間部詮勝 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第7巻
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1. 西郷隆盛 第7巻

第一章北山時 木曽路は深い秋であった。 まなペあきかっ 老中間部詮勝はこの道を京都にのぼる。 信濃路では、朝なタな強い霜が降りて、雪も間近と身にしみた。美濃に下って、近江路に近づくに つれて、季節は初冬から晩秋にかえり、磨かれた秋空の下に紅葉の色が照り輝いたが、それを楽しむ 心の余裕はこんどの旅にはなかった。 梁川星巌に詩を学んだことのある間部詮勝である。自然と人の美しさの在り場所を知らぬ身ではな い。かっては京都所司代をつとめて、御齢九歳の主上に咫尺し奉った間部である。勤皇の心の何物た るかを心得ぬ男でもない。 なおすけ だが、井伊直弼に臆病者と罵られ、家康譜代の恩義はいずこに置き忘れたかと責められて、今は冪 府を守護し、京都を抑えるために西へ行くわが身の上である。足利高氏か、非ず、できれば新田義真 でありたいと願う心を井伊も世の人も知ってはくれまい 江戸よりの急飛脚は矢つぎばやに間部の行列を襲う。強く出ろ、あくまで強く、とけしかける井伊 の命令であった。敵は天朝に非す、水戸である。宗家の危難をよそに、おのれの野心を逞しゅうせん し しせき 9 第一章北山時雨

2. 西郷隆盛 第7巻

心得まで申上げ置き候』 自分とても、準備なく京都に入るのではないことを示しておきたかった。 おおたぶんごのかみ 「江戸は、御貴殿と太田備後守にお委せ致し、京はこの愚老、いかようとも必死に相成り相勤め候間 御安心下され度候。老婆心にて思いすぎ、くだくだ申上げ恐れ入り候えども、御海恕下さるべく候。 詮勝百拝 赤牛大賢君御返事』 かもんのかみ 赤牛井伊掃部頭は、この手紙をどのような目で読むであろうか。お前もまた堀田や伊賀守の二の舞 いだそ、と彼の目が冷酷に笑っているような気がする。火陷の鞭をふるって、自分を地獄に追いこむ 牛頭の怪物の姿が目に浮んで、間部詮勝はひそかに身ぶるいした。 北山時雨が軒をたたく。 部屋の中は、真昼ながら、夜のように暗い。京都水戸屋敷のお長屋。江戸の同志からとどいた密書 山 を中にして、西郷吉之助は主人の鵜飼吉左衛門と向い合っていた。 「期日は十月一日」 「さよう ! 」 と、吉左衛門はうなずく。 「諸藩の同志は ? 」

3. 西郷隆盛 第7巻

・第七巻《不知火の巻〉の時代的背景 を一八五八年 ・間部詮勝参内、外交事情を説明する ( 安政 5 年・西 間・徳川家茂 ( 慶福 ) 、十四代将軍となる Ⅱ・ 1 安政の大獄、ますますひろまり、志士の検挙拡大かっ激烈 郷隆盛歳 ) となる 西郷隆盛、僧月照とともに鹿児島湾に投身するが、西郷の 【世相】コレⅡ・ ラ大流行。新み蘇生する 宮涼庭「コレ ラ病論」、緒 方洪庵「虎狼 痢治準」など 出版される。 ? 43

4. 西郷隆盛 第7巻

なりあき とする水戸斉昭の悪謀である。この悪謀に破れんか、徳川三百年の功業は泥土となって跡かたもなく 消え失せる。臆病禁物、決断肝要、不敏なりといえども井伊直弼、江戸はわが一身に引き受ける故、 みのかのう 京都は頼む、と美濃加納の宿で受取った急飛脚便にはそう書いてあった。 もみじ 河渡の本陣に泊ま 0 て、十三夜の月に霞む桜紅葉を円窓の向うに眺めながら、間部詮勝が書きした ためた返事は、 『私儀、このたびは天下分け目の御奉公と存じ、一命をかけ候心得に御座候』 強がりか、申訳か、そのいずれでもあり、そのいずれでもない。本音といえば本音 : : : 強いられた たんけい 本音であるから、なお苦しかった。近侍に命じて、書机の左右の短檠の蝋燭をつぎたさせつつ、リ ' ) 日Ⅲ立ロ 詮勝はふたたびわが心に繰り返す。敵は天朝に非す、水戸である。水戸老公斉昭はおのれの野心を遂 げんがため、恵日 丿の天下を破減の一歩手前まで追いつめた。京都の浪士、儒者、公卿どもの強硬な態 ま・こめ 度は、すべて斉昭悪謀の結果である。信濃馬籠の宿で受取った京都所司代酒井忠義の密書によれば、 よしとみ 京都においては、またしても、水戸斉昭の謹慎を解き、紀州慶福を西の丸より追い出し、一橋慶喜を よしなが 将軍となし、越前の松平慶永を大老に任ずべしという勅定が降ったらしい。黒幕にかくれて、勅定降 下の糸を引いたのは水戸斉昭自身であると酒井忠義はいう。まさかそんなことは、と間部は思う。だ が、そう思っては、自分の任務ははたせない。 どこまでも敵は水戸であると思ってはじめて果断の処 置は生れるのだ。 「水戸老公などよりいかなる難題申しかけ候とも、お聞き入れこれなく、将軍御守護第一になし下さ れ候よう願い奉り候。天下には替え難く候間、もしも水戸が勅命を楯に江戸城に乗りこむようなこと

