「たとえば、国父久光公の御上京は昨年の十月ごろに内定したのであるが、これはまだ一般に発表し てない」 と、大久保はつづけた。「ごく少数の者のほかは、藩主忠義公の御出府と思っているが、実は久光公 御自身が出馬されるのだ。堀次郎が江戸に行き、中山君と僕が昨年末、京都に上ったのも、すべてそ の準備のためであった。 : : : 幕府はしきりに忠義公の参府を請求して来るが、目下の形勢では忠義公 の参府はあらゆる意味で不利であり、危険である。久光公御自身が強大な兵力を率いて御出馬になる よりほかに大策実現の方法はない。だが、昨年末、幕府の督促が急で、ついに断りきれなくなったの で、われわれは協議の結果、江戸にいる堀次郎に命じて、最後の非常手段をとらせた。このことにつ いては、まだ大島氏には打ちあけてない」 最後の非常手段という言葉に力を入れて、大久保はじろりと一座を見まわした。小松と中山の顔が さっと緊張する。 「非常手段とは ? 」 吉之助も思わず釣り込まれて口を出した。 「高輪の藩邸を焼き払わせたのだ」 「なに、焼き払わせた ? 」 「さよう、堀に命じて火をつけさせた。寄手であるが、ほかに致し方がなかった」 202
て、幕府はしきりに参府をうながして来る。だが、今となっては、忠義の参府は久光にとって必要で 。久光は自ら精兵を率いて上京し、公武の間を周旋しようとかたく決意しているので、出兵の 準備が整うまでは、なんとかして忠義の出府を延期しておかねばならぬ。 この二つが、堀の江戸行きの使命であった。 第一の点については、京都における運動が必要だ。久光の叙位を願い、また近衛家を通じて、久光 に公武周旋を命する内勅を賜わることができれば、この上ない好都合である。幸い、近衛家との縁談 のことがあり、なお主上に波平の御剣献上のことがそのままになって行き悩んでいるので、これを表 向きの理山として、中山尚之介が京都に行き、百方手をつくすことに決定した。 第二の忠義出府延期のことについては、堀にも策がなかった。忠義病気ということにして、久光を 名代とすれば、幕閣は一応承認するかもしれぬが、来年の春まで待たせる口実はもうない。だが、す くなくともここ半年の時間がなければ、兵と兵器はそろっても、食糧及び輸送の準備がととのわぬ。 しかも久光の新内閣はやっと成立したばかりで、その基礎をかため、藩論を統一するためにも、半年 間はどうしても必要である。この点について、いろいろと議論がつづいたが、結論はつかなかった。 大久保がとうとうしびれを切らして叫んだ。 「仕方がない。最後の手段だ。焼け、焼いてしまえ」 堀次郎がニャリと笑って、大久保の顔を見た。 「君もついに賛成か」 江戸の藩邸を焼いてしまえという案である。これは前回の会合で堀が言い出したことであるが、さ 104
ばずながら尺力したのだが、われわれが君にお願いしたいのは、この一点をほかにしてない。そのほ かの事の準備はすでに充分に出来上っている。この点は御心配御無用と申しておこう」 言い切って、中山は誇り顔に口を結んだ。 吉之助は中山の言葉には答えず、ほかのことを尋ねた。 「次郎は何のために江戸に行っているのか。まさか藩邸を焼くだけが仕事ではあるまい」 「もちろん ! 」 中山が誰よりも先に引取って、「久光公の御大策を幕閣に献言して、あらかじめ了解を得ておくこと が堀君の仕事だ」 「久光公の御大策というと ? 」 「一橋慶喜と松平春嶽の罪をといて重職に任じ、幕政の根本改革を行うこと。これは斉彬公の御遺策 であることは君も御存じのことと思う。第二には、黒田公、南部公など、わが藩と因縁のふかい諸侯 にはかり、久光公参府の際に相当の待遇を与える素地を作っておくこと。御承知の通り、久光公は藩 内では国父であるが、幕府の目から見れば無位無官の一陪臣にすぎず、公武周旋のためには位不足で、言 にらみがきかぬ」 直 吉之助はうなずいた。 章 「まさに、その通り ! 」 十 おかしなところで賛成されて、中山はおやッと言いたげに吉之助の顔を見なおした。吉之助は構わ第 ず、
