「浪士の代表ともいうべき者はどういう連中だろう」 と、小松が質問した。 堀は答えた。 かわちのすけ 「京都には田中河内介がある。これが現在のところ浪士の代表であろう。九州では、久留米の真木租 ずみのか 泉守、筑前ではわが藩の亡命者北条右門、工藤左門、葛木彦一などの平田学派がいる。平野国臣は彼 ていぞう げんさい らの弟子だ。肥後には松村大成、宮部鼎蔵、河上彦斎など、豊後の竹田には小河一敏の一覚がいる。 水戸の有志の意見もすでに浪士意見と見て差支えない。民間には強い影響をもっているが、一藩を正 式に代表した意見ではない。長州の松下村塾一統の意見もほぼ浪士意見に近い。そのほか、越前、因 、土佐、肥前などにも同様の勢力ができはじめているが、いずれも藩政の主流とは遠い。藩政を左 右するだけの実力は持っていないのだ。これらの有志家、浪士、平田門人、郷士、不平公卿などが結 ヾこうン」。 5. んで囂々たる与論らしいものを作っているが、われわれはその景気のよさに迷わされてはならぬ。彼 らの実力は決して見かけほどのものではない」 策 「果して、そうだろうか」 と言ったのは大久保市蔵であった。 堀は大久保の顔をジロリと見て、 章 「君は浪士とほとんど交際がないはずだが」 五 「そう、僕のあったのは、平野国臣くらいなものだが、彼の意見が必すしも無責任だとは僕は思わな第 かった」
中山が膝を乗り出すのを軽く受け流して、 「話の先をうけたまわろう」 と、吉之助はくりかえした。 「中上げよう」 中山は声を上ずらせて、「すでに大久保君からお聞きのことと思うが、われわれの方針は確定し、準 備は着々すすんでいるのであるが、一般の者はそれを知らず、いまだに水戸との盟約にこだわり、他 藩の有志に対する面目論をふりまわして、暴発論を唱えている者もすくなからずいる。だが、水戸は 桜田事変の失敗によって土崩瓦壊し、いまはまったく頼りにならぬほど無力化してしまった」 「中山さん、あんたは桜田の一挙を失敗と言われるのか」 「さよう、僕は失敗だと思う。暴挙にすぎないと思っている。久光公も同じ御意見だ」 「ほう、久光公も」 「水戸が崩壊してしまった以上、われわれは小藩の有志家や浪士の意見に左右されることなく、独立 独行して公武の周旋に乗り出すべきである。これも久光公の御意見だ」 「ほほう、それも久光公か」 「さよう、君臣一致した意見なのだ。このわかりきった意見がどうしてもわからぬわからず屋どもが、 まだわが藩にはすくなからずいる。大島君、君の役割は、このわからず屋どもを納得させて、わが藩 をして挙藩一致、勤皇の実を挙げしめることだ。できますか。大久保君は必ずできるという。目下の わが藩の藩論を統一できる者は、君をほかにしてはないという。だから、僕も、君の召還のために及 204
吉之助はずけずけと答えた。「まだ評定中というのならともなく、進発と決定してしまっているのだ から、策の施しようもない」 「そう言われては困る。君に投け出されたのでは、せつかく帰ってもらった甲斐がない」 「意見はもう述べてしまった。こんどの進発計画は準備不足の一言で尽きる。粗漏杜撰、強いて行お うとすれば、かならず事を破る」 「西郷さん」 小松帯刀が遠慮がちに口を切った。「さっきからの御意見をうかがっていて、私もはじめて目が開い たような気がする点が多々あります。なんと中しても、われわれは若輩すぎます。経験も浅いし、中 央の情勢にも暗い。あるいは、この際としては進発延期が最も賢明な策かもしれません。 : しかし、・ それを私の口から久光公に申上けても、とてもお聞き入れにはならないでしよう。中山にしても、今 の調子では、あなたの意見を素直に久光公に取次ぐ見込みはない。ひとつ、あなたから久光公に直接 に中上げることにしてみてはいかがでしよう」 「御面謁のことは、極力、私の方で取りはからいます。あなたの意見を直接に聞かれたら、久光公の お考えも変るかもしれません」 誠意のこもった言い方であった。 「そう、それもたしかに一法だ」 大久保はうれしそうに膝をたたいて、「西郷、久光公にあうか」 すさん
