民 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第8巻
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1. 西郷隆盛 第8巻

「それは気の毒だ。そんな心配は決してないと、皆に伝えてもらおう。責任はわしが持つ」 老人は納得しかねた顔つきで首をかしげながら、その晩は帰って行ったが、翌日の午後に、沖でと れたらしい真っ赤な魚をぶらさげてやって来た。 「旦那の言われたことは本当じゃった。わしは木場伝内様から聞きましたじゃ。ほかの村の連中もお 礼を申しに来ると言うております。 : : : 旦那、そこでお願いじゃが、わしを旦那の飯炊きに雇って下 さらんか」 「飯の方は子供たちに手伝ってもらっている。今のところべつに不自由はない」 「そうきらわんでもよかろう。わしは飯炊きばかりでなく、釣の相手でも、狩の相手でも何でもでき 「狩にはぜひ連れて行ってもらいたいな」 「猪狩に行きたいと言っていましたな。秋になったら一緒にまいりましよう」 「秋か。こりや、気の長い話だ」 「暑い間は海の方がよかろう。佐民さんの刳り舟を借りて、沖に出ましよう。明日あたりは風がよか ろう」 新 「何が釣れる」 章 「イカですかな。 : とにかく旦那のようなお方には、、 しつまでも島にいてもらいたいものだ。まっ八 たく人助けだ」 「いつまでも島にいたのでは、俺の方が助からん」 る」

2. 西郷隆盛 第8巻

断崖の上から見下すと、黒牛の形をした大岩の肩に、釣糸を垂れている人影が見えた。 「おおい」 呼びかけてみたが返事がない。 釣三昧のその姿がうらやましく、吉之助は岩根伝いに磯に下り、波に足を濡らして大岩のそばまで 行き、 「何が釣れるかね」 ようやく口に馴れて来た島言葉で話しかけた。 「釣れるものが釣れる」 竿先を見つめたまま、振りかえろうともせず、釣師らしい不愛想な返事であった。 のペざお 物干竿ほどの延竿の先に小指ほどの太さの麻糸をゆわえつけた荒つぼい釣道具であった。万事細作 りの江戸の釣道具を知っている吉之助の目には、釣竿というよりも犬殺しの棒ほどに見えた。 「鮫でも釣れそうだね」 「よけいなお世話だ」 振り返った顔は深山木細工の猿の面のような愛嬌のある老人であった。「おお、佐民さんのところに 来られた客人だね。誰かと思った」 相手は吉之助の顔を知っているらしい 「鮫でなけりや、何が釣れるかね」 「釣ってみなけりやわからん。海は広いからな。おっと来た」 128

3. 西郷隆盛 第8巻

第七章民 はたおり 近所の家で、機織女たちがしきりに歌っている。島の民謡であろうが、意味はさつばりわからぬ。 誘いこむような哀調がかえっていらいらと神経を刺す。節まわしに艶があって、はたりはたりと機の ひな 音にひびき合う鄙びた調子は聞いていて不愉快なはずはないのだが : だが、雨が晴れると、その歌声もやんだ。久しぶりの陽の光である。機織女たちも青空の下に走り 出て行ったのであろう。 「大島は一月のうち三十五日雨が降る」 そんな言葉をどこかで聞いたようにおぼえている。まったくよく降った。上陸して十日近く、雨ば かり。今日はどうやら晴れたが、それもいつまでつづくか、信用のできない空模様である。 あぐら 吉之助は湿っぽい畳の上に、胡坐をかいて、根を生やした榕樹のように動かなかった。雨が晴れて も、外に出る気がしないのである。 この十日間、夜となく昼となく、腹の底を荒れまわる癇癪の虫の正体を見きわめたかった。 もともと怒りつぼい性質であった。かっとなって前後を忘れることが、少年の頃からよくあった。 この性質を矯めなおそうと、あらゆる努力をして来たつもりである。にもかかわらす、島に来て以来、 一缶 100

4. 西郷隆盛 第8巻

「イギリスが大島を貸せと言って来たのは、弘化三年ですから、まだやっと十年ほど前のことです。 宝島を異人船が襲ったのは、文政七年とかで、私はまだ生れていませんでした」 弟に注意されて、竜佐運は記憶を呼び起しながら、 「そう言えば、つい四、五年前にも異人船が来て、この島に押し上ったが、あれはどこの船たったか : やはりイギリス船か」 「いえ、あれはアメリカ船です。江戸をおびやかしたベルリの艦隊にちがいなかろうということにな っています」 と、佐民が説明した。 ベルリがこの島に来たか」 吉之助は目を見張って、「何をしましたか。ベルリはこの島に上って何をしましたか」 「大将のベルリが上陸したかどうか、それは存じませんが、安政元年の春 : いえ、夏でしたか、帆 をかけた西洋船が数隻、この村の沖合に現れましてな。 ・ : それが二隻のバッテラ船をおろして、村 の砂浜に兵隊を上げ、何か調練のようなことを始めました。私どもはおっ取り刀で : : : と申しても、 刀があったわけではありませんので、あり合せの棍棒や猪撃ちの火縄銃などを持って海岸に駆けつけ ましたが、相手は充分に武装しているのでどうすることもできず、結局、鶏やら野菜やらを差出して、 引上げてもらいました。 ・ : 宝島の吉村久助様のように、手練の鉄砲で異人の胸板をぶち抜いてやり 114

