泡盛のまわりは早かった。 強すぎる酒を警戒して、水を割っては白く濁らせ、用心しながら盃をかさねたつもりであったが、 それでも小半刻たたぬ間に、吉之助は重野に劣らずしたたか酔った。 「おい、重野。お前は島に来て、もうどのくらいになる」 「まだ半年にならぬ。五カ月と十二日だ」 「そうかな。木場伝内は一年近くいると言ったが : : : 」 「気持の上からいえば、一年どころか、十年もいたような気がする。一カ月が一年より長いからのう。 だから、五カ月と十二日などと、丹念に日を数えているのだが、そのうちに日を数えるのも面倒くさ くなることだろう。早くそうなってもらいたいよ。月日を忘れて暮せるようになったら、それこそ浦 島太郎で、絶海の孤島も竜宮城となる。いつまでも指折り数えて御赦免船を待っ俊寛僧都じや情ない からのう」 重野安繹はしんみりとして見せて、「ところでお前は、着いてから何日になる」 「十日だ」 「十日が十年の気はしないか」 「まだ、それほどでもない。ただ、毎日毎日腹が立ちどおしで、どうにもならぬ」 のだな。及ばすながら、重野安繹、竜宮城東道の役を引受けよう」 4
と、佐運は謙遜した。 「実は一度、お礼にまいろうと、お宅を探したのですが、道がわからす、失礼いたしました」 「お礼など、とんでもない」 佐運は恐縮して、「私はずっと留守をしておりますので、家のことは佐民に委せきりです。ごらんの 通り口不調法で気のきかない奴で、充分のお世話もできないと存じますが、まあ何でも私どもに出来 ることでしたら、遠慮なくお命じ下さい」 弟の佐民の方は、最初から一言も口をきかず、ひどくかしこまって膝を崩さす、泡盛の盃をすすめ ても、ただ唇を湿すだけの固苦しさであった。 木場伝内は従者に命じて酒肴を用意させ、何くれと吉之助と重野をもてなしながら、自分も大いに 飲んだ。なかなかの論客で、特に江戸や京都の政状に関しては、強い好奇心を持っている様子であっ 「同じ役人でも、島役人となれば、任期が終るまでは島を一歩も出ることができないのだから、まっ たく流人と異なるところはありません。刺激も進歩もない生活です。一日一日と中央の事情はわから なくなり、 一日一日と馬鹿になって行くような気がします。 : : : 役人の中には、自分から望んで島に 来た連中がありますが : : : そんな連中が大部分ですが、彼らはみな島の生活に満足しています。島の ・ : 佐運さん 王様になった気持で、威張り返って、せっせと金を蓄めればそれですむのですからね。 や佐民さんの前では言いにくいことだが、大島、喜界ヶ島、徳之島、沖永良部島の四島は、いわば薩 摩藩の金穴です。藩の財政をささえるために、搾れるだけ搾れというのが藩庁の方針です。 : : : 搾り 110
1 ・いぐ、 り 風事 も 手 あ あ あ間 ・つ ー 1 が伊待を風 っ 度 と 呂 そ高天 そ が て る たや後敷あ地て 井保 よ れ か 消 う い 非 る知 敷 う ら ) で 包 そ蘭版 人 は ら る せ っ 圭 て 見 包 何 う 山 み は よ で の の 俺お 。か唐 い来 よ 習 う 退 る み り 字 。屈 な 慮 が は さ ま の 日 て る の 書 な本 ま 糸占 カ ; い い は お の 手体時橋 い置 び い く ぐ 画 の て 目 本 の 本 だ ら が も に ー 1 て引今 篆 が い し に か ぬ 局 行 き も隷絵山 手 ら い手 日 か 。紙 お 明 く け 行 だ な 力、 は 房 に そ前 ん実 る草 け ど だ で 日 よ 入 力、 と も の ら う さ は の は く 聿昼 め北 、な た と で き 間 中 す ら けカ て 斎 送 々 の 書 に味 れ り も た い に る の で し、 ば急 き し 、俺 て挿 な の と と は 自 ど 向 な ぎ も絵 は ゆ 之 わ い ら つけ き も の う く て 時入 ぬ用 が は て て の 81 第五章潮がかり
