俊斎 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第8巻
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1. 西郷隆盛 第8巻

「悪性者。俺の蜘蛛嫌いは親譲りだ」 と言って三人をにらみ、照れくさそうに笑ってみせた。 吉之助は行燈の絵を指して、 「信吾が描いたのか」 「いえ、私 : : : 私が描きました」 と、大山巌が白状した。 吉之助は笑って、 な力なか、うまいじゃないか、なるほど八手蜘蛛に見えるわい」 「きっと、俊斎の指金にちがいない」 税所篤は俊斎の方をにらみつけた。 俊斎はさつばりこたえない顔で、 「油皿を蹴っ転ばしたことは、誰にも言わんことにしよう。同志の誼みだ。国学者税所先生の沽券に かかわるからな」 「この野郎。今後、お前ごとき奴を同志とは認めんそ」 「あっはつは、よほどこたえたと見える」 また大笑いになっこ。 ひとりだけ笑わぬ税所の浮かぬ顔を見て、吉之助は言った。 「若い者はみんな退屈しているのだな。連日の看護では疲れることだろう。退屈すると悪戯もしてみ よし こけん

2. 西郷隆盛 第8巻

たくなる。 : これも私のせいだ。許してやってくれ」 病人に謝まられては、返す言葉もなく、やがて税所も機嫌をなおした。 吉之助はふと思い出したように、 「平野は : : : 平野国臣はどうなったろうか。それから重助も : はじめて口にする両名の名前である。俊斎は当惑げに税所の顔を振りかえった。話してもよかろう かと問う目の色であった。 重助は十九日の朝、筑前の盗賊方に引き渡され、足枷をはめた重罪人の姿で、国境の外に送り出さ れた。平野国臣は逮捕だけはまぬかれたが、翌る二十日、藩庁から追放の厳命を受け、いすこともな く立ち去った。 それを今、病人に聞かせていいか悪いか、俊斎には判断がっきかねたのであるが、税所篤が仏頂面 をして何も答えないのを見ると、えいツ、話してしまえ、と俊斎はロをきった。 「二人とも大丈夫だろうと思います。重助は盗賊方の手に渡されたが、何もわきまえぬ下人のことで あるし、たいしたお咎めもないでしよう」 「平野は ? 」 「平野氏はただ追放だけです。今ごろはもう無事に筑前に着いていることと思います」 「無事に ? : どうしてそれがわかる ? 」 しげとみ 「大久保と僕とが、重富の駅まで追いかけて、路用の金も金五両、ちゃんと渡しておきました」 得意げな返事であった。 35 第二章八手蜘蛛

3. 西郷隆盛 第8巻

1 「大だ」 と答えて、税所は廊下の向うに出て行った。 その後姿を見送って俊斎は首をすくめてニャリ と笑い、小声で隣の部屋に呼びかけた。 一「巌・・・・・・大山、ち = いと来い」 「は事の」 「何を寝ぼけている。そこの筆と硯を持って、こ っちに来い」 大山巌が硯箱を持って不審顔で入って来ると、 俊斎は目の前の行燈を引きよせ、それから、自分 の顔のまわりに両手の五本の指をひろげ、わやわ やと動かして見せ、 「書け、書け、今だ ! 」 と、声をひそめてささやいた。 「なんですか」 「しつ、声が高い。税所が厠に行っている。今だ。 31 第二章八手蜘蛛

