第十章直 翌る日の夜、吉之助は大久保市蔵に伴われて、小松帯刀の屋敷に出かけた。 きいり 小松は二十五歳の若い家老である。喜入の領主肝付主殿の三男で、永吉の領主小松家を襲いだ。斉 彬の下ではながくお側小姓をつとめ、忠義の代になって、当番頭に任ぜられた。大久保が小松を知る ようになったのは次のような事情による。 ある日、奈良原繁がやって来て、自分の組頭の小松帯刀という男は、門閥家の子弟に似合わす骨の ある奴らしい。ひとったたいて見てはどうだ、と言った。大久保は島津左衛門に失望し、誰かこれに かわる門閥家を同志に引き入れようと考えていた時だったので、さっそく中山尚之介と有村俊斎をさ とろ そって小松の屋敷を訪ねた。小松は大久保の巧みな話術に誘われて、その本心を吐露した。若いだけ 、小松も激しい改革意見を胸に蓄えていた。特に京都出兵問題に関しては、これは故斉彬公の御意 志であるから、自分は公の薫陶をうけた者の一人として、出来得るかぎりの努力をおしまないつもり だと言った。ほとんど夜を徹して語り合って、小松は大久保の同志になったのである。 家老の列に加わったのは昨年の五月で、これは主として中山尚之介が久光にすすめ、帯刀の実父肝 付主殿の賛同を得て実現したことで、すなわち大久保によって計画された藩政府乗取り準備の一つで 198
小松帯刀が中山を玄関の方に送って行く。その後姿の消えた方向をにらみつけて、 「馬鹿者が ! 」 吉之助はどなった。「大久保、お前はあんな者を本気で相手にしているのか。小憎だ。小憎っ子では ないか。少年国柄を弄すとはこの事だそ」 「そう言われると耳が痛い」 「だが、あれでも中山はなかなか役に立っ男だ。少々我意が強すぎるのには困 大久保は苦しそうに、 るが、物はよくわかる男だ。君とは肌は合わぬと思うが、久光公の御信頼が厚いし、しかも君の召還 のためにはよく働いてくれた」 「それとこれとは話がちがう」 「なにしろ若すぎて、 : : : 才を頼んで思い上っている節もないではないが : 「思い上っているのは中山だけではないぞ」 そこへ小松帯刀が浮かぬ顔つきで帰って来た。大久保はとりなし顔に、 「さあ、西郷、君の意見を聞かせてもらおう。小松君と僕が相手なら、君も腹は立つまい」 「今さら、意見でもないじゃないか」 すてりふ それを捨科白に、中山は出て行ってしまった。 7 第十章直
二人の先輩を送り出してしまうと、大久保の態度はがらりと変った。同志の者から「すかさぬ男、 油断のならぬ奴」と呼ばれる冷酷な表情があらわれた。 しばらく自分の部屋にこもって何か書き物をしていたが、近くの寺の鐘が五つ半 ( 夜の九時 ) を告 げるのを合図に立上って、身仕度を整え、供もつれず、行先も言わず、ふらりと家を出た。 大久保が姿をあらわしたのはお側役小松帯刀の屋敷であった。 大久保が名を告げると、帯刀自身が玄関に出て来た。まだ三十前の若い重役である。家柄のいいこ の青年を仲間に入れるためには大久保はいろいろと苦心した。誰か一人門閥家の子弟が仲間にいなけ れば、政権をにぎる場合に立看板がなくなると考えて、狙いをつけたのだが、その計画は成功して、策 今では小松は大久保に心服している同志の一人である。 「もう皆そろっています」 小松は廊下伝いに離れの小部屋に案内した。そこには新お小納戸役の中山尚之介と堀次郎が待って章 第 この席の大久保の態度は、さっき、伊地知と有馬の前でしめした態度とはまったく違っていた。二 たく胸の奥にたたみこんでおいた。つまり、嘘をつくことなく、二人の先輩をだましたのである。 そんなことは知らぬ有馬と伊地知は、大久保の釈明に満足して、では天下のため、わが党のため、 御自重を祈るといって、大久保家を辞去した。
小松屋敷の奥座敷は密議の場所にふさわしく、厳重に雨戸をしめきってあった。金泥の色の鮮やか びようぶ な屏風にかこまれた桐の大火鉢に桜炭の火が赤々と燃え、ほかの座敷はひっそりとして暗いのに、こ の部屋だけは斉彬好みの玻璃燭台の灯に煌々と照らされているのが豪奢であった。 中山尚之介は先に来て待っていた。席を定める時に、中山がいつもの習慣で床柱を背負って坐ろう としたのを、主人役の小松帯刀が、 「今夜は西郷殿に : ・・ : 」 と言って、正座を譲らせた。吉之助はこだわらぬ態度ですすめられた席に坐った。中山は眉根に皺 をよせて、 「今日からは西郷ではなく、大島何とかと呼ばねば、差障りがあろう」 と一「ロった。 「さよう、大島三右衛門です」 と、吉之助は答えた。 席がきまると、大久保はあらたまった態度で、小松と中山を吉之助に引合せた。吉之助も膝を正し て初対面の挨拶をし、このたびの赦免についてはまことにいろいろとお世話になったと礼を言った。 到着以来ほとんど眠らず、しかもまるで疲労を感ぜぬ異常な昻奮に駆られながら、吉之助は小松屋 敷の黒塗りの門をくぐった。 2 叩