「島に送られるのは私一人でしような」 と、吉之助はたずねた。 「一人だよ。気の毒だが、連れはない」 「加治屋町の大久保 : : : それから伊地知、吉井、有村俊斎などは : : : 無事ですか。変った御沙汰が下 ったというような話はありませんか」 「そんな話は聞かぬ」 「たしかでしような」 「間違いない」 「それを聞いて安心しました」 「実はな、わしも急な命令に驚いているのだ」 谷村は言った。「いつであったか、この月はじめに、島送りはあと十日ほどだと言ったことがあった よ。 その後、なんの御沙汰もなく、年も押しつまって来たので、正月を無事にすまさせる心だな と安心していたのだよ。それが急に : : : 」 「いや、私としては、早く決った方がよかったのです。生殺しのまま、ずるずると引きのばされるの は、いい気持のものではありません : : : これでさつばりしました」 これも本音であった。同志の身柄さえ無事だとわかれば、一日も早く南の島に行ってしまいたいの である。乱れに乱れ、もつれにもつれた心の麻の緒も、南の風に櫛けずられたなら、さらりととけて しまいそうな気がする。
浜辺に出ても、裏山にのぼっても、遠い水平線ばかり眺めている。用事もないのに、名瀬の村まで 出かけて行き、船着場のあたりを当てもなくさまよい歩き、気のぬけたような顔で帰って来る。 読書にも手がっかなかった。子供たちを教えるのにも気乗りがしない。 一日学一字 三百六十字 一字当千金 一点助他生 これは手習いに来る子供たちに書いて与えた手本である。子供にも教え、自分も学ぶつもりであっ た。島の暮しを天恵と考えて、たりない自分の勉強を補うつもりであった。そのために必要な書物も 用意して来たのであったが、まるで表紙をめくる気にすらなれないのである。一カ月も手紙が途絶え ると、同志は俺を見捨ててしまったのかと、逆か恨みの愚痴が湧く。いやいや、少くとも三年は我慢 しなければならぬと諦めてみるが、そこへまた手紙が着くと、心は火をつけられた枯草のようにばっ と燃え上り、一日も早く国にとんで帰りたくなる。 の そんな時には、ようやく馴染みはじめた島人の顔さえ厭わしいものに見えて来て、 島 『五、六年間も中央にあって、天下の有志と交っていたことを思い出すと、この島の住民はまったく の毛唐人で、とてもっきあえるどころではない。難儀至極、気も晴れない。たたただ残生恨むべき儀九 に御座候』 などと、泣き言のような手紙も書いた。
明目朋圏 西郷隆盛第八巻 黒潮の巻 発一打 ~ 町占心間圭曰、店東京都港区芝新橋四の一〇 発行者一徳間康快 昭和三十九年十ニ月十五日初刷 昭和四十四年十一月十五日四刷 印刷所図書印刷株式会社 製本所一大 0 製本印刷株式会社 製函所岡本紙器製作所 林房雄◎ 乱工 , 落」・ありましたらおとりかえいたします
雨が降りつづいた。 着いたその日の夕暮から降りはじめて、三日たってもまだ晴れぬ。どこか粘液質の感じのする内地 の梅雨よりももっと湿っぽい雨であった。 崩れかかった石垣にかこまれた、空屋も同然な離れ家に、一人ぼつんと坐って聞く雨の音は、一日 聞けば、もう趣きも失せて、三日目には堪えがたい苦痛であった。雨がつづくと気温も下り、常夏の 島の夢想などは、一夜のうちに消え去った。 その上、家主の美玉某というのが無愛想な奴であった。。 へつに悪人とは思えぬが、親切気の微塵も 感ぜられぬ男である。この男のおかげで、吉之助は、リ 至着早々、危く晩飯を食いそこなうところであ 荷物を運んでくれた木場伝内の召使いどもは、行李の紐をとくのを手伝っただけで、そそくさと立 ち去って行った。雨になりそうな空模様を心配したのであろうと、べつに気にもとめず、幸い四、五 日分の米味噌は荷物と一緒に運ばれていたので、自炊もかえって気楽だと、家主の美玉の家へ、挨拶 をかねて、炊事の道具を借りに出かけた。すると、家はお貸し中したが、鍋釜薪水の類を貸す約東は 致しておりませぬ、と剣もほろろの挨拶であった。 礼を失したおぼえはない。手土産のないままに、ちゃんと相当な金額を、懐紙に包んで差出してあ る。それは平気で受取っておきながら、この切り口上である。初対面であるから、いきなり喧嘩もで きす、腹の虫を殺して引上けて来た途端に、腐れ朽ちた藁屋根にじめじめと降りはじめた雨であっ
