有馬新七 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第9巻
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1. 西郷隆盛 第9巻

る君が、どうしてその態度を学ぶことができないのだ」 税所篤の切言は一座の感動を呼び起した。森山新蔵も奈良原繁もかたずをのむ。大久保派と目され ている有村俊斎さえも、大声で、 「そうだ、そこだ ! 」 と叫んだ。 だが、大久保は顔色も動かさなかった。 「そんなわかりきったことは今さら聞くまでもない。平野氏のことについては諸君は何も知らぬはず じっこん だ。平野氏と自分とは西郷入水の頃から怩懇にしている。諸君は平野氏が薩摩の同志と語り合う暇も なく追いかえされたようにいうが、現に自分と堀次郎と有馬新七があっている。ただあっただけでは ない。伊集院から市来の港、さらに米津まで行って、三日三晩、寝る暇もなく語り合っている。平野 、や、有馬新七に聞いても 氏は喜んで別れた。何を語り合ったか、平野氏自身に聞いてみるがよい。し 、、 0 有馬さん、有馬さんはいないか」 返事はなかった。有馬新七は日暮前にちょっと顔を出したが、議論が錯雑して来ると、不愉快な顔 いつものようにふらりと中座してしまったのである。証人がいなければ、話のつづけよ つきになり、 うがない。大久保の自信ありげな口調におされて、税所も柴山も村田新八も黙りこむよりほかはなか

2. 西郷隆盛 第9巻

「俺は : : : 俺はつまりその : : : 」 と、新七はどもった。 正治は笑って、 「つまり、有馬新七は武骨すぎる。外見は武骨なくせに、案外胸の中は涙や溜息で一杯なのだ。風流 家で、詩人で、つまり純粋家と潔癖家の弱点の方を身にそなえすぎている」 「貴様は俺を・ : ・ : 」 「一人で突出して、真っ先に斬死する男だが、好漢おしむらくは兵法を知らぬ。水戸の桜任蔵や筑前 の平野国臣とよく似ている」 「何とでも言え。批評は他人にまかせてある」 目を輝かせて大山巌が答えた。 「この頽勢を挽回するのには堀や大久保では間に合わぬ。いや、彼らこそ腐敗の張本人だ」 こうもり 有馬新七は声を大きくして、「堀は鳥獣合戦の蝙蝠のように、あっちにべたり、こっちにべたりじゃ。 大久保は悪党ではないらしいが、おのれの智恵をたのみすぎる。このままにしておくと、堀や中山尚 之介と同論して、とんだ権謀家になってしまうそ」 伊地知正治が横から、 「そういう御当人はどうだ。有馬新七では、この難局打開に間に合わぬのか」 たいせい

3. 西郷隆盛 第9巻

「平野さん、あんたはわれわれが大久保と同論だと思っておられるか」 有馬新七は開きなおって、「大久保が何を話したかは知らぬが、大久保の意見を聞いて、あなたが安 心したというのは、われわれには理解できない。今の大久保は昔の大久保ではない。先年、あなたが この伊集院に来られた時にあった大久保はたしかにわれわれと同意見であった。だが、今はちがう。 われわれが変ったのか、大久保が変ったのか知らぬが、現在のわれわれは決して大久保と同論ではな し」 「ほほう、これは一囲 , 日い」 平野国臣は膝をたたいた。「そうとわかれば、私にも言いたし ことがある」 有馬新七の直言によって、はじめてお互いの心が通いはじめた。 そこへ、坂木六郎の心づくしの酒肴も運ばれて来たので、みなくつろいだ気持になり、今夜はここ ろゆくまで語ろうと一同膝をくずした。 都には 吹きも至らず火の国の 阿蘇が根おろし音のみはして 平野国臣は肥後で作った歌だと言って、有馬新七に示した。新七は苦笑して、 、ことがある。ぜひ聞いていただきたい 141 第七章同憂

