「お前のいうことは風狂すぎるぞ」 二人は声を合せて笑ったが、哄笑はやがて苦笑に変り、お互いににがそうな顔つきで芋焼酎の盃を 噛んだ。 その時、生垣の向うで若々しい声がした。 「伊地知さん、有馬先生、お邪魔してもいいですか」 伊地知正治は生垣をすかして見て、 「信吾か。来い、来い」 「巌も一緒です」 「何を遠慮する。二人とも来い。焼酎があるぞ」 山狩姿で鉄砲をかついだ二人の若侍が庭木の下をくぐって入って来た。足にまつわりながら、赤毛 の猟犬が二匹かけこんで来た。西郷信吾と従弟の大山巌であった。二人とも吉之助が島に送られる頃魂 にはまだ少年であったが、今は一人前の若侍である。どちらも西郷家の血統を典型的にあらわして、 よく肥り、目玉は大きく、ぬっとして茫漠たる風羊を早くも示しはじめている。伊地知正治はこの二荒 章 人の姿を見ると、吉之助を思い出してならない。 第 「また山狩りか。兎はとれたか」 「今日はあぶれです。兎のかわりに西別府の鮒を持って来ました」 うばく
八十人、合計四百八十人。 : べつに、大砲隊。士分以上七十五人。大砲八門、人数合計百十八人。 ・これが第一陣で、人選もすでに終り、第二陣、三陣の用意も完成している。最小限に見つもって 三千五百人の精兵を繰り出すことができるのだが、それでも君は不足と言われるか」 吉之助はほかのことを尋ねた。 「兵糧と軍資金は ? 」 「中すまでもない。万全の用意をととのえた。たとえば、君も御存じの森山新蔵が昨年の暮、先発し て、今は下関の白石家にいる。藩金二万四千五百両をたずさえ、北九州と中国の米を買占め、関門海 峡渡海ならびに兵庫、大阪への兵力輸送のための船舶もととのえた」 「ほう。二万両か」 「二万四千五百両。 ・ : もちろん、それが全部ではない。われわれの準備の一端を話しただけのこと : しか 「わかっている。君も三千五百人を大兵と思い、二万両を大金と思うほどの子供ではない。 し、幕府を相手にすることは、場合によっては、日本国中を相手にすることになりかねない。禁闕守言 護ということはただ漫然と兵隊を京都の藩邸に詰めさせておくことではない。実力とは空鉄砲をかっ いだ調練のことではない。幕府が反抗の気配を示したら、ただちに立って、一戦を交える。京都所司直 おと 代を追い、若狭、彦根の兵と戦い、すくなくともます二条城を陥し、東は彦根、北は若狭、南は大阪、章 兵庫をおさえて、関東の大軍を迎え撃っ準備を備えておかねばならぬ。これが実力というものだ。こ第 の準備を君はすでに完了したというのか」
果して大久保は家にいた。玄関で名を告げると大久保自身が出て来て、二人を奥座敷に案内した。 座敷には父の次右衛門老人がいて、机の上に書きかけの書類が散っていた。二人は何事か相談して いたところらしかった。 「ちょうど、 しいところへ来られた」 次右衛門老人は言った。「市蔵から相談を受けて決しかねているところじゃ。これはわしよりも、 あんたがた先輩におまかせした方がいい」 「私も明日になったら、お二人に相談にあがるつもりでした」 ぬかりなく大久保市蔵は答えた。 「何の相談かね」 と、伊地知正治が大久保に尋ねた。 次右衛門老人が引取って、 「なに、祝いの客の人選じゃ。親族の者の名ならわしにもわかるが、いまの若い仲間のことになると わかりかねるのでな」 策 机の上の半紙には、三十人あまりの人名が書きつらねてあった。お小納戸役昇進の内祝いのことだ とい、つ。 伊地知と有馬は苦々しげな顔を見合せた。だが差し出された紙面には意外な顔ぶれが並んでいた。章 ます大久保家の親族の中の重だった者の名が十人あまりあげてあった。これは問題ではない。その第 次に並んでいるのは誠忠組の同志で、しかも激派と目されている者を特にえらび出したような顔ぶれ
