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検索対象: 西郷隆盛 第8巻
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1. 西郷隆盛 第8巻

「伊地知と吉井、君たちもいかんそ」 堀は開きなおって、「俺も有馬新七も京都か大阪でかならず君たちにあえるものと信して、江戸を出 発したのだ。にもかかわらず、君たちはいなかった。いつの間にか逃げ出していた。おかげで、俺と 有馬がどんなに苦労したか。 ・ : 逃げ出すのは易い。海に飛びこむのはなお易い この重大なる時期 「堀、大きな口をきくな」 伊地知正治は隻眼を光らせて、膝をゆすぶり、「今が重大な時期だと知っておればこそ、俺たちは京 都を逃け出し、西郷は海に飛びこんだのだ」 きべん 「詭弁だ ! 」 「詭弁だというか、お前は。 : よし、言わせておこう。 : そう言われても仕方がない。俺たちは 敗軍の将 : : : いや、敗軍の兵だ。井伊の赤鬼に追いつめられて、京都を逃げ、大阪を逃げた一寸法師 だ。せつばつまった西郷はとうとう海に飛びこんでしまった。 : だが、幸か不幸か、俺も吉井も西 郷も、とにかくこうして命だけは生きながらえている。 : そこでどうしろというのだ。、 とうすれば いいのだ ! 」 「どうもこうもない。さっきから俺は何度もくり返した。舌にたこができるほどくり返した。 : 薩 摩が天下の魁けとなるのだ。海に飛びこむかわりに、火の中に飛びこむのだ」 「何もむずかしい話ではない。俺と有馬が江戸において決定し、京都において準備した大策を、君た さが

2. 西郷隆盛 第8巻

はね上げられた竿の先におどっているのは、二寸ばかりの小魚であった。金の鯱鉾の孫みたいで、 形だけはひどくいかめしい 「ほう、こりや大した魚だ。名前は何という : : : 」 「魚だよ」 「食えるかね」 「食えるか食えないか、持って帰って試してみる」 おもり 「はつはつは、こりやまいった。 ・ : おやおや、錘がないのだな」 「錘は飛んでしまった」 浜の小石を糸でしばって錘に使っているらしい。吉之助は袂をさぐって、鉛の玉を取出し、 「これを使ってみてはどうか」 「ほう、こりゃあ : : : もったいない。磯釣の錘は石で結構だ。鉛は山狩に使うものだ」 「お前さん、鉄砲撃ちもやるのか」 ししう 「やるどころじゃねえ。 : : : 猪撃ちのゆうきと言うたら俺のことだ」 「勇吉というのか」 「きちじゃねえ、きだ」 「どんな字を書く」 129 第八章新居

3. 西郷隆盛 第8巻

と、吉之助は言ったが、重野はさつばり感じないふうで、ぬけぬけと答えた。 「なに、三十日までは正月だ。おそくな 0 たかわりに、お前のところには、ゆ 0 くりと正月一杯泊っ てやろうと思っている」 「有難迷惑とは、このことだ」 「そうでもなかろう。去年の正月には、二人でかわるがわる飯を炊いて : : : 俺が帰ろうとすると、顔 色を変えて引きとめたじゃないか。それとも、今年は愛加那がいるので野郎には用がないというのか。 あっはつは、現金な奴だ」 吉之助が眉を寄せて不快そうに黙りこむと、重野はさらりと話題を転じて、 「だが、早いものだなあ。もう、あれから一年たってしまった。烏兎、人を待たずか」 「うん、豚のように暮していても齢だけはとる」 「おいおい、正月だ、不景気な話はやめよう。 ・ : さあさあ、愛加那の奥さん。旦那様がふさぎこん でいる。 : 酒がたりないとみえる。ちょっとこっちに来て、酌をしてもらおうか。 難波人 すす 葦火焚く屋の煤してあれど とこ おのが妻こそ常めずらしき 西郷、飲め、男らしくないそ」 「よし、飲もう」