中山尚之介はぶるっと身ぶるいした。狭い額に青筋がういている。吉之助の詰問は、自分に対する 明らかな侮辱であり、嘲笑であると思った。いかに斉彬公の信頼が厚かったとはいえ、遠島三年、最 近の情勢は何も知らないはずだ。幕吏に追いまくられて海にとびこんだ死にそこないのくせに、この 傲慢な口のききかたは何事だ。 「な、なにも、こちらから戦争をしかける必要はないのだ。所司代を追い、彦根城を抜くというのは 浪士の口癖で、有馬新七一派や平野国臣流の暴発論ではないか。暴 : : : 暴論だ」 「暴論ではない。勅諚を奏請し、兵威を示して威嚇すれば、最後には幕府も屈服するだろう。だが、 それまでには時間がかかる。なんとかかんとか老獪な口実を設けて、一年や二年はずるずると引き延 ばす。その間、われわれは三千、五千という大兵を京都、大阪の間にとどめて置かねばならぬのだ。 これは大変なことだ」 「幕府が遷延策をとっても、こっちが待たねばいいではないか。否でも応でも承知させてしまう。そ のために用意した兵力ではないか」 吉之助は言った。 「兵力を用いることは、こっちから戦争をしかけることだ」 ちゅうとん 「幕府と根くらべをしようと思えば、少くとも二年や三年、大兵を京都に駐屯させる準備がいる。 即戦即決で行くつもりなら、所司代を追っぱらった後、少くとも天下の兵力の半分を引受ける覚悟と 準備がいる」 212
内の死につづく天下の大損失である。幕府の策士が権勢を弄し、公武の間に小細工を行っても、この 老公がにらんでいる間はまだ望みがあった。 「老公を失った水戸藩は、斉彬公亡き後の薩摩と同様、要を失った破れ扇だ」 吉之助は言った。「藩論は分裂し、奸党が勢いを得て、正論が退けられ、藩の実力は発揮できず、 っ幕府から桜田の仇を討たれるかもしれぬ。水戸が瓦壊すれば、幕府は安心して公卿の奸物と結托し て朝廷に圧迫の魔手をのばすにちがいない。そうなれば天下の大乱である」 木場伝内はしばらく考えこんでいたが、 「しかし、現在のところ、水戸老公の逝去はわが薩摩にはそれほどの影響はないと思えますが : : : 」 「そうはゆかぬ。大いに関係があるのだ」 と、吉之助は答え、木場によくわかるようにくわしく説明してやった。 よいよ久光公が乗 鹿児島の同志たちは久光公を動かすためにいろいろと苦労している様子だが、い り出して朝幕の間を周旋する段取りになっても、協力する相手は水戸藩よりほかにない。その時、水 よしのぶ なりあき 戸に斉昭公がいなくては、相手のない相撲になってしまう。一橋慶喜と越前の松平春嶽は健在であるが この人たちを押し立てて事を行おうとしても、もうおそすぎる。斉彬公はこの二人を幕府の要職につ けて、幕政の大改革を行おうとしたが、それは水戸と薩摩の実力を背景にしていたから、実現も可能 であったので、斉彬、斉昭両公亡き今日においては、慶喜も春嶽も策の施しようはなかろう。将軍は 幼年、幕閣は無能姑息で、英断の人物は一人もいない。しかも、安政の大獄によって天下の人材はほ とんど非業の死を遂げ、新しく取り立てる人材は見あたらぬ実状であるから、時運の衰えは如何とも ひごう カカし かなめ