なるほど小柄な遠島人は強かった。三人ぬきにも五人ぬきにも勝ちにまわり、賞品の煙草を嬉しそ うに膝に乗せて砂の上に休んでいたが、甚応喜が四人まで抜いて勝者に加わりかけると、 「よいしよ」 と立上って組みついて行き、かるがると土俵を割らせて見物の大喝采を浴びた。 もう誰もとび出す者がない。甚応喜がくやしがって、 「とりなおし、一番 ! 」 と組みついたが、ー 弓きはずされて砂に両手をついてしまった。 「先生、西郷先生、いよいよ横綱の番じゃ」 「先生の番じゃ」 と、見物がはやしたてた。 吉之助は榕樹の根元に腰をおろしたまま、いつものようには助言もせず、懸声もかけず、うつろな 表情であらぬ方向を眺めていたが、 「ザて , つか」 と言って立上り、着物をぬぎ、甚応喜に手伝わせて下帯をしめなおし、無雑作に土俵の真ん中に出 た。小男の遠島人と取組んだ姿は、大岩を杉丸太で支えたようで、今にも小男が押しつぶされて、一一 つに折れてしまいそうに見えた。だが、二押し三押しもみ合って、ころりと転んだのは吉之助の方で あった。 「こりや、なかなか達者な相撲だ」
第五章秘策 文久元年十月はじめのある日、柴山愛次郎と田中謙助の二人が石谷村の有馬新七の寓居を訪ねて来 さば 二人は錦江湾の秋の鯖を手土産に持って来たが、酒の徳利は下げていなかった。酒の席では話せぬ 用件があると言いたげな重大な顔色であった。 「政変が起った。日置組が根こそぎに辞めさせられたのだ」 と、柴山愛次郎が言った。 「根こそぎというと : みのだ 「家老主座島津左衛門をはじめ、桂右衛門、簑田伝兵衛、椎漿与三次以下総退陣だ。日置組は一人も 残っていない」 「いつの話だ」 「いっ決定したことか知らぬが、発表されたのは昨日の午後だ。城下は鼎のわくような駈ぎだ。あん たはまだ御存じないと思ったから二人そろって相談に来たのだ」 新七はちょっと考えていたが、 しいよらよそうじ かなえ
「一緒でしよう。二人とも藩外に追放されるのですから」 「誰がいったいそんな処分に附したのだ ? 」 「それはお察しがつくでしよう」 「大久保か」 「まあ、そこらでしよう」 「大久保はしかし、平野と秘密にあって、いろいろと懇談していた模様だったが」 「何を懇談したか知らぬが、二人が大久保の手によって檻禁されていたことは事実です。私も美玉も 城下で伊牟田にあおうといろいろ苦労したが、絶対にあわせてもらえなかった。柴山愛次郎さんも平 野氏にあおうとしたが許されなかった。あなたはあえましたか」 「まだあわぬ。大久保は都合のつき次第あわせると言ったが : 「あわせると言っておいて、あなたにも知らせず、追放してしまうのはどうしたわけでしよう。平野 氏は非常にあなたにあいたがっていたそうではありませんか」 「よし」 と叫んで、新七は手に持った箒を息子の幹太郎の手に渡し、「先に帰っておれ。お父さんは後で行 二人きりになると、新七は言った。 「俺も伊集院に行こう。どうしても平野にあわねばならぬ。今から行こう」 「そうですな。美玉の手紙では、二人とも明日の朝か昼過ぎに伊集院に着くことになっています。わ 134
人の前では謙虚な後輩であったが、ここではお小納戸役の貫禄を充分にそなえて、しかも一座を指導 する理論家であり、寄策にみちた権謀家でさえあった。 大久保は有馬と伊地知に対して堂々と嘘をついたのである。政変はすべて久光の方針から出たと言 ったが、実はいっさいがこの部屋の策謀から生れたのである。 小松屋敷の会合はすでに数回開かれたのであるが、他党に対してはいうまでもなく、同志の者に対 しても絶対秘密であった。ここに集っている四人のほかに知る者は一人もなかった。藩主忠義との連 れんけい 絡は小松帯刀がひきうけ、久光との連絡には中山があたる。堀が他藩との連繋を保ち、大久保が藩の 内部を締める。事を行うには四人で充分であった。 大久保はそれを当然の処置だと自信していた。同志をあざむくのも大義のためなら止むを得ない。 「近思録崩れ」「高崎崩れ」の先例に見るとおり、薩摩の政争はいつも事が未然に発覚して悲惨な犠牲 者を出している。現に自分の父の次右衛門も「高崎崩れ」の犠牲者として永い遠島に処せられた。そ の留守中の家族の苦労は言語に絶した。人が多すぎて、事が破れたのである。同志の数は多いほどい 。同志の安全を思って彼らを秘密から遠ざけるのだ。同志をあ いが、秘密に参する者は少いほどいい ざむくのではなく、責任を少数者で引受け、最少の犠牲で最大の効果をあげる方法だと大久保は信じ ていた。 彼の信念は、今や事実によって裏付けられた。政変は行われ、政敵は退いたが、誰もその真囚を知 っている者はない。城下に噂は乱れとんでいるが、的を射た噂は一つもない。大久保の秘策は成功し たのである。 102