4. 西郷隆盛 第9巻

柴山愛次郎は言った。「だが、そんなことは驚くには及ばぬ。同志が出世したのだから、めでたいと 3 思っている。屈するばかりが能ではない。時到らば大いに延びて志を実行するのは男子の本望だ。し かし、われわれの敵の目から見れば、この政変は意外であり、堀や大久保の破格の出世は羨望に堪え ないらしい。城下では誠忠組の陰謀だという噂が立っている。しかし、有馬さん、誠忠組といえば、 この席にいるわれわれ三人も誠忠組だ。そのわれわれが、この政変については何事も知らされていな まったく寝耳に水だった。われわれの知らぬ誠忠組の陰謀というものがあり得るだろうか。いっ これは誰の陰謀なのだ」 じやすい 同志の行動については邪推は禁物である、物事は至誠をもって正面から解釈して初めて正しい解決 の道が開ける、と有馬新七は信じている。だが、この政変だけは、たしかに柴山のいうとおり正面か らでは解釈できない。まことに容易ならぬ陰謀が堀や大久保や有村を中心に行われたと推察せざるを 得ない。そうでなければ、誠忠組の元老の一人と自他ともに許している有馬新七が寝耳に水の報告に 驚かねばならぬはずはないのである。 「伊地知正治も知らぬというか」 と、新七は念をおした。 「夢にも知らぬと言っていたよ」 と、田中謙助が答えた。 「森山新蔵は ? 」 「政変のあるらしい気配はうすうす感じていたが、まさか、こんな顔ぶれになろうとは思っていなか

5. 西郷隆盛 第9巻

であった。伊地知正治と有馬新七を筆頭に、柴山愛次郎、田中謙助、村田新八から森山新蔵、是枝柳 右衛門に至るまで、会合の席上でも公然と大久保にくってかかる反大久保派と見られている者が全部 網羅されていた。吉井幸輔、有村俊斎、岩下方平などの名はもちろん挙がっていたが、新大久保党と 思われている奈良原繁や高崎猪太郎の名はもらされていた。 伊地知と有馬はもう一度顔を見合せるよりほかはなかった。公平で無私な人選である。私情をはさ まず、親疎にかかわらず、党中の重要人物をもれなく招待する内祝いなら、文句のつけようはない。 有馬も伊地知も出鼻をくじかれた形であった。同志にかくれて何を企らんでいるのかと詰問するつ もりで来たのが、その理由がまったくなくなった。大久保はこんどの昇進を無邪気によろこんで、公 然と同志に披露しようとしている。陰謀めいた影はどこにもないようだ。 「お小納戸役というような重要な役につこうとは夢にも思っていなかったが、私がその役につけば、 わが党のために新しい活動の道が開けると思ったので、あえてお受けしたのです。この際、覚内の結 東を充分にかためておく必要があると考え、すこし早すぎるが内祝いの準備をはじめたのです。世間 に吹聴する会ではありません。内をかためるための集りです。ぜひ出席していただきたいと思います」 「結構だ。よろこんで出席させていただこう」 物事の裏を考えることの嫌いな一本気の有馬新七はすぐに承知したが、 「ときに、今夜は少々たすねたい件があってまいったのだが、

6. 西郷隆盛 第9巻

有馬新七はすぐに身仕度をして城下に出て、上の園の伊地知正治を誘い、向う岸の大久保市蔵の屋 敷を訪ねた。 タ風のうすら寒い時刻であった。この時刻なら役所もひけているから、留守をくわされる心配もな かろう。 「えつ、あなたが」 と、柴山は目をみはった。 「そう、われわれだけでいくら議論してみてもはじまらぬ。本人にあうのが一番早い。一緒に行こう」 「僕はいやです」 柴山は首をふった。「大久保は隙のない男です。あっても巧みに言いくるめられるのが目に見えて います」 「では、俺ひとりで行こう」 「伊地知さんをつれて行ってはどうだ」 田中謙助が言った。「二人は大久保にとって先輩だ。先輩二人を前においては、いくら大久保でも嘘 はつけまい」 「うん、それもよかろう」 と言って、有馬新七は立上った。

7. 西郷隆盛 第9巻

と、大久保は冷静に答えた。 「大島氏も兵書はお読みであろう」 中山がこざかしく口を入れた。「敵をあざむくためには、まず味方をあざむかなければならぬ」 「とにかく、この奇手は成功した」 大久保が引き取って、 「一部の者は、たとえば有馬新七などは、われわれが藩邸の失火を口実に藩公の御出府を妨げている としきりに攻撃しているが、事実はその逆で、われわれは久光公の御出馬に充分の準備期間を得るた めに、自ら放火したのだ。ただし、このことは、この席にいるわれわれ三名と堀次郎のほかは誰も知 らぬ。知れたら切腹ものだ。もちろん、われわれは最初からその覚悟でやった仕事だが」 そう言って、大久保は吉之助の顔を見つめた。この重大事を打ちあけた以上は共同責任だと釘をさ したつもりであろう。 吉之助は太い眉をびりりと動かしたが、何も言わなかった。 「西郷 : : : いや、大島氏は、これについてどう考えられるか」 小松帯刀が心配げに尋ねた。 直 「すんだことなら、致し方もござらぬ」 吉之助は両手を膝において答えた。「ただ小人は策に倒るという言葉を思い出した。しかし、それは章 第 それ、これはこれ。 : : : 先の話をうけたまわろう」 「大島氏はわれわれを小策を弄する小人と申されるか」