われが充分に監視したら容易に解決できる問題ではないか」 この意見には小松も中山もすぐに賛成した。大久保も異議を唱えなかった。 「では、次の問題に移ろう」 堀が言った。「外国処分の問題だ。これは目下の最重要点だから、大久保君の意見を聞こう」 「いや、まず小松君の意見を聞こう」 大久保は慎重にゆずった。 「攘夷か鎖国かという問題ですか。簡単にはきめられないでしよう」 小松の返事には自信がなかった。 「しかし、先君斉彬公には明確な決策があったと思う」 中山が唇をそらして言った。「僕は直接にうけたまわって知っているが、斉彬公の御決策は一言にし 策 ていえば開国進取だ」 「それについては、僕も西郷から聞いている」 大久保が言った。「まさに開国進取以上の御大策であって、国内の改革が成 0 た元は清国及び南洋諸秘 島へ進撃して、英、仏、米の東漸を食いとめ、日本が中心とな 0 て東洋を保全するという大雄図を有章 しておられたとうけたまわっている」 「英、仏、米と決戦するなら、攘夷論ではないか」
「お小納戸役になったので、意見が変ったと見るのは、少し酷な見方だ」 有馬新七が訂正した。「久光公に接しはじめて、久光公の意見に呑まれてしまったのではないかと私 は思う。大久保は俊才だが、江戸も京都も知らぬ。久光公も同じく藩外のことは何も知らぬ。だから 意見が合う。久光公も大久保も、兵を率いて上京し、勅命をいただいて幕府を威嚇すれば、簡単に事 は成就すると思っているらしいが、いかに幕府が衰えたりとはいえ、三千や四千の薩摩藩の兵隊が鉄 砲かついで分列式をやったからといって、べつに驚かんだろう」 「さよう、その通りだ」 国臣は膝をたたいて、「有馬さん、あんたと私とは同意見だ。私はどこまでも御親征説だ。聖駕を奉 せいき じた勤皇の神軍が堂々と討幕の旌旗を進めるよりほかに回天の策はないと信じている。もちろん、そ こまで行くのには順序がある。今の情勢では、いきなり御親征というわけにはゆかぬ。誰かが勤皇の 義軍を挙げて口火を切らねばならぬ。尊攘英断録の中にも書いておいたが、ます青蓮院宮を奉じて、 二条城を焼き、彦根と大阪の両城を落して、幕府の出鼻をたたかねばならぬ。ロでいえば簡単たが、 これだけやるのに相当な兵力がいる。何万とはいらぬが、少くとも三、四千の兵隊は必要だ。幸いに 久光公は三千の兵を率いて上京されるという。この軍勢を単なる大名行列に終らせす、勤皇義軍の先 駆たらしめたい。これが私の望むところです。私が鹿児島に来たのは、その目的のためです」 「大久保は何と言いましたか」 と、田中謙助がたすねた。 「たぶん、御希望の通りになることと思うが、これは藩の大機密であるから、上京のその日までは、 156
うが、そこを押し切って、来春の忠義公上京の内状について、かなり詳細な話をしてくれました」 「忠義公御自身が上京されると大久保が言いましたか」 と、有馬新七が聞きとがめる。 「そう言いました。勿論、諸君は御存知でしようが : 「ところが。われわれはさつばり知らぬ。忠義公御出府という者もあり、久光公が代理として出馬さ れるという者もあり、さつばり話がわからぬ。つまりわれわれは何も知らされていないということに なるのだ」 「諸君が何も知らされていないとは意外だ。そんなことはないでしよう」 「意外かもしれぬが、事実なのだ。堀や大久保や中山といった連中が久光公のまわりで何かこそこそ やっている。その気配だけが、鰻屋の匂いのように鼻先をかすめるばかりだ」 鰻の好きな新七は答えた。 田中謙助がー リきとって、 「大久保は近ごろ非常な自重論で、われわれの説は受入れようとしない。われわれよりもさらにはげ人 しいあんたの説を大久保がやすやすと受入れるはずはないと思うが : 同 「そこまではっきりと意見が別れているのですか」 章 「決してわれわれの方から強いてを立てたわけではない。にもかかわらず、いつの間にか意見が別 れたというのは、つまり大久保の方が変ったのだ。つい二、三カ月前まではまったく同意見だった。第 それがお小納戸役になってからがらりと変って、われわれの言葉などは耳にもかけなくなった」