るそ。もう我慢ができなくなった。俺は素っ裸になって泳ぎ出すぞ」 「な、なんだ。またお前は何か企んだのか」 そく 「何も企まぬ。俺は薩摩藩の栗を食むのがいやになった。俺は大君の御民だ。皇室の家子だ。神武建 国の際には薩藩も長藩もなかった。諸藩とは幕府と共に堕落せる時代の産物だ。そんなものに頼って、 皇権の恢復をはかるのは本末顧倒た。俺の親父は京都で死んだ。御所にできるだけ近い場所で死にた いと言って、薩摩に帰らなかったのだ。その気持が今になってよくわかる。俺は薩摩の禄はさつばり と返上して、京都に出ようと思う。京都の公卿も腐っているが、御所の屋根の見える場所で暮せると 思うだけでも心が睛れる」 「伝手があるかな」 「近衛家の家来になりたいと考えて願書を出しておいた。返事があり次第とび出すつもりだ」 ただびろ ぎんしん 「ふうん、面白い。しかし、近衛家でも忠燕公は落飾隠居、御当主大納言忠房卿も謹慎の身の上た。 幕府のお尋ね者の有馬新七をおいそれと召抱えてくれるかな」 「西郷が島からとび出して来れないのも同じ理由だよ。薩摩という藩の枠を心の中でははね越えてい ても、さて実際に行動しようとなると、幕府ににらまれているかぎり、天下に身のおきどころはない。 島を出て、日本内地に足をかけた途端に幕吏に捕えられたのでは万事休する。大事を行おうと思えば、 やはり薩摩に頼り、藩庁の御赦免を待たなければならぬ。そこが苦しいところた」 「お前のい うことは老成家すぎる」 てんとう わく やっこ
ちあけて御相談なされた。斉彬公は自分の志をつぐ者は肉親では久光公よりほかはないと信じて、重 要なことはすべて相談されて、久光公の将来の活動の素地を作られていたのだ。中央政界に変化のあ つづみがわ るごとに皷川の重富屋敷に密書を送り、密使を立てられて、家老達にかくれていろいろと内談をかさ ねられた。その密使の役にはたいてい僕自身が立っていたのだから、この話にまちがいはない」 「幕府への上書も、斉彬公はいちいち草案を久光公に示されて意見をお求めになった。安政年間の将 軍への上書には久光公の筆が加わっていると言われているくらいだ。それほど御両公の間には直接で 深い関係があるのに、まわりから西郷西郷といわれては、久光公が気をわるくするのも当然といわね ばならぬ」 「なるほどな」 「現に、斉彬公は御薨去の病床で久光公の手をとって申された。嘉永以来、幕府は外国に対する措置 を失い、内は尊王の実を挙げす、天下の人心は離反し、もしいま一歩をあやまれば、大動乱である。 きんけっ だみん 皇国の臣子たる者は、薩摩の如き辺城で惰眠をむさぼっている時ではない。余はかしこくも禁闕御守 護の内勅を蒙り、先年来、出でて四方に当り、皇室輔翼、幕政改革のことに微力をつくして来たが、 今はもう再起の望みはない。余の志をつぐ者はお前だ。お前がいてくれれば、余は死んでも生きてい るのと同様だ。 : と、そこまで申されたのだ。久光公も、この御遺言にそむかぬだけの覚悟と用意 さえもん をなされているのだ。西郷であろうと、島津左衛門であろうと、久光公を差し措いて、斉彬公の遣策 をつぐものは自分一人だというような顔をしたら、早晩、久光公との正面衝突はまぬがれぬそ」 8
大きな声であった。中山尚之介は唇の隅をふるわせて吉之助の顔をにらみつけた。吉之助のうなず き方がいちいち癇にさわる様子であった。 とこまで 「大島君、わが久光公は近衛公御父子とはちがう。骨なしでもなければ、腰ぬけでもない。。 も斉彬公の御弟であらせられる。いかなる障害があろうとも、初志をまげられることはない。僕が京 都から出した報告を見ると、ただちに大久保に上京を命ぜられたのも、不屈な魂のあらわれだ」 「大久保は京都で何をしたのだ」 「昨夜も話したとおり、僕は近衛公御父子の前で、いうべきことを言っただけだ」 大久保は答えた。