されて、読む者は背中に鞭をうけた感じがした。 あとは私事に及んで、 『大久保君より鉛を御恵投下され、まことに有難い。鬱々として暮す毎日であるから、ただ独り鉄砲 をかつぎ出し、小鳥を狙ったり、時には人の誘うままに、山狩にも出かけているが、鳥のかわりに雲 を撃っことしばしばにて、僅かばかり持参した鉛も使い果した折から、特に有難く御礼の申しようも オし』 そんな呑気な話も書いてあるかと思うと、すぐにまた筆の調子があらたまって、 「とんと島中、米払底にて大の凶年、砂糖はでき申さず、百姓ども難儀の様子に御座候』 それを鹿児島に報告するため早舟が出ることになったと聞いたので、早々ながら、この手紙を書い て托した次第であると結んであった。 余白の追伸には、 「なおなお着島より三十日も相成り候えども、一日晴天と申すことは御座なく、雨がちに御座候。一 たい雨はげしき所の由に候えども、まことにひどいものに御座候。島のよめじよたち、美しきこと、 京大阪などがかなうことに御座なく候。垢のけしょ一寸ばかり、手の甲より先はぐみをつき、あらよ 俊斎が読みとがめて、 「え、なんだって。 ・ : 島の女の美しきこと、京大阪もかなわない、 というのか。へえ、こりや初耳 126
第一章夜見がえり 帆綱を切られた舟がようやく逆行しはじめた時には、坂口吉兵衛の投げ入れた舟板はもう二、三町 も波に流されていた。 折りあしく月は落ちつくし、山の端の夜明けの色はまだかすかだった。波間に黒い点になって浮い ている舟板をたよりに潮流の方向を察しながら、船はいくどともなく大崎の鼻あたりを漕ぎめぐった。 えいごう 一刻が永劫のように長かった。平野国臣にとっても、坂口吉兵衛にとっても。 国臣は舟べりにしがみついたまま、ぶるぶるとふるえていた。何事そ、敬し愛し信する先達は、わ れにも告げず、二人ながら南海の寒流に身を投じたのである。あざむかれたとは思わぬ。だが、あざ なかれなかったとも思いきれぬ。一筋の道に命をかけた二人であることはよく知っている。だが、同 え じ道に命をかけた今一人がこの自分であることをなぜ信じてくれなかったのか。ただ一言でいし 見 のち死すべき理由を : いや、理由はいらぬ、死すべき覚悟を一言だけ、この自分にあかしてくれな夜 章 かったのか。聞いて後れをとる自分では決してなかったはすだ。 第 「坂口さん、人間の身体は沈むものですか」 「沈みますじゃ。水死人の身体は一たん海の底まで沈んで、二日か三日たたねば浮きあがらぬものし よみ せんだっ
佐久間象山、 6 ・ 9 神奈川奉行を設置 電気医療機械 6 ・ 幕府、開港場にて舶来武器の自由購入を、諸侯旗本以下 を製造。 の武士に許可する 6 ・幕府、米国公使および英国総領事に対し、一ドルにつき 一分銀三個替えとすることを通告 7 ・ 2 米国公使館通訳ヒュ 1 スケン、江戸市中の路上にて暴行 を受ける 7 ・幕府、露使ムラヴィョフの唐太国境案の拒絶を決定 8 ・幕府・徳川慶喜に隠居謹慎を、水戸藩主徳川慶篤に差控、 前同藩主斉昭に国許永蟄居を命令 幕府、新見正興、村垣正範、小槧忠順 ( 上野介 ) を日米条 9 月仏軍、サイゴン占 領 約本書を交換のため、米国派遺を命令す 英、ダーウイン「種の 9 ・梅田雲浜獄死、菊歳 起源」 9 ・幕府、蝦夷地を会津、仙台、久保田、庄内、盛岡、弘前 独、マルクス「経済学 の六藩に分与し、警備と開拓の担当を命ず 批判」 ・ 6 三条実万死去 ( 歳 ) ・ 7 橋本左内 ( % 歳 ) 、頼三樹三郎 ( 肪歳 ) 死刑 -1 1 0 1 ハリス登城、将軍家茂に謁見 加・幕府、新潟の開港期 ( 安政 6 年貶月 9 日 ) 延期の旨を外国 公使、領事等に通告 1 ワ】 吉田松陰 ( 8 歳 ) 死刑 四 5