「その実力がわが藩にないとは言わぬ。だが、僕の見るところでは、まだまだ準備がたらぬ。戦争の 、準備も不足、幕閣への手入れも不足、諸藩との連絡も不足。何もかも大不足だ」 小松帯刀が心配そうに口を入れた。 「つまり、あなたは久光公の御上京を延期せよと申されるのですか」 ・「さよ、つ ! 」 断乎たる返事であった。 中山尚之介はいきり立った。 「そ、それは島津左衛門と同論だ。左衛門は準備の不足を唯一の理由として、久光公に反対しつづけ : もっとも、大島君はもと た。何かにつけて久光公を子供あっかいにするのが左衛門の癖だった。 もと左衛門党だと聞いている。同じ意見を吐くのも無理はないが」 「島津左衛門殿にはまだあっていないから、どんな意見を持たれているか知らぬ。僕は僕の意見を述 直 べているだけだ。島でも考え、帰りの船の中でも考え、考えて考えぬいた。島にこもってはいたが、 内地の形勢は大久保をはじめ多くの同志が逐一知らせてくれたから、まったく盲目というわけではな章 。鹿児島にいて井の中の蛙をきめこんでいるよりも、大島にいて真剣に東の空をにらみつづけてい第 ・ : 中山君、僕はいたって簡単な、いたって実 た方が、かえって天下の形勢には通じるかもしれぬ。
「中には志の厚い者もある。ただ、一般的に見て、浪士というものは、ロではさかんに国事を論する が、責任ある地位にいないから、軽挙妄動におちいりやすい。自分は長年江戸や京都にいて、彼らと 接して来たが、率直に言って、性格的に粗暴過激で、根柢のある者はほとんどないといっても過言で ない。あえていうが、浪士とは志を共にしても事を共にすべからず。このたびの久光公の大策にして も、うかつに浪士にもらしたら、かならず世上の噂となり、かならず事を破る。われわれは自ら方針 を立て、浪士の意見に影響されることなく、あくまで独立独行しなければならないのだ」 大久保は黙っていたが、中山尚之介は即座に賛成した。 「久光公は特に浪士嫌いである。浪士の性質が堀君の申されるとおりであることを見抜いておられる きようげき からだ。わが藩においても、藩論の統一を乱す者は浪士の影響を受けた者が多い。矯激にして実行の 可能性のない建白書を出して久光公を困らせる者はすべて彼らだ」 「中山君」 大久保が大きな声を出した。「藩外の浪士については、あるいは君らの意見が正しいかもしれぬ。だ が、藩内の同志をまで浪士扱いにされては困る。いろいろと欠点はあっても、わが藩の正気は誠忠組 によって保たれているのだ」 「うん、しかし、たとえば有馬新七や柴山愛次郎の意見は : 中山が抗弁しようとするのを堀次郎がおさえて、 「問題を藩外の浪士にかぎろう。藩内の者は浪士にあらずして同志だ。彼らと藩外の浪士との連絡を 絶ってしまえば、問題はなくなる。他藩の浪士と交際すべからずという君公の布告をいただき、われ
小松帯刀が中山を玄関の方に送って行く。その後姿の消えた方向をにらみつけて、 「馬鹿者が ! 」 吉之助はどなった。「大久保、お前はあんな者を本気で相手にしているのか。小憎だ。小憎っ子では ないか。少年国柄を弄すとはこの事だそ」 「そう言われると耳が痛い」 「だが、あれでも中山はなかなか役に立っ男だ。少々我意が強すぎるのには困 大久保は苦しそうに、 るが、物はよくわかる男だ。君とは肌は合わぬと思うが、久光公の御信頼が厚いし、しかも君の召還 のためにはよく働いてくれた」 「それとこれとは話がちがう」 「なにしろ若すぎて、 : : : 才を頼んで思い上っている節もないではないが : 「思い上っているのは中山だけではないぞ」 そこへ小松帯刀が浮かぬ顔つきで帰って来た。大久保はとりなし顔に、 「さあ、西郷、君の意見を聞かせてもらおう。小松君と僕が相手なら、君も腹は立つまい」 「今さら、意見でもないじゃないか」 すてりふ それを捨科白に、中山は出て行ってしまった。 7 第十章直
思いがけぬ変事がおこるかもしれない。僕は江戸に行き、中山君は京都に行く。大久保君にもいずれ 藩外に出てもらわねばならぬから、四人はばらばらになるわけだ。今ここで確固不動の方針をたてて おかないと突発事件に善処することができぬ」 「そのとおり」 と、中山尚之介がうなずいた。 「確固不動の方針とは区々片々たる世間の与論に動かされぬ方針のことだ」 堀は言 0 た。「僕の見るところでは、現在天下を動かしているように見える与論は浪士の間から発し ている」 「浪士の ? 」 小松帯刀が首をかしげて、「浪士の勢いがそれほど強いのか」 「強い。少くとも強そうに見える。彼らの無鉄砲な攘夷論と暴発論は京都の公卿の間にまでしみこみ はしめている。わが藩の若い連中にも、浪士の影響が次第に顕著になりつつあることに、君は気がっ 、刀、濵し、カ」 「浪士であるかどうかはしらぬが、わが藩の中でも、平田門人の一派はなかなか激しい意見を持 0 て いるようだが : 「平田学も学問の仮面をかむった浪士意見だ」 106