西郷吉之助 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第6巻
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1. 西郷隆盛 第6巻

第十章都日記 九月七日の午後七時ごろ、背の高い、顔に薄菊石のある旅姿の武士が柳の馬場の鍵屋に来て、江戸 と一「ロった。 の中根伊之助という者だが、薩摩の西郷吉之助殿がお泊りならちょっとお目にかかりたい、 奥座敷では、吉之助、正治、俊斎の三人がタ飯の膳を中に、しきりに密談をこらしているところで あった。番頭が取次ぐと、吉之助は俊斎をふりかえって、 「お前、出てみろ。たぶん誰かの変名だろう。知らない男だったら追いかえしてしまえ」 「幕吏の臭いがしたら斬ってしまえか」 俊斎は刀をつかんで勢いよく立って行ったが、やがて大声で笑いながら、客を案内して帰って来た。 「あっはつは、源三位頼政殿の御到着だ」 吉之助は客の顔を見ると、 「ああ、これは : : : 有馬君か」 腰を浮かせて座をしざり、座布団をすすめながら、「お疲れだったろう。さあ、どうそ」 かつば 有馬新七は荷物と合羽を部屋の隅において、儿帳面な挨拶をし、やがてすすめられるままに上座に 坐った。 うすあばた 188

2. 西郷隆盛 第6巻

「ああ、やはり、西郷 ! 」 吉之助の大声に驚いて、駕籠はびたりととまる。 「西郷殿、僕です。飯島昇之助 : : : 水戸の飯島です」 「おお、君だったか」 水戸の飯島なら、梅田雲浜のところで、二、三度顔を合せたことのある同志であった。吉之助は駕 籠を降りて、飯島と肩を並べた。 「どうして、こんなところへ ? 」 「あなたを待っていたのです」 、本陣に近い桔梗屋という宿に荷物を置いて 飯島は日の暮れぬうちに岡崎に着いていたのだといい あった。吉之助をその宿に案内した。 「梅田先生の御命令で、あなたを追っかけて来たのです。 : : : 草津の宿にあなたらしい人物が泊った ということだけはわかったが、そのあとがどうしてもわからない。桑名まで来て、もしかすると中仙 道にまわったかと気がついたが、ひきかえすわけにゆかす : : : 」 「さよう、草津から中仙道をまわりました」 「何かあったのですね」

3. 西郷隆盛 第6巻

金子孫二郎が吉之助に盃をさして、「肌をぬがれたらいかがです」 「はあ、どうも」 堀次郎が横から、 「西郷は近ごろ急に大人になりましたよ。斉彬公が亡くなられてこの方、急に老成して : : : なんとい おうか、つまり一本立ちになったような感じだな」 吉之助は堀の顔を大きな目でにらんだが、自分をおさえたらしく、左手で盃をつかんで、「堀、注 「なるほど、たしかに大人になられた」 金子孫二郎は笑い、「頼るものがなくなるということは、人を大人にする。先公が生きておられるあ こそく : こは、これに頼り、これに求むる心があった。人に頼り、人に求むれば、思いはかならず姑息とな る。たとえ死を決しても、目の前に出世だとか、恩賞だとか、余計なものがぶら下っていては、澄む べきはずの心がにごる。 : : : 斉彬公が亡くなられたことは、天下の損失にちがいないが、しかし、死 によって斉彬公は純粋なる精神として、われわれの頭上に輝きはじめた。斉彬公は西郷君にと 0 て、 : 求むると 今は天であり、神である。これに従うことはできるが、これに求むることはできない。 ころなく、天に従う。これが君子の道であり、武士の道である。西郷君が大人になられたというのは、六 おそらくこの意味でありましよう」 吉之助は驚いたように顔をあげて、金子孫二郎の顔を見つめる。