4. 西郷隆盛 第8巻

に、もう一つお祝いがある」 老人はひとりではしゃぎながら、「先生がこのように落着かれたのも、愛加那の力が大きいと、わし は田っ。 : そうでしようがな、佐民さん」 「どうでしようかな。それは先生に聞いてもらおう」 「いや、愛加那に聞こう。 : おお、愛加那、台所ばかりに引っこんでいずに、ちょいとここに来て、 先生にお酌してみせてもらおう」 愛加那は首筋を桃の花色に染めて、裏口から井戸端の方に出て行ってしまった。 老人は吉之助の腕をつかんで、 「先生、羞ずかしがるには及ばん。いい娘っ子じやろ。京にも江戸にもあんな娘はおるまいぞ」 「ああ、いない」 「先生、よく言ってくれた。嬉しいそ。それを聞いて、わしは安心じゃ。さあ、歌おう。一つ歌わせ てもらおう」 ( 今日のよかろ日に 御盃献いて 千石の宝もろせたもれ ( 今日のよかろ日に こ 168

5. 西郷隆盛 第8巻

泡盛のまわりは早かった。 強すぎる酒を警戒して、水を割っては白く濁らせ、用心しながら盃をかさねたつもりであったが、 それでも小半刻たたぬ間に、吉之助は重野に劣らずしたたか酔った。 「おい、重野。お前は島に来て、もうどのくらいになる」 「まだ半年にならぬ。五カ月と十二日だ」 「そうかな。木場伝内は一年近くいると言ったが : : : 」 「気持の上からいえば、一年どころか、十年もいたような気がする。一カ月が一年より長いからのう。 だから、五カ月と十二日などと、丹念に日を数えているのだが、そのうちに日を数えるのも面倒くさ くなることだろう。早くそうなってもらいたいよ。月日を忘れて暮せるようになったら、それこそ浦 島太郎で、絶海の孤島も竜宮城となる。いつまでも指折り数えて御赦免船を待っ俊寛僧都じや情ない からのう」 重野安繹はしんみりとして見せて、「ところでお前は、着いてから何日になる」 「十日だ」 「十日が十年の気はしないか」 「まだ、それほどでもない。ただ、毎日毎日腹が立ちどおしで、どうにもならぬ」 のだな。及ばすながら、重野安繹、竜宮城東道の役を引受けよう」 4

6. 西郷隆盛 第8巻

老人は首をかしげながらも、若い甥を誘って、吉之助の家に出かけた。 門の外まで、香しい肉の匂いが漂っていた。台所では愛加那がいそいそと立ち働いている。主人は 1 と見れば、座敷の真ん中に鍋をかこんで、佐民を相手に盃を挙げ、もうだいぶ御機嫌らしい 「やあ、老人、よく来てくれた。先晩は夜待ちで大失敗をやったが、今日はヤマチして、大猪を射止 めたそ」 「ヤマチとは何ですかな」 「家待ち : : : 家で待ったのじゃ」 台所で愛加那のしのび笑いが聞える。老人は鍋の中をのそいてみて、 「これは豚ですがな、先生」 : いくら山の麓でも、小浜の浦の家の中では、猪は取れぬわい」 「そうらしい。あっはつは。 ますます上気嫌な笑い声であった。 豚の猪汁で飲む泡盛のまわりは早く、中でも勇気老人が真っ先に酔った。ロは達者でも、齢は争わ れないものであろう。 早くももつれはじめた舌で、 ・ : なんとも、コリヤ、お芽出たい。先生もとうとう根が生えましたな」 「先生、先生。 本人は何の意味も持たせずに言ったのだが、「根が生えた」という一語は吉之助の神経を刺したらし く、キラリと目尻に稲妻を走らせ、 「よこッ