8. 西郷隆盛 第9巻

「大久保では駄目だろう」 「どうして」 「大久保は近ごろ、堀や中山の意見に引きずられてしまった。人の顔さえ見れば自重自重という。し かも、御本人は決して自重はせず、策略をたのしみながら危い橋を渡っているらしいのだから、なお さらいけない」 柴山愛次郎の返事は新蔵の予期した通りであった。新蔵は争いたくなかったので、すぐに話を転じ 「では、有馬新七さんは ? 」 「りつばな人物だ。僕が霧島山にこもったのも、有馬さんの話を聞いているうちに、その気になった のです。大久保や堀などとくらべれば数等上の人物です。この人となら、いつでも死ねる。ただ、有 馬さんは悲しみすぎ、怒りすぎて、薩摩藩に見切りをつけてしまった形だ。山の奥に引きこんで百姓 になるか、それとも京都に出て公卿侍になり、藩の拘東をうけず、思いきり働いてみたいと言ってい つでも死ねる。 る。それには僕も賛成だ。僕も有馬さんと一緒にとび出したい。有馬さんとなら、い 斬死の相手はこの人よりほかにないと思っている。だが、同志をまとめ、敵をおさえて、この複雑な 難局を乗り切ることは、有馬さんにも出来ぬかもしれぬ。あまりに純潔すぎる。抜き身の大刀のよう な人だ」 「そう言われてみれば、そんな気がしますな」 新蔵は徴笑して、「では伊地知正治、吉井幸輔さんは :

9. 西郷隆盛 第9巻

うが、そこを押し切って、来春の忠義公上京の内状について、かなり詳細な話をしてくれました」 「忠義公御自身が上京されると大久保が言いましたか」 と、有馬新七が聞きとがめる。 「そう言いました。勿論、諸君は御存知でしようが : 「ところが。われわれはさつばり知らぬ。忠義公御出府という者もあり、久光公が代理として出馬さ れるという者もあり、さつばり話がわからぬ。つまりわれわれは何も知らされていないということに なるのだ」 「諸君が何も知らされていないとは意外だ。そんなことはないでしよう」 「意外かもしれぬが、事実なのだ。堀や大久保や中山といった連中が久光公のまわりで何かこそこそ やっている。その気配だけが、鰻屋の匂いのように鼻先をかすめるばかりだ」 鰻の好きな新七は答えた。 田中謙助がー リきとって、 「大久保は近ごろ非常な自重論で、われわれの説は受入れようとしない。われわれよりもさらにはげ人 しいあんたの説を大久保がやすやすと受入れるはずはないと思うが : 同 「そこまではっきりと意見が別れているのですか」 章 「決してわれわれの方から強いてを立てたわけではない。にもかかわらず、いつの間にか意見が別 れたというのは、つまり大久保の方が変ったのだ。つい二、三カ月前まではまったく同意見だった。第 それがお小納戸役になってからがらりと変って、われわれの言葉などは耳にもかけなくなった」

10. 西郷隆盛 第9巻

「しかし、それはわれわれにとってめでたい話ではないか」 島津左衛門一派は斉彬公直系の正義派といわれ、彼らが島津豊後一派にかわって藩政をにぎった時 には「誠忠組」一党は非常な期待をかけたのであるが、その後の実際の施政はまったくの保守退嬰主 義で、斉彬の大策を実行するどころか、自重方針をとって久光を牽制し、「誠忠組」を目の仇にして陰 に陽に圧迫を加え、若い有志の建白は一つとして採用せず、そのために有馬新七などは脱藩して京都 に上るよりほかはないとまで思いつめていたのである。彼らが総退陣したとあれば、めでたいという よりほかはない 「いや、それが : ぎいれせつつ 田中謙助が説明した。「その後がおかしいのだ。左衛門にかわった家老首座が喜入摂津」 たてわき 「側役小松帯刀、お小納戸役中山尚之介 : : : 」 「久光公側近だな」 「同じくお小納戸役堀次郎、大久保市蔵 : : : 」 おかちめつけ 「御徒目付吉井幸輔、有村俊斎 : : : 」 「ふうん」 有馬新七は唸った。 「わが藩としては前例のない異数の抜擢だ」 こなんど ばってき たいえい 93 第五章秘策