「和宮御降嫁は幕吏の奸策であって、決して公武一和の聖旨にそい奉る道ではない。 これに賛同する者は、幕吏たると公卿たるとを問わず、まさに乱国の賊である。奸賊の奸策を打破す る唯一の方法は、薩摩の兵力をもって禁闕を守護し奉り、実力をもって幕府に命令するよりほかはな 、と申上げた」 「近衛公御父子は、お聞入れになっこか 「いや、中山君への返事とまったく同様であった」 「さもあろう」 大久保はキラリと目の奥を光らせて、 「西郷、君はまさか近衛公と同意見ではなかろう」 「同意見かもしれぬ。僕が近衛公だったら、同じ返事をするよりほかはなかろう」 「ど、どうして ? 」 207 第十章直言
烈な現状批判を内に含んでいる。従って農政のことを論じているうちに、新七と正治の話はかならず 当面の政治にふれ、置酒放談の趣きを呈して来る。今日もそれであった。 「堀と大久保は筑薩提携論を唱えているようだが、これは俺と西郷と桜任蔵が安政の大獄の前に江戸 で考えて堀に吹きこんだ説なのだ」 有馬新七はいった。「もう古い。古いだけではなく、まちがっている。筑前の黒田斉溥公は井伊嫌い で、尊王の志も厚い。これと斉彬公が提携すれば、天下の事はかならず成るとその頃のわれわれは考 えた。今でも筑前の平野国臣などは斉溥公に望みをつないでいる様子だが、もうおそい。斉彬公あっ ての斉溥公であって、時勢はすでに急転しているのだ。わが藩において久光公に頼って天下のことを 行おうとするのと同じく、迂愚であり、見当ちがいである」 「そんなものかな」 「俺は久光、斉溥御両公の尊王の志は疑わぬ。お立派なものだと思っている。だが、殿様方の尊王心 というのは、われわれの尊王心とは少しちがうところがあるということに近ごろやっと気がついた」 「ふうん」 魂 ) 「御両公とも井伊の暴政は憎んだが、幕府そのものを憎む気持は決してもたぬ。幕府の失政を正すこ と、幕府を本来の姿にかえすこと、言い換えれば幕府を強化することがすなわち皇室への忠勤である荒 というのが殿様流の考え方だ。 ・ : われわれはそうは考えぬ。幕府が悪いのだ。幕府さえなければ、章 井伊は決してあの不敬と暴政を行うことはできなかった。幕府が存在する限り、井伊を何人たたき斬第 っても承久の乱の大不敬はいっ繰返されるかもしれない。暴挙を再び繰返させないためには、兵馬の なりひろ
大久保は苦しげに答えた。 「その点については、 ・ : たしかな見込みというほどのものはないが」 りんげん 「なくては困るのだ。水戸に下された密勅の先例もある。綸言は汗の如し。一度発して再び返るよう なことがあったら、朝威を損じ、国体の大本を危くする。勅書を奏請する以上は、幕府をして必ずこ れをお受けさせるだけの準備をしておかねばならぬ」 中山尚之介が勢いこんでロを入れた。 「大島氏はおかしなことを中される。勅諚とあれば、如何なる事情ありとも実行しなければならぬ。 承詔必謹、これがわが国体の大本ではないか」 「中山君 ! 」 吉之助は大きな目で尚之介の顔を見つめて、 「そういう有難い大御代であったなら、主上の御悩みもなく、われわれの苦労もいらぬ。鎌倉に幕府 が開かれて以来、歴代の将軍は勅諚を無視する極悪なる先例を一度ならずつくっている。幕府なるも のが真に天朝の御為の征夷の府であったなら、正成の孤忠も高山彦九郎の憤死も無用であったはずだ」言 「そのくらいなことは僕にもわかっているよ。だが、君は今の幕府がそれほど強力なものだと思って 直 いるのか」 ぎようど 「すでに強弩の末であることは僕も知っている。特に、桜田事変以来、幕閣ははなはだ弱腰になって章 いる。だから、公然と勅諚を拒絶することはなし得ないかもしれぬ。おそらく表面上はお受けするで第 あろう」