4. 西郷隆盛 第8巻

早く書け」 俊斎の意味はすぐ巌に通じたらしい。吉之助によく似たまんまるな顔を悪戯っ子らしくニャリとさ せて首をちちめ、ペロリと出した舌を唇の間にはさんだまま、筆をとるのももどかしげに、行燈の紙 に書きつけた。はじめはお玉杓子に毛の生えたような形であったが、それが見る見る大きな八手蜘蛛 になった。よく見れば形をなさない子供の絵であるが、行燈の黄色い灯に照らされると、今にも動き 出しそうに、不気味であった。 とりよ・こ 税所篤は生来の蜘蛛嫌いである。蜘蛛と聞いただけでも、娘の子が毛虫を見た時のように鳥腿立て ・て青ざめる。 「よしよし。お前は向うへ行って、眠ったふりをしておれ。笑っては駄目だそ」 俊斎は蜘蛛の行燈を税所の座蒲団の前に押しやり、自分は何喰わぬ顔で火鉢の灰をかきはじめた。 巌は部屋で居睡りの姿勢。信吾も途中から気がついて、笑いをかみ殺している。 間もなく廊下を踏み鳴らして、税所篤は帰って来たが、行燈の前に坐りもあえず、わっと叫んで立 上ると空をつかんで遊ぐような身ぶりをし、右脚をあげて行燈を蹴っ飛ばした。真の闇になった畳の ・上を汕皿が転んで柱にぶつつかる音がした。 「どうした、。 とうした」 白っぱくれた俊斎の声に答えて、 おびえた獣のような税所篤の唸り声が聞えた。

5. 西郷隆盛 第8巻

俊斎が息をはずませるのを押えて、 「明日の昼間、森山新蔵のところに集まる。君たち二人も、間違わぬよう出席してもらいたい」

6. 西郷隆盛 第8巻

第四章別れ路 「それは無理だ」 吉之助は頑固に首を振った。「一度に二つの芸当はでき申さぬ」 意外な返答である。 大久保と俊斎は顔を見合せるよりほかはなかった。 挙藩出兵が不可能なときは、同志が脱藩突出して天下の義挙に魁けするというのは、西郷自身の発 案ではないか。脱藩突出もかなわぬと思いこんだことが、投身の原因ではなかったのか。 いっさいを 今は幸いに命も助かり、健康も回復し、しかも同志たちは、西郷のかねての持論通り、 捨てて脱藩突出の決心をきめた。どうそ、この一挙の先頭に立ってもらいたい、われわれは西郷の命 令通りに動くのだ、と同志を代表して頼みに来たのであるから、躍り上って喜んでも、 しいはすである。 にもかかわらす、嬉しそうな顔色さえ示さす、すでに大島流罪の藩命が下ったのであるから、それ に従うよりほかはない。一度に二つの芸当はでき申さぬという。 「どうもわからん。西郷吉之助ともあろうものがなんでそんな姑息なことをいうのだ」 俊斎はいらいらと膝をゆすって、「一つの芸当も二つの芸当もないじゃないか。藩命に従って、のめ り 5 第四章別れ降

7. 西郷隆盛 第8巻

谷村純孝は吉之助が海から上って以来、ずっと監視の役をつとめている横目役であるが、必ずしも 勤皇組の敵ではなかった。吉之助が無事であることを大久保に知らせてくれたのも彼である。同志や 友人たちが交替に看護にあたることを黙認してくれたのも彼である。 その谷村に、待て用事があると言われては、さすがの俊斎も押し切って立上るわけにはゆかなかっ 「何用です」 ふてくさ と、不貞腐れた顔つきでまた坐りこむ。 谷村は縁側から上って、座蒲団にどかりと坐り、 「今日は、少し藩庁の木っ葉役人のいうことを聞いてもらわねばならぬ」 皮肉はいったが、声の調子にはべつに悪意はこもっていなかった。「わしは今日まで、諸君のやり口 を、しごく大目に見て来たつもりじゃ。諸君はわしをおどかしてみたり、木っ葉役人とののしったり、 「ああ、お前は帰った方がよかろう」 と、大久保が言った。 「一一一口われなくとも、帰る」 侵斎が腰を浮かせかけた時、いつの間に庭先にまわったのか、谷村の声で、 「有村俊斎、待て。わしはお前と大久保に用事があるのだ」 鰊第四章別れ路