7. 西郷隆盛 第8巻

の家から親類の家に帰って来たと言いたいところであった。 家主の不親切と村役人の傲慢さに我慢がしきれなくなって、名瀬の代官吉田七郎に手紙を書いたこ ともあった。この村にはとうてい住めないから、どこかほかの村に移転させてくれと頼んだのである。 吉田は然るべく考慮しようという返事をくれたが、間もなく転勤で鹿児島に引上げてしまったので、 移転の話はそのままになってしまった。 だが、今はもうそんな不満はない。 、浜の新居に充分満足であった。海を眺めては釣を思い、山を 見ては狩を思う心の余裕が、そろそろ湧いて来たようである。 その晩、約東のとおり酒を買って、吉之助は心待ちに待ったが、勇気老人は姿を現わさなかった。 嘘をつくような人柄ではなかったはすだがと不思議に思いながら、翌る朝、家主の佐民にたずねて みた。 「この村にゆうきという老人がおりますか」 「ゆうき : : : 結城何と申しますか、内地の人ですな」 「いや、島の人です。猪狩の名人だとか言っていたが」 「ああ、あの老人 : ・・ : 」 と言って、佐民はちょっと顔色を動かし、「どうして御存じですか」 「昨日の昼、海岸で釣をしているところに行き合いましてな。猪狩の伝授をしてもらう約東をしたの 131 第八章新居

8. 西郷隆盛 第8巻

「君はそこまで考えてくれたのか」 「考えて考えぬいた。 : 目をつぶり耳をふさいで、島に行くことが、いまの俺に許された唯一の道 「そうまで言われては、無理に脱藩をすすめることもできぬ」 大久保は感慨深げにうなすいたが、俊斎は承知しなかった。 「僕は反対だ。恥をしのんで島に行くくらいなら、危険を冒して脱藩した方がいい。僕ならそうする 9 絶対に脱藩する」 「その上、今、あんたがいなくなっては、まったく困るのた。同志のまとまりがっかん」 路」 吉之助は答えた。 れ 「大久保もいる。伊地知、吉井もいる。有馬新七も、もし命があったら帰って来るにちがいない」 「それだけじやたりん。どうしても、あんたが中心になってくれなければ困るのだ。京都ではもう噂 章 が立っているそうだぜ。西郷は死んだのではない。。 とこかにちゃんと生きていて、今に、大兵を率い四 第 て攻めのにつて来るというのだ。 : 西郷存する限り天下安からずだ。大した人気じゃないか。願わ くば、天下の期待冫 こそなかないで欲しいものだ」 我意をはって、島に行かぬと言い出したら、大事が破れる」

9. 西郷隆盛 第8巻

「それは気の毒だ。そんな心配は決してないと、皆に伝えてもらおう。責任はわしが持つ」 老人は納得しかねた顔つきで首をかしげながら、その晩は帰って行ったが、翌日の午後に、沖でと れたらしい真っ赤な魚をぶらさげてやって来た。 「旦那の言われたことは本当じゃった。わしは木場伝内様から聞きましたじゃ。ほかの村の連中もお 礼を申しに来ると言うております。 : : : 旦那、そこでお願いじゃが、わしを旦那の飯炊きに雇って下 さらんか」 「飯の方は子供たちに手伝ってもらっている。今のところべつに不自由はない」 「そうきらわんでもよかろう。わしは飯炊きばかりでなく、釣の相手でも、狩の相手でも何でもでき 「狩にはぜひ連れて行ってもらいたいな」 「猪狩に行きたいと言っていましたな。秋になったら一緒にまいりましよう」 「秋か。こりや、気の長い話だ」 「暑い間は海の方がよかろう。佐民さんの刳り舟を借りて、沖に出ましよう。明日あたりは風がよか ろう」 新 「何が釣れる」 章 「イカですかな。 : とにかく旦那のようなお方には、、 しつまでも島にいてもらいたいものだ。まっ八 たく人助けだ」 「いつまでも島にいたのでは、俺の方が助からん」 る」

10. 西郷隆盛 第8巻

歌になっております。 、緋羅紗の胴着きて 二つ、不思議な異人が来て 三つ、御国の端島に 四つ、余計な石火矢を 五つ、いかっく打ち鳴らし 六つ、むむ : : : なんだったかな、佐民 ? 」 佐民がつづけて、 「六つ、無理な牛ねだり 七つ、なかなか乱暴して 八つ、やっとの心かな」 「そうそう。 九つ、小鳥のひと筒で、 十で、トトンと逃げて行った。 というのですがな。木場様の言われた歌も、その頃からはやって来たのかもしれませんな」 「兄さん、それはちがいます」 「ほう、ちがったかな」 113 第七章民謡