4. 西郷隆盛 第6巻

吉之助は樺山三円の長屋に旅装をといたばかりのところであった。 昼夜兼行で東海道を駆け通したのだと言い、ぐったりと疲れていた。なるほど、着物も皮膚も旅の しようす 塵にまみれていた。だが、吉之助の顔に現れた憔忰å色は、ただの旅疲れだとは思えなかった。 「お疲れだったでしよう」 次左衛門はいったが、俊斎は坐りもあえず、大声でどなった。 「まだ生きていたのですか。とうの昔に死んだものとばかり思っていたのに ! 」 「お前は勝手に生きていろ。僕は死ぬんだ」 「兄さん、それは自棄 : ・・ : 」 「何が自棄だ。・貴様は兄に向って : : : 」 「しゃあ、お帰りなさい。帰ったら、母上が何と申されるか」 「何ッ ! 」 また激論になりかけたとき、樺山三円が顔色を変えてとびこんで来た。 「おつ、俊斎。おお、次左衛門もいたか。西郷が : : : 西郷が帰って来たそ」 「えツ、西郷が : : : 」 「帰って来ましたか ? 」 兄弟は議論を忘れて顔を見合せた。

5. 西郷隆盛 第6巻

「動く。かならず動かす」 「方策は ? 」 「ある ! 」 と二一口。一座はしんとなる。 「よろしい ! 」 月照の声が沈黙を破った。「私は近衛邸にまいりましよう。いま一度、この身体で近衛公にぶつかっ てみましよう」 「御上人、お願い致します」 吉之助は頭を下げた。 「西郷さん、禅家では死中の活という。 あんたの方策というのは、それですな。私もその方策に従う ことにしましよう。 : では、皆さん、返事はまた明日の朝までお待ち下さい」 静かに立って、月照は出て行った。 吉之助は俊斎に目で合図して、 「まほ ) ) 」 月照も目をまるくしたが、北条右門は疑わしげに、 「西郷、動くかな、島津豊後が」 204

6. 西郷隆盛 第6巻

と、金子孫二郎がいう。彼もまた壁に背をもたせて、じっと目を閉じた姿勢であった。 「井伊を斬ることによって、かえって幕府を刺激し、天朝の御危難を醸し出すようなことがあっては いけないという意味です。 : : : だから斬奸に先立って、われわれ同志の手で京都を固める。酒井、 部の手兵に対抗できるだけの兵力を、われわれの手で京都に集める。 ・ : そのために、西郷がまず上 京する」 「なお、われわれの一挙が単なる暴挙と見なされ、間部や九条関白の乗ずるところになって、朝廷の 御名において追討の命を発せられるようなことがあったら、それこそ首尾転倒、自ら求めて火に入る ようなものであるから、われわれの真意の存するところをあらかじめ天聴に達しておく。 : : : これ , も 西郷の役目であります」 「よくわかりました」 金子孫一一郎は吉之助の方をふりかえって、「いろいろ御苦労ですな」と徴笑した。 吉之助は黙って頭をさげた。 高橋多一郎が盃をとりあげて、吉之助にさしながら、 「まだ東湖先生の生きておられるころ、水戸屋敷にこんな歌が流行したことがありましたな。 薩摩潟 八重の潮路は遠けれど 大和心は変らざりけり」 136

7. 西郷隆盛 第6巻

うように取りあげた。読んで行くうちに、彼は木の葉のように蒼ざめ、ガタガタとふるえはじめた。 『 : : : 七月九日、天保山にて大調練あり。終日炎天の下にて御指揮 : : : 帰路は船にて釣など致され、 なます 獲物沢山。 ・ : 夕刻、磯のお茶屋に御帰館 : : : 当日の獲物を刺身、膾などにて召上り、その夜より少 少腹痛 : : : 痢病の気味 : : : 俄かに御病あらたまり : ・ : 十六日、ついに御逝去・・・・ : 』 島津斉彬の急逝を報じた手紙であった。 正治は吉之助の前に、へたへたと坐りこんだ。 「西郷、これは : : なにか : : なにかのまちがい : : : 」 吉之助は空を見つめたまま、 「伊地知、読んでくれ。 : : : 御逝去とたしかに書いてあるか。俺の読みちがいではないか」 「十六日、ついに : ・・ : 御 : ・・ : 御逝去。・ : ・ : 長崎奉行へのお届出は数日後と存じ候えども : ・・ : とりあえ ず : : : まことに夢のごとき : : : 」 「夢のごとき : : : 」 「まことに夢のごとき大変事 : : : 当地においては : 「やめ : : : やめてくれ ! 」 吉之助は正治の持っている手紙の方に手をのばそうとして、その力もなくなったのか、がくりと前 にのめり、廊下の板敷に顔をすりつけて、虫のように身をよじらせた。 「西郷 ! 」 「」痛い ! 」