8. 西郷隆盛 第8巻

望みは現在のところ全然ない。 よりほかに道はない」 伊地知正治が膝をたたいて、 「よく言った、大久保 ! 」 殺気に似た緊張が氷のように一座をとざした。その緊張を叩き破るかのように、有村俊斎がばたば た駆けこんで来て、 「おいツ、わかったそ。下手人がわかった。畜生、新納駿河の奴め、たたき殺してくれる ! 」 ・「騒がしいぞ、俊斎」 伊地知正治が苦々しげに、「なにをひとりであわてているのだ」 当下手人だ。西郷を殺した下手人がわかったのだ」 「西郷は生きているじゃないか」 「うん。生きてはいるが : : : 一度は死んだじゃないか。西郷を死なせたのは、新納駿河だ。今日、そ れがはっきりわかった。動かぬ証拠を握ったのだ」 べたりと坐って、畳の上の灰に気がっき、「ペッ、ひでえ灰だ、ふうん、喧嘩か。誰と誰がやったの ・ : 子供みたいなことはよせ。仲間喧嘩はこの際禁物だそ。仲間喧嘩の暇があったら、新納駿 河をかたづけることを考えろ」と、もっともらしい顔をした。 この上は同志を結東して、脱藩突出し、井伊の手兵と一戦して倒れる

9. 西郷隆盛 第8巻

「俊斎、お前は俺をおだてるつりか」 : 莨いら帚って来たばかりの男の口から、ちゃんと聞いた話だ」 「おだてるものカ一ー一者 , / リ 「お前には俺の気持はわからん」 しし力、俺とお前が抱合 吉之助は苦しげにそう言って、じっと目をつぶっていたが、「俊斎、聞け。 って海に飛びこみ、俺が死んでお前だけが生き残ったとする。生き残ったお前は、それから一月とた たぬ先に、同志の先頭に立ち、大きな顔をして京都に上って行くことができるか」 俊斉は事もなげに、 「できるよ。べつに大きな顔をするわけではない。死んだ同志の葬い合戦だ。それが生き残った者の 義務だよ」 「き、貴様は : : : 」 顔色を変えた吉之助が片膝を立てて、どなりつけようとした時、玄関の方から、吉次郎があわただ しく駆けこんで来た。 「兄さん、横目役の谷村殿があいたいと言われる。何かひどく立腹の模様だが、お通ししてもよろし し力」 「谷村殿が : 吉之助は坐りなおして、「何か役所の用事たろう。お通し申せ」 「通す必要はない。藩庁の木っ葉役人なんか追いかえしてしまえ」 斎はどなった。「そんな奴にあうくらいなら、俺は帰る」

10. 西郷隆盛 第8巻

「五両 ? そんな金が : 吉之助は不審顔である。 大久保にしても俊斎にしても、五両はおろか、一両の金さえ余裕のある身分ではない。同志たちの 暮し向きの苦しさは、誰よりも吉之助がよく知っていた。 俊斎は答えた。 「また森山棠園に出してもらったのです」 「おお、そうだったか」 棠園森山新蔵は富裕な町人の出であるが、国学に養われて、その子の新五左衛門とともに、かねて から勤皇組の有力な同志である。 すおう 「僕と大久保が平野氏の追放を知ったのは、二十日の夕暮でした。烏帽子に素袍をつけた竈祓、の神 主みたいな男が、藩庁の護卒にまもられて城下を出て行ったという噂を聞いたので、てつきり平野氏 にちがいないと思った。何のつもりか平野氏は、城下を離れるまでの街中を、ひょうひょうと笛を火 きつづけていたそうです。これなら、人の耳にも目にもっく。おそらく自分の追放をわれわれに知ら せるつもりだったのかもしれぬ。なかなか人をくった頓智を働かせる男ですよ」 「なるほど」 「僕と大久保はすぐさま原田屋に駆けつけたが、果して平野氏はいない。後で聞いた話だが、その日 かまどはら、