『越前侯を大老に任じ、一橋慶喜を将軍後見となす。幕府の奸党がもしこれを承認しないならば、藩 公御参府の節、敢死の士五百人ばかり召連れられ、べつに京都御着駕の期限を定めおきて、汽船天祐 わかさ 丸により一千人あまりの精兵を若狭小浜あたりに上陸せしめ、京都の変動にそなえ、勅を乞うてただ ちに小浜城を攻略し、同時に在京五百の兵をもって京都所司代屋敷を襲わば、酒井若狭守は前後をか えりみること能わず、誅に服せんこと必定なり、事一度決せば、老中安藤らは江戸において誅に服す べく、かくてわが君公は確固たる義旗を立て、京都を守護し給わば、四方勤皇の諸侯は日ならずして 勃興し、天下正路に帰さば、外夷攘除の策は難きにあらじ。 もはや片々たる嫌疑は顧慮さるべきにあらず、天朝の御為に御忠節を尽され候御誠心確固として召 据えられたし』 激派の意見を綜合したような、はげしい建白書であった。 小松帯刀はこの内容を見て、処置に窮した。先日決定した方針とは根本的に相容れない点が多すぎ 有馬新七は雄藩の連合を主張するが、四人会議は薩摩の独立行動を計画し、すでに久光公の内々の策 ちゅうさっ 裁可を得ている。若狭城攻略とか、所司代誅殺とかは浪士意見で、無用な暴挙である。京都出兵は幕 府を威圧すればいいのであって、直接武力に訴えることは、四人会議の計画の中にない。 小松帯刀は処置に困って、この建白書を大久保に見せた。大久保は一読して眉も動かさず冷然と言章 い放った。 「お手許にとどめておきなさい。君公にも久光公にもお目にかけるにも及ばぬ。なおこのの建白書山
と、小松が首をかしげる。 「さよう、大攘夷論である。しかし、横浜を焼くとか長崎に斬込むとかいうような単純な攘夷論では ない。将来の大攘夷を目標とした進取開国策であったと僕は信じている」 「では、斉彬公においては、国内統一が先か、攘夷が先か」 「もちろん、国内統一が先決問題だ」 と、堀次郎が引取って断定した。 小松帯刀はひとりごとのように、 「なるほど、そのとおりであろうが、わが藩内において、斉彬公の開国進取の決策を理解している者 が果して何人あるであろうか」 「それはわが藩だけのことではない」 堀が応じた。「幕閣にも諸藩の有志にも朝廷の公卿にも、斉彬公の御大策の真意を理解している者は 絶無といってもいい。外夷恐怖症にかかって縮み上っている者か、しからすんば無鉄砲な攘夷即行論 者ばかりだ」 「しかし、大勢は攘夷即行論にかたむいているのではないか」 と、中山が言った。 「そのとおり。つまり浪士意見が天下を動かしているような形になっている。だから、わが薩摩藩が 斉彬公の開国進取策をとると天下に声明したら、理解されるどころかたちまち大混乱、世論囂々とし て朝敵扱いにされてしまう。ここ当分は、表向きだけでも、諸藩有志の攘夷論と歩調を合せておくよ つむ 110
るのを待たねばならぬ。われわれはこの問題を避けて進むよりほかはない。問題をもつばら国内にか ぎり、わが藩の大方針は、ます大義名分を明らかにし、皇室を尊び、幕府を強化し、国内の人心を調 和作興して国家百年の基礎をかため、然る後に外国の事に及ぶ。開国か攘夷かの問題は国内がかたま った後に天下の輿論に従うと言っておけば、自他をあざむくことなく、この難局を乗り切れるのでは ないかと僕は思う」 「それは名案」 と、小松帯刀は膝をたたいたが、中山尚之介は、 「他藩に対してはそれでも、 しいかもしれぬが、藩内はそれでは治まらぬのではないか。頑迷な攘夷派 はかえってわが藩内にいる」 「いや、藩内を治める方法もある」 と、大久保は答えた。 「ほう、成案があるか。、せひ聞かせてもらおう」 堀が膝を乗り出した。 大久保は無造作に、しかも確信をこめた口調で、 「西郷を一刻も早く召還することだ。それで万事が解決する」 「ふうん、西郷か」