8. 西郷隆盛 第6巻

「あっはつは、風流風流、 : : : 西郷吉之助にこんなかくし芸があろうとは知らなかったよ」 伊地知正治は反古紙を吉之助の鼻の先でヒラヒラさせた。 「何が風流だ。よこせ ! 」 「おっと、ただでは渡されぬ」 吉之助は気がついて真っ赤になった。昨夜、徹夜しながら、ふと胸に浮んだ和歌を反古のはしに書 きつけておいた。それを二人に見つけられたのである。 「おい、よこせと言ったら」 「いや、やらぬそ」 正治は縁側に逃げて、 「古今調だな。読むぞ。 東風吹かば 花や散るらん橘の 香をば袂に包みしものを 赤 章 いや、見事見事、あっはつは ! 」 第 「何がおかしい」 そう言いながら、吉之助も笑い出した。なるほど歌など作るのは、自分の柄じゃないと思ったから こち たちばな

9. 西郷隆盛 第6巻

坐るべき場所に坐っていてもらえば充分です。 : : : 動ける立場にいるわれわれが意を決した以上、世 間の信望などということは二の次です」 「お気にさわったようだな。そんな意味で申したのではない」 堀次郎は如才のない笑顔を作って、「つまり愚痴です。君側に近くいる者がとかく動きにくいという のは、わが藩においてもまったく同様。そのことを考えて、つい愚痴が出たのです。 : : : ああ、だい おんどん ・ぶ暗くなりましたな」と手を鳴らして女中を呼び、「もっともっと明るくしろ。行燈だけではたらぬ。 蝋燭を立てろ。うんと立てろ。今夜はおめでたい宴会なのだ。あっはつは」 燈火の色の冴えはじめる頃には、客の顔ぶれもそろった。 年長の金子孫二郎を正座に据えて、その左に西郷吉之助と鮎沢伊太夫、右に高橋多一郎と堀次郎と いうふうにならんで、水戸から五人、薩摩から六人、ほかに二つの空甯を残してあるのは、有馬新七 と桜任蔵の席であった。 ひとしきり盃の応酬が終ると、女中たちを下らせ、四方の襖障子を開け放ち、披き評定の形をと あっせん づて、斡旋役の堀次郎が次のような挨拶をした。 章 「前置きは抜きに致して、率直に申上けます。今夜は、西郷吉之助の上京を送る会であり、同時にま ~ ( た水戸と薩摩の同盟成立を祝する会であります。 西郷の上京の目的が何であるか、水戸と薩摩が何を目的として同盟したかにつきましては、私から ぐち ひらひょうじよ 5

10. 西郷隆盛 第6巻

「普門院が ? 」 と、吉之助は首をかしげた。俊斎は吉之助の顔色には気がっかず、 「普門院は、だいぶ活躍している模様です。僕は月照和尚を送って行く途中、伏見街道であったんだ が、その時にも、公卿の変装にちがいない托鉢坊主と一緒でした。昨日も五条の橋際でちょっと出会 えぼしひたたれ ったが、鳥帽子直垂などをつけた大変な恰好で、九条関白は自分の手でかならず辞職させてみせると 大気陷でした」 「ふうん」 と、吉之助はまた考えこむ。 伊地知は隻眼を光らせて、吉之助の横顔を眺めていたが、 「西郷、京都の事情はだいたいそんなところだ。これ以上報告することもない。君の対策を聞かせて もらいたい」 こど、斉彬公の御意志を実行するだけだ」 「僕の方針はべつにない。オナ 「もっとはっきり一一一口ってもらおう」 きんけっ 「京都に出兵して、禁闕を守護し奉る。ただ、それだけだ ! 」 「薩摩が兵を出すのか ? 」 「もちろん ! 」 伊地知はつめたく、 「今さら、国許から繰り出したのでは間に合うまい」 せきがん 153 第七章彗星