しきりに往来していることは知っている。また、児玉雄一郎、中山尚之介、谷村愛之助などの君公側 近者と近ごろ急に親しくなったらしい様子も察している。最近はどうやら久光に直接にあっているの ではないかと思える気配も感じられる。だが、そのような秘密な行動も大久保としては当然である。 大久保は若年ながら、西郷吉之助留守中の一党の統率者である。いっ暴発するともしれぬ誠忠組とい う破裂玉を両手でささえているのだ。うつかりおさえれば、そのままとび出してどんな暴挙を行うか もしれない連中の集りである。有馬新七、伊地知正治、堀次郎などが年長者だが、まだどれも三十代 で、四十の声を聞いたのは自分くらいなものである。中心になっているのは、柴山愛次郎、橋ロ壮介、 村田新八など二十代の血気盛りで、大山巌、西郷信吾、自分の息子の新五左衛門など、まだ二十歳前 の無分別組も少くない。身分からいえば、すべて軽格の者ばかりで、おまけに藩内では四面皆敵であ る。よほどの力量と才能がなければ、この連中を統率して大事を行うことはむすかしい。若い大久保 が力量の不足を術策でおぎなったとしても致し方はない。大久保が同志に秘密に君公の側近者や久光 自身にあっているとしても、これは彼の苦心の現れであって、私心のあらわれでは決してない。純粋 と誠実において、大久保はどこまでも西郷の弟分なのだ。い くらか術策にたより、権謀をたのしむ傾実 の きがあるとしても、それは人間の性格の差であって、なんといっても薩摩勤皇党の第一人者としての 大久保市蔵の誠意と実行力を疑うことはできぬ、と森山新蔵は信じている。 かぼちゃ 「柴山さん、あんたの心配は私にもわかります。このままでは、誠忠組は虫の入った南瓜のように中章 からくずれてしまうかもしれぬ。しかし、そのことについては、大久保さんも真剣に苦労しています。第 ここ当分、あの人にいっさいを委せておくわけにはゆきませんかな」 はれつだま
0 貴様が反対すれば刺し殺してしまうそ」 「あんたがそれほどまで言うのなら、確実に藩政 の実権をにぎる見込みがあるのだな」 「確実た。間違いはない」 「よし、そんなら俺は従う。忍耐もする。我慢も する。俺は日ごろから、あんたを本当の兄貴だと 思っているのだから」 「では、これからすぐ二人で森山の屋敷に行く。 俺が何を言っても、貴様は反対することはならぬ そ。わが覚の素志を貫くための廻り道だ。忍耐だ。 よし力」 「うん、なんだかまだ腑に落ちんところもあるが、 とにか ~ 、俺は ~ 倢うよ」 と、俊斎は答えた。 し 薄 章 森山新蔵の家では一同待ちかねていた。待ちく第 たびれて帰ってしまったものもあった。待っ間の
若い新五左衛門が口を入れた。「われわれの趣意がひろまり、カがふえることではありませんか」 「その通りだが、少数の同志が世間から白眼視され、迫害されていた頃の苦しみを知らぬ連中がふえ るのは、酒に水を割るようなもので、カと団結はかえって弱くなる。新来者がまねるのはわれわれの外 まげ 形ばかりで、精神ではない。朱鞘の大刀であり、水戸風の志士髷であり、放歌高論であり、悲憤慷慨 であり、大酔乱舞だけだ。困ったことには、昔からの古い同志までが、この軽薄な風潮にまきこまれ て、根本の精神を忘れてしまう。時勢がわれに不利であると思ったら、じっとわが心の中に立てこも ちんせん ればしし 、、。内に沈潜して、根本の修業と勉強をやりなおせま、 をしい。剣の奥義を極めるのもいい。先賢 のりながうし の跡をたずねるのもいい。読むべき本ならいくらでもある。宣長大人の書も、篤胤先生の本もさがせ わけのきょ ば手に入るのだ。万葉の古義に参するのもよかろう。王朝の古実をきわめるもいい。薩摩には和気清 まろ 麿の古跡もある。昔のことが厭だというなら進んで、西洋諸国のことを学ぶのもよかろう。敵の武器 をとってわが武器とする覚悟さえあれば、蘭学もイギリス海軍術も、フランス兵法も、いくら学んで もこれに毒されることはない。五大洲を相手にして、はじめて攘夷開港の論も決着するのだ。