5. 西郷隆盛 第7巻

が、またしても勅諚奏請を悪謀しております。林志は綸旨、すなわち勅諚です。今の時勢では綸旨を 下すことはちょっとむずかしいが、誰か井伊大老を斬ってくれれば、たちまち乱世となるであろうか ら、その時には綸旨を下すことも容易になるという意味であります」 「もってのほかの悪謀 ! 」 「どうぞ、先をお読み下さい」 「なになに : : : 昨夜、西郷吉之助来り報告仕り候には、薩摩の人数大阪表へ明日明後日のうち、二百 五十騎相備え、大銃 ( 五百匁大 ) 四挺用意致し置き候。ふうん、 ・ : 間部万一暴政の模様相見え候わ ば、伏見まで繰り出しおき、ただちに蹶起の手はず整い申し候。 : こりやまったく、まったくもっ て怪しからん ! 」 間部詮勝の額には太い青筋が浮上り、ふるえる手から手紙が落ちた。 「先は私がお読み致しましよう」 長野主膳は手紙を拾って、「また土州も大阪まで人数を差し出し候はずにつき、間部くらいは一時に 打ちはらい、ただちに彦根城に押しかけ、一戦に踏みつぶし申すべく、現在、井伊の赤鬼は関東に手 兵を集め、彦根城は空虚につき、一戦にて落城に及ぶべしとの見込みの由、なお彦根城に押し寄せ候 えば、尾州よりも人数差出し申すべしとの物語に御座候」 「いったい、そのような密書がどうして : : : 」 「いえ、出所は確かであります。水戸家飛脚間屋の京都店、大黒屋庄次郎の密告により、使いの飛脚 を草津の宿にて取り押え、奪い取ったものであります」

6. 西郷隆盛 第7巻

第二章秋霜 吉之助が大阪に向けて出発した九月十四日に、長野主膳は小川大介と変名して、近江醒ケ井の宿に 間部詮勝を出迎え、深夜まで密談した。 翌日も翌々日も間部の行列に加わって旅をつづけ、十六日に大津の宿に着いたが、ここには京都町 おがさわらながとのかみ 奉行小笠原長門守が出迎えていた。長野が急飛脚便によって呼び寄せておいたのである。 はたして事実か」 「尾張、越前、薩摩、土佐の諸藩が京都に出兵するという流説があるそうだが、 としう , 日旧ロ目ー冫 部の引こ対して、 「そんなことは絶対にない」 と、小笠原は打ち消した。「尾張と越前は京都附近には一兵も出しておりませぬ。土佐は住吉に若干 うねめ の兵を出しておりますが、これは摂海防禦の幕命に従ったものです。大阪城代土屋采女の態度が怪し かなめ いと言われておりますが、これは家老大久保要なるものが、浪人儒者及び水戸留守居役の鵜飼父子と うねめ 親交があり、何やら策動の模様があるところから立った噂だと思います。土屋采女自身には、徳川家二 に弓をひく意志は毛頭ないと私は見込んでいます。 : : : 薩摩の兵が二、三百、近く海路大阪に到着す るととになっておりますが、もし問題とするならば、この兵です。薩藩士西郷某、伊地知某、有村某 23 第章秋

7. 西郷隆盛 第7巻

「御家老が君の滞京の理由をたずねるのは、なにも君を罰しようというのではない。ただ参考のため に聞くという程度なのだから、素直に答えてもらわないと困るよ」 「何の参考です ? 」 「そりゃあ言わすともわかっているじゃないか。時局重大な折から、幕府から難題を持ちかけられた 際に、藩の方針を決定するためにも、君たちの行動を知っておく必要があるのだ」 「時局重大ということを、あなたも御存じですか」 「言葉がすぎるそ、俊斎。不肖なりといえども福永尚之進、今の時勢がわからなくて御役がっとまる 力」 「外には夷狄の皇国をうかがうあり、内においては大義が乱れ、幕府は朝廷を蔑しろにし、皇室は衰 これが今の時勢です。あなたもそう思いますか」 微し、国民の困窮は尽くるところがない。 「うん、ます、そんなところだ」 「たしかにそう思いますか」 「ああ、たしかにそう思っている」 天下の憂いを憂いとせざる徒輩には、話しても無駄 「では、私の京都滞在の理由を申述べましよう。 ですからね」 俊斎はエヘンと一つ咳ばらいして、「私が江戸を出発する頃の世間の噂によりますと、井伊大老が幕四 まなペあきかっ 権を弄び、酒井忠義及び間部詮勝に大兵を付して上京せしめ、おそれ多くも主上を彦根城に移し奉ら んとする大悪謀を企んでいるとのことでした。果して事実か。単なる噂にしても怪しからぬが、もし けん いてき ないカ