「大久保では駄目だろう」 「どうして」 「大久保は近ごろ、堀や中山の意見に引きずられてしまった。人の顔さえ見れば自重自重という。し かも、御本人は決して自重はせず、策略をたのしみながら危い橋を渡っているらしいのだから、なお さらいけない」 柴山愛次郎の返事は新蔵の予期した通りであった。新蔵は争いたくなかったので、すぐに話を転じ 「では、有馬新七さんは ? 」 「りつばな人物だ。僕が霧島山にこもったのも、有馬さんの話を聞いているうちに、その気になった のです。大久保や堀などとくらべれば数等上の人物です。この人となら、いつでも死ねる。ただ、有 馬さんは悲しみすぎ、怒りすぎて、薩摩藩に見切りをつけてしまった形だ。山の奥に引きこんで百姓 になるか、それとも京都に出て公卿侍になり、藩の拘東をうけず、思いきり働いてみたいと言ってい つでも死ねる。 る。それには僕も賛成だ。僕も有馬さんと一緒にとび出したい。有馬さんとなら、い 斬死の相手はこの人よりほかにないと思っている。だが、同志をまとめ、敵をおさえて、この複雑な 難局を乗り切ることは、有馬さんにも出来ぬかもしれぬ。あまりに純潔すぎる。抜き身の大刀のよう な人だ」 「そう言われてみれば、そんな気がしますな」 新蔵は徴笑して、「では伊地知正治、吉井幸輔さんは :
喜んで帰って行ったにちがいない」 「そうだ、薩摩人には、昔から自藩中心の我利我利なところがある」 叫んだのは田中謙助であった。彼は桜田の一挙に参加するつもりであったのが、事前に発覚して堀 次郎のはからいで国許に送りかえされ、そのまま足止めを食っている。「高山彦九郎先生も薩摩人の首 鼠両端ぶりをいているし、頼山陽でさえ、薩摩人の堕落ぶりを嘲笑しているではないか。その我利 我利根性が水戸の同志を見殺しにし、有村兄弟を見殺しにし、今また平野国臣を追放したのだ」 大久保は横を向いたまま何も言わなかった。 「久光公が浪士嫌いであることは、われわれも知っている。だが、われわれが浪士を嫌う理由はない。 われわれも精神においてすべて浪士だ」 税所篤がつづけた。「しかし、他国人を庇護しては、月照和尚の先例にも見るとおり、自藩の者に思 わぬ犠牲も出る。現に月照の場合には西郷という大犠牲を出した。だから、平野氏にはこの際我慢し てもらって、一応藩外に退去してもらうというのが、大久保、お前の理窟であろうが、その理窟は大 事をあやまるぞ。他藩の者であろうが、同志は同志だ。家老であろうが、浪士であろうが、大義の道し を同じくすれば同志、然らずんば仇敵だ。西郷は最後の藩命が下った時にも、月照和尚に藩外にただ薄 一人で退去してくれとは言わなかった。ともに薩摩潟の波に身を投じたではないか。この誠意、この煙 信義が、天下の信をつなぐのだ。自分は京都、大阪から九州各地を歩いて来たが、有志たちは薩摩に章 非常な信頼をつないでいる。久光公につないでいる希望でもなければ、誠忠組にかけている信頼でも第 ない。西郷の命をかけた信義の行動が薩摩をして天下に重からしめているのだ。西郷の弟ともいわれ
二人の先輩を送り出してしまうと、大久保の態度はがらりと変った。同志の者から「すかさぬ男、 油断のならぬ奴」と呼ばれる冷酷な表情があらわれた。 しばらく自分の部屋にこもって何か書き物をしていたが、近くの寺の鐘が五つ半 ( 夜の九時 ) を告 げるのを合図に立上って、身仕度を整え、供もつれず、行先も言わず、ふらりと家を出た。 大久保が姿をあらわしたのはお側役小松帯刀の屋敷であった。 大久保が名を告げると、帯刀自身が玄関に出て来た。まだ三十前の若い重役である。家柄のいいこ の青年を仲間に入れるためには大久保はいろいろと苦心した。誰か一人門閥家の子弟が仲間にいなけ れば、政権をにぎる場合に立看板がなくなると考えて、狙いをつけたのだが、その計画は成功して、策 今では小松は大久保に心服している同志の一人である。 「もう皆そろっています」 小松は廊下伝いに離れの小部屋に案内した。そこには新お小納戸役の中山尚之介と堀次郎が待って章 第 この席の大久保の態度は、さっき、伊地知と有馬の前でしめした態度とはまったく違っていた。二 たく胸の奥にたたみこんでおいた。つまり、嘘をつくことなく、二人の先輩をだましたのである。 そんなことは知らぬ有馬と伊地知は、大久保の釈明に満足して、では天下のため、わが党のため、 御自重を祈るといって、大久保家を辞去した。