にもか むきどう かわらず、どいつもこいつも根本の勉強はわすれて、新米の連中と一緒になって、軽薄無軌道な行動実 に出る。今では、城下の者は服装と髪の形を見ただけで、誠忠組は見分けがつく、と笑っているではの ないか。まったくただの無頼侍と選ぶところのないものが出来はじめているのだ。島津左衛門が藩公朱 参府の随行員には誠忠組から一人も採用しなかったというのも、ある意味では無理からぬことだ」章 おはゆ 若い新五左衛門は面映けに首を垂れてしまった。彼も朱鞘、志士髷の一人である。朱鞘の大刀は薩第 摩のお国ぶりだが、志士風の大たぶさと紫の羽織の紐は江戸風の当世ごのみであった。
です」 「よろしい。この問題は君たちに委せる」 有馬は言った。「われわれとしては、藩公の率い る三千の兵などには頼らす、たとえ藩兵が動かな くとも、われわれ自身が動く用意をととのえてお くべきであろう。われわれはこれまで幾度となく 突出の計画をたてたが、ことごとく失敗した。こ んどこそは誰にもたまされす、どんな障害をも乗 り趣えて突出しなければならぬ。われわれは多分 お供の中に加えられることだろうが、目的は上京 でもなければ、出府でもない。京都に行った者は 京都で義軍を起し、江戸に行った者は江戸で義挙 人 をはかる。これだけが目的だ」 「そうです、有馬さん」 是枝が叫んだ。「私は明日にも京都に上るつもり同 です」 七 第 「えツ、明日にも ? 」 「私も美玉も郷土ですから、とても藩公のお供に皿
小浜の自宅に帰ってからも、吉之助は考えこんでいて、愛加那が茶をはこんで来ても、ロをきこう としなかった。相撲甚句などを歌ってはしゃいだ人とはまるで別人のようであった。 大久保の手紙を取出して読みかけたが途中でやめ、小机を引きよせて習字をはじめたが、それもや めて、肌ぬぎになり、庭にとび出して行って、庭木の枝につるしてあるカ試しの土の俵をえいえいと 押しはじめた。かくしきれない焦躁の色であった。 「やあ、やっているな」 垣の向うで声がした。「盛んなものだ。何かよほどめでたいことがあったと見える」 あんえき きばでんない 重野安釋であった。木場伝内も一緒であった。吉之助は肌を入れて、縁側に腰をおろし、照れたよ うな顔つきで、 「いっ来た ? 」 よ、よ御赦免だな。え、そうだろう」 「今来たばかりだ。いし , 吉之助はびつくりしたように重野の顔を見つめて、 「何を寝言を言うとるか」 「おかしいな」 重野は木場伝内をふりかえって、「当らなかった。賭けは俺の負けか」 「何の賭けだ」 あいかな
」くらく がさっさと先に死んで行く。 : ・西郷、お前にしろ、俺にしろ、極楽には縁の遠い、死にそこないの ・こう 業つく張りに生れついて来ているらしいな」 「ふうむ」 と唸ったが、吉之助はあらたまった調子で俊斎に向い、「雄助、次左衛門のことは、まったく : : : ま ことに有難いことであった」 そう言って、頭を下げた。 「いやあ、どうも。こっちは死におくれた兄貴で、おかげ様で、評判がわるくてならぬ」 俊斎は頭をかいて見せた。 「さて、まいりましようか」 吉次郎にうながされて一同は立上った。吉之助は編笠をかむりなおし、吉次郎と肩をならべて歩き ながら、 「留守中、まことに : : : 苦労をかけた」 「いや、兄さんがお元気なのが何よりです」 「お婆さんはお達者か」 父母のない家に、ただ一人生き残っている老祖母のことを言ったのである。 「お丈夫です。なにしろ老体のことで、この冬がどうかと心配しているのですが、兄さんが帰るとい う話を大久保さんが知らせてくれてから急に元気になって若返っています。あってあげて下さい。子 供のように喜びますよ」 192