8. 西郷隆盛 第7巻

と申すものが、先月来、柳の馬場の旅宿に滞在し、しきりに策動している事実があります。だが、薩 なりおき 摩の老公斉興は故斉彬とちがって、いたって穏かな考えの持主であるから、一部家臣の出兵論に動か されるようなことは万々なかろうと存じます」 「では、諸藩出兵の流説はぜんぜん事実無根なのだな」 「さよう、私の見るところでは、一部ためにする者の立てた流説、さもなくば浪士どもの恫喝にすぎ ませぬ」 「いや、かならずしも恫喝のみではありますまい」 長野主膳は言った。「水戸、薩摩、越前、長州、この四藩の相当有力な藩士が中心となって、浪士糾 合と京都出兵をもくろみつつあるのは、どこまでも事実だと、私は見ております。現在のところ、そ の計画はほとんど具体化しておらず、一部悪謀者連の間の意見、あるいは希望の程度にとどまってい ますが、このまま放置しておいては、かならず事実となってわれわれの足下で爆発するに相違ござい ませぬ。大英断をもって悪謀の根源を衝けば、事を未然に防ぐこともできましようが、一日躊躇すれ ば一日だけ、彼らの悪謀は具体化するのであります。着京次第、ここにありまする名簿に従って、 っせい検挙を開始していただきたい。私は一昨日来、繰り返し、このことを申上げております」 「長野の意見では、薩摩にまで手をつけろというのだが、小笠原殿、それはいかがなものかな」 と、間部はいう。 「薩摩と長州だけはちょっと : 小笠原長門守は首をひねって、「たしかな証拠があればべつだが、この両藩にいきなり手をつけたの どうかっ

9. 西郷隆盛 第7巻

ろに行って、長州との連絡をかためろ。それから藩邸の若侍を一人、至急大阪に走らせて吉井にあい 土佐と土浦を動かす。この人選は、伊地知、君に頼む」 「よし、それは引受けた。 : で、君はどうする ? 」 「俺はここに坐っている。一人だけは動かずに坐っている奴がなければ、手順がぐらっくからな」 同志たちにそれぞれの任務を授けて、吉之助はひとり鍵屋の奥座敷に残り、江戸の堀次郎と日下部 そうじ 伊三次にあてた手紙を書いた。当地の準備は充分にととのったから、関東もいつにても立上るべし、 間部、酒井の兵は柔弱なれば、彦根城攻略は容易なり、関東雷発の場合は至急御報知を乞うという激 しい内容の手紙であった。 手紙は江戸に帰る同志杉浦彦之丞に托して、すぐに出発させた。 正午をすぎた頃、伊地知正治が藩邸から帰って来た。大阪にいるはずの吉井幸輔が一緒であった。 「なんとも、おかしなことになったそ」 吉井は言った。 「斉興御老公は、手兵を全部ひきいて出発してしまった。大阪の藩邸には五十人の兵も残っていない」 「なにつ、それは約東がちがう」 「俺もそう思うが、御老公の命令だから、俺ひとりのカでは、。 とうにもならなかったのだ」 手違いは、それだけではなかった。吉井の話では、兵庫に到着するはずの交替兵も何かの都合で延 くさかべ 29 第二章秋

10. 西郷隆盛 第7巻

は無事に大阪まで行けたろう」 「ああ、無事でした」 「それも、長野が京都にいなかったおかげだと俺は思う。長野がいたら、とても逃れつこはなかった。 月照引渡しを近衛公に要求したのは長野だそうだ。あいつはわれわれの同志のくわしい名簿を作って、 せいれんいんのみや さかいわかさのかみ 酒井若狭守の手許に提出したという。 浪士や儒者だけではない。近衛、三条両卿や青蓮院宮のお名前 : 酒井 まで名簿にのっているそうだ。われわれの名前も当然のっていると覚悟しなければならぬ。 若狭守がその名簿を見て、あまりの数の多さに驚いて尻ごみしたので、長野は怒って、間部を説き伏 せるために途中まで出迎えに行ったのだという」 「生かしておけない奴だ ! 」 俊斎は立上って、「よし、僕が行って来る ! 」 「おいおい、長野は近江にいるのだぞ。あわてちゃあいかん」 正治は苦笑しながら、「お前に頼んだのは、頼三樹三郎の方だ。間部の着京までには、まだ四、五日 はある。その間に、実力をもって京都を固め、間部が暴圧の気配を示したら、ただちに立上って彦根時 山 と頼に話すのだ。 城を衝く準備が整いつつあるから、くれぐれも軽挙をつつしんでもらいたい、 だが、待てよ、この使者にはお前は不適任かな。お前が頼と一緒になって騒ぎはしめたら、火に汕を 章 そそぐようなものだ」 「いや、俊斎が適任だ」 吉之助は言った。