吉之助が突如として 錦江湾の波の上に姿を現したことは意外であった。つい四、五日前、江戸から吉之助の報告書を受取 ったばかりであるが、それには帰国のことは一言も書いてなかった。 『井伊の大老就任は不可解千万。もとより井伊は一橋嫌いと存じ候えども、すでに御内勅のこともあ り、将軍はじめ堀田閣老、表方諸役人はすべて一橋を望みおり候。故に井伊の就任は大勢に影響これ一 なきかと存じ候。ただ大奥における本寿院と歌橋の大反対があるが、これさえ押しきれば、目的成就 と折角努力仕り居り候』 「なるほど、たしかに西郷吉之助めでございます。旅姿のまま舳先に立ちふさがっております」 : どうぞ、これにてお確め下さい」 13 第章水の上