5. 西郷隆盛 第8巻

老人は首をかしげながらも、若い甥を誘って、吉之助の家に出かけた。 門の外まで、香しい肉の匂いが漂っていた。台所では愛加那がいそいそと立ち働いている。主人は 1 と見れば、座敷の真ん中に鍋をかこんで、佐民を相手に盃を挙げ、もうだいぶ御機嫌らしい 「やあ、老人、よく来てくれた。先晩は夜待ちで大失敗をやったが、今日はヤマチして、大猪を射止 めたそ」 「ヤマチとは何ですかな」 「家待ち : : : 家で待ったのじゃ」 台所で愛加那のしのび笑いが聞える。老人は鍋の中をのそいてみて、 「これは豚ですがな、先生」 : いくら山の麓でも、小浜の浦の家の中では、猪は取れぬわい」 「そうらしい。あっはつは。 ますます上気嫌な笑い声であった。 豚の猪汁で飲む泡盛のまわりは早く、中でも勇気老人が真っ先に酔った。ロは達者でも、齢は争わ れないものであろう。 早くももつれはじめた舌で、 ・ : なんとも、コリヤ、お芽出たい。先生もとうとう根が生えましたな」 「先生、先生。 本人は何の意味も持たせずに言ったのだが、「根が生えた」という一語は吉之助の神経を刺したらし く、キラリと目尻に稲妻を走らせ、 「よこッ

6. 西郷隆盛 第8巻

木の間の深い夜空の底で、静かに星が移って行く。 間もなく真夜中であろう。霜を帯びた深山の冷気がひしひしと身にせまって来る。両手をうんとの ばして、吉之助は大きなあくびをした。 待ちくたびれたのである。最初の一刻あまりは楽しかった。鉄砲を抱いて、大樹の根元の土窪に身 をひそめ、全身を神経にして、じっと闇の中をにらんでいると、こっちも逞ましい野の獣になったよ うな気がして、精気が全身の毛穴から湧き出して来る。木の葉すれ、夜鳥の一鳴きにもさっと神経が よそ 緊張し、他所ごとを思う服もない楽しい何時間かであった。だが、狙っているネタのまわりの闇の中 には、猪の目の光どころか、狐火さえも現れて来なかった。星の光だけが、人間の無駄な努力を嘲り 顔である。 ( これじゃあ、腰から根が生えてしまいそうだそ ) まったくそんな気がした。夜が明けてみると、腰から根が生え、頭から葉が繁っていたら、それこの そケンモンやフウジャの仲間の化物だ、とひとり笑いした。 初 ( しかし、もう俺には根が生えてしまったのかもしれぬ。一生、島から出られない独活の大木に化け てしまったのではないかな。重野や佐民が相談して、愛加那を家によこしたわけは、つまり俺に根を汁 生やさせるつもりだったのだ。 : それと気がついた時には、もうおそかった。女の優しさと楽しさ か、軟かな土のように身のまわりを取り巻いて、自分は南島の植物に化けてしまったのだ )

7. 西郷隆盛 第8巻

「豊作でないことは知っています。しかし、必ずしも凶作だとは申されますまい。前任者の吉田七郎 殿の収穫見積り高は平作以上になっております。その三分の二も実収が挙がらないとすれば、百姓が 凶作にかこつけて、砂糖をかくしたと見るよりほかはありますまい」 「いや、本年の三月、吉田七郎殿は凶作の趣きを藩庁に上中したとうけたまわっております」 「私は存じませんな。藩庁の命令は吉田殿の見積り高に従って徴集せよということで、私は命令に従 っただけですよ」 だんだん返事が上すべりして行く。誠意のない腹の底が見え透いて来た。 「私はまだこの島に来て半年そこそこで、大きなことは申せぬが、砂糖凶作のこと、島人困窮の実状 は目も痛むほどです。率直に申せば、島人はみな薩摩を恨んでおります。琉球王の統治のころの方が よかったと嘆いているものさえある。無理もない。永年の苛政のせいです。松前藩の蝦夷治めよりも 甚だしい悪政が行われている。わずか半年のあいだに、涙の出るほどのことを、私はかずかず見聞し ました」 ひぼう 「ふうん、あなたはわが藩の政治を誹謗されるのですな」 「お聞き下さい。ロはばったいようですが、政治の要諦は民を労わり、愛することにある。苦しめる ことではござらぬ」 「わかっております」 「これもおわかりでしようが、すべて農作物は、気候の加減、風雨のエ合で収穫に増減がある。見積 り高はかりの予定額にすぎず、役人たるものは、その後の農作の実際に丹念に目をそそいで不作の場 139 第八章新居