小松帯刀とはまったくの初対面であったが、中山尚之介とは一、二度顔を合せたことがあった。尚 之介が斉彬の小姓をつとめていた頃、ときどき出会ったのである。といっても、話し合ったことはな 、意こ残っている程度にすぎない。その く、眉の迫った、才走った顔つきの美少年ぶりが、かす力に記ー冫 お小姓がいつの間にか久光側近の謀臣として二十七歳の若すぎるお小納戸役として、この席にあらわ れ、床柱を背負おうとしているのだから、ただ意外というよりほかはなかった。 若いといえば、みな若すぎた。大久保三十一歳、中山二十七歳、小松二十五歳、これが藩政府の中 枢である。喜ぶべきか悲しむべきか。いずれにせよ、めざましいかぎりである、と三十六歳の吉之助 は齢下の重役連のもっともらしい顔つきを見くらべた。 「さて、大島氏の意見をうかがう前にこれまでの経過の大体を報告しようと思う」 大久保がそう切り出すと、中山が、 「ああ、ちょっと。 : ・その報告は君から直接大島君に話してくれたのではなかったか。なるべく簡 単にして、早く問題の中心に入ろうではないか」 「さよう」 大久保はうなずいて、「僕は昨夜からずっと大島君と一緒にいたから、大体の報告はすんでいるが、 重大な機密にわたる点は、責任上お話してない」 吉之助はおやッと言いたげに大久保の顔を見た。大久保は顔色も動かさず、 「誠忠組の同志にも知らせてない機密を、僕の独断でしゃべるわけにはゆかなかったからだ」 お小納戸役ぶりが、すっかり身について来た切口上であった。 201 第十章直
思いがけぬ変事がおこるかもしれない。僕は江戸に行き、中山君は京都に行く。大久保君にもいずれ 藩外に出てもらわねばならぬから、四人はばらばらになるわけだ。今ここで確固不動の方針をたてて おかないと突発事件に善処することができぬ」 「そのとおり」 と、中山尚之介がうなずいた。 「確固不動の方針とは区々片々たる世間の与論に動かされぬ方針のことだ」 堀は言 0 た。「僕の見るところでは、現在天下を動かしているように見える与論は浪士の間から発し ている」 「浪士の ? 」 小松帯刀が首をかしげて、「浪士の勢いがそれほど強いのか」 「強い。少くとも強そうに見える。彼らの無鉄砲な攘夷論と暴発論は京都の公卿の間にまでしみこみ はしめている。わが藩の若い連中にも、浪士の影響が次第に顕著になりつつあることに、君は気がっ 、刀、濵し、カ」 「浪士であるかどうかはしらぬが、わが藩の中でも、平田門人の一派はなかなか激しい意見を持 0 て いるようだが : 「平田学も学問の仮面をかむった浪士意見だ」 106
人の前では謙虚な後輩であったが、ここではお小納戸役の貫禄を充分にそなえて、しかも一座を指導 する理論家であり、寄策にみちた権謀家でさえあった。 大久保は有馬と伊地知に対して堂々と嘘をついたのである。政変はすべて久光の方針から出たと言 ったが、実はいっさいがこの部屋の策謀から生れたのである。 小松屋敷の会合はすでに数回開かれたのであるが、他党に対してはいうまでもなく、同志の者に対 しても絶対秘密であった。ここに集っている四人のほかに知る者は一人もなかった。藩主忠義との連 れんけい 絡は小松帯刀がひきうけ、久光との連絡には中山があたる。堀が他藩との連繋を保ち、大久保が藩の 内部を締める。事を行うには四人で充分であった。 大久保はそれを当然の処置だと自信していた。同志をあざむくのも大義のためなら止むを得ない。 「近思録崩れ」「高崎崩れ」の先例に見るとおり、薩摩の政争はいつも事が未然に発覚して悲惨な犠牲 者を出している。現に自分の父の次右衛門も「高崎崩れ」の犠牲者として永い遠島に処せられた。そ の留守中の家族の苦労は言語に絶した。人が多すぎて、事が破れたのである。同志の数は多いほどい 。同志の安全を思って彼らを秘密から遠ざけるのだ。同志をあ いが、秘密に参する者は少いほどいい ざむくのではなく、責任を少数者で引受け、最少の犠牲で最大の効果をあげる方法だと大久保は信じ ていた。 彼の信念は、今や事実によって裏付けられた。政変は行われ、政敵は退いたが、誰もその真囚を知 っている者はない。城下に噂は乱れとんでいるが、的を射た噂は一つもない。大久保の秘策は成功し たのである。 102