思いがけぬ変事がおこるかもしれない。僕は江戸に行き、中山君は京都に行く。大久保君にもいずれ 藩外に出てもらわねばならぬから、四人はばらばらになるわけだ。今ここで確固不動の方針をたてて おかないと突発事件に善処することができぬ」 「そのとおり」 と、中山尚之介がうなずいた。 「確固不動の方針とは区々片々たる世間の与論に動かされぬ方針のことだ」 堀は言 0 た。「僕の見るところでは、現在天下を動かしているように見える与論は浪士の間から発し ている」 「浪士の ? 」 小松帯刀が首をかしげて、「浪士の勢いがそれほど強いのか」 「強い。少くとも強そうに見える。彼らの無鉄砲な攘夷論と暴発論は京都の公卿の間にまでしみこみ はしめている。わが藩の若い連中にも、浪士の影響が次第に顕著になりつつあることに、君は気がっ 、刀、濵し、カ」 「浪士であるかどうかはしらぬが、わが藩の中でも、平田門人の一派はなかなか激しい意見を持 0 て いるようだが : 「平田学も学問の仮面をかむった浪士意見だ」 106
「俺は : : : 俺はつまりその : : : 」 と、新七はどもった。 正治は笑って、 「つまり、有馬新七は武骨すぎる。外見は武骨なくせに、案外胸の中は涙や溜息で一杯なのだ。風流 家で、詩人で、つまり純粋家と潔癖家の弱点の方を身にそなえすぎている」 「貴様は俺を・ : ・ : 」 「一人で突出して、真っ先に斬死する男だが、好漢おしむらくは兵法を知らぬ。水戸の桜任蔵や筑前 の平野国臣とよく似ている」 「何とでも言え。批評は他人にまかせてある」 目を輝かせて大山巌が答えた。 「この頽勢を挽回するのには堀や大久保では間に合わぬ。いや、彼らこそ腐敗の張本人だ」 こうもり 有馬新七は声を大きくして、「堀は鳥獣合戦の蝙蝠のように、あっちにべたり、こっちにべたりじゃ。 大久保は悪党ではないらしいが、おのれの智恵をたのみすぎる。このままにしておくと、堀や中山尚 之介と同論して、とんだ権謀家になってしまうそ」 伊地知正治が横から、 「そういう御当人はどうだ。有馬新七では、この難局打開に間に合わぬのか」 たいせい
「あうよ。あってやろうと仰せられるなら、いつでもお目にかかろう」 「よし、それに決めた」 大久保は重荷をおろしたと言いたげに、「ああ、肩がこった。昨日から、議論のしつづけだ。おまけ に三年ぶりで、西郷にどなられた。小松君、酒を頼む。西郷、飲もう」 「飲なよ」 「島の話でもゆっくり聞こう」 「島では、こんな面倒は話はなかっこ 「苦労するよ、まったく。こんどは僕が君にかわって島に行かせてもらいたいくらいだ」 大久保はごろりと横になって、手枕のくつろいだ姿になった。寝ころぶのは、遠慮のない席での薩 摩人の癖である。 小松は手をたたいて、次の間の者を呼び、酒肴の用意を命じた。 「小松さん、あんたもいろいろと御苦労なことですな」 と、吉之助が言った。 「いえ、私は諸君の驥尾に附しているだけです。諸兄の御啓発によって、すこしずつ目が開けて来る のがたのしみです」 「そう謙遜されては、こっちが困る。僕などは生れつき粗暴な質で、謙遜になろうと思っても、つい 地金が出てしまう。 : 今夜も、あんたや中山君に向って、言わでもの暴言を吐いたが : 「決して暴言だとは思いませぬ」 たち 219 第十章直
そうした縁から、彼は大久保の同志として行動するようになってしまった。大久保を久光にあわせ たのも実は彼である。久光は大久保を激派の首領として警戒していたのであるが、児玉は久光側近の 中山尚之介、谷村愛次郎などを動かして、内謁の機縁をつくったのである。その後は大久保の外から の援助者として、君側との連絡にあたってくれている。 この関係はもう同志の間にも知れ渡っていた。二人が何を話し合い、何を計画しているかについて は誰も知らぬが、児玉が藩主と誠忠組との間の好意ある連絡係を担当してくれていることは公然の秘 密である。 「諸君、ちょっと行って来る。あるいは、藩公の御返事が聞けるかもしれぬ。しばらく待っていても らいたい」 と言って、大久保は立上った。 大山格之助の家に行ってみると、奥の部屋に格之助と児玉雄一郎が向い合って、二つの木像のよう に坐っていた。 これはいかんと直感したので、大久保は先まわりして尋ねた。 「やつばり駄目か」 「お手許金一件以来、一歩も進まぬ」 る。 75 第四章煙は薄し