8. 西郷隆盛 第8巻

戦艦七十五艘に乗り込み、まず大島を攻め、徳之島を平定し、ついに沖縄運天港に上陸し、琉球王尚 ・ : 琉球王は駿府に送られ、徳川家康の引見を受けた 1 寧以下百余名を捕虜として山川港に凱旋した。 ひんかく のであるが、さすがは狸親爺、家康は琉球王を捕虜として扱わず、賓客として遇して、駿府城中に盛 大な饗宴を開き、散楽を催して、自分の子供である常陸介と鶴千代の二人に舞いをまわせて、歓待し たとい、つ」 「ふうむ」 「わが薩摩は、この功によって南島及び琉球を支配することになったのであるが、その後がいけなか ったと俺は思う。琉球を明朝の支配から独立させたのは大成功だ。独立させすに清朝に引渡してしま ったら、今ごろは英仏米のいずれかの手に奪われているかもしれぬ。日本列島の海防の見地から見て、 琉球征伐は大功績であるが、征伐してしまったら、民をしておのずから欣慕服従せしめるのが、まこ との政治であろう。残念ながら、わが薩摩は、琉球諸島に対して、その点では失敗している。政治の 根本に徳が置かれていなかったのだ」 「例えば、元禄から宝永年間にかけて、大島の代官は、大島、徳之島、喜界ヶ島、沖永良部島の住民 に対して系図を提出せよという布告を出した。系図または祖先の由緒書を持っているものは、調査の 上、家柄を取り立ててやるから、至急差出すべし。調査がすんだらすぐに返す。決してお役所に没収 ・ : そう言っておきながら、集めた系図と由緒書は するのではないから、安心して提出するがよい。 : これが徳を以ってする政治といえるか。島民は祖先もない、 全部役人の手で焼き捨ててしまった。 さんがく

9. 西郷隆盛 第8巻

家柄もない蛮島の夷狄同様にされてしまった」 「明朝及び琉球王への服属の記憶を抹殺してしまうための非常手段だと弁解する者もあるが、奪うよ りも与えることをなぜ考えなかったのか。歴史と伝統を抹殺するよりも、これを復興してやることの 方が、まことの政治の道にかなう。南方諸島とわが大和朝廷の関係は、明朝や清朝よりもずっと古い のだ」 吉之助は熱心に聞耳を立てている。重野はつづけて、 「俺の知っているだけでも、推古天皇の二十四年、元正天皇の養老四年、聖武天皇の神亀四年に、南 島人が朝貢し、それそれ位階を授けられたと記録にある。推古朝といえば今から千三百年も前のこと だ。南島が支那に服属したのは正平年間のことらしいから、せいぜい五百年前の話だ。日本への帰属 の方が八百年も古い。系図を焼くというような姑息で陰険な手段をとるよりも、この歴史上の大事実 : 一事が万事、この調子の狭量 を教えて、正しい系図を復興してやることを考えた方がよかった。 な悪政が島全体をおおっているから、南島人が薩摩人を怖れ、疑い、なかなか心を許さないのも当然 といわなければならぬ」 みけん 無言のまま聞いている吉之助の眉間の皺がだんだん深くなる。 121 第七章民謡

10. 西郷隆盛 第8巻

と、感慨深げに呟いた。 「何を警戒しているのだ」 「君を警戒しているのだ」 「俺を : : : 竜兄弟が ? 」 「そうだよ」 「そんなことはなかろう。ここに来て以来、俺の身のまわりを何くれと見てくれているのは、あの二 : もっとも、ほかの島人と来ては、白い目をして遠くからにらむばかり。人を鬼か蛇とでも 人だ。 思っているのか、寄りつこうともせぬ。無邪気なはすの子供まで、俺が声をかけると逃げ出して行く。 ただ竜兄弟だけが俺を人間扱いにしてくれていると思うが : 「それはその通りだろうが、警戒していることは事実たな。今日だって、話が重大な点にふれて来る と、あわてて逃げ出して行ったじゃないか」 「そんなものかなあ。大島人は毒蛇の性でハブ根性だとはかねて聞いていたが・ : 「いやいや、俺は決して大島人の悪口を言っているのではない。薩摩人になかなか心を許さぬ大島人 のいじけた根性を、俺は心から気の毒に思っている。彼らをいじけさせたのは実は薩摩人だぜ。 もっと気長に、寛大に島人の生活を眺めてやることだ。案外な発見をするそ」 「何の発見だ」 ぎやくせい 「つまり長年にわたる悪政だ。実におそるべき虐政がわれわれ薩摩人によって、島人の上に加えられ ている。それがわかれば、大島人は ( ブ根性だなどとは言えなくなる。毒蛇はむしろわれわれ薩摩人 118